医学界新聞

連載

2012.07.23

看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第91回〉
メルケル首相の意思決定

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 2011年3月11日に福島第一原子力発電所で発生した大事故を受けて,ドイツ連邦議会は,2011年6月30日に原子力法の改正案を可決し,遅くとも2022年12月31日までに,原子力発電所を完全に廃止することを決定した。620人の議員のうち,83%(513人)が賛成し,法案は2011年7月8日に連邦参議院も通過した。

 「日本から1万キロも離れているドイツがなぜ,福島事故をきっかけとして,これほど急いで原発の廃止を決めたのか」について,ドイツ・ミュンヘン市に在住のジャーナリストが伝えている(熊谷徹『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争の真実』日経BP社.2012年)。

 なぜ,どのようにして,原発擁護派だったメルケルは「転向」したのかというテーマは,リーダーの意思決定プロセスを知るという点で,私にとっても興味深い。

「転向」演説

 メルケルの「転向」の背景を理解する上で鍵となるのが,2011年6月9日に連邦議会で行った演説であると熊谷氏は述べている。

 「……(前略)福島事故は,全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で,人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて,私は『日本ほど技術水準が高い国も,原子力のリスクを安全に制御することはできない』ということを理解しました。

 新しい知見を得たら,必要な対応を行うために新しい評価を行わなくてはなりません。私は,次のようなリスク評価を新たに行いました。原子力の残余のリスクは,人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ,受け入れることができます。

 しかしその残余リスクが実際に原子炉事故につながった場合,被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び,他のすべてのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。私は福島事故の前には,原子力の残余のリスクを受け入れていました。高い安全水準を持ったハイテク国家では,残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし,今やその事故が現実に起こってしまいました。

 確かに,日本で起きたような大地震や巨大津波は,ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは,問題の核心ではありません。福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は,リスクの想定と,事故の確率分析がどの程度信頼できるのかという点です。なぜなら,これらの分析は我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で,価格が高すぎず,環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。

 私はあえて強調したいことがあります。私は昨年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で,原子炉の稼動年数を延長しました。しかし私は今日,この連邦議会の議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。(後略)」

 メルケルを含めたドイツ政府関係者はそれまで,チェルノブイリ事故のような大事故が起きたのは,技術水準が低い社会主義圏に特有の事故であり,西側ではレベル7に達するような原子炉事故は起こり得ないと考えていた。

 この演説は,かつて理化学研究所で研究者として働いたこともある物理学者メルケルと,政治家メルケルにとって一種の「敗北宣言」であり,一国の首相がこれほど率直に「自分の考えが誤っていた」と公言するのは珍しい,と熊谷氏は指摘している。

出来事の「風化」を防ぐために

 一方,メルケルが見せた異例の行動の裏には,政治のプロとしての冷徹な計算があったという。メルケルは,ドイツ社会で原子力擁護に固執することはキリスト教民主同盟にとって政治的な自殺行為に等しいと考えた。つまり自分に迫るリスクと世論の流れを察知するメルケルの正確なレーダーがあった。東日本大震災の約2週間後,ドイツ南西部の保守王国バーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙で,脱原発を掲げる緑の党が「フクシマ効果」によって圧勝した。緑の党は結党以来一貫して原発の廃止を求めており,有権者は初志を貫徹した緑の党を高く評価したのである。

 東日本大震災と福島事故がドイツではどのように報道されたかについても熊谷氏は詳述している。それによると,日独の伝え方には大きな違いがあった。ドイツの放送局では「市民に不安を与えないように」という配慮はなく,市街地で家屋や車が押し流されている映像が繰り返し放映されて視聴者に衝撃を与えた。ドイツのニュース雑誌は,死者の顔まではっきりわかる大判の写真を載せた。大衆紙の第一面には,「世界の終わり」「黙示録」「恐怖の原発」といったセンセーショナルな見出しが乱舞した。花粉症のためにマスクを着けている写真には,「東京の放射能は危険な水準に達していないが,多くの市民が東京を脱出している」と説明文がはりつけられた。ドイツではマスクをつけて外出する人はめったにいないので,「放射性物質を吸い込むことを恐れてマスクをしている」と誤解したに違いないと熊谷氏は述べている。

 今日のドイツ人は世界で最も悲観的で,リスクを最小限にするための努力を惜しまない民族である。一方,日本人は,ドイツ人とは違う意味で完全主義者であるが,細部の完璧さを追求するあまり,「木を見て森を見ない」民族なのである,と熊谷氏は指摘している。

 海外では,日本政府の事故直後の情報公開が不十分だったという批判が強い。事故後の放射性物質の放出量が最も多かった1週間に政府はなぜSPEEDI(放射能影響予測ネットワークシステム)による予測情報を発表しなかったのかと熊谷氏は指摘している。

 メルケルが政府として原発全廃の方針を確定する上で,「原子炉安全委員会」と「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」に助言を求めた。つまり,技術者だけでなく,原子力技術についてのずぶの素人たちからも意見を聴いた。フクシマ後のドイツ政府の行動にはっきり表れているのは,原子力リスクの判断は技術者だけに任せず,社会全体で判断すべきだという科学技術への不信感であると熊谷氏は述べている。現に,メルケルは原子力の専門家ではない人々の意見のほうを重視した。

 リーダーの意思決定は,自分に迫るリスクを察知し,人々の意見という世論を把握し,迅速に明確に率直に表明(演説)することである。さらに,出来事の「風化」を防ぐには,マスコミを含めて「世論」が現実に直面することを妨げないようにしなければならない。

つづく

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