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第2728号 2007年4月16日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第106回

延命治療の中止を巡って(14)
終末期医療における患者の権利

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2726号よりつづく

 ここまで13回にわたって,米国での延命治療中止を巡る議論の歴史を紹介した。ここまでの歴史をお読みいただいた読者にはもはや説明の必要はないだろうが,米国における議論の歴史は,「いかにして,終末期医療において患者の権利を守るか」という点に終始してきたと言ってよいのである。

 結論から言うと,「終末期医療だからといって患者の権利の中身が変わるわけではなく,通常の医療で守られるべき患者の権利は,終末期医療の場でも守られなければならない」というのが,延命治療の中止を巡る問題を考える際の原則である(逆に言うと,終末期医療の場で患者の権利が守られていない状況が存在するとすれば,それは,終末期医療以外の場においても患者の権利がないがしろにされていることを強く示唆するのである)。

 言うまでもなく,現代の医療において,何よりも保証されなければならない患者の権利とは,その自己決定権(autonomy)である。たとえ治療を拒否することが,死を招くなど「不利益」な結果を招来することがわかっていたとしても,患者が自ら選んだ選択に対して,医療の側がそれを拒むことはできないのである。

 さらに,医療倫理的には,治療を始めないという決定と,一度開始された治療を途中で中止するという決定とは,患者の自己決定権という原則に照らせば等価の決定である。言い換えると,「治療を継続しなければ死んでしまう」という状況において,「治療を中止する」という患者の決定を受け入れることができないという態度は,「患者の自己決定権は一切認めない」と言っているのと何ら変わりはないのである。

癌治療と延命治療

 ここで,例として,医師が勧める化学療法を,癌患者が拒否したり,中止を希望したりした場合を考えてみよう。医師が勧める治療を拒否したり中止したりすることが,確実に「死」という結果を招来することがわかっていたとしても,患者が化学療法を拒否する権利を否定する人はいないだろう。もし,患者の拒否を無視して,医師が強制的に抗癌剤を投与したりした場合,重大な倫理違反になるだけでなく,(少なくとも米国では)傷害罪(bodily injury)として犯罪に問われることがはっきりしているので,患者を縛り付けてでも化学療法を実施するという医師は存在しない。日本でも,癌治療の場合は,患者の自己決定権が尊重されているようで,たとえば,有名人の患者が癌治療を拒否して自宅で「敢然」と死を迎える事例を,メディアが,特別な「美談」として報道する傾向さえ見られるのである。

 ところが,これが,患者の希望を容れて,医師が人工呼吸器を取り外したりした場合,米国ではルーティンとして通常に行われている行為が,日本では,途端に「安楽死」とか,「殺人」とか,議論が「あさって」の方向に向かう異常な現象が出現する。「治療を開始しなかったり中止したりした場合,確実に死ぬとわかっていても,患者には治療を拒否する権利がある」という原則が,癌治療の場合には受け入れられても,延命治療の場合には受け入れられないというのだから,これほどつじつまの合わない話もないだろう(前文の括弧内の『治療』という単語を,『延命治療』という単語に差し替えても,この原則は成り立たなければならないのである)。

何よりも尊重されるべき自己決定権

 以上からも明らかなように,自己決定権の尊重という,医療倫理上もっとも重要な原則に照らす限り,患者本人の意思が明瞭に示されている場合に延命治療の中止を認めるかどうかが議論の対象となることはありえない。議論の対象になるとすれば,それは,昏睡患者などで,患者本人に意思を表明することができない場合だが,その場合でも,米国の判例は「昏睡患者などで本人に意思を表明することができない状況においても,その自己決定権の行使を保証する」という立場をとり,近しい家族による本人の意思の推定を,きわめて合理的な手段として受け入れているのである。

 米国の医療史において,カレン・クィンランやナンシー・クルーザンの事例は,「患者の自己決定権は延命治療の場においても尊重されなければならない」という原則を,法的に確立する貴重な事例となった。興味深いことに,カレン・クィンランの家族も,ナンシー・クルーザンの家族も,裁判の決着後に癌と診断された際,医師が勧める治療を拒否,自宅で死を迎える選択をしているが,裁判での争点が患者の自己決定権そのものであった事実を思うと,決して偶然ではなかっただろう。

 重複となることを承知であえて強調するが,もし,日本で,「一度つけた人工呼吸器は絶対に外さない」と決めている学会や病院があったとしたら,その学会や病院は「私たちは患者の自己決定権は一切認めません」と宣言しているのと変わらないのだということは,明瞭に認識されなければならないのである。

この項つづく

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