医学界新聞

連載

2011.05.23

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第198回

薬がない!

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2927号よりつづく

深刻化する薬剤不足

 4月19日,ワシントンポスト紙(健康・医療欄)に,テキサス大学M.Dアンダーソンがんセンター白血病部門部長ハゴップ・カンタルジャン医師からの,長文の特別寄稿が掲載された。

 寄稿は,2010年末から急性骨髄性白血病(AML)治療薬のシタラビンが全米的に不足,患者の治療に支障を来している現状を訴える内容だった。現在治癒率40-50%とされているAMLの治療にあってシタラビンは必須の薬剤とされている。ほかに代替薬はなく,患者にとって「治療に支障を来す」ことは「死」を意味するだけに深刻だった。

 不足の原因は供給不足。米国でシタラビンを製造している3企業のうち2企業で「注射薬に不溶物が残存する」問題が発生,製造が中止されてしまったのである。

 患者の治療に不可欠な薬剤が入手できなくなる事態に対し,米国中の癌治療施設が「苦渋」の選択を迫られた。「使えなかったら死ぬ」とわかっていても,「現物」がない以上,どこかで切り詰める以外になかったからである。「大人より子供」「寛解期の『地固め』治療よりも,急性期の寛解導入治療」と,優先度に差をつけて使用を制限するようになったのである。

 と,シタラビンの不足は深刻な問題を引き起こしているのだが,現在米国で不足している薬剤はシタラビンだけではない。例えば,2011年4月18日現在,ブレオマイシン,シスプラチン,ドキソルビシン,エトポシドなどの抗癌剤に加えて,ホスカルネット(抗ウイルス薬),塩化カルシウム注射薬,高濃度塩化ナトリウム注射薬など60品目が食品医薬局(FDA)の「不足薬剤リスト」に収載されている。しかも,薬剤不足はここ数年で深刻化,FDAの「不足薬剤リスト」に収載された品目数で見たとき,2005年の74品目が2010年には211品目と,5年の間に3倍近く増えているのである。

 薬剤不足が急速に深刻化した原因については,以下のようなものが指摘されている。

*原材料調達の問題:コスト減らしのために海外から原材料を調達するケースが増えているため,品質コントロールや安定供給のリスクが大きくなっている(2008年,中国製ヘパリン原料に不純物が混入,多数の死者を出した事件は記憶に新しい)。しかも,ひとたび品質に問題が生じた場合,他のソースから原材料を調達することが難しい。
*企業の経営戦略:利幅が小さい薬剤の製造を中止する例が増えている。
*業界再編:企業の合併・買収などで製薬メーカー数が減少,「寡占化」が進行している。一部の企業で生産に問題が生じたとき,他の企業で不足分を補うことが容易でないため供給不足が深刻化しやすい。
*「グレイ」マーケット:品薄となった薬剤について,高値で買い占める卸売業者が出現するため品薄に拍車がかかる……etc

利幅の小さい薬剤ばかりに不足品目が集中する理由

 以上のように,複合的な原因が考えられているのだが,ここで私が特に強調したいのは,「不足品目は,比較的古く,利幅が小さい薬剤に集中している」という事実である。例えば,シタラビンの場合も認可されたのは1969年。特許はとっくの昔に切れ,ジェネリック・メーカーが低価格薬品として細々と製造を続けてきた薬剤なのである。

 しかし,「細々」とはいっても,ビジネスである以上利益を上げなければならないし,利益を上げるためには生産・在庫の過剰を抑えることが必須となる。需要と供給のバランスがぎりぎりに取れたところで製造体制を整えてきたのだが,「不溶物の残存」という異常事態によって2企業が生産を中止,一挙に深刻な供給不足を招く事態となったのである。シタラビンに限らず,利幅が小さい薬剤については,一般に「遊びが著しく小さいハンドルで車を運転する」かのような生産体制が採られるようになっているため,ひとたび急カーブを切らなければならないような緊急事態が出来すると,簡単に車が横転するような結果が生じてしまうのである。

 さらに,他の薬剤についても「遊び」が小さいところで生産体制を整えているので,ある薬剤の品薄に対応するために別の薬剤の生産を減らすと今度はその薬剤が供給不足となってしまう。いわば,ハンドルの遊びが小さい車ばかりが走っているので,容易に事故が連鎖するようになっているのである。

 というわけで,米国では,シタラビンをはじめ,「利幅が小さい(=儲けが少ない)」薬剤が不足する事態が常態化するようになっているのだが,その大本の原因は,「市場原理」を徹底することで薬剤供給体制を構築してきたことにあったのである。しかも,私の知る限り,他の先進国では類似の薬剤不足は起こっていないので,「市場原理で医療を運営する国だけに起こる特殊な問題」と言い切ってよいだろう。

 「市場原理を徹底すれば『見えざる手』が働いてすべてがうまく回転する,医療も例外ではない」と主張する人は多いのだが,シタラビンの例でも明らかなように,市場原理の下で医療を運営したとき,「他の誰かを儲けさせることができない」患者が,不幸な転帰を強いられるような事態が生じ得るのである。

この項つづく

シリーズ「アウトブレイク」は今回お休みしました。

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