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第3250号 2017年11月27日


行動経済学×医療

なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?
患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。

[第4回]微小確率の過大評価 HPVワクチンの副反応はなぜ恐い?

平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)


前回よりつづく

「HPVワクチンの副反応が怖い……」

 子宮頸がん予防のためのHPVワクチンの接種率は,ワクチン接種に最も望ましい第7学年(中学1年生)において2012年には65.4%でしたが,その後の副反応報道と国の積極的な接種勧奨の一時差し控えを受けて2013年には3.9%になってしまいました1)

 HPVワクチンがどのようにとらえられているかを調べるために,われわれの研究グループでは,接種対象世代(小学校6年生~高校1年生)でHPVワクチン未摂取の娘を持つ母親(n=2060)に対してインターネット調査を行いました2)。現状で接種の意向がある方は12.1%でした。「国による積極的接種勧奨が再開したら」という前提を加えて接種の必要性に関する教育的なメッセージを読んでもらったところ,接種する意向の方は27.3%になりました。この結果から積極的接種勧奨が再開されても70%以上は接種を見送ると考えられます。

 理由を探るため,いくつかのメッセージを提示しました。メッセージの1つは,「日本でも,接種を受けた方のうち99.993%の方は,重篤な副反応などなく,健康に暮らしています」でした。メッセージに対する印象をインタビューすると,多くの方が「不安は軽減された」と回答しましたが,「逆に0.007%の人は重篤な副反応が出るのだと不安に感じる」という意見も複数ありました。また,「“ワクチンを受けて将来の心配を減らすこと”よりも,“ワクチンを打つことで何かが生じること”のほうが怖い」「確率は低いと理解したが,以前テレビで見た映像が衝撃的だった」という反応がありました。

起こる確率が低いもののほうが怖い?

 この現象は,Kahneman & Tverskyのプロスペクト理論3)に含まれる,「微小確率の過大評価」を使って考えられます。例えば,自動車事故と航空機事故のどちらが怖いか? という質問に対して,多くの人が航空機事故のほうが怖いと答えると思います。しかしデータに基づいて「合理的に」判断すると長距離移動では航空機に乗ったほうが安全であることがわかっています。それでも,普段自動車に乗っているときには,「自分が事故に遭うはずがない」と多くの人が思いますが,航空機に乗っていて大きく揺れた場合には「落ちるんじゃないか!」と不安を感じます(筆者自身も)。このような心理は確率の比較からは説明できません。行動経済学ではのような関数を使ってこの現象を理解します。

 プロスペクト理論における主観確率と客観確率の確率関数

システム1優位が確率の過大評価を生む

 45度の直線は主観確率と客観確率が完全に一致する合理的確率評価,逆S字の曲線はプロスペクト理論における主観確率と客観確率の関係です。直線と曲線が交差するところが参照点です。参照点の値は,多くの場合0.3だと言われています。

 「微小確率の過大評価」が引き起こされる原因は何でしょうか。Kahnemanは,人間の意思決定プロセスを説明する仮説理論として,直感的・感情的で「早い」判断を行うシステム1と,理性的・計画的で「遅い」判断を行うシステム2による2重プロセスが意思決定にかかわっていると考えています4)。確率の過大評価は,システム1の活動が優位なことで生じると解釈されています。

 このシステム1の活動により,不確実な見込みを評価するとき,鮮明かつ印象的(流暢性・鮮明性・認知容易性)に結果がイメージされる場合には,確率の数値が果たす役割よりイメージが果たす役割のほうが大きくなります。さらに「100人に1人」と言われるよりも「10万人に800人」と言われたほうが確率を大きく感じてしまう「分母の無視」と呼ばれるバイアスでも,確率の過大評価が生じます。

 HPVワクチンの場合,最も影響しているものは,報道で示された副反応に関する映像や具体的記述だと考えられます。報道は対象者の母親の記憶に鮮明に残り,副反応が生じる客観確率0.007%に対して非常に大きな過大評価を引き起こしているのではないでしょうか。「100人に1人が子宮頸がんになるリスクがあり,ワクチンを接種することで避けられます」というメッセージを提示しても,子宮頸がんになることのイメージの鮮明性が,報道による副反応のイメージの鮮明性よりも圧倒的に劣っています。

 この現象は,HPVワクチンに限らず,日常の診療において治療の効果や副作用のリスクの説明を確率で説明してもなかなか納得が得られなかったり,本当に必要な治療を受療してもらうための説得が受け入れられなかったりすることの共通した背景ではないかと考えられます。

システム2優位をめざし,比較による合理的判断を促そう

 このような状況で医療者が患者とのコミュニケーションで気を付けるべきことは,以下のとおりです。

 まず多くの場合,患者はシステム1が優位な状態です。客観的,合理的説明をそのまま理解することはできず,感情に沿った方向に過大評価します。特に恐怖や不安という感情は,システム1を優位にします。この感情を適切にコントロールすることが必要です。そのためには,患者に恐怖や不安をもたらしている原因について,まずは共感的に理解と保証を与えます。さらに,積極的な傾聴により話を聞き出し,それらを言語化・可視化していきます。これにより,患者は安心感を得られ,恐怖や不安の背景が言語的に取り扱えるようになります。このようにしてシステム2優位の状態をめざします。

 システム2優位の状態となったら,話題にしたい治療法や副作用について,1つのシナリオで示すのではなく,他のシナリオも用意して提示します。確率やリスクを他のものと比較可能にすることで,客観的,合理的な根拠を吟味して判断できるようになります。

 患者に恐怖や不安をもたらす情報は世の中に溢れています。そのため,一度システム2優位の状態をつくることができても,次の診察では再びシステム1優位に戻っているかもしれません。システム1優位からシステム2優位に導く作業は,患者との長期的なコミュニケーション戦略の中で粘り強く行われなければいけません。

今回のポイント

●客観的には起こる確率の非常に小さいことが,主観的に過大評価されることがある。
●示される結果が鮮明かつ印象的(流暢性・鮮明性・認知容易性)にイメージされる場合,確率の過大評価が生じやすい。
●過大評価が生じている患者に対しては,まず背景となる感情を適切にコントロールする。
●感情的判断(システム1)優位から理性的・客観的判断(システム2)優位に導いてから,複数のシナリオで情報提示する。

つづく

参考文献
1)Am J Obstet Gynecol. 2015[PMID:25434842]
2)BMC Public Health.2016[PMID:27663658]
3)ダニエル・カーネマン著.村井章子訳.ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(下);早川書房;2012.
4)ダニエル・カーネマン著.村井章子訳.ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(上);早川書房;2012.

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