医学界新聞

2010.07.26

MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


多飲症・水中毒
ケアと治療の新機軸

川上 宏人,松浦 好徳 編

《評 者》穴水 幸子(慶大精神神経科)

精神科治療者の真摯な姿勢を示す良書

 水のような本である。『多飲症・水中毒――ケアと治療の新機軸』という題名の通り,至極当然のように水と身体のかかわりのことが書かれた本なのではあるが。ブルーと白の2色のシンプルな美しい装丁で飾られ,さっぱりとした筆致で書かれて大層読みやすい。しかし読者はその美しさに惑わされ,ふわりと読み流してしまってはいけない。本書には,多飲症に罹患した人々が示す,水への飽くなき要求と依存,あるいはその経過中に訪れる激しい消化器症状,失禁,低ナトリウム血症,神経症状,意識障害,けいれん発作,昏睡という身体症状が描かれている。本書は疾病に真正面から向かい合うタフでハードな治療記録でもある。

 水中毒は,精神科臨床医療では治療の中で,身体管理上,最も苦慮する病態の一つである。本書をひもとくと,ヒトの身体における水の在り方をあらためて意識させられる。

 第1部「多飲症・水中毒についてのQ & A」,第2部「実践編」,第3部「知識編」と3部構成になっており,水中毒の疾患を治療した経験のない医師やスタッフや医学生にも理解しやすい。「知識編」にある人体と水のバランスを例に挙げよう。ヒトの体重の約60%が水分であり,さらにそのうちの3分の2が細胞内液で,3分の1が細胞外液である。そしてこの水分バランスを一定に保つために,浸透圧受容体と圧受容体の変化は神経伝達を介してモニターされ,随時調整が行われている。あらためてヒトの身体における水との切っても切れない睦まじい関係性をみるような心持ちがする。しかし,いったんこの睦まじさが壊れたとき,水中毒という特殊な病態を呈するのである。

 編者らが勤務する山梨県立北病院以外でも,慢性期の統合失調症入院患者さんたちを治療している精神科病院においては,高い頻度で水中毒患者に遭遇する。深刻な水中毒の症状にスタッフは慌てふためき,「どう症状に対応し,介入し,治療していけばよいのか」と難渋するところである。編者らも水中毒治療に葛藤した時期もあったであろうと推察される。なにせ治療者が「水を飲むと倒れるぞ,飲み過ぎるな」と真剣に患者に諭し,水から脅迫的に遠ざけようとすればするほど,そうした人は水を求めるものだから。

 編者らの山梨県立北病院では,患者らが看護室で水を飲むこと(申告飲水)を第一義的に重要な行動変容ととらえ,多少水を多く飲んでしまっても,見えないところで水を飲む(隠れ飲水)より病態経過は好転しているととらえている。治療における信頼関係が何よりも大切であるという視点の現われだ。そして患者への心理教育,多飲症家族教室を地道に積み重ねる。さらに多飲症専門病棟までをも構築し,多飲症・水中毒という複雑な病態に向かい合う。このような精神科治療者の真摯な姿勢を示し得たことこそが,水のごとき清楚な様態を持つ本書の最も本質的な美点である。

 アルコール依存,薬物依存,摂食障害,また自身を傷つけるほど他者の愛情を惜しみなく求める人格障害など,ヒトの渇望と依存性から生まれるさまざまな精神疾患の治療書,指南書は世にあまたと存在する。しかし,水中毒という特殊な疾病において新たにこのような良書が生まれたのは初であり,その点が大変喜ばしい。

 荘子いわく「君子の交わりは淡きこと水の如し」である。水中毒を含めた依存性・中毒疾患を持つ患者と治療者間には,まずは穏やかな協力的潮流を作り上げていきたい。患者と治療者は,依存物質抑止のみを目的とした「水と油」の関係に決して陥ってはいけない。

B5・頁272 定価2,730円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-01002-3


感染症外来の帰還

岩田 健太郎,豊浦 麻記子 著

《評 者》徳田 安春(筑波大大学院教授/水戸協同病院総合診療科)

Early majorityの感染症診療にアプローチする好著

 『…の帰還』というタイトルから,筆者の頭にはまず,立花隆氏の『宇宙からの帰還』が浮かんだ。立花氏のノンフィクションは,宇宙から帰還した宇宙飛行士の精神世界の変貌を詳細に報告した大作である。研修医世代では,RPGのファイナルファンタジーⅣ「月の帰還」などを連想するだろう。でも,「はじめに」を読み進めると,『感染症外来の事件簿』を書き直したということで,“帰還”というタイトルとなったことが理解できるようになる。

 『感染症外来の事件簿』は“帰還”すると変貌していた。岩田氏の前著の読者対象は研修医となっていたが,本書の対象は「より幅の広い臨床医」となっている。しかも今回は,沖縄県立中部病院インターン時代の同級生である豊浦麻記子氏との共同執筆ということで,小児科領域の感染症診療もカバーしている。

 Implementation Scienceによると,社会において,新しい知識体系を次々に紹介するInnovatorの後をフォローするのはEarly adopterであり,その後速やかに大多数のEarly majorityが続き,そして遅れてその後にLate majorityが続く。岩田氏と豊浦氏がInnovatorである理由は,本書を一読するとすぐに理解できる。Innovatorは,既存の知識体系とは異なった切り口で新しい知識体系を構築する人々のことである。本書は,ブログ的な散文調の流れで読みやすく書かれているが,全体を通して著者2人の個性的な切り口による思考過程で体系化されている。

 これまで数多く出版されてきた岩田氏の書籍を読み,臨床感染症の知識体系をすばやくフォローしている研修医や若手医師はEarly adopterである。しかしながら,新しい知識体系が社会全体を変える「うねり」となるためには,大多数派のEarly ...

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