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第2984号 2012年7月2日


在宅医療モノ語り

第28話
語り手:あなたの伝言を残します 口紅さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「口紅」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


旅立ちの衣装と化粧
在宅ケアの仕上げは,時々エンゼルケアになります。ご家族と看護師さんの協働作業になることも少なくありません。この世を旅立つとき,美しく整えられた唇からは,どんな言葉が出てくるのでしょうか。

 松任谷由実さんの『ルージュの伝言』って曲,聞いたことありますか? 映画『魔女の宅急便』の主題歌に使われていて,「おちこんだりもしたけれど,私はげんきです。」というコピーがぴったり合います。なんかこう応援歌のイメージですが,詩の内容は浮気の恋にお仕置きするというもの。バスルームにルージュの伝言,なんてすごくおしゃれだけど,カタカナをやめてしまえば,浴室に口紅の伝言。これはもうただのサスペンスですが,そう思わせないところがさすがユーミン。問題は,在宅医療とワタクシ口紅に関係があるのか,ですね? ええ。私もインタビューの話がきたときはびっくりしました。口紅はいわゆる診断や治療に使うモノではないですから。最近でこそ化粧療法とかリハビリメイクという言葉を聞きますけど。

 口紅を塗る,紅を引く,さすという行為はテンションが上がるという女子がいます。私はある医師の口紅ですが,彼女は私をあまり重要視していません。「素材側の問題で,メイクのモチベーションが上がらない」と言い訳しています。彼女が海の近くの病院で研修医だったころ,病棟の看護師長さんに叱られたそうです。「だめだめ。先生がそんな疲れた顔していたら,患者さんは安心して身体を預けられないですよ。紅さしていらっしゃい」。「えー,当直明けだしぃ,すぐマスクつけるしぃ,採血に病室回るだけだから,メイクはいらないですよ」なんてクチゴタエはできません。トイレで紅をさしてから,気合い十分で早朝のお仕事をしたそうです。師長さんはたぶん,「仕事に入る前,人に会う前には気合いを入れなさい」と新社会人に教えたかったのです。

 在宅医療の場合,医療者が「本日,家に来る唯一の人」になる可能性があります。「お約束だから」「いつもの仕事だから」と惰性でお宅に上がらせていただいてはいけません。紅をさし,襟を正して玄関から上がらせていただくべきでしょう。先方の患者さんも紅をさしています。本物の紅をさしている方もいれば,心に紅をさし,「今か今か」と医療者の訪問を待っておられる方もいるのです。

 人は最期を迎えるとき,死化粧として私を使うこともあります。「最後に軽くお化粧をして差し上げたいのですが,お母さんが普段から使われていた化粧品はありますか?」。先日も訪問看護師さんがエンゼルケアのなかでご家族にたずねてました。「どうかなあ,化粧なんかする人じゃないからなあ」「親父,どこよ? わかる?」と都会から帰省した息子が鏡台の引き出しをゴソゴソと探します。すると1本の口紅が出てきました。「少し色が派手じゃないか?」「あら,あなたがあげたハワイのお土産じゃない?」。一緒に帰省したお嫁さんが口をはさみます。「こんなことになるなら,一緒にハワイに連れて行ってあげればよかったね。親孝行したいときには親はなしって言うけど,本当だな」。息子さんがつぶやきます。エンゼルケアをずっと遠目に見ていた息子さんですが,口紅を塗るのだけは手伝っていました。医師である私の主人は死亡確認というお仕事を終え,部屋の隅で診断書を書いていました。もちろん私の出る幕もなく,往診鞄の隅でじっとしていました。朝になったらまた慌ただしく,私を使ってくれるのでしょうか?

つづく


鶴岡優子氏
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。

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