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第3035号 2013年7月15日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第249回

医療倫理フリー・ゾーン

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


3033号よりつづく

 6月12日,名著『患者の権利』で知られるボストン大学教授ジョージ・アナスが,『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン(NEJM)』誌オンライン版に,「グアンタナモ・ベイは医療倫理フリー・ゾーンか?」と題する怒りの論説を寄稿した。医療倫理・患者の権利についての大家であるアナスは,いったい,何に怒ってこの論説を書いたのだろうか?

収容所における集団ハンストと強制的経管栄養

 読者もよくご存じのように,米国が,グアンタナモ・ベイ海軍基地に,アフガニスタン・イラク等から強制連行したテロリスト被疑者用の収容所を開設したのは2002年のことだった。以後,同収容所に拘留される被疑者は,「(通常の犯罪者でもなく戦争捕虜でもない)不法敵性戦闘員(unlawful enemy combatant)」として,犯罪者に適用される米国内法および戦争捕虜に適用されるジュネーブ条約の保護を受けない存在として処遇されてきた。9.11同時多発テロ事件後,アルカイダ等のテロ組織に対する米国民の反感は強く,ブッシュ政権が「不法敵性戦闘員」というこれまでにない法的カテゴリーを発明して被疑者に対した背景には,「テロリストに基本的人権など認める必要はない」とする怒り・憎しみの感情があったのである。

 しかし,「テロリストである」という確たる証拠があって連行された被疑者は少なく,多くは,戦争状態の混乱の下でただ「怪しい」と目されたがために拘留・連行された人々だった。以下,彼らがこれまで置かれてきた状況をご理解いただくために,ニューヨークタイムズ紙(4月14日付け)に掲載されたイエメン国籍収容者,サミル・ナジ・アル・ハサン・モクベル(35歳)の「手記」の概略を紹介する。

 モクベルが2000年にアフガニスタンに渡った理由は,いい「出稼ぎ」先があると友人に勧められたことにあった。しかし,アフガニスタンに職はなく,イエメンに帰りたくとも飛行機代が払えなかったためずるずると滞在を延ばしているうちに,01年の米軍侵攻が始まった。パキスタンに逃げたものの,「イエメン人だから怪しい」と逮捕された後米軍に引き渡され,グアンタナモ行きの飛行機に乗せられてしまった。その後,容疑が晴れて「テロリストではない」とされた後も釈放されずにいた理由は,「米国政府がイエメンへの収容者引き渡しを拒否しているから」だった()。たまたま米軍侵攻時にアフガニスタンにいたがために,10年以上にわたって,「不法敵性戦闘員」として基本的人権を否定されることになったのだった。

 この間,モクベルのような状況に置かれた収容者が「非人間的な扱いから解放されて国に帰れる」とする希望を抱いた時期がなかったわけではなかった。08年に「グアンタナモ収容所閉鎖」を公約したバラク・オバマが大統領に当選したときである。就任2日目,公約通り,オバマは「1年以内に収容所を閉鎖せよ」とする大統領令を発令した。しかし,連邦議会は,軍予算関連法案に「収容者移送に政府予算を使ってはならない」とする条項を書き加えるなどの手段で,収容者の釈放を阻み,大統領令を死文化させてしまった。「収容者はみなテロリスト」と思い込んでいる米国民は多く,議員とすれば,「テロリストに甘い」とする評判を立てられたら選挙に負ける可能性があったからである。

 釈放の目途が立たないまま,将来への希望が断ち切られた状況に置かれたモクベルにとって,「人間としての尊厳を認めよ」と訴える手段はハンガーストライキ以外になかった。他に手段がないだけに収容者によるハンガーストライキは珍しくなく,これまで,グアンタナモでは,大規模な「集団ハンガーストライキ」が幾度となく繰り返されてきたのである。

 一方,同収容所の「非人道性・違法性」は,これまで,米国内に限らず国際社会からも強く非難されてきただけに,収容所管理者としては,ハンガーストライキで収容者を死亡させてさらなる非難を招くわけにはいかなかった。死亡者が出ることを防止するために,強制的経管栄養がルーティーンに実施されてきたのである。

 強制的経管栄養の実際と「苦痛」についてはモクベルの「手記」に詳述されているが,同収容所における手技の特徴は,経管栄養の際に「拘束椅子」を使用することにある。臥位ではなく座位とすることで「意図的」嘔吐を困難にする目的からであるが,ハンガーストライキはしばしば集団で行われるために,同収容所には大量の拘束椅子が用意されているという。さらに,集団発生に対応するために24時間体制が敷かれ,収容者が真夜中に起こされて拘束椅子にくくりつけられた上で経鼻チューブを入れられることも珍しくないという。

医療倫理の大家アナスが怒った理由

 さて,話をはじめに戻すと,アナスがなぜ怒ったのかというと,それは,「強制的経管栄養は,世界医師会マルタ宣言でも明瞭に述べられているように,医療倫理の根本に違反する」からに他ならなかった。医療行為は患者の同意の下に実施されるのが原則であり,判断能力が備わっている成人に対して「強制的」に行われる行為は,「強制的」となった時点で医療ではなく「傷害」となるからである。

 さらに,アナスは,「軍の医師も一般の医師も同一の倫理規範に従わなければならず,軍医は医療倫理にもとる強制経管栄養の命令を受けたら拒否しなければならない。拒否したことが軍による処罰の対象となる場合,医療界を上げて支援しなければならない」として,グアンタナモ収容所が「医療倫理(が適用されない)フリー・ゾーン」化しつつある現状を改めるべく,医療界が立ち上がることを呼びかけた。実は,米国医師会は,すでに4月の時点で米国防省に対し「強制経管栄養は医療倫理違反だから即刻中止せよ」とする意見書を送付していたのだが,アナスはそれだけでは足りないとして,医療界として政治家に働きかけるなど具体的な行動を起こすべきであると促したのだった。

つづく

:現時点での収容者166人中,米政府が「釈放すべし」と認定した収容者は86人に上る。

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