医学界新聞

寄稿

2010.03.08

【寄稿】

ウーマンズヘルスケアの担い手を育成するもう一つの選択肢

新井隆成 金沢大学大学院医学系研究科 周生期医療専門医養成講座・特任教授
井上正樹 金沢大学大学院医学系研究科 産科婦人科・教授


 産婦人科医師数の減少によって,妊娠・分娩などの産科医療をはじめ,ウーマンズヘルスケアを支える日本の医療体制に綻びが生じていることは周知の事実である。産科医療危機に対して緊急措置的に行われた分娩施設の集約化対策は,地域,特にへき地で,妊婦健診や産科以外のウーマンズヘルスケア受診施設が近隣にないといった結果をもたらした。日本全国あらゆる地域に最低限の医療環境を維持することは,地域住民と地域医療にかかわる人たちの共通の願いではないだろうか。そこで,プライマリ・ケアの観点からウーマンズヘルスケアを担える人材を一人でも多く育成することが,現状の産婦人科医療状況を踏まえた国民のニーズに応えるためには必要である。

 現在,日本全国でこのような観点から,産婦人科医を増やすためのさまざまな試みが行われている。金沢大学では,妊娠・出産・新生児・乳児期を包括して指す語として「周生期」という新たな概念を導入した。そして,この期間を次世代育成の極めて重要度の高い医療領域ととらえ,プライマリ・ケアと高い専門性に対応できる幅広い知識・技能を有する医師の養成・充実を図ることを目的とした「周生期医療専門医養成支援プログラム」を開始した。

マンパワーの限界を超えるために

 このプログラムは,周生期医療に精通した産婦人科医,小児科医の育成だけを目的としたものではない。危機に瀕しているのは,ウーマンズヘルスケア体制全体であるため,仮に出産だけが安全に保たれたとしても,周生期にかかわる現状のマンパワーでは,ウーマンズヘルス全体を支え続けることは難しい。人材育成はもちろん大切ではあるが,人口の半分を占める女性の健康を守り続けるためには,これまでとは違った発想が必要だろう。

 われわれが米国やカナダの周産期管理事情を調査したところ,産科医,助産師,プライマリ・ケア医が周産期管理や妊婦健診を分担して行っている例に多く遭遇した。例えばAnn Arbor地区ミシガン大学附属病院では,年間約4000例の分娩の取り扱い者の内訳は産科医55%,助産師15%,そして家庭医30%であり,おのおのが同じLDR(分娩室)を使用,必要に応じてコンサルトや転科が行われていた。また家庭医は分娩だけでなく,妊娠前カウンセリング,妊婦健診,産後ケア(産後のうつ,避妊指導も含む),新生児・乳児ケア,不妊カウンセリング,婦人科検診(子宮癌,乳癌スクリーニング),そして日常多い婦人科疾患(性感染症,性器出血,月経不順等)を取り扱っているという。すなわち,周生期医療の広い範囲を家庭医が担っており,産婦人科医や小児科医が,ハイリスク妊婦などより専門的な診療に専念できる体制が取られているのである。また,会員数約3000人のカナダ産婦人科学会には産婦人科医だけでなく,家庭医,助産師など産婦人科診療にかかわるすべてのプロバイダーが所属し,ウーマンズヘルスケアの維持・発展に尽力している。見方を変えれば,北米でも産婦人科医だけではウーマンズヘルスケアにかかわるマンパワーが足りず,プライマリ・ケア医との連携で最低限必要な診療レベルを維持しているのである。これはプライマリ・ケアという概念の中でとても大切な考え方である。日本においても,産婦人科医とプライマリ・ケア医との協力体制は,マンパワー不足を打開するためのもう一つの選択肢になるのではないだろうか。

一般診療としての周生期医療を

 金沢大学医学部の全4-6年生に行ったアンケート調査(回答率70.8%)では,78.0%がプライマリ・ケア診療能力を身に付けることに,64.6%が産婦人科や小児科診療能力を身に付けることに,積極的もしくは前向きと回答。また,プライマリ・ケアで回答した78.0%に限れば実に75.9%までもが,産婦人科や小児科診療能力を身に付けたいと回答した。これは必ずしも産婦人科や小児科の専門医になりたいということではなく,初期臨床研修制度やプライマリ・ケアという概念の導入によって,周生期医療にも“特殊診療ではなく一般診療”として身に付けなければならない診療内容が存在するという認識が若い世代に根付いたものと考えられる。

 われわれはこの認識に基づき,次の2つの方向性で医師を育成していくことを考えた。

●プライマリ・ケア診療能力を身に付けた産婦人科医・小児科医の育成
●産婦人科・小児科の診療能力を身に付けたプライマリ・ケア医の育成

 この目的のために,大学・地域拠点病院の産婦人科医,小児科医,そして地域拠点病院のプライマリ・ケア医が教育スタッフに加わり,産婦人科・小児科を含めたプライマリ・ケアの習得に志を持つ医学生・研修医に対する継続的教育プログラムを展開している。

産科医療体制を守るALSO

 教育プログラムの中でも2009年度から本格的に導入したのが,ALSO(Advanced life support in obstetrics)である。2008年11月の金沢大学でのALSOプロバイダーコースの開催を皮切りに,本年度は全国で7回開催(北海道,千葉,宮城,東京,石川),既に100人以上がALSOコースを修了した。すべての地域で産科医療を維持するためには,志を持った人たちをトレーニングする場を多く提供し,あらゆる医療圏に“最低限必要な医療チーム体制”を確保する必要がある。まさにその足がかりとなるのがALSOであり,現在日本ではNPO法人周生期医療支援機構(本部:金沢市)がALSO-Japan事業としてコースを運営している。

 参加者を見ると,プライマリ・ケア医や救急医,あるいはそれをめざす研修医など産婦人科医以外の医師が多い(表)。初期臨床研修だけにとどまらず,プライマリ・ケア医や救急医などにもっと産婦人科の臨床研修を行う機会を提供し,その地域のニーズに応じた診療連携体制を敷けるようになれば,ウーマンズヘルスケアにかかわる医師のマンパワーは産婦人科の医師数よりも遥かに大きくなるはずである。そして北米のようにうまく機能すれば,地域医療を支える大きな歯車にもなるだろう。周生期医療支援機構はそのことを願い,公益社団法人地域医療振興協会の協力のもと,全国のへき地医療に携わる医師や助産師に継続的にALSOコースを提供していくこととなった。

 ALSO-Japanプロバイダーコース参加者の内訳(%,n=114)

 初期臨床研修制度の改正で,産婦人科は選択必修科目にシフトチェンジした。産婦人科を強く学びたいという動機を持った研修医をより高いレベルで教育し,これまで以上の成果を上げることが,今後指導医側には求められる。そのためには,“経験する”という行動目標では,現状の域を脱することはできない。初期研修医,医学生レベルから“身に付ける”という行動目標を設定した研修内容が求められるだろう。そのためには,ALSOのような知識のみならず技能をも含めた新たな教育手法が導入されることは,産科医療にかかわる医療人の裾野を大きく広げる土台作りになるだろう。

 2008年度の産婦人科医師数は1998年以来初めて上昇に転じた(図)。全国的に試みられているさまざまな対策が,徐々に成果を上げ始めたのかもしれない。またこの成果が,現状において十分なウーマンズヘルスケア体制が維持されていない地域にもたらされる方向に働いてほしいと願うばかりである。ニーズがあり,志す人材が確実に多く存在している。このことを再認識して,ウーマンズヘルスケアの将来を検討すべきではないだろうか。

 主な診療科別医師数の年次推移
平成20年医師・歯科医師・薬剤師調査(厚労省)より。


新井隆成氏
1993年金沢大医学部卒。北陸の地域医療を経て,2000年国立病院機構災害医療センター,06年金沢大附属病院周生期医療専門医養成センター特任准教授,09年より現職。ウーマンズヘルスケアにおける地域医療体制の維持・発展のため,ALSOプロバイダーコースの全国への普及活動に尽力している。専門は産科学。

井上正樹氏
1973年金沢大医学部卒。卒後,市立貝塚病院で産婦人科臨床研修。79年阪大医学部産婦人科助手。84年ハーバード大マサチューセッツ総合病院に留学,93年阪大医学部講師。94年より現職。2009年からはNPO法人「周生期医療支援機構」理事長を務める。

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