医学界新聞

連載

2008.10.06

名郷直樹の研修センター長日記

57R

結婚式のスピーチ

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院 臨床研修センター長


前回2796号

○月□△日

 結婚式のスピーチというのはどうも苦手だ。しかし,この苦手なスピーチをやたら頼まれる。どういうことだ。どういうことだ,といったって,自分自身がそういう立場になったというだけのことである。結婚適齢期の多くの研修医とともに日々を送っている上,形式上は彼らの直接の上司であるわけだから,結婚式ともなると当然そういう役割が回ってくる。信じられない。不思議だ。そういう自分が受け入れられない。頼まれるスピーチも,いい加減みんなが酔っ払ったあとのいいポジションではなくて,だいたいがまだみんなしらふの,静まりかえった中での,式の最初の挨拶だったりする。どういうことだ,これは。そういうことというしかないが。実際,明日はそういうスピーチをやらないといけない。憂うつである。

 

 めでたい話をするとだいたいつまらない。かといって,めでたくない話を混ぜるのも危険だ。いい話は退屈だ。そんなふうに考えると,話すことがなくなってくる。前にも結婚式のスピーチで夫婦の間の無意味な会話の意味について話そうとして,なんだかわけがわからなくなったことがある。そのときの敵討ちというわけではないが,何を話そうとしたか,今一度思い出して,書き直してみる。明日のスピーチで使えるかもしれない。

 

 今日は,夫婦の間の無意味な会話について,お話ししたいと思います。だいたい夫婦間の会話というのは無意味なものです。代表的なものとしては,「お茶でも入れますか」,「ああ」とか,「食事? それともお風呂?」,「風呂」みたいなものです。別にそれだけの会話ですが,実はここに隠されたサインがあるのです。どんなサインか。夫婦といっても,会話を受け入れるか,受け入れないか,そんなサインを送りながら,お互い話しています。そうした受け入れるかどうかのサイン。そのサインこそ伝えたいことだったりします。しかし,実際の会話では,そういうサインは基本的に見逃され,だいたいは見逃すことが受け入れOKのサインだったりします。

 見逃してはいけないようなサインとは,どういうものでしょうか。それは大概わかりやすい形,かなりやばい形で現れます。たとえば,「お茶入れてくれる」,「自分でやったら」というように。しかし,ここもあえて「なにかあったの?」というように真っ向からサインを受け取るよりも,「それじゃあ自分で入れます。茶壷どこだっけ?」なんてずらして答えたほうが,いいのかもしれない。それで大丈夫なら,それはそれでまた立派な関係です。もしこれでうまくいっているなら,お互い表向きのサインを見逃しても大丈夫な関係作りができているくらい,いい関係ということかもしれません。そして目指すのは,むしろ後者の会話の中でうまくやっていくような関係作りかもしれない。最近,でもないかもしれませんが,空気を読む,とか,読めないとかいうことがよく話題になります。夫婦間ですら空気を読まなければいけないとしたら,それはかなり厳しい。だから,とにかくすべての会話を受け入れてしまえ。空気を読むな。そんな中で,よい関係が続けていけたら,きっとよい家庭が築けるのではないだろうかと,そんな話です。

 夫婦間の会話にはサインが隠されている。表向きは見逃そう。その中でそのサインを受け取ったというサインをどう返すか。大事なのは受け入れたというサインだ。その場の空気より,受け入れること,何の足しになるかわかりませんが,今後の日々の生活の中で,たまには思い出してみてください。

 

 再構築するとそんな話だったはずなのだが,実際に話したことは悲惨だった。話している私自身は空気を読んでいない。聞いているほうに私自身の話を受け入れろと強制する。確かに,空気を読まずに,何でも受け入れろ,スピーチ自体にそういうメッセージがメタレベルで組み込まれている。しかし,話した内容そのものは,緊張したせいもあり,うまく話せず,もうぼろぼろ。ただそのメタレベルでの表現を考えれば,なかなかよくできた話だったのだが,実際そんなわけはなく,スピーチ頼む人を間違えたな,そんな話として聞き手に伝わったに違いない。

 

 患者が医者に語ることというのも,だいたいこんなところだ。こんなところ,それについて説明が必要だが。結婚式のスピーチではそれに失敗したわけだ。

 内容にはほとんどメッセージがなく,その話しぶりがすべて。あるいはその話す人がすべて。病気を診ずに人を診なさい。患者からの,「私を受け入れてメッセージ」がいたるところに転がっている。だから,空気を読むな,受け入れてしまえ。

 

 受け取ったと答えてほしいだけ,という歌詞が頭の中でこだまする。そうだ,その通り。やはり明日はこの話か。いっそこの歌を歌ってしまうか。でもちょっと自信ないな。やっぱり空気を読んでおいたほうがいいし,そしてまず自分自身が受け入れられること。私の話を受け入れろ,それは無理だな。だいたい,いい話をしようなんて思うのが一番いけない。それこそ,特に力を入れずに,ありきたりの話をするのがたぶん一番。というわけで,明日の話題は,無意味な会話の意味について話すのはやめて,ただありきたりの話。

次回につづく


本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook