医学界新聞

連載

2014.02.24

量的研究エッセンシャル

「量的な看護研究ってなんとなく好きになれない」,「必要だとわかっているけれど,どう勉強したらいいの?」という方のために,本連載では量的研究を学ぶためのエッセンス(本質・真髄)をわかりやすく解説します。

■第2回:量的研究はワン・オブ・ゼム

加藤 憲司(神戸市看護大学看護学部 准教授)


3061号よりつづく

 連載第1回では,看護学における量的研究について二つのとらえ方を提案しました。今回は,その一つである「量的研究は,数ある看護研究法の中の一つ(ワン・オブ・ゼム)である」を取り上げ,詳しく解説します。

研究上の「問い」が最適な研究法を決める

 そもそも「研究」とは,「問いを立てて,それを解明すること」です。問いがなければ研究は始まりません。どのような問いを立てるかが研究の“命”であり,研究の良し悪しのほとんどは問いによって決まります。研究の読み手や聴き手からは,「あなたが『問い』だと言っていることは,本当に研究によって問う価値のあることですか?」「あなたが『答え』だと言っていることは,本当にその問いの答えになっていますか?」という厳しい目を常に投げかけられることでしょう。それらに対してあなたは「私の問いは確かに問う価値のある問いです」「私の見いだした答えは,確かに私が立てた問いの答えになっています」ということを自ら示さなくてはなりません。これが示せて初めて,あなたの行いは「研究」と認めてもらえるのです。

 自分で立てた問いに自ら答えるためには,答えの根拠となる情報を集める必要があります。その集めた情報のひとまとまりが「データ」です。機器による測定値や調査票の回答などの数値で表されていれば量的データ,それ以外の言葉や音声・映像などであれば質的データと呼びます。これらをある系統立った方法を用いて分析し,得られた分析結果から問いに対する答えを導くためには,あなたの解釈が必要です。「解釈しなくても,データがひとりでに(勝手に)答えてくれる」ということは決してありません。問いに対する答えを,データを用いながら筋道立てて説明し,読み手や聴き手を納得させる責任は,研究をするあなたが負っているのです。

 したがって,同じデータを用いても研究者が違えば,異なる解釈や異なる答えが導かれることもあるでしょう。それどころか,いかに他人と異なる着眼点を持てるか,いかに読み手や聴き手に「なるほど」と思わせる解釈ができるかが,研究者の腕の見せどころと言っても過言ではありません。

確率という道具を使って「いつも同じ」を示す量的研究

 研究上の問いに答えるためには解釈が重要だとわかったところで,次に量的研究法と質的研究法におけるそれぞれの特徴をみていきましょう。

 まず,量的研究法の対象や目的はとてもシンプルです。収集したデータを使って,集団間や項目間の大小や優劣を比較したり,複数の項目どうしの関係(共変関係や因果関係など)を判断したりすることをめざします。そんな量的研究法における最重要ポイントは,手元にあるデータをワン・オブ・ゼム(one of them),つまり大きな集団の中から偶然に選ばれた代表(サンプル)ととらえられるかどうかです。この「代表性」が担保される場合に,「確率」があなたの解釈の良しあしを代わりに判定したり,その信用度合いを数値で示したりしてくれるのです。「確率」と聞くと苦手意識のある人は敬遠したくなるかもしれませんが,うまく利用すればあなたの心強い代弁者となってくれる存在と言えるでしょう。

 「代表性」の議論から導かれる量的研究法の大きなメリットは,「いつも同じ関係が成り立つ」ことを示せる点です。先ほど「同じデータから異なる解釈が生み出される」と説明しましたが,立てた問いによっては「誰が研究しても同じ答えが導かれること」を示すべき場合があります。例えば,「高齢者への口腔ケアは誤嚥性肺炎の予防に効果があるか」という問いを立てたとき,このような問いに答えるには,口腔ケアの有無による誤嚥性肺炎の発症人数(頻度)や症状の程度を比較して,口腔ケアの効果を一般化できるかどうかの判断を示すことが求められます。量的データに対して数え方や測定の仕方の条件,ルールなどを決めておけば(これを「標準化」と言います),誰がどこでデータを取っても,いつも同じ関係が成り立つと見なすことができるのです。「数量で表現して確率で判断する」という道具を用いることによって,学問分野を問わず共通の議論に持ち込めることが,量的研究法の真骨頂なのです。

多様な手法を持つ質的研究は研究者の力量が重要

 これに対して,質的研究法は実に多種多様で,さまざまな対象や目的が含まれます。は,質的な研究法の多様性を「何についての探求か」と「何をめざしているか」の2軸で大まかに区分したものです。もちろん,この分類は十分に体系的とは言えませんが,質的研究がいかに多様であるかを垣間見ることはできるでしょう。もし量的研究法をこの表にするとしたら,「何についての探求か」は「母集団」,「何をめざしているか」は「関係の有無を調べる」の1項目ずつで事足ります。それに比べて質的研究は2軸のそれぞれに項目が複数挙げられ,幅広く分布するものとしてとらえられるでしょう。質的研究法のこの概念的な広がりと対比することで,量的研究法を数ある研究法の一つ(ワン・オブ・ゼム)ととらえようというのが,ここでの筆者の提案です。

 質的研究の多様な探求(文献2を参考に,筆者が作成)

 質的研究の場合,ある決まったやり方をすれば誰もが同じように「現実や対象をありありととらえること」ができたり,「深みと厚みのある分析を与えること」ができたりするわけではありません。これを可能にするのは,研究者の力量です。最終的な判断を確率に頼れる量的研究とは異なり,質的研究にそのような便利な道具はありません。たとえ同じデータに基づいていたとしても,研究者の力量が違えばデータから得られる成果に大きな差が生じてしまうのが,質的研究の難しさと言えるのではないでしょうか。

「再現可能性」と「客観性」に対する誤解

 このように,量的研究法と質的研究法にはそれぞれに特徴があるのですが,看護研究においては,しばしばこれらを二項対立のようにとらえることがあります。なぜ,このような(見かけ上の)対立構造が生じているのでしょうか。そこには,「客観性」に対する誤解があるのだと筆者は考えます。

 先ほど量的研究の説明で,「同じ方法で取ったら同じデータが得られる」と述べました。これは「再現可能性」と呼ばれる性質ですが,その研究結果として得られた答えが「再現可能である」からといって「客観的事実である」とは限りません。人間が人間を離れて客観的事実を把握できるかどうかは,科学論と呼ばれる分野で現在も議論されるほど,ホットで難しい話題です。第1回で「質的研究は客観的でない(主観的だ)から非科学的だ」という批判があると述べましたが,「科学とは何か」「客観的事実とは何か」というのは決して自明のことではないのです。

 質的研究法を選んで実施している人たちの中にも,こうした量的研究の側からの批判を気にしている節が,残念ながら見受けられます。例えば事例研究において,「代表性」や「典型性」を満たしているかどうかを気にしていませんか? 大切なのは事例の意義ではなく,研究の意義です。代表性のない事例であっても,あなたがそこから何を見いだしたかによって,有意義なものになり得るのです。

 そもそも「科学的か,非科学的か」はどのように考えるべきなのでしょうか。歴史的に見て,科学と対比されてきたのは宗教です。宗教では初めに教義があって(と言うかそれが全てで),後世になって新事実が判明しても修正・変更することはありません。それに対して,科学には絶対的真理というものが存在せず,どこまで行っても絶えず新たに書き換えられる過程のただ中にあります。つまり「新事実に対して常に更新可能性が開かれている」ことが「科学的である」ということだと言えるでしょう。

 この考えに基づけば,質的研究が「非科学的」と言われる筋合いは全くありません。逆に「量的研究法は客観的事実を解明する」という主張も,前述のように根拠が怪しいものなのです。本連載で学ぶ皆さんには,ぜひそういう誤解をなくしてもらい,量的研究・質的研究の数ある選択肢から,自分の問いに適切な研究法を選んでほしいと思います。

今回のエッセンス

●研究方法は,研究上の「問い」によって決定される。
●量的研究と質的研究を二項対立とするとらえ方は,誤解である。

参考文献
1)ウヴェ・フリック.新版 質的研究入門――「人間の科学」のための方法論.小田博志(監訳).春秋社;2011.
2)盛山和夫.社会調査法入門.有斐閣ブックス;2004.

つづく

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