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第3023号 2013年4月15日


【寄稿】

デジタル・パソロジーの新潮流
MGH PICTセンターにみる病理の近未来像

福嶋 敬宜(自治医科大学教授・病理学)


 病理診断用に作製されたプレパラート(ガラス)標本の上には,膨大な情報が含まれている。病理医は,この中から先人たちが蓄積してきた知見や各人の経験をフィルターとして,病態の理解に有用と思われる所見を取り出し診断を行っている。Whole slide images(WSI)とは,バーチャルスライドとも呼ばれる病理組織プレパラート標本全体を高精密に高速スキャンしデジタル化したもので,本稿で紹介するデジタル・パソロジー(DP)の核となる技術である。そして今,WSIには,単にPC上で病理像を閲覧できるということにとどまらず,そこから派生するさまざまな展開に期待が集まっている(図1)。

図1 デジタル・パソロジーの全体像

 筆者は2013年3月,米国メリーランド州ボルティモアで開催された米国カナダ病理学会(USCAP)で北米でのDPの隆盛を感じた後,ボストンのマサチューセッツ総合病院(MGH)Pathology Imaging and Communication Technology(PICT)センターに立ち寄った。本稿では,そこで行われている最新の取り組みから考えた,DPのある病理の近未来像について述べる。

デジタル・パソロジーとは

 DPとは,病理診断材料のデジタル化・電子化を意味する。その中心技術であるWSIが,James W. Bacus博士によって開発されたのは1980年代後半のことで,2000年を過ぎたころから,本格的に教育や遠隔病理診断への取り組みが始まっている1)。病理学教育への利用については本紙(第2780号, 2008年5月12日発行)でも紹介した。

 病理形態情報はいったんデジタル化すれば,サーバーに置くことで遠隔地からもアクセス可能となる。これによって病理医のいない病院でも,複数の病理医が勤務する中核病院と提携し,遠隔術中迅速病理診断が利用可能になった。どの病院・施設でも増え続けるガラス標本の保存スペースに苦慮しているが,デジタル保存できるようになれば,その省力化は計り知れない。また,デジタル保存によって,より簡便に過去の情報を検索し病理像を閲覧できるようにもなり,病理診断の質向上にも一役買うことになるだろう。さらに,WSIを利用した病理診断そのものの標準化の試みや免疫組織化学の客観的評価などへの応用も進んできている。

MGH PICT センター

 MGHでは,2007年に病理部門内にPathology Informatics Divisionが設立され,臨床用病理情報システムの改善と画像の研究が始まった。そして2010年には,病理画像を扱う情報技術部門であるPICTセンターが,すでにこの分野で実績を上げていた八木由香子氏によって開設されている。これらの設立は,David Louis病理部門長の「デジタル・パソロジーの取り組みに乗り遅れれば,MGHの病理は衰退していく」との強い信念によってなされたという。そしてPICTセンターは,MGHの病理医,臨床医のみならず国内外の多くの関連企業からもその技術が認められながら着実に実績を上げてきている。

 PICTセンターの取り組みは,大きく2つに分けることができる。1つは,DPの発展をより確実にし,実際の病理診断業務に導入していくための技術的課題,問題点の解決である。病理診断の全体の流れを考えると,手術で摘出された検体の肉眼病理から検体のバーコードなどによるトレーシング,標本作製,診断,レポーティングまでがその対象となる(図1)。もう1つは,先駆的なデジタル技術開発を行い,これまでの病理学の発展や新たな展開につなげようとするものである。

 今日,わが国でもWSIを導入している施設が増えてきているため,その有用性だけでなく,スキャン速度・精度,簡便性,ピントの正確性,閲覧時の操作性など,より細かな課題や問題点がよく話題に上る。PICTセンターでは,各企業と共同して,一つひとつそれらの課題解決に取り組んでいる。例えば1つのディスプレイに複数のメーカーのWSIを横並びに映し出してみると,同じ標本をスキャンしたものであるにもかかわらず色合い,明るさ,シャープさなど,その違いは一目瞭然である(図2)。このような検討から,PICTセンターでは複数のカラーを乗せたキャリブレーション用スライドを作製し,企業や他施設に有償で提供するなどしている。

図2 同じ標本のWSIでも,ディスプレイに並べて見ると違いは一目瞭然。

 画像閲覧の操作性については,ソニーが開発中のPlayStation®3のワイヤレス・コントローラーを用いた斬新なシステムを共同で実験している(図3)。これを用いれば,ほとんどの人が数分以内で操作可能になるとのことで,筆者も試してみると自分の見たいところに自分に合ったスピードで移動し,拡大縮小の動きも極めて心地よいものだった。同様のタイプの片手操作用のコントローラーも開発されれば,より需要が高まるのではないだろうか。

図3 操作に使うPlayStation®3のワイヤレス・コントローラー
左:コントローラーでWSIを操作中の八木由香子センター長。
右:コントローラーの拡大写真。

 新たな技術の開発・発展としては,3Dイメージ構築やデジタル染色などが興味深い。200-300枚の連続切片標本(自動薄切装置で行う)のWSIをコンピューター上で再構築し3D化することで,組織形態の立体的な構造異常などを見ることができるようになる。現在,心移植検体の評価やがん腫の組織亜型の特徴解析がMGH内での共同研究として進められている。デジタル染色は組織コンポーネントごとのスペクトルの特徴を利用してデジタル的に色を付けるものだ。デジタル・トリクローム染色など特殊染色のいくつかはすでに可能である。これは染色の標準化や失敗した染色の補正も可能にする。

 このほかにも,標本内の目的の構造物(例えば,肝臓脂肪化,好酸球浸潤程度)の客観的測定などの病理画像解析,分子病理との画像統合,途上国における遠隔病理診断支援,国際協力などPICTの活動は多方面にわたっており,数人の研究員が日夜研究に励んでいた。

デジタル・パソロジーの展望

 今後MGHでは,まず過去の病理組織標本をすべてWSI化した上で,将来的には全標本のデジタル化をめざしているとのこと。それと並行して行われるさまざまな取り組みも期待される。遠隔診断や情報デジタル化の動きは日本国内でもすでに耳にしており,本格的なDP時代の到来を感じることができるが,機器選定,システム構築やセキュリティ確保など米国の5分の1程度といわれる日本の病理医数だけで行っていくには困難も多い。

 さらに,WSIから始まる今後の展開を考えるとDPの導入は,単に病理学分野の中だけで検討すべき問題ではなく,特にわが国の場合は,がん診療,地域医療などを支える病理診断環境の整備とともに医療政策などの中でもその方向性が議論されるべきものと考えられる。

 MGHおよび同PICTセンターの素晴らしさは,技術はもちろんだが,その先進的なビジョンにこそあるといえるだろう。

※DPの情報提供および,実際の研究現場を見学させていただきましたMGH PICTセンター長の八木由香子氏に,深謝いたします。

文献
1)Weinstein RS, et al. APMIS 120: 256-75.


福嶋敬宜氏
1990年宮崎医大(現宮崎大)卒。国立がんセンター中央病院(当時)医員,米国ジョンズ・ホプキンス大研究員,東医大講師などを経て,06年東大大学院准教授。09年より現職。WHO消化器腫瘍分類作成委員,『Pathology International』常任編集委員。編著に『臨床に活かす病理診断学(第2版)――消化管・肝胆膵編』(医学書院),『その「がん宣告」を疑え』(講談社)などがある。