医学界新聞

連載

2011.12.19

高齢者を包括的に診る
老年医学のエッセンス

【その12】
Right Thing to Do in Geriatrics?――高齢者への事実告知

大蔵暢(医療法人社団愛和会 馬事公苑クリニック)


前回よりつづく

 高齢化が急速に進む日本社会。慢性疾患や老年症候群が複雑に絡み合って虚弱化した高齢者の診療には,幅広い知識と臨床推論能力,患者や家族とのコミュニケーション能力,さらにはチーム医療におけるリーダーシップなど,医師としての総合力が求められます。不可逆的な「老衰」プロセスをたどる高齢者の身体を継続的・包括的に評価し,より楽しく充実した毎日を過ごせるようマネジメントする――そんな老年医学の魅力を,本連載でお伝えしていきます。


症例1】 91歳の虚弱高齢女性Sさんは,家庭を顧みない夫に代わって3人の娘を立派に育て上げた鎌倉の専業主婦。独居が困難になった6年前から介護付老人ホームに居住しており,娘たちが日替わりで訪問するほど愛されている母親である。実年齢より10歳以上も若く見え,認知機能も比較的維持されている。1年半ほど前,悪性黒色腫が発症した左第一指を切断治療したが,最近になって転移性肺腫瘍が見つかった。娘たちは「治療法があるわけでもないし,母親には転移の事実を知らせずにいたい」と切望している。

症例2】 妻に先立たれた老人ホームに入居している86歳男性Kさんは神経線維腫症で全身に大小の皮膚腫瘤がある。元来内向的な性格であり,最近ではうたた寝をしているかテレビを見ているかで,話しかけても無視することが多い。診察や検査に非協力的なため認知機能の評価は困難であるが,時々テレビのバラエティー番組を見て笑っているところを見ると中等症以上の認知症はなさそうである。最近,不幸にもKさんの長男が胃がんで亡くなった。代わってキーパーソンとなった長女は「父親はひどく悲しむだろうから,兄の死を伝えたくない」と言っている。

高齢者に悪いニュースを伝えるべきか?

 虚弱高齢者への事実告知,特に悪いニュースを伝えることの是非を問う2症例を紹介した。この問題は世界的にも大きな話題であり,文献によるとイタリアやフランスのほかアジア,中南米,中東などの国々では告知を控えたほうがより人道的であり倫理的であるという風潮が強く(JAMA.2001 [PMID:11743841]),その理由として特にアジアの国々では儒教の影響が強いとする説がある(J Med Philos.2004 [PMID:15371186])。日本では過去に,若年患者に対してもがんなどの悪性病名を告知せずに抗がん薬その他の治療がなされた時期があったが,現在では医学の進歩や情報の普及などにより,そのようなことはなくなった。しかし高齢者に対しては,認知機能障害による理解不足(不能)や悪いニュースを聞くことによる精神的ショック,特に対処法がない場合の脱力感や生きる希望の喪失等の理由から,事実の告知を控えられることが多い。

二つの道徳理論

 前述の,それほど認知機能低下がない(と思われる)二人の虚弱高齢者に,家族が反対しているからと言って,それぞれの人生にとって重要な事実を知らせなくていいのかと悩む日が続いていた。ちょうどそのとき,政治哲学者マイケル・サンデル教授(米ハーバード大)の実際の講義を収録した「ハーバード白熱教室(Justice with Michael Sandel)」がテレビで公開され,その最初の講義の中で,二つのmoral reasoning(道徳理論)が紹介されていた()。

 サンデル教授が提唱する二つの道徳理論

 一つ目は,Consequentialist moral reasoning(結果主義的な考え方)で,ある行動をとった結果,事態がよくなるような行動が正しいとする考え方である。逆によい結果を生まない(生まなかった)行動は道徳的に正しくないのである。前述の2症例の場合,結果主義論者の立場に立てば,虚弱高齢者を抑うつ状態にし,生きる望みをなくしてしまう可能性のある厳しい事実を告知することは道徳的に正しくない行動となる。

 二つ目はCategorical moral reasoning[無条件的(定言的)な考え方]であり,これは行動の結果いかんにかかわらず,行動そのものが持つ本来的な性質によって,無条件に道徳的正しさが規定されるという考え方である。症例1ではがんの転移,症例2では長男の死という厳しい事実を告知することによって高齢者は悲嘆に暮れるかもしれない。しかし生きている以上,自身の体に起こっている悪い病態や,親として愛するわが子の死という悲しい現実を知ることは,無条件に実行されなければならない人間の権利であり義務であるという考え方である。サンデル教授はここで注意すべき点として,自分の"正直・誠実でありたい"という欲求を満たし,モヤモヤした気分を解消するために事実を告知するような場合,それらがいかに内的動機に基づくものであっても,ある結果を期待したものであればそれは結果主義的な考え方に基づく行動であり,無条件的なものとは区別されるべきことを指摘している。

症例続き】 二人に事実を告知するか否かに関しては,それぞれ多職種間ミーティングと家族面談で議論した。筆者からは,いずれの事実も本人に知らされるべき重要な情報であり適時のタイミングでの告知を提案した。また事実を知った本人が,それを隠していた周囲に対して大きな不信感を持ち得る懸念や,告知後のスタッフ全員での精神的なフルサポートの提供にも言及し,告知をさらに勧めた。両家族とも,家族内でのさらなる検討を約束してくれたが,Sさんは数週間後に状態が突然悪化し,家族とスタッフに囲まれて息を引き取った。現在でも息子の死を知らされていないKさんは普段どおりの生活を続けている。

もう一つのScience vs. Art

 高齢者医療の現場では,対応に困る前述の症例のような場面によく遭遇する。医療決断分析を含むEBMはどちらかというとConsequentialist moral reasoningの立場であり,良質のエビデンスが少なく,患者の意向が汲み取りにくい高齢者医療の現場ではその効果を発揮しにくい。胃ろう・人工栄養をはじめとする延命治療や認知症告知の問題,終末期における緩和ケアなど高齢者医療ではもっとCategorical moral reasoningの導入を検討すべきだろう。

米国の充実した告知後ケア

 米国の65歳以上の高齢者が加入する公的医療保険Medicareでは,余命6か月未満と診断された患者に対してHospice benefits(ホスピスプログラム)を提供している。具体的なサービスには医師や看護師,ソーシャルワーカーが提供するものに加えて,介護サービスや牧師によるスピリチュアルケア,心理療法士による悲嘆カウンセリングもあり,事実告知後の医療や介護,社会サービスは手厚い。またこれらのサービスは安価(または無料)で病院,老人ホーム,自宅などいかなる場所でも提供される。終末期緩和医療促進による医療費抑制という医療経済上の事情も垣間見えるが,一般的に米国の高齢者終末期ケアは充実している。

 日本が告知に対して後ろ向きなのは,告知後の身体的精神的ケアが充実していないことも一因だろう。

地域で積極的な高齢者ケアを

 日本が今後,超高齢社会を突き進む中で,人生の最期を病院で迎える人が相対的に減少し,在宅や施設での看取りが増加すると予測されている。虚弱高齢者の医療や介護に断片的にかかわることしかできない医療施設よりも,継続的にかかわっていける地域社会こそが,多くの悪いニュースに日々耐えている虚弱高齢者のケアに積極的に携わるべきである。

「高齢の母親に本当のことを伝えるべきか迷っています……」
「お母さんに事実をお伝えしましょう。心配無用ですよ,あとは皆で全力でサポートしますから」

 このような会話が自然に行われる地域社会の到来を切望している。

つづく

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