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第2733号 2007年6月4日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第109回

道徳性の神経生理学

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2730号よりつづく

トロリー問題

 倫理学の領域で「トロリー問題(trolley problem)」とよばれるジレンマとは次のようなものである。

設問1】あなたの目の前で電車が暴走しています。電車の進行方向には線路を歩く人が5人いますが,誰も電車が近づいていることに気がついていません。もし,あなたが線路の切り替えスイッチを作動させて電車の進行方向を変えれば5人の命を救うことができますが,問題は,切り替えた先の線路にも歩行者が1人歩いていることです。5人の命を救うためには1人の命を犠牲にしなければなりませんが,あなたは切り替えスイッチを作動させますか?

設問2】陸橋の上にいるあなたは,電車が暴走していることに気がつきました。線路の先には5人の人が歩いています。もし,あなたが,自分の横に立っている人を線路の上に突き落とせば,電車の暴走を止めることができますが,あなたは5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることができますか?

 2つとも,「5人の命を救うために1人の命が犠牲にされる」という設定は同一だが,ほとんどの人が設問1に対しては「はい」と答えるのに対し,設問2に対しては「いいえ」と答えることが知られている。設問1と2とで,それぞれの行為の結果生じる利益と損失とはまったく同一であるのに,なぜ,人々の判断は,こうも正反対にわかれるのであろうか?

 ちなみに,設問2には,次のような医学バージョンも存在する。

設問2:医学バージョン】救急車が5人の重症患者を運んできました。2人は腎臓を,他の3人は,それぞれ心臓・肝臓・肺を緊急移植すれば救命が可能ですが,ドナーを探している時間的余裕はありません。たまたま,救急室の隣で献血中の人の血液型が,運ばれてきた5人と適合します。あなたが外科医だったとして,5人の命を救うために,献血中の患者に犠牲となってもらって臓器を移植しますか?

 設問2の医学バージョンも「5人の命を救うために1人の命を犠牲にする」という状況は同一である。これに対しても,聞かれた人のほとんどすべてが「いいえ」と答えることが知られている。しかも,設問2に対しては,どちらのバージョンにもただ「いいえ」と答えるだけでなく,時間をかけて考え悩むという過程を経ず,瞬時に「いいえ」と答えることが知られているのである。

正邪の判断が決められる仕組み

 デカルトやカントの昔から,morality(倫理性・道徳性)は,ヒトにのみ属す特性とされ,物事の正邪の別を決めるのは,「理性」がなす業とされてきた。しかし,トロリー問題・設問2に対する常人の判断は,「直感的」といってもよいほど瞬時になされるのが普通であり,正邪の区別が「理性」のみによって決められるとすると説明しがたい。

 「多数の命を救うためとはいえ,隣に立っている人を突き落としたり,まったく健康な人の命を奪って臓器ドナーとしたりする行為は自らが『手を下す』直接的なものであり,スイッチのオン・オフという『迂遠』な行為と比べ,感情が関与する程度が大きい。だから,設問2と1とで,普通の人の判断はまったく正反対になるのだ」とする説明がされる所以だが,ここ数年,倫理的・道徳的判断には,理性だけでなく感情も寄与するのだとする説を支持する,神経生理学的知見が集積されるようになったので紹介しよう。

 トロリー問題に対する生物学的解釈を深めるきっかけとなった研究としては,グリーン等によるものが有名であるが,彼らは,被験者がトロリー問題や類似するジレンマを解決する際,脳内のどの部分が「活性化」されるかを,機能的MRIを用いて解析した。その結果,隣の人を橋から突き落とすなど,問題解決に「直接手を下す」手段が要求される場合,脳内の理性的思考に関わる領域だけでなく感情に関わる領域も活性化され,両者の活動の「バランス」の下に最終的判断が下される仕組みが示唆されたのだった(Science 293(5537),2105-8, 2001)。

 さらに,今年になって,腹内側前前頭葉皮質(VMPC:ventromedial prefrontal cortex)に傷害のある患者は,トロリー問題に対して常人とは異なった判断を下すことも示された。VMPCは,以前から,同情・羞恥心・罪悪感といった「社会的感情」に関与する領域として知られていたが,この領域に傷害がある患者は,例えばトロリー問題に対して,「多数の命を助けるためには,隣に立っている人を橋から突き落としても構わない」と答える傾向が際立って強いことが明らかにされ,倫理的判断は理性と感情のバランスの下に下されるとする説が,一層信憑性を強めることになったのだった(Nature446(7138),908-11, 2007)。

 本欄では,前回まで,「回復の見込みがない患者の延命治療を中止する行為と殺人との違い」について論じてきたが,「延命治療の中止は殺人と変わらない。一度つけた人工呼吸器は絶対に外してはならない」と決めつける人々は,両者の決定的違いを理性的に比較する過程を辿ろうとはせずに,「直感」の命ずる段階にとどまったまま,短絡的に判断を終えているように思えてならない。

次回につづく

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