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第3074号 2014年4月28日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第268回(最終回)

米スポーツ界を震撼させる変性脳疾患(8)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


3072号よりつづく

 前回までのあらすじ:2005年以降,元NFL選手におけるchronic traumatic encephalopathy (CTE)症例の蓄積が進み,「タウ蛋白病」として認知されるようになった。

 前回は,行動異常・人格変化・記憶障害に加えて,motor neuron diseaseがCTEの病態に含められるようになった経緯について説明した。CTEの「恐ろしさ」についての認識が進むと同時に,元選手が損害賠償を求めてNFLを訴える事例が続出,2013年8月時点で「脳震盪訴訟」の原告となった元選手の数は約4500人に達した。

 これまで何度も述べてきたように,90年代半ば以降,NFLは,脳震盪の危険性を過小に評価しただけでなく,CTEとの因果関係についても「全否定」する姿勢を貫いた。リーグ内に専門委員会Mild Traumatic Brain Injury Committee(MTBIC)を設置した上で,「脳震盪の危険はそれほど心配する必要はない」とする趣旨の学術論文を次々と発表させたのも,「損害賠償訴訟に備えて,自らに有利な『科学的』データを作成する」ことがその理由だったとされている。

「全否定」のNFLが姿勢転換した理由とは

 NFLの「全否定」の姿勢が変わるきっかけとなったのは,2009年10月に行われた下院公聴会だった。「脳震盪を繰り返すことがCTEの原因と証明した研究はない」と繰り返すNFLコミッショナー,ロジャー・グッデルに対して,民主党下院議員のリンダ・サンチェスが,「昔,議会の公聴会でタバコ企業の重役たちがその健康被害を否定し続けたのと一緒だ。(タバコ企業は否定し続けたことが裏目に出て莫大な賠償金を払う羽目に陥ったが)素直に脳震盪の危険性を認めたほうが,訴訟対策としても若者の健康を守るためにも得策ではないか」と,核心を突く批判を加えたのである。グッデルは「研究結果を尊重しているだけです」と反論したものの,サンチェスは「尊重しているのはNFLがした研究だけで,他の研究者がした研究は無視している」と鋭く切り返し,コミッショナーは面目をつぶされることとなったのだった。

 脳震盪とCTEについてのNFLの姿勢が180度変わることが明らかにされたのは,この公聴会の3週後のことだった。まず,「Dr. No」の異名を持ち,NFLの「全否定」の姿勢を象徴したアイラ・カッソン医師がMTBIC委員長を辞任,さらに,脳検体提供体制の構築・研究資金の寄付等,NFLとしてCTE研究に「全面協力」することが発表された。また,MTBIC発表論文第8報の結論に基づいて「脳震盪を起こしたのと同じ日に試合に復帰しても大丈夫」としていたポリシーを改め,「脳震盪を起こしたのと同じ日に試合に復帰してはいけない」とするルール変更も行われた。

 NFLが当初「全否定」の姿勢を貫いた最大の理由は「非を認めたら損害賠償訴訟で不利になる」とする「訴訟対策」にあったのだが,皮肉なことに,2009年の姿勢転換の理由も「訴訟対策」にあった。CTEのデータが蓄積されるとともに「因果関係」を否定することが難しくなる一方で,「全否定」の姿勢を貫いた場合,「NFLは危険性を知っていたにもかかわらず,選手を危険な目に遭わせ続けた」と,その「過失」の度合いが重くなる危険があった。賠償金額を低く抑えるためには,「全否定」よりも,「選手の安全を最優先に考える姿勢を鮮明にしたほうが得策」となったのである。

CTEへの恐怖を象徴した発言

 2013年8月,脳震盪訴訟についてNFLと原告の元選手たちの間に,損害賠償総額7億6500万ドルで「和解」が成立したことが発表された。賠償金額は,発症年齢(若年ほど高額),病態の重さ(ALS,アルツハイマー病,パーキンソン病は最高額),プレー年数等で等級が分けられ,一人当たりの最高額は500万ドルに設定された。NFLとしては,「全否定」を貫いた時期の「不利な証拠」が訴訟の過程で明るみに出た場合,懲罰的加算が行われて賠償金額が天井知らずに高騰する危険があった上,元選手たちにとっては速やかに賠償金を受け取ることができる利点があったことが,比較的短時間に和解が成立した理由とされている。しかし,14年1月,担当判事が「賠償金総額は7億6500万ドルだけで十分とする根拠が示されていない」として,和解案を承認することを拒否したため,現時点で脳震盪訴訟がどう決着するかは不明である。

 以上,8回に渡って,脳震盪等,軽微な脳外傷を繰り返すことの危険性が米社会で周知されるようになった事情を説明したが,CTEの「恐ろしさ」がどれだけ米国民に知れ渡っているかを象徴する発言が,14年1月27日号のニューヨーカー誌で紹介された。NFLにおける脳震盪問題について聞かれた際に,「もし自分に息子がいたとして,プロ・フットボールに進むことになったら,きっと反対しただろう」と,CTEに対する恐怖感を表明したのは誰だったかというと,米国大統領バラク・オバマだったのである。

 本連載は今回で終了いたします。長い間ご愛読いただいた読者の皆様に心より感謝申し上げます。

(了)

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