医学界新聞

寄稿

2013.03.11

【投稿】

海外の大学院博士課程で基礎医学を学ぶ

杉村 竜一(ストワーズ医学研究所)
若林 健二(インペリアル・カレッジ・ロンドン)


 2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授のコメントに,「若手医師に医学研究をしてほしい」とあったのは記憶に新しいのではないでしょうか1)。日本人医師の研究留学というと,ほとんどの方は大学院修了後のポスドクを思い浮かべると思います。実際,米国の医学・生命科学系の研究に携わる日本人ポスドクは約4000人ですが,これに対し日本人大学院生(PhDプログラム)は260人と報告されており,ポスドクに比べ10%以下なのが現状です(National Science Foundation 2009調べ)。

 本稿では,ポスドク留学とは別の選択肢として,私たちのフレッシュな経験に基づき,海外大学院で始める基礎研究留学を紹介したいと思います。

海外の大学院留学について

■米国の場合(杉村)

1.医学部卒業後の大学院留学
 私は医学部卒業直後に,研究留学という道を選択しました。米国でのPhDプログラムは,一般的にPI(Principal investigator)とコンタクトをとるところから始まります。メールでCV(履歴書)を送付し,PIとインタビューを行い,入学が決定します。それまでの研究経験と興味・相手の研究室の内容を擦り合わせた研究計画をいかにして提案できるかが最も問われました(留学準備については本紙第2890号「基礎医学で米国留学,3年目の振り返り」,もしくは書籍2)をご参照ください)。

2.中間試験まで
 私が在籍するストワーズ医学研究所では,大学院1年目を「probationary period」と呼び,新しいラボになじむ期間となっています。即戦力になることが求められ,半年おきのcommittee meeting(進捗状況審査会に当たる)で知識不足が露呈すると,その都度対応するコースの受講を要求されます。また,この間に研究計画書を書き,予備実験のデータを基に1年後の中間試験に備えます。私の所属するプログラムを含め,落第率は一般に約10%ですが,通常は問題なくこなせます。プレゼンテーションと口頭試問より成る中間試験は2日間で行われます。初日に自分のプロジェクトに関する2-3時間のプレゼンテーションと質疑応答。2日目に知識の口頭試問が2時間ほど行われます。

3.中間試験から卒業まで
 中間試験をパスすると,博士研究を完成させるために数年間ラボで実験にいそしむことになります。教授陣はまるで新歓期間が終わった体育会系の部活のような変貌をとげ,半年ごとのcommittee meetingは大変厳しいものになります。自信満々に出したデータを"I can argue with your data"と毎回教授陣から一蹴され,データ解釈のロジックと過去の文献との関連性を問われます。すべての実験に明確なネガティブ・ポジティブコントロールと,その実験を行った根拠が要求されます。「とりあえず実験してみた」など言おうものなら,サイエンスに背信する行為のように見なされます。サイエンスとは先人たちから脈々と受け継がれてきた知見の蓄積に貢献するものであって,荒唐無稽な思いつきでは進展しないと叩き込まれます。

 私もここでの経験を踏まえ,がむしゃらに実験を続けるのでなく,根拠を重視することで前進を感じられるようになりました。今から考えると最初の2年間のトラブルシューティングを通して,筋道立てて実験系を構築する経験を積んだことで,その後の大きな成長につながりました。

 4年目に原著論文一報とthesis(学位論文)を提出し受理され,thesis defense(学位審査)を受けました。Thesis defenseは1時間の公開プレゼンテーションの後,2時間以上にわたる非公開の口頭試問から成ります。口頭試問は学内・学外各1人の審査員を相手に1対2で行われます。ここでthesisの大幅な記述の追加・書き直しが命じられ,数か月後に再提出してようやくPhDが授与されます。

■英国の場合(若林)

 私は臨床を行うなかでトランスレーショナルリサーチへの興味を感じ,研究留学を志しました。

1.臨床医からの大学院留学
 私が修了したpart time PhDというシステムは英国独自のもので,大学において長期間の研究スタッフ(通常リサーチ・アシスタントもしくはテクニシャン)の契約を得た際に,従事している研究プロジェクトの内容を用いてPhDを取得する制度です。学費は免除される上,給料も支給されるので大変人気の高いプログラムです。最近ではpart timeの学生にも少額の学費が発生しているようです。近年の一番の問題は厳格化したビザの関係で,EU外の学生の長期間の契約取得が難化していることです。

 なお自費留学の場合は,日本人対象の奨学金が多くあります3)。また,留学先の国や大学によっては,特有の奨学金4)を提供していることもあります(締め切りが早く,留学開始1年前に申請書を書く必要が多いことに注意)。奨学金の申請に限らず,PhDは貴重な4年間(時にはそれ以上)の時間の投資ですから,準備は1-2年以上掛かると考えて,早めかつ綿密に始めることを勧めます。

2.中間試験まで
 英国の大学院ではいくつかの関門があり,まず入学後3か月以内に研究計画を提出する必要があります。期間内に終わる現実的かつ具体的な計画をここで提出します。次にskills developmentのコース(本学では,半日から1日のコースを4-6程度取得することが求められる)を受講した上で,1-2年後をめどに中間試験が行われます。この試験では,一般的にA4数十ページの修士レベルで求められるレポートと1-2時間の口頭試問を通して,今までの成果と将来計画が問われます。中間試験は内部審査とはいえ,評価は公平かつ厳密であり,博士課程の厳しさを垣間見ることができました。

3.中間試験から卒業まで
 中間試験が無事に終わると,その後の2年程度はさらに研究に打ち込み卒業をめざします。英国では,卒業条件に論文発表は不要ですがthesisが重要視されます。学生はthesis執筆に専念するため,卒業予定の1年前をめどにすべての実験を終了させます。

 本学の例を紹介すると,thesisは10万語(参考文献含まず)を最大限として,本文だけで200ページ(参考文献は300-700程度,合計300ページ)以上の分量が要求されます。中でも,introductionに力を入れる必要があるのが格式を求める英国thesisの特徴で,研究プロジェクトの実施に至る背景について,体系立てて100ページ前後にわたる論述を行います。実験データの部分についても,discussionは通常の研究論文よりも包括的で詳細な議論(提示したデータをすべて説明し尽くす)を要求されます。このような長大なthesisを仕上げるためには現地の学生でも数か月以上は掛かります。結果として学生はPhD thesisを優先するため,しばしば原著論文をPhD取得後に仕上げることになります。

 家や図書館などに引きこもる生活を経てようやくthesisを提出すると,数か月後にPhD vivaもしくはthesis defenseと呼ばれる口頭試問があります。審査員は学内・学外(しばしば国外)から一人ずつ呼ばれます。学外審査員はその領域の専門家として,科学的に細かい部分を追究します。口頭試問では指導教官は立ち会わないことが原則で,審査員と密室で2-4時間の真剣な議論を行います。これが無事に終わるとお祝いですが,まず間違いなくthesisの訂正を求められます。数日で終わるものから年単位で掛かる訂正までありますから,まだ気は抜けません。

大学院留学のメリット

 大学院留学の最大のメリットは,サイエンスと英語の厳密なトレーニングを受けられることだと思います。米国のcommittee meetingや英国のthesisのように,濃密な経験ができます。経済面でも日本より待遇が恵まれている代わりに要求水準は高く,徹底的に研究の基礎を叩き込まれます。無事に生き残って修了できた後は,大きな達成感がありました。

 ポスドク留学でもフルタイムの研究に従事できますが,ポスドクは既に基本トレーニングを終えたものとしてある程度行動や意見を尊重され,徹底的に訓練される機会は少ないようです。

医学研究を志す方へ

 本稿の執筆に先立ってインターネットで医師の大学院海外留学に関する情報を検索したところ,「コネクションがなければ日本人は無理」「お金がないと無理」といった誤解が多く見つかりました。私たちが一番に伝えたいのは,医学部出身者でもやる気と労力を惜しまなければ,大学院留学は可能ということです。願わくばこの記事で大学院留学という選択肢とその魅力をお伝えできたのならば幸いです。


1)山中教授「若手医師は医学研究を」 授賞式前に会見.日経新聞電子版,2012年12月7日.
2)カガクシャ・ネット著,山本智徳監修:理系大学院留学――アメリカで実現する研究者への道.アルク社,2010.
3)助成財団センター大学病院医療情報ネットワークが網羅的なリストを作っており,奨学金検索に有用。
4)ドイツ学術交流会グラクソ・スミスクライン国際奨学基金など。


杉村竜一氏
2008年阪大医学部卒。同年より大学院留学。米国ストワーズ医学研究所PhDプログラムで造血幹細胞の基礎医学研究に従事。12年修了。現在はWntシグナルと造血幹細胞の研究を展開中。細胞の多様性を中心に多臓器連関の解明をめざしている。日本人理系大学院留学生の会カガクシャ・ネット副代表,医学分科会代表。
E-mail:rsu@stowers.org

若林健二氏
2002年東京医歯大医学部卒。5年間の小児科臨床研修の後,07年より英国インペリアル・カレッジPhDプログラムに在籍し,急性肺傷害の基礎医学研究に従事。12年修了。将来はトランスレーショナルリサーチに携わる小児集中治療医をめざしている。カガクシャ・ネット副代表,ヨーロッパ代表。
E-mail:k.wakabayashi@imperial.ac.uk

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook