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第3129号 2015年6月15日


The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第24回】
ジェネシャリスト診断学 その1 ジェネラルに考える

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 診断とは,患者に起きている現象に対して相応する名前(コトバ)をつけてあげる作業をいう。その現象を時間で切れば「病歴」となり,空間で切れば「身体診察所見」となり,あるいは血液検査や画像検査所見となる。切り口はいろいろだが,それぞれのアプローチは病気という全体的で総合的な現象を部分的に説明したものだ。部分から全体を透かして見ることができれば,それが「診断」である。

 ジェネ“ラ”リスト的に診断を考えるとき,「蹄(ひづめ)の音を聞いたら,シマウマではなく馬を探せ」と言われる。これは標語である。そこにはいくつかのメッセージが込められている。

 例えば,頻度の高い病気に遭遇する確率は,頻度の低い病気に遭遇する確率より高い,とか。それってトートロジーじゃないか,というツッコミもあるかもしれない。もちろん,トートロジーである。標語とはしばしばそういうものなのだ。

 「シマウマを考えるな」ということは,「診断仮説を百花繚乱的に精査する方向に行くな」という戒めも内包している。発熱患者全員に家族性地中海熱の遺伝子検査をしたり,頭痛患者全員にMRIを撮ったりするのは面倒くさいし,コストがかかりすぎる。

 もしかしたら,頭痛患者全員にMRIを撮るというアプローチは,学問的には興味深いアプローチなのかもしれない。例えば,ひどい頭痛と白質の強信号の関連性は,このようなポピュレーション・ベイスドなアプローチから見いだすことができる1)。こういう知見は,逆算的にMRI所見からの頭痛診断に寄与するかもしれない。

 しかし,それは――つまり「寄与するかもしれない」ということは――,未来の患者にとっての恩恵の可能性を示している,という意味でしかない。言い換えるならば,それはリサーチ・マターなのである。そのような情報は目の前の患者には直接的には恩恵を与えない(可能性が高い)。

 目の前の患者に対する恩恵というのは,そのMRIを撮った場合と撮らない場合において,診療方針が大きく変わる場合において“のみ”に現れる恩恵だ。しかし,頭痛の治療は,MRI所見とは関係なく行われる。病気という現象の把握に「MRI所見」という新たな側面が加わっただけで,現象そのものの把握が変じたわけではない。

 患者に関する情報を何でもかんでも手に入れようとするアカデミックなアプローチは“将来の”医学の発展に寄与する可能性がある(寄与しない可能性もある)。しかし,そのアプローチが目の前の患者の恩恵に直接的に寄与しないのであれば,MRIという検査の原資を患者のポケットや医療保険から捻出させるのは倫理的に間違っている。

 医者の知的好奇心が悪いというのではない。ただ,そのような知的好奇心,学問的満足を患者から得るのであれば,「私はあなたの病気を使って私の知的好奇心を満たしたい。ひょっとしたらそれは将来の患者の役にも立つかもしれない(立たないかもしれない)」旨を当該患者に表明し,MRIという検査の費用は自らのポケットマネーか,その他の妥当な研究費から捻出するのが筋であろう。患者に了解も取らず,あまつさえカネまで払わせて自分(医者)の知的好奇心を満たすのは,はっきり言って詐欺行為である。

 もちろん,そのような百花繚乱的な精査から恩恵を受ける患者だっているだろう。「まぐれ」というやつだ。たまたま偶然,(発症初期の)家族性地中海熱が診断される可能性だってある。たまたま偶然,脳腫瘍が見つかる可能性だってある。ただし,そのような幸運に恵まれる可能性は極めて低く,ほとんどの検査結果は空振りになる。

 問題は,相次ぐ空振りがもたらす医者への心理的な悪影響である。ルーチンの検査が増えていくと,それらの結果を全て真剣にチェックし続けることはメンタル的に困難になる。空振りが増えればなおさらだ。ボクシングでも相手に当たるパンチよりも空振りのほうが疲れるのだ(だそうです)。神戸市立医療センター中央市民病院では,数年間で3万件以上の胸部X線写真がオーダーされていたが,そのうち500件近くは読影されていなかった。その中に「X線を見るのを忘れていたために」見逃されていた肺がん患者もいた2)

 プライマリ・ケアにおける診断アプローチの要諦は,「初日で全勝する必要はない」である。発熱初日に家族性地中海熱を診断する必要はない。頭痛初日に脳腫瘍を診断する必要もない。そんなことに拘泥しているとより大きな失敗が待っているのだ。

 最近のサッカーでは,前線からの守備が大事というが,前線で全てのボールを奪い取ろうとすれば,ヘトヘトになったフォワードはシュートを打つこともままならなくなってしまうだろう。「前線からの守備が有効なときだけ,前線からの守備をする」のが正しい態度だ(だから,メッシを「走らない選手」と非難するのは間違っている。メッシは動くべきとき“だけ”動けばよいのだから)。

 後医は名医である。言い換えれば,前医は名医ではない。それは必然的に,戦略的にそうあるべきなのだ。前医に必要なのは戦略的にシマウマを捨象し,戦略的に見逃す態度である。フォワードが“わざと”ボールを追っかけない場面があるように。「後医は名医」は現象を観察した表層的な文句ではなく,戦略的な覚悟の表明なのだ。

 そして,「前医は名医ではない」=フォワードが全てのボールを追っかけない戦略には,ちゃんとバックアップという担保が付いている。それが「後医」である。その話は,次回する。

つづく

参考文献
1)Kurth T, et al. Headache, migraine, and structural brain lesions and function : population based Epidemiology of Vascular Ageing-MRI study. BMJ. 2011 ; 342 : c7357. doi : 10. 1136/bmj. c7357.
2)北陸中日新聞2014年5月1日.中日新聞ウェブサイト.

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