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第2726号 2007年4月2日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第105回

延命治療の中止を巡って(13)
クルーザン家の悲劇(4)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2724号よりつづく

〈これまでのあらすじ:1990年,連邦最高裁が,遷延性植物状態患者ナンシー・クルーザンの経管栄養中止を巡って「患者が治療を拒否する権利は憲法で保障された権利」と認定した半年後,ミズーリ州検認裁判所は,ナンシーの経管栄養中止を命じた〉

 クルーザン家にとって,たとえ3年余に及んだ訴訟に「勝った」とはいっても,ナンシーと別れを告げなければならない悲しみや辛さが減じたわけではなかった。それだけに,「pro-life」の活動家たちの心ないプラカードやシュプレヒコールは家族の心を傷つけた。

 しかも,ナンシーが入院していたミズーリ州リハビリテーション・センターの医療者との関係は,必ずしも良好なものとはいえなかった。ナンシーのケアに当たる医療者の大半は「pro-life」派であったし,裁判で,「ナンシーは,植物状態とは思えない反応を周囲に示す」とか「回復の兆候を見せている」とか,たとえ「pro-life」の立場からのバイアスがかかっているとはいえ,家族にとっては「嘘」としか思えないような証言をする者もいたからだった。

三つの日付

 経管栄養の中止後,ナンシーとの辛い別れの時を過ごす家族にとって,「救い」となった存在がホスピス病棟の看護師,アンジェラ・マッコールだった。マッコール自身は「pro-life」として経管栄養中止には反対だったが,それでも,家族と裁判所の判断を尊重し,ナンシーとの別れに耐える家族の気持ちに配慮することを忘れなかった。マッコールの心優しさに感動した家族は,いつしか,彼女のことを「天使」と呼ぶようになっていた。

 ナンシーの血圧が下がり始めたのは,経管栄養チューブが外されてから12日目,クリスマスの日のことだった。午後,検温のために病室を訪れたマッコールは,検温結果を家族に説明した後,「私が,皆様とお会いするのはこれが最後になるかもしれません」と,最期が近いことを示唆した。病室にいたのは,ナンシーの母ジョイスと,姉のクリスの二人だったが,マッコールは,二人と抱擁を交わすと,「あなた方のような素晴らしいご家族とお知り合いになれたことを本当に光栄に思います」と,涙ながらに別れを告げたのだった。

 マッコールが病室を去ってから約12時間後,ナンシーの呼吸が止まった。2日後,葬儀が営まれたが,墓石には,次の三つの日付が刻まれていた。「誕生:1957年7月20日,旅立ち:1983年1月11日,平安の訪れ:1990年12月26日」。

「苦闘」の後遺症

 ナンシーの死後も,クルーザン家の悲劇は続いた。突然の事故,介護,裁判と,一家にとっては苦痛に満ちた7年であったが,7年間の「苦闘」の後遺症にもっとも苦しめられたのは父親のジョーだった。もともと,「ナンシーも私たちのことも何も知らない人たちが,なぜ私たちにとって一番重要なことを決めるのか」という思いが強く,ジョーにとっては,裁判に関わらなければならないこと自体が極度の苦痛だった。しかも,何をするにも手を抜けない「完全主義」的性向の持ち主として,物事を笑ってすましたり,軽く受け流すことは著しく苦手だっただけに,裁判の過程で事実と異なる証言を聞かされたり,メディアや書信を通じて「pro-life」派から「悪魔」呼ばわりされたりするたびに,真剣に怒り,傷ついたのだった。自分宛に送られてくる手紙にも,いちいち傷ついたり励まされたりしたが,ジョーが一番感動し,力づけられたのは,「私にも,死なせてくれるために戦うほど愛してくれる人がいたらいい,と神様に祈っています」と書かれた葉書だったという。

 ナンシーの死後,ジョーが重いうつ病の症状を示すようになるまで,さして,時間はかからなかった。薬剤治療,カウンセリング,入院,電気ショック療法と,ありとあらゆる手だてが尽くされたもののうつ病は悪化,3年後には退職を余儀なくされてしまった。しかも,「自分は大した病気でもないのに仕事を辞めた怠け者」という思いこみと自責の念から,退職後,ジョーのうつ病はますます悪化した。

 96年8月17日早朝,ジョイスは,台所のテーブルの上に,夫ジョーが書き残したメモを見つけた。

1.君を愛している。
2.クリスとドナ(ナンシーの姉妹),そしてとりわけアンジーとミランダ(孫娘)を愛している。
3.まず警察に電話すること,車庫には入らないように……。

 知らせを受けて駆けつけた警察が,車庫で首を吊った夫の死を確認した。妻にショックを与えまいという配慮のもとに,箇条書きで遺書を綴るなど,いかにも完全主義者の夫らしかった。

 夫の自殺から2年後の98年秋,ジョイスは,進行癌と診断された。医師から,化学療法などで積極的に治療することを強く勧められたものの,ジョイスはきっぱり断った。99年3月,ジョイスは,娘クリスの腕に抱かれながら息を引き取ったが,最期まで,「自分の家で安らかに死ぬことができることの幸運」を感謝し続けたという。

この項つづく

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