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第2807号 2008年11月24日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第140回

もしアメリカで病気になったら(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2805号よりつづく

前回のあらすじ:リサ・ケリー(52歳,女性)は,「急性白血病の治療を受けたければ10万5000ドルの前金を払え」と,病院から要求された。


無保険者には医療費の「値引き」を認めない

 「10万ドルを超える前金を今すぐ払わなければ入院させない」と,いきなり,非情な要求をつきつけられても,ケリーとしては,途方に暮れるほかなかった。しかし,夫がM.D.アンダーソン癌センターの担当者と何時間もねばり強く交渉してくれたおかげで,なんとか「特例」として入院が認められたのだった。

 8日後,ケリーは退院,化学療法は外来で継続されたが,支払いをめぐるトラブルはその後も続いた。例えば,予約が何度も「ブロック」されたが,予約のブロックとは,「まず支払いをしなければ診察しない」と,来院した患者の診療を拒否する処置だった。また,経理担当職員が医師とともに診察室を訪れ,「他の施設に移る」よう強要することもあった(ケリーが住む町にも小さな癌診療施設があったが,白血病患者の化学療法には対応していなかった)。

 1年後,ケリーは加入保険の変更に成功,以後の治療に要する費用はほとんど新たな保険でカバーされるようになったが,その時点で,M.D.アンダーソン癌センターへの債務は14万5000ドルを超えていた。ここで強調されなければならないのは,ケリーが,ここまで「無保険者」として扱われてきたせいで,債務額がべらぼうに膨れあがった事実である。というのも,米国の医療施設は,通常,有保険の患者には大幅な「値引き」を提供する(保険会社に対しては「大口顧客」として値引きが約束されるからである)のに対し,個人顧客である無保険者には,一切,値引きを認めないからである(註1)。

 その後,ケリーは,毎月2000ドルの分割返済をする一方で,「プロ」を雇い,同センターとの値引き交渉に当たらせたが,「プロ」が交渉に当たった場合,保険会社ほどの大幅値引きは得られないにしても,通常3割ほどの値引きが得られると言われている(なお,「プロ」に支払う「手数料」は値引き総額の3分の1が相場)。

未収金対策としての前金制度

 ところで,ケリーに10万ドル以上の前金を納めることを要求したM.D.アンダーソン癌センターは,世界的にも名を知られた超一流の癌診療施設である。米国における病院ランキングとしてはUS News and World Reports誌のものが一番有名であるが,同誌が病院のランク付けを始めた1990年以降,M.D.アンダーソン癌センターは毎年癌部門の上位2位以内にランクされ,2008年も第1位の栄冠に輝いたばかりである(ちなみに,近年ライバルとして1位の座を争っているのは,ニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリング癌センターである)。

 このように「米国一」の名声をほしいままにしているM.D.アンダーソン癌センターであるが,組織的にはテキサス大学「複合体」(註2)の1施設であり,基本的には「州立」である(もっとも「州立」とはいっても,組織としての独立性は高いので,日本の公立病院と同列に論じることはできないので注意されたい)。では,なぜ,州立の癌センターが,「営利病院も真っ青」というような高額の前金を癌治療開始の前提条件として患者に要求するようになったのかというと,それは,無保険者・低保険者の診療費の「取りはぐれ(未収金)」が,米国全体で大問題となっているからに他ならない。例えば,アメリカ病院協会によると,全米の病院全体の未収金は2000年の16億ドルが2006年には31億ドルと,6年の間に倍近く増加した。また,米歳入庁(日本の国税庁に相当)が2006年に非営利病院を対象に実施したアンケート調査によると,回答481病院のうち14%の施設で前金制度が導入されていたという。

 M.D.アンダーソン癌センターの場合,患者に前金を要求するようになったのは2005年からだが,同年,未収金が前年の1800万ドルから5200万ドルに急増したことがきっかけだったとされている。前金制度の導入後,2006年の未収金は3300万ドルに減少するなどすぐに効果が現れたが,同センターの2007年度の黒字は3億1000万ドル,所有有価証券も含めた総資産は19億ドルと,財務状態は極めて良好であるだけに,患者に高額の前金を要求する「冷たさ」が批判を浴びたのだった。

この項おわり

註1:例えば,前回も触れた2007年の私の入院(8日間)の場合,病院からの請求額は5万230ドルであったが,保険会社が認定した額はわずか6421ドル,9割近い値引きが行われた。もし私が無保険者であったならば病院に対する債務は5万ドルを超えていた勘定だが,保険に入っていたおかげで,6421ドルのうちの自己負担分を払うだけで済んだのである。仮に,日本で混合診療が全面解禁された場合,保険外診療をカバーする民間保険に加入していない患者に対し,米国の無保険者と同様の運命が待つことが容易に想像される。
註2:大学9と医療施設6とで形成される。 連載一覧