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第2776号 2008年4月7日


【対談】

問題を構造として捉えるチカラ
青木 眞氏(感染症コンサルタント/サクラ精機(株)学術顧問)
富家 恵海子氏(『院内感染』著者/(株)日本リサーチセンター取締役)


富家 私が『院内感染』を書かざるを得なかった1980年代後半は,「院内感染」という言葉は,一般人はもちろん,医療者にさえ認知されていませんでした。医療者はポビドンヨード液の入った洗面器で次々と手を洗い,近くに下がっているタオルで拭いてから患者さんを診ていました。抗菌薬も無計画に使用され,「感染症は副次的なもの,起きても仕方ない」という発言さえありました。

 でも,患者はその副次的なもので命を落としたり,入院が長引いたりするわけです。「一般人がおかしいと思っているのだから,医療者はもう少し考えてくれませんか」というのが,私の問題提起でした。でも,中には「なんだかおかしい」と悩んでいた医療者もたしかにいたのですね。

青木 感染症の教育が不十分な環境で抗菌薬の使い方に悩んだり,苦しむ患者さんを目にしながらも,なす術がないまま亡くなったりする経験をしてきたのだと思います。

富家 そういう真っ暗闇の状況の中で,『レジデントのための感染症診療マニュアル』がたしかな灯りを示してくれたのでしょうね。今回,若手医師の寄稿を読んで感動しました。青木先生の存在を“心の中のメンター”だとか,教訓を伝える“親父”だとか,いろいろな表現で語っていますが,私はもう少しかわいらしく,“初めて自分の立ち位置を教えてくれた,安心して相談できる母親”なのだと思います。

青木 私としては,ただただ感慨無量です。これらの寄稿を一生大事にして,落ち込んだ時には読んで,「こうやって感染症の道に進んでくれる人が出てきたのだ」と自分を奮い立たせることでしょう。

感染症診療における「4つの軸」

富家 この本の特徴として,最初からディテールに入るのではなく,基本的な大原則を示していますよね。私たち一般企業でも必ずそうするのですが,新しいことを学ぼうとする人にとって,基本原則から学ぶのはとても大切なことです。

青木 それは教える側にとっても同じでした。ある指導医からは「この本を読んで,“4つの軸”で整理すればいいのだとわかった」と感想をもらいました。4つの軸とは,(1)どの臓器に感染症があるか,(2)原因微生物は何か,だから(3)それに対する抗菌薬は何か,そして(4)熱や白血球で治療成果や感染症の趨勢を判断してはいけない,ということです。

 これまでは「抗菌薬を乱用してはいけない」と言いつつも,実際に感染症診療を進めるフレームワークが見えなかったのです。そのフレームワークが教える側にも教わる側にも備わったのであれば,筆者として望外の喜びです。

富家 それは院内感染についても同じですね。

青木 そうです。まだ感染管理が黎明期の頃は,「院内感染が問題だ」と言って一生懸命対策を講じているのですが,実体を表わすパラメータがなかった。それは「抗菌薬を乱用してはいけない」と言いながら,そのためにどうすればよいのかわからない臨床感染症の状況と似ていました。そこで,感染管理においては富家さんの協力も得て,サーベイランスの導入を提唱したのですね。

富家 私はふだん調査研究の仕事に携わっていますが,ベンチマークを取らなければ何が起きているかさえわからないですよね。

青木 実はこの国の医療カルチャーは,ベンチマークなしでディスカッションする傾向があるのです。それは,たぶん他の分野においても同じなのでしょうね。

■臨床医が“途方に暮れる”最大の理由

富家 本の序文に「感染症診療の現場で“途方に暮れ,焦り,諦めかけている”研修医・若き医師,医学生を対象としている」という言葉があります。これはご自身の体験も含まれるのですか?

青木 うーん,私も若い時は途方に暮れましたね(笑)。

 臨床医が途方に暮れる最大の理由は,「自分の立ち位置が見えないから」。すなわち,「自分はこの問題の構造において,どの部分にいるのか」がわからないから途方に暮れるのです。

 例えば,全身転移の末期癌の患者さんが亡くなりそうな時,その現実に対して途方に暮れ,焦るとします。ところが,疾患全体の構造からすれば,実は寿命をまっとうしようとする時期の場合もあります。そこでどんな医療を提供しようと,患者さんのアウトカムは変わらない。こうやって状況が整理できていれば,途方に暮れません。

――「途方に暮れる」といえば,不明熱の患者さんを前にした研修医の姿もイメージされます。

青木 不明熱は,熱の原因が不明ということよりも,どの臓器から熱が出ているかがわからない,つまり先ほどの1番目の軸が不明なのです。1番目の軸が不明だとわかることによって,2番目の軸は「不明熱だから結核」だとか,「不明熱だから黄色ブドウ球菌による心内膜炎だ」というふうに答えが出ます。つまり,不明熱の診療の基本は「不明熱を診ている」という立ち位置をきちんと踏まえること。右往左往するのは,自分が不明熱を診ているという立ち位置がはっきりしていないからです。

 私だって,不明熱の原因がわからないことはいくらでもあります。ただ,統計的に調べていくと,原因がわからない不明熱というのは,実は予後がいい。ですから,「危ない不明熱の原因は全部除外した」という立ち位置が宣言できれば,「原因の特定はできないけれども,この患者さんは予後のよい原因で不明熱を持っている」と整理して,心安らかに診察すればいいのです。要は問題を構造的に捉えることが大切で,私はその整理の仕方を研修医に示してあげたかった。これに尽きますね。

――『院内感染』には研修医がよく登場します。みな熱心で,親しみを込めて描写されていますが,いつも途方に暮れていますね。

富家 そうなのです。なんだか労働者という感じで……。

青木 これは臨床研修が制度化された背景とも重なるのですが,当時の研修医は本当にかわいそうだったと思います。指導医が「俺の背中を見てついて来い」とか「技は盗め」という態度で,研修医は忙しい中でただ漠然と悩んでいるのでは,何年研修しても成長につながりません。

 米国でも日本でも,私にとってのよき師匠は「また明日来るから,それまで頑張れよ」という,いわゆる放置に近いようなことはせず,“悩む方向づけ”をしてくれました。魚を与えるのではなく,釣り方を教えるのと同じですね。特に卒後1-2年目ぐらいの間はその必要があります。ただ,指導医自身も研修医の頃にそういった訓練を受けていないので,ある意味で気の毒な話です。

総合内科が第一ステップ

青木 私はいろいろな病院で医学生や研修医を指導していますが,臨床研修の必修化後,彼らの臨床能力が明らかに向上しました。これは非常に大きな変化で,そこには必ず感染症が含まれています。そういった潮流に,臨床的な切り口のこの本がうまくマッチしたのかもしれません。

富家 『院内感染』では過度の専門分化による弊害も指摘したのですが,臓器横断的に診る意識も高まってきた感じがありますか?

青木 そうですね。総合内科的な視点は,臨床医なら誰もが学ばなければならない第一ステップです。そして,実はそこに感染症診療が統合されるべきなのですね。

 今後,臓器横断的な領域では,感染症だけではなく,リウマチ・膠原病,そして少し遅れて腫瘍内科が熱くなると思います。これらの領域は本当にこれからですが,興味を持つ学生,希望する研修医が増えていると感じます。

富家 それが当然ですよね。だって,私たちは特定の臓器だけではなく,全体のバランスの中で回復し,生活するわけでしょう。

青木 患者にとっては当然のことにやっと光が当たるようになった。だからこその感染症なり,膠原病なのでしょう。それと,先ほどのお話にあったように,医療の質に対する国民の目が以前よりもはるかに厳しくなっています。反面教師的ではありますけれども,これも感染症診療・感染管理にとっては追い風になっているのではないでしょうか。

すべてはあの時始まった

富家 それでも医師の中に「感染症はメインストリームではない」という意識がまだ根強いとしたら,患者にとって不幸なことです。感染症は誰もが日常的に遭遇するものだし,医学生のうちから感染症を学んでおくことは,患者の立場からみれば常識ですね。

青木 いま,感染症のセミナーに医学生の参加者が増え始めています。大学ではまだまだ臨床に即した講義が少ないというのが理由らしいのです。

富家 感染症に興味を持つ人は増えているとしても,人数としてはまだまだ足りないですか? 大学で教える人材であるとか,院内でコンサルテーションできるくらいの数としては。

青木 まだ足りませんね。ただ,こういうものは直線の増加ではなくて,あるところから2次曲線に乗っていくでしょう。米国感染症内科専門医でみても,喜舎場朝和先生(前沖縄県立中部病院内科部長)のあと私が2人目ですが,十数年開いていますよね。その次の世代までやはり十年くらいありますが,いま米国で専門医資格の取得をめざしている人はかなりいるので,これから急速に増えますよね。

――喜舎場先生は,本をご執筆されるお気持ちはなかったのですか?

青木 私もご本人にお尋ねしたことがあって,いまでも鮮明に覚えています。ただ,喜舎場先生はベッドサイドが最優先。患者さんの個別性を非常に尊重されていて,本にしてアルゴリズムを示そうとはされなかった。そのくらい,目の前の患者さんの治療と,研修医指導に身を削る覚悟で取り組まれていたのですね。患者さんに対する密着度は凄まじいものでした。1人の患者さんの所見が,A4裏表で7ページぐらいになりますからね。

富家 では逆に,もし喜舎場先生が本を書いて全部を教えきっていたら,青木先生はそのノウハウを伝える本は書かなかったかもしれませんか?

青木 そうかもしれません。喜舎場先生に指導された原点があったからこそ,私は本を介して正しい感染症診療を全国に広めたいと試み,それがまた次の世代へとつながっていくのだと思います。

未来を担う研修医に向けて

富家 主人が亡くなった時に大学生だった息子は結局ミュージシャンになったのですが,昨年末に米国でCDを出しました。その冒頭のSpecial Thanksで“Without you I could not even start doing music. Thanks for all your support, love, encouragement and understanding”という嬉しいメッセージをくれたのです。私はこの言葉をそのまま,青木先生と,感染症に苦しむ患者をひとりでも多く救おうとしている研修医のみなさんに捧げたいと思います。彼らが感染症診療に目覚め,巣立っていくことに感謝しています。

青木 私から研修医にお伝えしたいのは,まずはすべての臨床の基礎となる総合内科で,感染症をみる目を養うこと。そして,将来希望する専門領域に関わらず,外科領域を含むあらゆる科を可能な限り渡り歩き,いろいろな疾患を診ることが大切です。そしてそこでは,必ず自分がprimary responsibilityを負って,手を汚さなければなりません。ローテーションをすればするほど感染症に強くなるし,それ以外の道はないのですから。

(了)


青木眞氏
1979年弘前大医学部卒。沖縄県立中部病院,米国ケンタッキー大などで内科研修。93年に米国感染症内科専門医を取得。当時の留学記を『太平洋を渡った医師たち』(医学書院)に寄せている。帰国後は聖路加国際病院感染症科,国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センターを経て,現在はサクラ精機(株)学術顧問。フリーランスの感染症コンサルタントとして活躍し,医学生や研修医の指導にも励んでいる。
Blog「感染症診療の原則」URL=http://blog.goo.ne.jp/idconsult

富家恵海子氏
夫を手術成功後のMRSA感染によって突然失い,その克明なレポートを1990年に『院内感染』として上梓。第三世代セフェム系抗菌薬の安易な使用,消毒・手洗いなど基本の軽視,さらには過度の専門分化の弊害まで指摘し,大きな反響を呼ぶ。他に『院内感染ふたたび』『院内感染のゆくえ』(いずれも河出書房新社)。マーケティングリサーチ会社に勤務し,『ワーキング・マザーの消費パワー』(誠文堂新光社・共著)などの著書もある。