医学界新聞

連載

2010.02.22

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第62回〉
牛の鈴症侯群

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 この原稿を書いている私の机の上に『牛の鈴音』と題した小冊子(CINEMA RISE No.209)がある。表紙には,農作業の間に草むらに腰を下ろす老夫婦と荷台を後ろにつけた老いた牛がたたずんでいる。この牛は赤牛で,どうみても若くないことがわかる。(牛を入れた)この三人をピンク色の空がゆったりと包んでいる。そろそろ家路につこうかという三人の“会話”が聞こえる。

老いた農夫と牛が過ごした最後の四季

 韓国映画『牛の鈴音』(監督/脚本/編集:イ・チュンニョル)が,韓国で公開されて37日目に動員100万人を,その9日後に200万人を突破した。公開7週目,8週目には興行成績第1位を獲得して「牛の鈴症候群」と呼ばれる社会現象を巻き起こしたという。

 映画がヒットするとともに,老夫婦が暮らす村に観光客が押しかけた。村は「牛の鈴音記念館」をつくり,お爺さんの服や杖,老牛がつけていた鈴を展示した。ついには,あまりの過熱ぶりを心配した監督が「老夫婦のプライバシーを尊重してほしい」と声明を発表しなければならなくなったという。

 『牛の鈴音』はこのように始まる。「79歳になる農夫のチェ爺さんには,30年間も共に働いてきた牛がいる。牛の寿命は15年ほどと言われるのに,この牛は40年も生きている。今では誰もが耕作機械を使うのに,頑固なお爺さんは牛と働く。牛が食べる草のため,畑に農薬をまくこともしない。そんなお爺さんに長年連れ添ってきたお婆さんは不平不満が尽きない。しかし,ある日,かかりつけの獣医が,この牛は今年の冬を越すことはできないだろうと告げる」

 その冬,チェ爺さんは牛市場で新しい雌牛を買った。年寄りに2頭の牛の世話は無理だから老いぼれ牛を売れ,とお婆さんは言う。死ぬまで面倒を見るさ,こいつは動物だがわしには人間よりも大切だ,とチェ爺さんは答える。

 新しい春が来て,若い牛が雌の仔牛を産んだ。雌の仔牛はお金にならないのでお婆さんはがっかり。お爺さんは相変わらず黙々と牛のために夜明けからエサをつくる。お婆さんは大声でまた愚痴る。

 青い夏空の下,牛が草を食う。お婆さんの愚痴は果てることがない。夏の終わりに大雨が降って田んぼが水浸しになってしまう。

 そのころから,お爺さんは頭が痛いと時折つぶやくようになった。老いぼれ牛が引く荷車に乗って,夫婦二人は町の病院へ向かう。働くのを控えなさいと医師はお爺さんに忠告する。ナースはお爺さんの足の傷の手当てをする。病院からの帰り道,二人は写真館で遺影用の写真を撮る。医師の忠告にもかかわらずお爺さんは働き続ける。休むのは死んでからだと言う。

 ある日,逃げ出した仔牛がお爺さんに体当たりした。お爺さんは仕方なく仔牛を売った。牛はますます老いぼれて,お爺さんとお婆さんの二人が荷台に乗ると,重さで立ち止まる。お爺さんは牛に気づかってお婆さんに降りろと怒鳴る。何の因果でこんな男に嫁いだのかとお婆さんは歌う。

消えゆく鈴音

 やがて収穫の秋を迎えた。鎌で刈るのは老いた夫婦には大変な苦労だ。次男に頼まれて,近所の人がトラクターで稲刈りの手伝いに来てくれた。お婆さんは町に住む子供たちに米を送る。米を作れるのも今年が最後だろう,お爺さんにはもう牛の世話は無理だ,とお婆さんはくり返す。お爺さんは仕方なく牛を牛市場に連れていくことにした。その晩,お婆さんはやさしく牛に声をかけた。あんたも苦労したね,あの人のせいで。

 牛市場に来てはみたが,安く買いたたこうとする連中がお爺さんは腹立たしい。タダでも要らないような牛だと牛買い人は言う。老いぼれ牛の目から涙が落ちた(観客の私の目からも涙があふれて落ちた)。お爺さんは結局,牛を手放さなかった。

 最後の冬,ついに老いぼれ牛が動けなくなった。助かる道はない。時間の問題だと獣医は告げた。お爺さんは30年の間ずっとつけていた鼻輪を外し,鈴を外した。ちりんちりんと鳴っていた鈴の音が止んだ。

 天国に行けよ。お爺さんの声に老いぼれ牛は一瞬答えるように首を振ると動かなくなった。牛は涙を一滴浮かべた(観客の私もまた涙した)。自分が死んでも私たちが困らないようにと,こんなにたくさんの薪を運んでくれた,とお婆さんは言う。

 牛の骸は土に還し,牛がつけていた鈴は軒先に下げた。お爺さんは横になることが多くなった。あんたが死んだらやっていけない,すぐに私も後を追うよとお婆さんはつぶやく。

 この映画はドキュメンタリーである。イ・チュンニョル監督は,「息子として何も孝行していない自分が,父への反省文を書くつもり」で作ったと語る。

 哀愁を帯びた鈴音とともに,私がもっとも感情移入したのは牛の涙であった。そして監督の見事な“親孝行ぶり”を讃えた。私も牛の鈴症侯群に“リカン”した一人である。ここでは「医療」は,老いぼれ牛に揺られて行く「異界」であった。

 チェ爺さんとお婆さん,老いぼれ牛の,友情あふれる“三角関係”の日常を抱きしめたい。

つづく

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