医学界新聞

連載

2014.01.27

量的研究エッセンシャル

「量的な看護研究ってなんとなく好きになれない」,「必要だとわかっているけれど,どう勉強したらいいの?」という方のために,本連載では量的研究を学ぶためのエッセンス(本質・真髄)をわかりやすく解説します。

■第1回:量的研究にトライしてみよう!

加藤 憲司(神戸市看護大学看護学部 准教授)


量的研究は,お好きですか?

 読者であるあなたは,量的な看護研究についてどのような印象を持っていますか? 例えば,「量的研究は統計とか出てきて難しそうだから,勉強しようという気にならない」と思っていませんか? あるいは,「量的研究の必要性は感じるけど,何となく自分とは合わない気がして,好きになれない」と感じている人もいるでしょう。さらに,「大学院で(もしくは院内研究で)量的研究をしなきゃいけないことになったけど,どうやって勉強したらいいのかわからない」と困っている人もいるかもしれません。もしあなたがどれかに当てはまるのなら,この連載を読んでみてください。量的研究に対するあなたの印象が変わるかもしれません。

 この連載の最大の目標は,「量的研究に対する心理的ハードルを低くする」ことです。例えば,厳密性にこだわるよりも,全体像をつかむことを優先します。また,抽象的な内容の場合,なるべく具体的な例えや類例を用いて説明を工夫します。だからといって,「頭を使わなくてもラクラクできますよ」などといった妥協はしないつもりです。要するに,頭を使って悩むべき部分とそうでない部分の見通しをはっきりさせることで,あなたの時間と頭脳エネルギーを効率よく使えるよう導くことをめざします。

量的研究の「食わず嫌い」をなくそう

 前節で挙げた想定読者のうち,「量的研究を何となく好きになれない」に当てはまったあなた,その理由は何でしょう? ひょっとして,「量的研究は数値で表せる物事や現象を扱うけれど,世の中には(特に看護の世界には)数値で表せないことがたくさんあるんじゃないか」とか,「数値で表してしまうことで,何か大切な物事が抜け落ちたり,見落としたりしてしまうんじゃないか」といった漠然とした思いが理由なのではありませんか? だとしたら,あなたのその思いはとても「もっとも」なことです。でも,もし量的研究を教わろうとするときに,疫学とか統計学の先生にそんなことを言おうものなら,「統計的な視点のない研究は非科学的だ」「エビデンスを尊重しない態度は主観的・権威主義的だ」などと叱られそうで,言い出せなかったかもしれませんね。

 申し遅れました。筆者は疫学を専門とする研究者で,現在,看護系大学で教鞭を執っています。ただ,疫学一辺倒の人間ではないつもりです。筆者が疫学を学んだのは看護師・保健師の免許取得後に海外へ留学してからですし,看護学を学ぶ以前には畑違いの分野で社会人を経験してきました。ですから疫学を絶対視せず,多様な視点からバランスよく物事を見ることがある程度できるのではないか,と自分では思っています(勘違いかもしれませんが)。そういう目で見ると,上の段落で述べたような「漠然とした思い」がよくわかりますし,むしろ真っ当なことだと考えています。

 筆者が留学した北欧はおそらく,世界で最も理想的な疫学研究を実施できる国々だと言えるでしょう。なぜなら,国民一人ひとりに個人識別番号が割り当てられており,数々の「レジストリー」と呼ばれるデータベースに多種多様な情報が集積されているので,それらを使えば容易にpopulation-basedな(すなわち国民全体をベースとした)研究対象者を手に入れることができるからです。そういう疫学者にとっての楽園のような場所で研究して学位を取った後,日本に帰国して「さあ研究しよう」と意気込んだものの,さまざまな壁が立ちふさがって四苦八苦しています(これは筆者の力量不足も当然ありますが)。そのため,疫学や量的研究の限界について,人一倍考えているのです。

 話を戻すと,「エビデンス至上主義」とでもいうような主張は明らかに極端過ぎる,と筆者は思います。その主張を突き詰めると,「検出限界以下」と「ゼロ」とを混同することになりかねません。でも,かといって量的な研究手法を全否定する主張も,同じように極端だと言わねばなりません。世の中には,「数値化すると見えなくなるもの」もあれば,逆に「量的にとらえないと見えないもの」もあるからです。要は,「何とか主義」に依拠するのでなく,量的な研究手法でできることとできないことをしっかり見極め,前者についてはその利点・強みをしっかり利用する,ということです。この連載を通じて,読者の皆さんが量的研究の賢いユーザーになってもらえるよう,筆者にできる最大限の努力をしていくつもりです。

量的研究の新たなとらえ方

 そこで今回はまず,量的研究というものを看護研究全体の中でどうとらえるかについて,二つの新たなとらえ方をご提案したいと思います(「新たな」というのは,筆者の知る限りにおいてであることをお断りしておきます)。一つは,「量的研究は,数ある看護研究法の中の一つ(ワン・オブ・ゼム)である」,もう一つは「量的研究は,研究の世界の共通語(リンガ・フランカ)である」です。

 現在,看護研究の方法は質的研究と量的研究に大別され,両者は互いに相容れないもの,二項対立的なものとしてとらえられることが多いですね。読者の中には,「質か量か,どちらを選ぼうか」と二者択一を迫られる状況を経験した人もいるでしょう。でも筆者はここで,量的研究を「多数の選択肢の中の一つ」としてとらえることを提案します()。疫学者である筆者の目から見ると,質的研究法に属する個々の研究手法同士の概念的な距離はとても遠く,極めて異質性が高いもの(heterogeneous)に見えます。それに比べて,量的研究法の手法は非常に同質性が高いもの(homogeneous)と言えます。したがって,これらを両天秤にかけることはそれこそ不釣り合いでしょう。「質か量か」という問いをそろそろやめてはどうでしょうか。

 「量的研究法」か「質的研究法」かの二者択一ではなく,数多くの選択肢の一つとして「量的研究法」を選ぶ

 この量的研究の同質性は,看護研究の内部だけにとどまりません。というより,どの学問分野であっても同様な論理の筋道で物事を推論したり判断したりできることこそが,量的研究の最大の強みなのです。これはちょうど,母語が異なる人たちがコミュニケーションをする場合に,何らかの共通語を用いることに例えられます。看護には看護の母語に相当するものがあるけれど,他の分野と共通の土台に立ってコミュニケーションする必要がある場合に,量的研究の手法を用いるのだ,と考えてはどうでしょうか。それは日本語を母語とする読者が,他の言語を母語とする人たちと交流するために,英語を学ぶようなものです。完璧な英語を話せなくてもコミュニケーションできるように,統計などを完全に理解していなくても,コミュニケーションに支障がない程度に量的研究を利用するということがあっていいはずです。そういう気持ちで,これから一緒に量的研究を勉強していきませんか?

今回のエッセンス

●量的研究は,数ある看護研究法の中の一つ(ワン・オブ・ゼム)である。
●量的研究は,研究の世界の共通語(リンガ・フランカ)である。

つづく


加藤 憲司
1990年,早大教育学部理学科生物学専修卒。99年,阪大医学部保健学科看護学専攻卒。2004年,同大大学院医学系研究科保健学専攻修了。博士(保健学)。07年,スウェーデン王立カロリンスカ大医療疫学・生物統計学部大学院博士課程修了。PhD(epidemiology)。世界保健機関(WHO)神戸センター技術担当官,阪大医学系研究科附属ツインリサーチセンター特任教授などを経て,13年より現職。著書に,『看護研究の進め方 論文の書き方 第2版』(共著,医学書院)。

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