医学界新聞

インタビュー

2019.08.26



【interview】

看護師の継続した学びのために
成人教育学を看護に生かす

三輪 建二氏(星槎大学大学院 教育実践研究科 教授)に聞く

<聞き手>寺本 美欧氏


 看護師が自ら学ぶ意欲を持ち,継続して学習し続けるためにはどうすればよいだろうか。解決の糸口の一つに,成人の発達段階の特性を生かした学習理論「成人教育学」がある。ノールズ(Malcolm Knowles)は著書『成人教育の現代的実践――ベダゴジーからアンドラゴジーへ』(鳳書房)の中で,子どもへの教育に対して,成人教育学を「大人の学習を援助する技術(art)と科学(science)」と定義付けた。同書を監訳し,日本における成人教育学の第一人者である三輪建二氏は現在,成人教育学の看護実践への応用にもかかわっている。成人教育学を学ぶため今秋から米コロンビア大教育大学院に留学する看護師の寺本美欧氏を聞き手に,成人教育学を看護の教育に生かす方法について聞いた。


寺本 私は看護師として働く中で,看護の現任教育に課題を感じました。基礎教育の場では学生が受動的な姿勢であっても教員による学習サポートが得られる一方,臨床の現場では自発的な「自己研鑽」が求められます。また,ベテランの看護師が知識を学び直す機会が不足している場合も多いです。そういった現状を踏まえ,新人看護師からベテラン看護師まで,皆が基礎教育から継続して学習し続けるための方法を学び,それを現任教育に還元することが私の目標です。

 課題解決には「大人が学ぶとはどういうことか」という成人教育学の視点が必要だと感じます。今日は成人教育学の第一人者である三輪先生にお話を伺い,看護師が学び続けるための方法を考えたいと思います。まず,成人教育学とはどのような学問なのか,三輪先生のお考えをお聞かせください。

三輪 成人教育学は確固たる理論というよりも,学習者が自分の学びに向き合うための「枠組み」と言ったほうが正しいかもしれません。成人教育学では,学習者本人の経験や自己決定性を大切にします。ただし,それだけでは独り善がりになりかねないので,自分自身で自分の問題点に気づく意味でリフレクションを大事にする必要があります。これを私は「省察」と訳しています。他者に指摘されて直すのではなく,本人が省察し気づく環境を整えることが,成人教育学の根幹を成します。

学習者が自身の暗黙知に気づける省察の場をつくる

寺本 大学病院で看護師の管理職研修にも携わっている三輪先生の立場から見て,看護師の教育にはどのような印象をお持ちですか。

三輪 安全管理が必要なためか,看護の教育現場では比較的厳しいトレーニングや,「これはやってはいけない」といった管理型の教育が多く見受けられ,「育つ」より「育てる」ことを目的とする印象を受けています。一方で成人教育学は学習者の豊かな経験を生かし,学習者本人が「育つ」ことを重視します。つまり新人を未熟者としてとらえるのではなく,一人の社会人としての自己決定性を認めながら自ら育つことをめざすのです。

寺本 看護の現場では,学校を卒業し入職すると,せっかく学んで身につけた知識や考えが一度ゼロに戻ってしまうような感覚があります。皆ひとくくりに「新人さん」として扱われ,その人がこれまでどのような学習をしてきたかが軽視されがちです。

三輪 成人教育学では,「新人さん」扱いをするより,本人が自発的に学んで伸びていくような支援をすることを理想とします。勤務する中での経験や患者さんとのかかわりを通して,学習者が自ら学習の必要性に気づき学ぶサイクルを作るほうが,指導者が「これもあれも教えなきゃ」と焦って介入するよりも有益だと考えるからです。

寺本 なるほど。では,学習者本人が自ら気づけるようにするには,どのような方法があるのでしょうか。

三輪 方法の一つとして,患者とのかかわりの実践を自分の言葉で語ってもらい,その人の省察を促して経験を意味付けることが挙げられます。自らの経験を語り省察することで,それまで言語化できなかった自分自身の暗黙知や実践知の存在に気づくことができるのです。これは看護学生や新人看護師だけでなく,ベテラン看護師や管理職にとっても新しい学びが得られ,実践する価値があると思います。

寺本 自らの経験を語るというと,話し合いの場を持つ必要があるのでしょうか。以前勤めていた病院では,毎日勤務後にその日の業務を振り返り,他の人からコメントをもらう場がありました。自分の看護を振り返ることはあまりないので,そのような場を持つことは大事だと思います。

三輪 大変よい取り組みだと思います。ただその省察が形骸化してしまわないか心配です。「しなければいけない振り返り」と「やりたい振り返り」は別ものです。毎回義務化された手法や,「上司がチェックするからこれは言わないでおこう」といった振り返りではせっかくの場であるのにもったいないですからね。

寺本 本当ですね。振り返りはともすると,問題点を指摘し改善を促す場になりがちです。新人看護師の立場だとどうしても,自分のできなかったところや今後の課題を発表しなければならないと考えてしまいます。

三輪 振り返りの内容は,「自分にとって印象深かったこと」でいいのです。印象に残ったことを他者と共有すること自体が省察につながり,その人の学びになるからです。

寺本 省察を繰り返すことで自分の看護に向き合っていくのですね。経験とその振り返りを繰り返すことはその人の看護観を深め,看護を続けていく原点になるかもしれません。

看護の取り組みを言語化し他職種に語る

寺本 自分が行うケアに向き合うことが看護師には重要とされる一方で,実際の現場ではどうしてもケアよりキュアの指導に重きが置かれて,ケアについて語る場面は限られます。キュアができないと,看護師として一人前にはなれないとの認識が医療現場にあるからです。

三輪 患者の安全を守る役目を担う看護師にとって,確かにキュアは大切です。しかしキュアばかりに偏ってしまうのではなく,キュアとケアの2つをバランスよく統合することが重要だと考えます。

 キュアは,疾病の治癒や生命維持をめざす医師が診療技術や医学的知識の土台として築いてきた原理です。それに対しケアは,患者を主体として療養上の世話を行い,生活の質を維持・向上させ,精神的・社会的な意味も含めた健康をめざす原理です。ケアの多くは暗黙知です。このようにキュアとケアは異なる原理であると理解した上で,安全管理が強調されても,看護師はあくまでケアを軸に,キュアを組み入れる姿勢が必要ではないでしょうか。キュアの論理体系を持つ医師と同じ役割を求められてはいないと思うのです。

寺本 ケアとキュアという互いの専門性を尊重し合いそれぞれ異なる役割を果たすことが,医師と看護師の協働においては重要ですね。

三輪 それに,キュアの専門家である医師がケアを理解するためには,ケアの専門家である看護師がケアを言語化して語る必要があります。看護師の皆さんには積極的に他職種に語ることに挑戦してほしいです。その取り組みは看護師自身のケアに対する省察だけでなく,組織内のコミュニケーションを活性化させ,互いの立場を理解しながらの協働につながるでしょう。

 さらには,看護の取り組みを言語化し,社会に発信することも専門職として大事なポイントです。それは看護師が専門職として社会的・公的認知を得る意味でも重要だと思います。

寺本 看護というケアの営みを言語化する努力と,周囲に発信する取り組みが求められるのですね。

指導者に求められるのは聴く力と問い掛ける力

三輪 看護学生の実習の場合はどうでしょう。学生時代に自分の経験を振り返る場はありましたか。

寺本 看護学生においては,教員や実習メンバーと話し合う時間の他に,実習記録や評価表を用いて自身を振り返る機会があります。ですが先ほどの新人看護師の場合と同じで,自分のできなかったことや課題について書くことが多かったように思います。

三輪 私には,覚えた知識の現場での適用が実習の目標となってしまう場合があるように見えます。せっかく皆で話し合う場があっても,覚えたことやその実践を確認する話し合い,あるいは失敗を指摘する話し合いになっていたらもったいないです。

寺本 そうですね。看護学生が振り返りをするときには,どうしても行動目標や実習目標に対する達成度にとらわれがちです。実習では成績がつけられるので,学生はそれも気になってしまいます。

三輪 私たちはどうしても,目に見える行動ばかりに意識が向いてしまいます。しかし看護学生の場合,患者という自分だけの力ではどうしようもできない異質の他者に,実習で初めて出会う人もいます。学生は学んだ知識を適用するどころではなく,頭が真っ白になる経験をすると思うのです。学生はその瞬間から,異質の他者を取り入れながら自分と患者の関係を編み直すという,ケアの本質につながる貴重な学びを得ます。指導者がそこを見ずに「勉強した知識を覚えてる?」「ちゃんと実践できたの?」とばかり言うのは,指導のポイントを外しているような気がします。

寺本 指導者は学生の見える行動だけを評価するのではなく,学生が感じたことを言語化するサポートをすべきなのですね。

三輪 その通りです。ただ,もしかすると,振り返りの会話の構造自体が固定化して会話が閉ざされてしまい,省察になりにくいのかもしれません。自分の意見を指摘され,訂正されるとなると,人には防衛反応が働きます。自分は何を大事にしているか,あるいは失敗から何を学び取り,それが自分の看護観を深めるのにどう役立つのかを明らかにするには,他者の指摘やアドバイスよりも本人の語りが重要です。ですから指導者の役割とは,時間を設けて本人の語りを「聴く」ことなのです。

寺本 そうすると,聴き手の素養が重要になるのでしょうか。

三輪 はい。受け入れて聴く力と,本人の気づきを促す問い掛けをする力が指導者には必要です。具体的には,すぐにアドバイスをせず,「あなたの患者に対する看護で一番大事にしているポイントは何ですか」「それは1年生の実習時と今では,どう異なっていますか」「それはなぜですか」などの質問を投げ掛け,学習者本人が言語化するよう促すのです。改善すべき点を指摘するのではなく,互いの考えを確認し合える場所が必要です。

寺本 看護学生の実習だけでなく,現任教育にも同じことが言えそうです。

三輪 そう思います。自らの考えを否定されずに聴いてもらえる場があれば,その看護師は気づいたことを次の看護実践で生かすことができる。そしてその看護実践を再び省察し,次の実践に生かすサイクルが創り出せます。省察を促す話し合いなら,業務の合間の短い時間であっても生産的になるように思うのです。

気づきのタイミングを見抜き学習者を後押しする

寺本 看護学生は皆が同じ病院で同じ患者さんを受け持つわけでないので,全員が同一の経験をできないという課題があります。指導者はその経験の差をどう埋めていけばよいでしょうか。

三輪 学生同士の話し合いでお互いに経験や考えを語り合い,他の人が大事に思うポイントを知ることで,学生が経験の違いに気づいて自身で考えを深めることに期待するのが一つです。

 もう一つの手段として,話し合いの場に学年が異なる人を加えるのもよいでしょう。同じ実習でも先輩はどう感じ,それを数年間でどう深めているかがわかるので省察的な学びになります。経験の相違を学生間,あるいは学年間で生かす方法です。

寺本 自らの経験を言語化できない,あるいは自らの学びに気づきにくい学生にはどうアプローチすればよいですか。

三輪 何か特別な経験をしないと他者には語れないと考える人もいます。その場合には「ちょっとしたことでも,語ることで自分や聴き手に気づきがある」と説明するとよいでしょう。

寺本 言われてみれば,私にも他者に語ったことで改めて自分の学びに気がついた経験があります。実習の時,患者さんに喜んでほしい一心で,体調が万全でない患者さんをベッドサイドに立たせてしまったままベッドメイキングをしていたことがあります。清潔を保つとの目的に意識が集中し,一番大事な患者さんのことを置き去りにしていたのです。この経験を同級生に語ると「患者さんを第一に考えることは看護をする上で重要なことだね」と言ってもらえて,看護で大切なこととは何かをお互い考えるきっかけにもなりました。

三輪 それはいい経験と振り返りでしたね。経験を語ったことで自分も聴き手も学びが深まったよい例です。そのような語りを学習者から引き出すためには,指導者の問い掛けは内容に加え,タイミングも重要になります。指導者には問い掛けのプロになることを期待します。

寺本 指導者の問い掛け次第で学習者が自身の学びに気づけるのですね。

三輪 ええ。「今このタイミングで問い掛ければ,この人は気づく」という瞬間を忍耐強く待ち続ける必要があると思います。どのような人にも必ずや訪れる気づきのタイミングを見抜く力と,後押しする力が指導者にはほしいです。これも,ケアの一つではないでしょうか。看護師が患者にケアを行うように,指導者は学生や看護師に対してもケアをする姿勢を持つことで,「育てる」のではなく「育つ」教育が実現できると思います。

インタビューを終えて(寺本美欧氏)

 日本の成人教育学関連の数少ない書籍や論文を渉猟する中で,必ず目にしたのが三輪先生のお名前でした。これから米国で成人教育学を学ぶに当たり,日本の成人教育学のパイオニアである三輪先生にお会いしたいという念願がかない,今回のインタビューが実現しました。はじめのごあいさつから温厚な人柄がすぐに伝わり,お話を伺う中で成人教育学に対する熱意を感じて先生への尊敬の念がますます深まりました。

 三輪先生へのインタビューを通して,「成人教育学は看護に応用できるのではないか」という,留学を決意した当初のひらめきは確信に変わりました。患者さんとご家族の多様なニーズに応え,日々急速にアップデートされるエビデンスに基づいた知識や技術を身につけるために生涯にわたって学習し続ける責務がある看護師にとって,成人教育学は学びの根幹を支える学問になり得ると思います。

 私が進学する米コロンビア大教育大学院の入り口には,哲学者ジョン・デューイの銅像と共に,彼の格言が壁一面に大きく書かれています。「I believe that education is the fundamental method of social progress and reform(教育は社会進歩と改革の最も基礎となる手法である)」。2018年の春に初めてキャンパスでその壁面を目にしたとき,私たちは学び,経験し,振り返り,省察し,また学ぶことを繰り返しながら社会を創っていくという力強いメッセージを感じ取りました。先人たちが築いてきた理論や手法を実際の日本の看護教育にどのように応用できるのか,留学中に模索していきたいです。

 「広い世界を見てきてください」と収録の最後に背中を押してくださった三輪先生に深く御礼申し上げます。

(了)


「どのような人にも必ずや訪れる気づきのタイミングを見抜く力と,後押しする力が指導者にはほしい」

みわ・けんじ氏
1981年東大法学部卒。同大大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。東海大,上智大,お茶の水女子大での勤務を経て,2018年より現職。専門は成人教育論,省察的学習論。監訳本にノールズの他,ショーン『省察的実践とは何か』,ラシュトン他『教師の省察的実践』,著書に『おとなの学びとは何か』(いずれも鳳書房)などがある。

てらもと・みお氏
2016年上智大総合人間科学部看護学科卒。都内の大学病院勤務を経て,社会医療法人至仁会圏央所沢病院脳卒中センターで勤務。19年9月より米コロンビア大教育大学院Teachers College, Columbia Universityの修士課程(Adult Learning & Leadership専攻)に進学する。今秋より『看護管理』誌で連載「ラーニング・エイド」がスタート予定。

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