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第2819号 2009年2月23日


看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第50回〉
「悼む人」のこと

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 3年前の6月30日,「わたし」は駅南口の外壁に沿って設置されたコインロッカーの前で,親友と待ち合わせた。親友は目鼻だちのはっきりしたかわいい子で,男の子に人気があった。親友は同じ高校の制服を着た男子と話をしていた。彼女の迷惑そうな顔がみえたので,「わたし」は相手を追い払おうとして呼びかけた,と同時に,男子が自分の鞄から金属製の光るものを出して親友にぶつかってゆき,彼女は無言のまま地面に崩れ落ちた。まばたきもしない彼女の目は,涙でうるんでいた。

 その後,「わたし」は「親友を守れず,自分だけ生きていることが恥ずかしくてならなかった」。学校ではしばらく彼女のことが話の中心だったが,時間の経過とともに話題に上らなくなった。「わたし」は東京の大学に合格して上京,誰にも心を開けず,友人もできないまま無為に過ごすうち,親友の一周忌が訪れた。親友の自宅で行われた法要に参加したあと事件現場に行ったが,彼女が倒れた場所には何も残っておらず,人々がせわしげに行き交っているだけだった。

 家に引きこもり,死んだほうが楽だと思いながら,両親が涙ながらに説得するので,出された食事を胃へ流し込むようにして,生き延び,一年が過ぎて親友の命日が訪れた。「わたし」は,あの場所で命を断つために果物ナイフを握りしめて,夜明け前に家を出た。

 ここまでが,天童荒太著『悼む人』(文藝春秋,2008年)のプロローグ前半部分である。

 そして,読者である私は次のくだりで息をのんだ。

 誰にも会わずに駅のコインロッカーが並ぶ場所に着きました。夜が明けてきたらしく,駅舎の背後に,縁をオレンジ色に染めた雲が望めます。不意に,親友が倒れた辺りで影が揺れました。

 そこには若い男の人がひざまずいて祈りをあげていたのである。

 「ここで,或る人が亡くなられたので,その人を,悼ませていただいています」と告げた。彼は親友の名前を口にして,彼女のことを知っていたら聞かせてほしいと言った。「彼女は,誰に愛されていたのでしょうか。誰を愛していたでしょう。どんなことをして,人に感謝されたことがあったでしょうか」

 その言葉を聞いたとたん,「わたし」の胸の奥にしまい込んでいた彼女の思い出があふれてきた。「わたし」は彼に親友のことについて思い出すかぎりのことを伝えた。「わたし」が話し終えたところで,彼は「いまのお話を胸に,悼ませていただきます」と言って,独持の姿勢で目を閉じた。
 「悼む人」に出会ったあと,「わたし」は大学に戻り生きることを続けている。

 『悼む人』で第140回直木賞に決まった天童荒太さん(48歳)は,アイデアの原型が生まれたのは2001年の秋,同時多発テロを受けた米国の軍事攻撃を知ったショックの中だったと語っている(朝日新聞,2009年1月16日朝刊)。報復の暴力を仕方がないと認めるのは耐え難く,悲劇の連鎖を食い止める砦として,自分や愛した人のことを覚えていて,ただ悼む人がいてくれれば,という思いが生まれたのだと語る。

問いかけ,ただ悼む

 私は,2008年9月22日(第2798号)の週刊医学界新聞に,「母の最後の日」を書いた。その後あの記事を読んだという何人もの人が私に近づいてきて,自分の父や母の死を語ってくれた。今まで封印していたという,急死した母親のことを悼んだ,便せん7枚にもわたる手紙をくれた友人もいる。7回忌を迎えるのに,「今でも母に似た人を町で見かけると,走って近寄り顔を確かめたりします」と書いている。

 ただひたすら悼んでくれる人がいたら,私も半年前に亡くなった母のことを語りたい。

 看護における悲嘆ケアは,残された人に向かって「彼は(あるいは彼女は),誰に愛されていたのでしょうか。誰を愛していたでしょう。どんなことをして,人に感謝されたことがあったでしょうか」と問いかけ,ただ悼むことではないかと思う。

 作者は「悼む人」のことを,「見ず知らずの死者を,どんな理由で亡くなっても分け隔てることなく,愛と感謝に関する思い出によって心に刻み,その人物が生きていた事実を永く覚えていようとする人」であると,登場人物に語らせている。

つづく

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