医学界新聞

インタビュー

2016.03.21



【interview】

救命率向上を願って

岡田 和夫氏(日本蘇生協議会名誉会長)に聞く


 国内学会・団体の医療者からの協力を得て,『JRC蘇生ガイドライン2015』が完成した。『JRC蘇生ガイドライン2010』の監修委員長を務めた身としてもうれしく思う。近年の救急蘇生の研究において何が,どこまでわかっているのかが示された本書を多くの医療者に活用してほしい。

心肺蘇生の源流

 近代蘇生法の確立は1960年と言われる。Safarらが口対口呼気吹き込み法の効果を示したのが1955年。その5年後の1960年,Kouwenhoven,Jude,Knickerbockerらが閉胸式マッサージの有効性を報告。Safar,Judeらが,それら人工呼吸と心マッサージとを組み合わせるアイデアを提唱することで,「ABC法」が確立した。これが現在の救急蘇生の端緒である。欧州蘇生協議会は1960年を“蘇生元年”と位置付け,50周年以降は同会学術集会のプログラムに「Safar Memorial Lecture」と冠する特別講演を組み込むほどだ。いかに歴史的な出来事だったかを示す好例と言えよう。

 翻って当時の日本の状況を振り返ると,医療者の間でも心肺蘇生法への関心は十分なものではなかった。その中で先駆けていたのが日本赤十字社だろう。1950年代から,水泳での溺者救出のための応急処置を市民に教育・訓練するコースを設けており,不十分な形ながらも人工呼吸法が指導されていたという。そんな状態にあった日本で救急蘇生の認識が本格的に広まったのは,1964年の東京オリンピック開催によるところが大きい。各国から選手・観客が集まることが想定される中,医療者の間に「不測の事態に備えて心肺蘇生術を身につけなければ」という機運が生まれた。フランスで蘇生術を学んできた私にも講師依頼は相次ぎ,心肺蘇生が医療者に,そして社会へと認知されていく様を目の当たりにできた。

JRC設立と国際連携の構築の歩み

 現在,JRCは,RCAを通じてILCORに加盟している。日本の蘇生学の発展にはそれらを基盤とした国際的な交流が欠かせなかったと思うが,その体制を築くまでの道のりには苦労も多かった。JRCのILCORへの加盟のきっかけは,1998年にILCOR側から私宛てに送られてきた加入を勧める一通の手紙だった。日本に適当な窓口がなかったことから,ILCOR共同議長と面識のあった私を頼ったのだろう。そうした事情はともかく,日本でも海外の蘇生法に関する情報の窓口をかねてから求めていたのは事実であり,私はただちに厚生省(当時)や救急蘇生科学に関係する団体と調整を進め,2001年にJRC設立が承認された。しかし,「これでILCORに加盟できる」と思ったのもつかの間,急遽ILCORの定款改正により「複数の国家または地域からなる蘇生団体であること」という条件が付記されたため,JRC単独の加盟が直前になって頓挫してしまった。そこで,JRCからシンガポール,台湾,韓国に声を掛け,アジアの蘇生科学団体として「RCA」を設立する構想を提案。各国から理解を得られ,05年にRCAの立ち上げが成功すると,翌06年に晴れてILCORへの正式加盟を果たすことができた。回り道をしたが,結果的にはアジアが一つの地域としてまとまる契機となったので良かったと思う。

 国際的な組織に加盟したことで得られたものは多い。一つは,アジア地域を代表してJRCが国際コンセンサス作成に参画できるようになったことだ。それに伴い,最新の研究を反映させた日本版のガイドラインを,国際版と同時に発表できるようになった。また,国際的な交流を通し,蘇生科学の質向上が図られた。日本発のエビデンスがガイドラインに盛り込まれるようになったのも,無関係ではないはずだ。

エビデンスの創出を求める

 ここまで歴史的経緯を述べてきた。ここからは未来の話をしたい。新たなガイドラインが生まれた今,私が願っているのは一般市民への普及・教育である。医療者も社会への普及・教育に積極的にかかわり,市民に適切な心肺蘇生を広げていくことを通して救命率向上に結び付けてほしい。それと同時に,医療者には蘇生科学の飛躍的進歩を認識し,その質をより一層洗練させていく調査・研究の実施も求めたい。日本発のエビデンスは増えてきたものの,エビデンスの創出という点で海外に遅れをとっている状況は依然としてある。確かに蘇生領域は介入の効果を見るような研究は難しいし,ましてや大規模なランダム化比較試験を実施するとなると相当な工夫と努力が必要だろう。しかし,それらは現場を知る医療者にしか成し得ぬことである。その自覚を持ち,日本からも“evidence”を創出し,発信することを志してほしい。特に心肺蘇生は人命と密接にかかわるものだ。「人の命を救う」という,医療者に求められる大きな役割のために尽力してほしいのである。


おかだ・かずお氏
1955年岡山大医学部卒。60年東大大学院修了後,パリ大クロード・ベルナール病院(仏政府給費留学生),東大麻酔科助教授,帝京大麻酔科主任教授などを歴任。JRC,RCAの立ち上げでは中心的な役割を担った。2015年,日本蘇生協議会名誉会長に就任。日本Shock学会理事の他,国内の麻酔,蘇生にかかわる多くの学会の名誉会員を務める。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook