医学界新聞

対談・座談会

2016.02.15



【対談】

科学的根拠が変える教育と医療政策
津川 友介氏(ハーバード公衆衛生大学院 リサーチアソシエイト)
中室 牧子氏(慶應義塾大学 総合政策学部准教授)


 エビデンス・ベースト(EB)の思考が主流になっているのは,臨床医学に限らない。今,教育や医療政策の分野では経済学の手法を用いたEBによる政策立案が注目されている。

 「少人数学級に効果はあるのか」「良い先生とはどのような教師か」といった教育現場の疑問に対し,エビデンスを基に平易に解説し話題となっている『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者であり教育経済学者の中室氏は,教育の分野でEBによる政策立案を提言している。また,医療政策学者の津川氏は,医療政策にもEBの視点を取り入れるべく米国で研究に臨み,医療政策・医療経済学分野のエビデンスをブログ「医療政策学×医療経済学」で紹介している。本紙ではEBにいち早く注目している両氏による対談を企画。EBの思考が教育や医療政策に与えるインパクト,それをどのように政策へと反映させていけばよいかについて,日米の比較を交えながらお話しいただいた。


限られた資源で幸福度を最大化する

津川 中室先生の『「学力」の経済学』を拝読しました。自分の経験を元に皆が思い思いのことを言っている日本の教育界に,エビデンスの風を吹き込む素晴らしい著書だと思いました。

中室 ありがとうございます。

津川 特に興味深かったのは,「テストで良い点を取ればご褒美をあげる」よりも,「本を読んだらご褒美をあげる」ほうが学力を上げる効果があったという研究の話です。医療政策の世界でも,ペイ・フォー・パフォーマンス(P4P)といって,病院がガイドラインに則った治療法を提供する,または患者さんのアウトカムが良ければボーナスを与える支払い方式があるのですが,どちらも患者さんの予後を改善しないというエビデンスがあります。P4Pのボーナスの大きさが相対的に小さいからではないかとか言われていますが,ひょっとしたら子どもの学力と同じように,患者さんのアウトカムを良くしろと言われてもどうすればよいかわからない病院も多いのかもしれません。示唆に富む研究結果でした。

中室 医療政策と教育には共通する部分も意外とあるのかもしれませんね。津川先生は,なぜ医療政策の領域に関心を持ったのですか。

津川 臨床医として患者さんを診ていたころ,医療提供者と患者のニーズがどこかうまくかみ合わないことが多々あり,医療システムのゆがみに問題意識を抱いたからです。「医療政策にEBを持ち込むことが解決の道筋なのでは」と学びの場を求め渡米しました。

中室 私がEBに注目するようになったのは,世界銀行にエコノミストとして勤めていた2000年代です。ちょうどエビデンスという言葉が開発分野で一般的になり始めた時期で,特に教育や医療といった生活の「質」についての援助で強く意識されるようになっていました。財政赤字を抱えながらも発展途上国を援助する先進国が,援助の効果検証を自国民から求められるという背景があったからです。

津川 経済学はお金のことを研究する学問であるかのような誤解を受けることがありますが,実際は「限られた資源をどう分配し,人々の幸福度を最大化するか」を研究する学問ですよね。

中室 その通りです。教育や医療はお金の話を避けがちです。でもその発想は間違っていて,経済学の根底には,何かにお金や時間を使えば別のものには使えなくなるというトレードオフの原則があります。トレードオフがある以上は,根拠を持って費用対効果を示すことが必要になるのです。

津川 教育も医療も,限られた資源を有効活用する視点を持ち合わせることで,教育の達成度や健康を最大化する道が広がるでしょう。そのためにはEBによる政策立案が重要になります。

教育にエビデンスが必要とされるようになった理由

中室 エコノミストから大学教員となった私は,日本の教育政策が世界の潮流からあまりにもかけ離れていることに驚きました。政府のある有識者会議では,出席者個人の経験則のみによって意見が語られていたのです。

津川 その昔データがなかったころは,「行政は経験と勘と度胸」という“格言”があったと,私もある行政の関係者に聞いたことがあります。

中室 個人が自分の経験に基づき訴えることも重要ですが,今は科学的なエビデンスを用いて語ることが政策には求められているわけです。英国の経済学者,アルフレッド・マーシャルの言うWarm heartsとCool headsを持ち合わせなければなりません。

津川 教育では,どのような経緯でEBの必要性が生じたのでしょう。

中室 教育への政治的な介入を排すこと,財政難の中でも教育の質を高めることの2つの目的からです。1997年から貧困削減政策が始められたメキシコでは,セディージョ大統領が「政権によって教育への取り組みが変わるのはよくない」と大規模な「ランダム化比較試験(RCT)」を指揮し,EBによる教育政策を実行しました。

 また,2001年には米国ブッシュ政権下で「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act)」が可決されました。財政難を抱える中,政策にエビデンスがなければ予算をつけないと表明し,EBによる教育政策へと大きくかじを切りました。法律には「科学的な根拠に基づく」という文言がなんと111回も用いられたのが象徴的です。

津川 とことんエビデンスで議論していこうという潮流になったわけですね。

中室 そうです。ただし,私は全ての政策をエビデンスに基づいて決めるべきとは思っていません。障害のある子どもの教育にコストがかかるからといってそれをやめる理由はありません。

津川 「エビデンスは唯一の解ではない。あくまで政策立案のための判断材料」という位置付けは,医療政策でも同様に欠かせない視点ですね。

国民が納得できる政策なのか

中室 EBによる教育は近年日本においても注目されるようになりました。財政赤字を抱える日本では,限られた資源をどう効率的に使うかが問われているからです。しかし,教育政策の議論の中では「教育は数字では測れない」と発言する教育学者がいまだにいるのも事実です。間違いではないにせよ,それを言い訳にEBによる教育政策を進めないとしたら,納税者である国民に対して説明責任を果たせません。

津川 エビデンスは,どうお金を使うとどのような効果が出るかを,国民に納得できるように示せる有力な判断材料なわけですからね。

中室 昨秋出席した政府の行政改革推進会議・行政事業レビューでは,教育政策上の目標に「教員増」が掲げられたことに対し,「子どもの成果を教育政策上の目標にすべきで,教員の数を増やすことは目標にはならない」と反対の声が上がり,議論が紛糾しました。「人を増やす以外方法はない」と思考停止するのではなく,どうすれば効率的な資源配分ができるかをデータを基に考え,政策立案すべきなのです。

津川 政策の定量的な評価に当たっては,まず何を測定するかのアウトカムを決めなくてはいけません。医療なら健康やQOL,教育であれば学習成果でしょうか。全ての政策にはゴールがあるわけですから。

因果関係を明らかにすることを念頭に置いたデータ設計を

中室 その点,EBによる教育というのは,医学に比べ10年は遅れていると思います。

津川 確かに,ゴードン・ガイヤッ...

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