医学界新聞

連載

2010.02.08

ノエル先生と考える日本の医学教育

【第9回】女性医師の問題・1

ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授)
松村真司(松村医院院長)


2862号よりつづく

 わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。

 本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,医師の偏在の問題や,専門医教育制度といったマクロの問題から,問題ある学習者への対応方法,効果的なフィードバックの方法などのミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな問題を取り上げていきたいと思います。


図1 米国の医学部卒業者に占める女性の割合
http://www.aamc.org/data/
facts/enrollmentgraduate/
table27-grad0209bysch-web.pdf
より。
図2 日本の医学部における女子学生(在籍者)の割合
「学校基本調査」(文部科学省)より。
  今回から数回にわたり女性医師の問題を取り上げたいと思います。米国では,20世紀前半までは医学部進学者に占める女性の割合は極めて低く,全体の5%以下でした(図1)。それが急速に伸び始めたのは1970年代で,ちょうど医学部の入学定員を8000人から1万6000人に拡大した時期です(註1)。医学部における女子学生の割合は1981年には31%(註2)となり,そして2009年には医学部卒業者の49%,入学志願者の48%を女性が占めました(註3)。

 一方,日本でも医学部に進学する女子学生の割合は2005年には34%となり,着実に伸びてきています(図2)。日米の推移を比較すると,日本の医学部における女性の割合は米国より約15年遅れで増加しています。この傾向が続けば,2025年には日本でも医学部進学者がほぼ男女同数となるでしょう。ただし,このためには女性が医師を生涯の仕事とするための障壁が解決される必要があると考えます。

女性医師の増加は医療に何をもたらすか

 日米両国にとって,医師を生涯の仕事とする人に占める女性の割合が増加することは,今後の政策に大変大きな意味があります。女性医師の労働時間や,女性医師が選ぶキャリアや職場は男性医師と同じとなるのでしょうか。そして医学部教員になる機会や昇進の機会は,男性医師と同様に得られるのでしょうか。

 今日,日米両国では女性医師の割合が高くなったことを契機に社会的な論議が生じています。それは,女性は医師としてのキャリアを築きながら,妻や母親としての役割も果たすことができるのか。働く母親と子供たちへの十分な支援がなされているのか。また女性ならではのコミュニケーション・スキルや気配りが,医療現場の体質も変えるのか,といったことです。

 ここでは,ノエル・大滝・松村の3人のほかにオレゴン健康科学大学のレベッカ・ハリソン先生にも加わってもらい,米国と日本の女性医師の役割や生活について比較検討します。

*****

ノエル ハリソン先生,1970年代以降,医師をめざす米国人女性が急速に増えた要因は何でしょうか。

ハリソン 医療職における男女間格差の歴史は長く複雑です。1963年までは,全米の15%の医学部があからさまに男子学生を優先的に入学させていました。1964年に米国連邦議会が性別や人種による差別を禁止する法案を通過させましたが,単科大学や4年制大学はこの法案から外されました。そして1970年には,Women’s Equity Action League(WEAL)という女性団体が米国の全医学部を性差別で告訴しています。その結果,1971-72年に議会は大学を含むすべての職場と職業から差別を撤廃するよう,公民権法を改正しました。

 女性にとってこの“雇用機会均等法”は,医療に限らずさまざまな職種において職を得る機会を増やしました。医学界の男女平等をめざす闘いの中では,当時の米国女性医師会(American Medical Women’s Association)代表のフランシス・ノリス博士が,「女性医師が少ないことは,女性が同性の医師を選択する自由を狭め,女性特有の疾病の研究から受ける恩恵を奪っている」という重要な宣言をしました。

 さらに,連邦議会は1972年に“Affirmative action plan”〔(特に雇用における女性・障害者・少数民族の)差別撤廃措置〕を可決し,大学は性差別を減少させる計画の提出が求められるようになりました。これらの法案が通過したのと同時期に,政府は医学部に卒業者数を倍増させるよう促し,「適格な」入学志願者を増加させるよう求めたのです。その結果,1970年から1974年の間に,女性の入学志願者は3倍に増えましたが,この理由の一つに「合格しやすくなると女性たちが知った(註4)」ことがありました。また,政治面でフェミニズム活動が再び盛んになったことも米国の医学界の状況を変える要因になりました。

男性社会から変化を遂げた医学界

ハリソン 医学部入学志願者の人種や性別による構成の推移をみると,差別が禁止されてからの増加率が最も高かったのは女性でした。実際に医学部が性の多様性を尊重するようになると,適性と能力のある女子学生を選抜することは容易だったのです(註5)。

 1970年代に医学部の入学定員は1万6000人にまで増やされ,女性の占める割合は1971年の9.6%から10年で26%に伸びました。しかし,医学教育界の体質はそれほど急速には変化せず,カリキュラムやメンタリング,専門職者としてのキャリア形成などの制度は,それまでの75年間と同じでした。つまり,男性社会のままだったのです。

 1976年になると,米国医科大学協会(Association of American Med-ical Colleges;AAMC)は女性の専門職者としてのキャリア形成を高めることに目を向けるようになり,「米国の医学部教員における女性とマイノリティ」という統計報告書を毎年発行しています。このAAMCの年次報告書は,研究機関における女性職員の待遇を調査するのに最も重要な指標(年収・昇進に関するデータ,管理職者の割合など)を提供し続けています。

 医学部に進学し,臨床研修を受け,医学部の教職に就く女性の数の急激な伸びに呼応して,米国とカナダに140ある医学部の約半数は,1993年までに医学分野の女性の教育やキャリア形成をサポートするプログラムや委員会を設置しました。これらのプログラムの多くは,子育て中の女性を支援するよう労働条件の改革を訴え,その結果,保育施設の設置やパートタイムでの雇用,昇進スケジュールをよりゆるやかなものにする,といった工夫がなされました(註6)。

つづく

註1:本連載第2回(2837号)参照。
註2:Bowman M, Gross ML. Overview of research on women in medicine-issues for public policymakers:Public Health Rep. 1986 Sep-Oct;101(5):513-21.
註3:http://www.aamc.org/data/facts/enrollmentgraduate/table27-grad0209bysch-web.pdf
註4:Restoring the Balance Women Physicians and Profession of Medicine, 1850-1995. President and Fellows of Harvard College, 1999より引用。
註5:ハリソン先生からの補足コメント:学生が医学部に入学する際,何をもって「適格」とするかは基本的には社会のあり方で決まり,その時代に医療専門職の何を重んじるかを反映する。医学を学ぶ適性がある女性はいつの時代にも存在したが,法改正で改革が求められるようになるまで,大学は女性を入学させようとはしてこなかったのである。
註6:Restoring the Balance Women Physicians and Profession of Medicine, 1850-1995. President and Fellows of Harvard College, 1999より引用。


レベッカ・ハリソン氏
1994年ミネソタ大医学部卒。卒後,オレゴン健康科学大医学部内科レジデント,チーフレジデントを経験し,現在は同科准教授兼ホスピタリスト(病院総合医)と卒前教育の管理者の任にあたる。医師のほか,救急医の妻と3人の子供の母親という3つの役割をバランスよく務める。かねてから日本に関心を持ち,学生時代には交換留学教育プログラム(Japan Exchange and Teaching Program)で来日し福井市で英語を教えた経験を持つ。2004年から洛和会音羽病院で研修医の指導を行うほか,09年には東大医学教育国際協力研究センターの客員教授として4か月間赴任した。

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