医学界新聞


クルーザン家の悲劇(1)

連載

2007.02.19

  〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第102回

延命治療の中止を巡って(10)
クルーザン家の悲劇(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2718号よりつづく

 これまで9回にわたって,延命治療の中止を巡る米国での議論の歴史を概観してきたが,今回から,経管栄養中止の是非を巡って米連邦最高裁で争われた「ナンシー・クルーザン事件」について紹介しよう。

「ナンシー・クルーザン事件」とは

 ミズーリ州で,25歳の女性,ナンシー・クルーザンが,交通事故で車から投げ出されたのは1983年1月11日深夜のことだった。事故の原因はスピードの出し過ぎと推定されたが,救急車が到着したとき,ナンシーは車から10メートル以上離れた場所で,心肺停止の状態で発見された。蘇生処置が「成功」,心臓の拍動は戻ったが,少なくとも15分は心肺停止の状態にあったのではないかと見積もられた。

 「交通事故で重傷」との連絡に,家族はすぐに病院に駆けつけた。本人よりも先に病院に着いた家族は,救急車から降ろされた患者を見ても,それがナンシーだということを信じることができなかった。やがてストレッチャーの上の患者が,クリスマスに母が娘たちに贈った靴下を履いていることに姉が気づいた。ナンシーが本人とは信じられないほど変わり果てた姿になってしまった事実に,家族は,改めて事態の深刻さを思い知らされたのだった。

 緊急手術の後,状態は安定化したものの,ナンシーの意識が蘇ることはなかった。事故の1週後に「目をあけた」が,周囲の事物や状況を認識している気配はまったく見られなかった。

冷酷な診断

 事故からひと月後,経管栄養を容易にするための,胃瘻造設の手術が行われた。家族は,手術に先立ち,内容を一切読むことなくインフォームド・コンセントにサインした。当時はまだナンシーが回復するという希望を失っていなかったし,「医師が勧めることは何でもしよう」と決めていたので,出された書類には盲目的にサインすることにしていたからだった。その後数年間,このとき造られた胃瘻につながる経管栄養チューブが,文字通りナンシーの命を支える「生命線」となったが,ろくに書類を読みもせずに胃瘻の造設に同意したことが,その後,米国の医療史を書き換えるような事態に発展することになるなど,誰も夢にも思っていなかったのだった。

 胃瘻が設けられた後も,家族は,皆で話しかけたり,好きだった音楽を聞かせたり,「よかれ」と思うことはすべて続けた。しかし,ナンシーに意識が蘇る兆しは現れなかった。やがて,医師たちから,ナンシーの状態は「遷延性植物状態」であり,回復の見込みは一切ないという,冷酷な診断が告げられた。

 両親も姉も,懸命な介護を続けたが,事故から1年近く経った頃から,ナンシーの夫は病室に姿を見せなくなった。事故から1年後,法廷は,「ナンシーの法的後見人に指定してほしい」という両親からの請願を受け入れた。その半年後,ナンシーの夫の合意のもとに離婚が成立した。

父親の思いと家族の思い

 ナンシーの父親ジョーは,板金加工を専門とする建設工だったが,その一途な性格と「完全主義」で知られていた。ナンシーの病態についても完璧に理解しなければならないと,ジョーは持ち前の「完全主義」で,専門書や論文を読み漁るようになった。専門家にも直接電話で意見を求めたが,意見を求める相手は,医師だけでなく,医療倫理学者,宗教家,弁護士にも及ぶようになった。というのも,遷延性植物状態についての知識が深まるにつれて,「ナンシーが元気だったら,いったい何を望んでいただろうか?」という問いにジョーは取り憑かれるようになったからだった。ある日,意を決したジョーが,自分の心を占め続けていた思いを他の家族に打ち明けたところ,驚いたことに,ナンシーの母も姉も同じことを考え続けていたのだった。誰も,口にこそ出さなかったが,「ナンシーが自分で決めることができたならば,絶対に,経管栄養で生かされ続けることは望んでいなかったはずだ」と,同じ思いを抱いていたのだった。

 しかし,実際にナンシーの願いをどうかなえるかとなると,話は別だった。当時は,まだ,経管栄養の中止を拒否する医療者・医療施設が多く,経管栄養中止を巡る訴訟が起こされるようになったばかりの時代だった。ジョーは,マサチューセッツ州で,遷延性植物状態の夫から経管栄養チューブを外すことを認めてほしいという訴訟を起こしていた,パトリシア・ブロフィー()に手紙を書き送り,自分たちも法的手段に訴えるかもしれないと打ち明け,アドバイスを求めた。

 パトリシアは,すぐに返事を出し,ジョーを「悲劇が取り結んだ同人サークル」に迎え入れた。そして,ただアドバイスを書き送っただけでなく,ジョーもまた,すぐに他の家族から相談の手紙を受け取る立場になると,予言したのだった。

この項つづく

:パトリシアの夫,ポールは脳動脈瘤の破裂が原因で遷延性植物状態となっていた。84年12月,「経管栄養チューブを外してほしい」というパトリシアの要請を病院が拒否,裁判が始まった。86年10月,マサチューセッツ州最高裁は家族の主張を容れ,経管栄養チューブを外すことを認めた。ポールは元消防・救急隊員。常日頃,プロとしての立場から「自分が植物状態になったら延命処置は不要」と語っていたことが,家族の勝訴に貢献した。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook