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第3230号 2017年7月3日


【寄稿】

ブロードマン没後99年に寄せて

河村 満(奥沢病院名誉院長)


 1918年8月22日,1人の男が敗血症により49歳の若さで亡くなりました。名前はコルビニアン・ブロードマン(Korbinian Brodmann)。彼の名前の冠された脳地図は彼が亡くなった後も,神経学,神経科学研究の基礎をなす土台となり続け,それは現在まで続いています。この8月に没後99年を迎えるブロードマンの業績を駆け足ながら振り返ってみたいと思います。

コルビニアン・ブロードマン(Korbinian Brodmann; 1868~1918)

ミュンヘン大,ヴュルツブルク大,ベルリン大,フライブルク大で医学を学び,1895年医師資格取得。アレクサンダースバートの神経病院に勤務後,98年ライプチヒ大で学位を授かる。1900年フランクフルトの精神病院に勤務。01年ベルリンの神経生物学中央研究所で,細胞構築学的方法による大脳区分の研究を開始。05年にサル大脳,08年にヒト大脳の脳地図を作成。その後,10年チュービンゲン大精神神経科教室,16年ニートレーベンの神経病院の病理解剖主任などを経て,18年にドイツ精神医学研究所局所解剖組織学部門主任。彼が脳地図を作成した19世紀末から20世紀初頭は脳研究の隆盛期の1つである。


 ブロードマンの業績といえば,何をおいても脳地図の作成だと思います()。神経解剖学の教科書や脳神経領域にかかわる研究書はもちろんのこと,一般書にまで転載され続けるこの脳地図がいったい何を表しているのか,ご存じでしょうか。

 ブロードマンの脳地図(クリックで拡大)
1909年出版の神経解剖学に関するモノグラフ『Vergleichende Lokalisationslehre der Großhirnrinde in ihren Prinzipien dargestellt auf Grund des Zellenbaues』に掲載されたブロードマンの脳地図。本書では大脳を大きく11のregion,さらに細かく52のareaに区分している。なぜ52としたのかは謎に包まれている。同図が最初に発表されたのは1908年の雑誌論文においてと言われている。1909年の図が転載されることが多いが,1910年に「もう1枚」の脳地図が発表されている。

形態と機能を結び付けた業績

 この地図は,大脳の図が2枚1セットになっています。これは左の図が脳を外側からみたもの(外側面),右の図が脳を矢状面で切った内側がわかるもの(内側面)です。そこにさまざまな形の記号を付して領域を塗り分け(これを領野と呼びます),それぞれに番号を振っています。この領野をどのように分けたのか,それこそがブロードマンの仕事の本領です。

 大脳はご存じのとおり,数百億という膨大な数の神経細胞が集まって構成されています。神経細胞には形態と機能が異なるさまざまな種類があり,大脳皮質ではそれらが種類ごとに地層のような層構造を形成しています。ブロードマン以前から大脳皮質の層構造は知られていましたが,研究者により層をどのように分けるか,各層をどのように呼ぶかは異なりました。ブロードマンは6層に分け,表面から順に①表在層,②外顆粒層,③錐体細胞層,④内顆粒層,⑤神経細胞層,⑥多形細胞層と名付けました。今でもこのブロードマンの分類と名称をもとにした層名が使用されています。

 さらにブロードマンはこの6層構造が大脳皮質の場所ごとに異なることを発見しました。層全体および各層の厚さ,神経細胞の密度が場所によって異なるのです。例えば,一次視覚野では④内顆粒層が厚く,一次運動野では④内顆粒層が薄い一方で⑤神経細胞層は厚く巨大な錐体細胞(ベッツ細胞)がみられるといった具合です。このような層構造を大脳皮質全体で調べ,層構造の共通するところ,異なるところで区分けし,52の領野に分けました。この情報を大脳の図にマッピングし,ビジュアル化したものがブロードマンの脳地図なのです。

 ブロードマンの脳地図はつまり,形態の差異に基づいた脳の区分図なのですが,なぜこのような図がその後の研究者たちの大きな道しるべとなったのでしょうか。それは,形態の差異が機能の差異に結び付いたからです。先ほど,一次視覚野と一次運動野の層構造(形態)の違いについて述べましたが,「どのような形をしているか」で分けた区分と,「何を行うのか」で分けた区分が多くの場合一致します。これは,その領野の機能を遂行するためには特定の神経細胞が必要となり,逆に,ある種類の神経細胞は不要な場合もあり,この要不要が層構造に反映されているためです(この因果関係は逆かもしれませんが)。このことにより,脳の解明をめざす神経学者にとっては非常に魅力的な地図なのです。

実は未完成の脳地図

 100年以上輝きを失わない業績に反して,意外にも生前のブロードマンは研究者として恵まれていたとは言えません。26歳で医師資格を取得したのち,ドイツ国内のさまざまな研究施設を転々としています。ようやく,当時ドイツ精神医学の長であったエミール・クレペリン(Emil Kraepelin;1856~1926)が開設したドイツ精神医学研究所(現・マックスプランク精神医学研究所)に局所解剖組織学部門の長として招聘されたのが,1918年の4月,急逝する4か月前のことでした。彼はここで脳地図にさらに磨きをかけようとしていたに違いありません。というのも,あまり知られていませんが彼の脳地図は「未完成」なのです。

 どういうことかといえば,脳地図をよくみるとわかるのですが,1~52の番号がすべて振られているわけではなく,いくつか欠番が存在します(12~16野,48~51野)。また,実は脳地図には1909年に発表されたものと,1910年に発表されたものの2種類が存在しており,一見同じもののようにみえますが後者には欠番であった12野が追加されるなど変更が加えられています。さらに1910年の脳地図と同じものが1914年の総説に再掲されていますが,そこには1910年にはなかったキャプションが加えられており,年を経てブロードマンの考えが更新されていく様子がみてとれます。歴史に「もしも」を持ち込んでも仕方がないのですが,ブロードマンが長生きしていたら,どのような変更が脳地図にもたらされていたのか,興味は尽きません。

なぜブロードマンだけが普及したのか?

 大脳皮質のミクロな構造を調べ,それに基づいて領域を区分するという発想はブロードマンだけのものではありません。ブロードマンの前にはオーストラリアのキャンベル(Alfred Walter Campbell;1868~1937)が大脳を約20の領域に分けていますし,ブロードマンの共同研究者であったフォークト(Oskar Vogt;1870~1959)は細胞構築ではなく神経線維の分布をみた髄鞘構築に基づいて200もの領域に大脳を細分しています。

 しかしながら,数ある脳地図の中で,ブロードマンのものだけがここまで普及したのはなぜでしょうか。私はそこに3つの理由があるとみています。1つは領野に名前を付けるのではなく数字を振ったことです。意味を孕みにくい数字で分類したことにより,言語の壁を越え,誰もが一目みてどの領野か理解することができるのではないでしょうか。もう1つは52という数です。多すぎず,少なすぎず,また1年間が52週(と1日)であったり,ラテンアルファベットの基本字数26を重ね合わせた数であったりと親和度が高い数字を用いることで,多くの人に抵抗感なく浸透していったのだと思います。

 最近,インフォグラフィックという言葉がよく用いられ,情報をいかに視覚化してわかりやすく伝えるかという試みがなされています。インフォグラフィックは流麗なイラストや親しみやすいアイコンを用いることと同義とされやすいですが,本質的には過不足なく伝えたい情報を読み手に理解してもらうことが目的だろうと思います。さらに言えば,それに触発されて思考が動きだし,行動を起こしたくなるものがよいインフォグラフィックではないでしょうか。個人的にはブロードマンの脳地図はまさにそれに当たります。何度みても飽くことはなく,いつみても研究者として挑発される思いがします。それはもはや芸術作品の域にあるように思われます。


かわむら・みつる氏
1977年横市大医学部卒。78年千葉大医学部神経内科入局。94年昭和大医学部神経内科助教授,2001年同教授。17年より現職。『BRAIN and NERVE』誌編集主幹。共著書として『MRI脳部位診断』,シリーズ編集として「神経心理学コレクション」「脳とソシアル」を手掛ける(いずれも医学書院)。