医学界新聞

連載

2012.03.05

ノエル先生と考える日本の医学教育

【第23回】 新しい医学教育のパラダイム(1)

ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(北海道大学医学教育推進センター 教授)
松村真司(松村医院院長)

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2964号よりつづく

 わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。

 本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。


松村 今回からは,本連載の最終シリーズとして,これからの社会における新しい医学教育のパラダイムについて考えていきたいと思います。

 加速する少子・高齢社会,科学技術の進歩に伴う倫理問題,増加し続ける医療費の費用分担の在り方,貧困などによる医療アクセスの格差,国境を越える疾病への対策など,現在の医療はさまざまな問題を抱えています。変化し続ける社会のなかでは,医学教育もまたそれに合わせて変わっていかなければならないと思いますが,ノエル先生はどのようにお考えですか?

変化が求められる日本の医学教育パラダイム

ノエル その通りだと思います。ただ日本の医学教育パラダイムを,既にある例えば北米や西欧諸国のパラダイムに近づけるだけでは不十分でしょう。というのは,それらの国の医学教育モデルもまた,それぞれの経済状況などの条件に合わせて変化しているからです。今日,多くの国で健康保険,年金などの社会保障を提供することが困難になってきています。また,高齢者と移民の増加という,二重の問題を抱える国が多くなっていますが,このような問題への解決策はいまだどの国でも見いだされていません。

松村 そうした問題を解決する上で,日本の医学教育は,どのようなことに早期に着手すべきでしょうか。

ノエル 私はこれまで日本の医学部や研修病院を訪問したなかで,「優秀な医師となって患者に最良の医療を提供したい」と熱く語る,やる気に満ちた若者たちに出会いました。しかし,こうした未来の医師たちへの教育方法は,いくつかの重要な点で欧米と異なっており,課題があると考えています。

 多くの欧米諸国では,大学教育を終えるか他の社会経験を積んだ者が医学部の選抜対象となります。特にカナダと米国では,医学部志望者にはボランティア経験や医療分野における医師以外の職種での勤務経験が求められます。そうした経験により,医師になることの意味や,他の医療職の役割に対しより正しい理解が得られるからです。また,利他主義や医学を学ぶことへの熱意を示すことが医学部志望者には求められます。

 彼らには高校卒業後,気持ちを緩める余裕はありません。医学部に入るためには,大学在学中に猛勉強が求められ,医学部入学後も自然科学の基礎知識や社会生活上の振る舞い,現代の医師が抱える問題への理解が正しく養われているか入念に観察されます。臨床実習では,研修医と同様に患者の診察を行い,病歴を取り,症例のプレゼンテーションを行い,カルテを書いてオーダーを出します。学生でも,担当した患者に関するあらゆることを知っているはずだと見なされるのです。

 このような違いは,日本の医学生が外国の研修に応募することを困難にしています。結局のところ,日本が独自のシステムを採用している理由には,日本の医学教育が長年にわたって変化しておらず,寿命という物差しにおいて日本の医療が非常に良い結果をもたらしてきたことにあるのではと思います。

大滝 日本独自のシステムが問題の解決を妨げているのですね。

ノエル はい。私の考えでは,どんな職業でも世界中の知識や手法を取り入れハイブリッド化することが進歩には重要だと思うのです。ハイブリッド化によって,他の成功例や失敗例を参考にすることができ,改善し続けることができます。1950年代の日本が,もし設計や技術を他の国から学んでいなかったら,優れた工業国とはなり得なかったでしょう。同じように医学教育でも,オックスフォードやボストンなどで訓練を受けた日本人医師が異なる考え方を日本に持ち帰れば,さまざまな視点で違った試みができるのではないでしょうか。

松村 さまざまなモデルを参考にハイブリッド型のモデルを作る,という柔軟性は明治以降の私たち日本人が得意としてきた部分ですね。

日本が直面する社会の変化とは

ノエル もう一つ,これからの医学教育には,そのパラダイムを社会の変化に適合させていくことも必要です。

 北米や西欧諸国では,臨床や医学教育に携わる女性の割合が,男性を上回る状況も出てきています。そうした状況では,「医師は際限なく働くべし」という古いパラダイムの要素のいくつかを,生物学的な現実を前にして放棄する必要がありました。また,疲労しきった学生や研修医,臨床医は患者に害を与えやすくなるというエビデンスもようやく受け入れたのです。

 19世紀末から2000年ごろまで君臨し続け,全米の医学部の模範となってきたハーバード大やジョンズ・ホプキンス大などのかつての医学教育モデルは,新たな現実に対処しきれませんでした。代わりに医師の疲労とミスを減らし,より良い学びの場を設け,男女が等しく子育てに参加できる新しいモデルに変化しつつあります。米国では,このようなパラダイムの変化を受け入れ,新たなモデルを構築したのです。

 一方日本では,日本の臨床医や基礎医学者がその知識や手法を他国とやりとりする機会や,他国が日本から学ぶ機会を増やそうとしていますか? 研修や診療の在り方を変え,医師の健康や生活に焦点を当てて,他業種の人々とも交流できるゆとりのある暮らしを可能にしていますか? 知識と経験を積み,他の学問を修めた学生を選抜するほうが有用だと少なくとも何校かの医学部は考えていますか? 日本の医学教育は,そのようなパラダイムの変化に直面していると私は思います。

時代とともに変わりゆくパラダイム

松村 連載途中に,東日本大震災という社会に大きな変化を与える出来事を経験しました。震災以降,私たちは日本という国の「在り方」を深く問い直すようになってきましたが,日本という国のトータル・デザインを行う上で,これからの医療を考えることは避けられないでしょう。ノエル先生は,このように変動する社会の中で,医学教育はどのような役割を果たしていくべきだと思いますか。

ノエル 私は日本で講演を行うとき,次のことをいつも強調してきました。

変化を避けることはできない。
医学部教員や臨床医,患者自らが,新しいパラダイムを採用することは困難。
変化を奨励し,かつ変化を制御することが医学界のリーダーたちの責務。

 医学教育のパラダイムは,100年以上にわたりゆったり変化をしながらも安定していたのですが,その後は極めて劇的な再構築を経験しています。社会は時代とともに確かに変化していきます。旧式のパラダイムの崩壊は,いったん始まると半端なものでは収まらないでしょう。

 例えば,現役医師の半数を女性が占めるようになった西欧諸国では,男女ともに仕事と家庭の両立を望みますが,それはとりもなおさず,家庭の築き方,医師の配置方法,診療の分担方法のすべてを新しくすることにつながります。そうした新しい体制を採り入れない非効率な診療現場は,ますます閉鎖に追い込まれるでしょう。

変化のなかで求められる研修医の能力保証システム

ノエル これまで述べてきたように,欧米には,例えば米国のACGMEのような医師の研修方法について議論する組織や委員会があります。そこでは次のようなことが議論されています。

小児外科医が満たすべき基準とは。
消化器内科の研修には,最低何人の患者を診察し,どのくらいの期間をかけることが必要か。
研修医が十分に安定した能力を有することを,試験の結果以外でどうやって保証するか(全科共通)。

 もちろん,これらの基準は常に変化します。そしてその変化は,医学部教員と臨床医が互いに新しい基準に納得しなければスムーズには進みません。

 ここでお聞きしたいのですが,日本はどの研修医も十分な能力に到達したと保証するシステムが,現在機能していますか? つまり,日本のどの地域でも,科学的な裏付けのある標準治療が受けられることを保証する研修医教育の期間・内容・結果が示され,医学部教員と一般の臨床医が診療の継続的な改善について話し合う場があり,質の良い医療を保証する医師の能力に関する情報を提供できる体制が整っているか,ということです。

松村 卒前や卒後研修,各専門医などにおける到達基準は,以前よりはるかに整備されてきています。また,研修医の能力や提供される医療の質の保証についても,さまざまな努力が始まっています。ただそれが現在,そして未来の日本国民が必要とする水準に合致したものか,そして多くのステークホルダーがこのことを広く議論する場があるのか,という点は不十分かもしれません。また,市民への情報の提供という点では各方面のいっそうの努力が必要だと思います。

大滝 これまでにも話題に上りましたが,新たなパラダイムに対応するなかでは医師としての在り方,最近よく用いられる言葉では「プロフェッショナリズム」の教育が,さらに重要になると感じています。端的に言えば,新たなパラダイムのなかで,医師が患者や社会から信頼され尊敬され続けるには,どのような教育や活動が大切なのかを検討し続ける必要があるのだと思います。

つづく

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