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第2867号 2010年2月15日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第168回

乳癌検診をめぐる大論争(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2865号よりつづく

 2009年11月16日に,「合衆国予防医療タスクフォース(United States Preventive Services Task Force,以下タスクフォース)」が発表した乳癌検診についての新ガイドライン(註1)をめぐって,患者・医師団体だけでなく,政治家をも巻き込む大論争が始まった。

医師をも怒らせた乳癌検診の新ガイドライン

 大論争となった原因は,これまで,マンモグラフィについて「40歳以後毎年」受けるよう勧めてきた内容を大きく改め,「50歳以後2年に1回」と変更したことにあった。検診の開始を遅らせるだけでなく,頻度も少なくするという内容に,「乳癌を早期発見するなというのか。患者に死ねというのか」とする怒りが爆発したのだった。

 メディアも新ガイドラインについて大きく報道,例えば夕刻の定時ニュースは,3大ネットワークともトップ扱いだった。しかも,各局とも,例外なく「マンモグラフィで早期発見されたおかげで助かった」とする40代の患者を紹介,「新ガイドラインに従っていたら私は助かっていなかった」と怒りの発言をさせたのだった。

 怒ったのは患者だけではない。医師たち,特にマンモグラフィを専門としてきた放射線科医の怒りは尋常ではなかった。例えば,ハーバード大学医学部放射線科教授ダニエル・コーパンス。ワシントンポスト紙に対し,「マンモグラフィのおかげで何万人もの患者が助かっているというのに,タスクフォースのバカどもはこれを止めたがっている。正気のさたでないし,倫理にももとる」と,過激なコメントを寄せた。また,米癌学会も新ガイドラインを猛批判,患者に対し「これまで通り,40歳になったら毎年マンモグラフィを受けるように」と呼びかけた。

 と,物議を醸すことになった新ガイドラインを作成したタスクフォースの構成委員は主に公衆衛生の専門家。委員は政府に任命される仕組みとなっているものの,その任務は,政府からは独立した組織として,科学的根拠のみに基づいて予防医療についての指針を諮問することにある。

 委員たちにしてみれば,任務に忠実に,科学的根拠のみを子細に検討した上で策定したガイドラインであっただけに,「人殺し」呼ばわりされるような非難を浴びたことは心外であったろう。いったい,なぜ,専門家が知恵を絞り,議論を尽くして作成したガイドラインが,患者や医師を怒らせることになってしまったのだろうか。

「科学的証拠」と「誤解」

 専門家が科学的証拠に基づいて作成したガイドラインが,患者だけでなく医師をも怒らせた原因を考えるに当たって,まず,タスクフォースが策定した新ガイドラインの内容を紹介しよう。

1)40-49歳ではルーティン・マンモグラフィを実施すべきでない。
2)50-74歳にはルーティン・マンモグラフィの実施を勧める。ただし,頻度は毎年である必要はなく2年に1回でよい。
3)75歳以上に対するルーティン・マンモグラフィの有効性を支持する証拠はない。
4)マンモグラフィに加えて医師の視触診を実施することの有用性を示す証拠はない。
5)患者に「自己触診法」を教育すると,不必要な生検・画像診断の数が増えるとの証拠があり,教育はしないほうがよい。

 いずれも証拠に基づく結論であったが,年代別にルーティン・マンモグラフィの扱いが異なる内容となったのは,「利益」と「害」を秤にかけて比較した上で,その有用性を判断した結果だった。例えば,40代の女性は50代に比べて乳癌罹患率が低いだけでなく,乳房組織が密であることなどから「フォールス・ポジティブ(偽陽性)」の率が高くならざるを得ない。偽陽性故の生検等の追加検査,さらには,「過剰診断」(註2)故の不必要な治療の実施などの「害」を考えた場合,40代での「ルーティン」の実施は不適切であると結論づけたのである。

 また,50代で頻度を少なくしたのも,「利益」と「害」を秤にかけて比較した結果だった。「毎年」を「2年に1回」にしても死亡率減少効果に大差はなかったし,実施頻度を半分に減らせば,偽陽性や過剰診断故の不必要な検査・治療が行われる頻度も自動的に半減するはずだった。

 ところが,タスクフォースにとって不運だったことに,新ガイドラインの内容がメディアで紹介される過程で,キーワードである「ルーティン(誰もが受けるべき)」という単語が省略されて伝えられたり,省略されずに伝えられた場合でも省略して受け止められたりする事態が相次いだ。ガイドラインには,「40代では,(十把一絡げに)ルーティンの検診として実施するのではなく,マンモグラフィを実施するかどうかは個々の患者が医師と相談した上で決めればよい」と明記してあったのに,いつのまにか「新ガイドラインは40代の女性にマンモグラフィをすべきでないと言っている」とする誤解が広まってしまったのだった。

この項つづく


註1:Screening for breast cancer:U.S.Preventive Services Task Force recommendation statement. Ann Intern Med. 2009;151(10):716-26.
註2:マンモグラフィ実施群と未実施群を比較した場合,一般に乳癌診断率は実施群で高くなる。しかし,長期に及ぶ観察を経た後でも実施群と未実施群の診断率の差がゼロにならない現象が知られ,最後まで縮まらない差はマンモグラフィを実施したがための「過剰診断」分に相当すると考えられている。

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