医学界新聞

対談・座談会

2009.12.07

【座談会】
身体診察の「足し算」を始めよう
須藤博氏(大船中央病院総合内科部長)[司会]
川島篤志氏(市立福知山市民病院総合内科医長)
錦織宏氏(東京大学医学教育国際協力 研究センター講師)


 頭のてっぺんからつま先まで診られる医師になろう。身体診察は「足し算」のスキル。正常所見も含めてサボらず取っていけば,そのうち実力がつく。鑑別診断に役立ち,患者さんとの距離も近くなる。

 一例一例を大事に,賢く経験を積もう。やがて検査をオーダーできない環境でも,「手を診て20の病気がわかる」ようになるかもしれない。

 卒前・卒後で身体診察の教育を受けていない? ならば,身体診察のエキスパートの声に耳を傾けよう。勉強が面白くなりすぎて,「病人を診て面白いとは何ごとか!」と小言を言われる日が来るかもしれないけれど……。


Head to toeアプローチの文化

須藤 最初に,3人が身体診察を学んだ経験から話を始めたいと思います。

川島 私が身体診察の重要性に気づいたのは研修を始めてからです。1年目は大学病院で研修したのですが,身体診察で項部硬直を認めたにもかかわらず誰もフォローしてくれない。不明熱の患者さんに対して体表リンパ節を探しにいかない。検査偏重で,身体所見が議論される環境ではありませんでした。

 2年目から市立舞鶴市民病院で研修して,そこで初めて「鑑別診断」という言葉を知りました。日々の回診で病歴や身体所見についてディスカッションし,入院患者さんの経過をみることが「文化」として根付いた環境の中で育ちました。

 前任の市立堺病院や現在の福知山市民病院では指導する立場ですが,研修医には「若いうちはサボらず,すべての入院患者さんの身体所見を,正常所見も含めて愚直に取ることが大事」と言い続けています。

錦織 私が学生のときも,やはり身体診察はしっかりとは教わらなかったですね。卒後は私も市立舞鶴市民病院で研修を受けたのですが,そこでHead to toe,つまり「頭のてっぺんからつま先までひと通りの身体診察をしなさい」という教育を受けて,年間入院患者約200人の身体所見を文字通りHead to toeで取っていました。

 最初は1人の診察に1時間半かかっていました。単に診察が下手で要領が悪かったのですが,なぜだか患者さんには「こんなに丁寧に診察してもらったのは初めてです」と感謝されたのをよく覚えています。

 今は医学生に身体診察を教える立場にありますが,診断に役立つのはもちろんのこと,良好な医師患者関係の構築に役立つという点も学生たちに伝えたいと思って取り組んでいます。

須藤 私が研修を始めた病院は米国帰りの指導医が多かったこともあり,やはり身体診察は重視されていました。例えば,直腸診をやらずに腹痛患者のコンサルテーションをすると烈火のごとく怒られるような文化です。ただ,当時はそれほど熱心に身体診察の勉強をしたわけではありません。

 契機となったのは,「On bedside teaching」という有名なエッセイ(LaCombe MA. On bedside teaching. Ann Intern Med. 1997.126(3):217-20.)です。これは優れた臨床教育者によるベッドサイド教育の心得なのですが,初めて読んだとき非常に感動しました。そのエッセイの最後には「観察することを教えなさい。ウィリアム・オスラーをはじめとする教育者はみんなやってきた。だから君もやるのだ」といった意味のことが書いてあって,それを読んで「私もやるべきだ」と,教科書を買いこんで勉強し直したのです。

 もうひとつの契機は,東海大にいたころの,パキスタン人医師との出会いです。「手を診て20の病気がわかる」と言われてとても驚いたのを覚えています。彼とは1年一緒に働いて,いろんなことを学びました。

将来を見据えた「足し算」

須藤 身体診察の勉強を始めるとすごく面白い。面白くてのめり込んで,ちょっと趣味みたいになってきたところがありますね(笑)。特によいのは,身体診察は一生「足し算」のスキルだという点です。私ぐらいの年齢になると,自分で手技をやる機会は少なくなって,そのうち下手になっていつか若い医師に抜かれます。ところが,身体診察のスキルは決して抜かれることはない。

川島 ベテランになるほど経験が加わりますからね。それに,医療機器はどんどん進化するので知識や技術をその都度アップデートしなければなりませんが,身体診察は変わりません。エビデンスの集積はあるにせよ,5年後に心音のⅤ音ができることは絶対にない(笑)。一朝一夕に身につくものではないですが,身体診察スキルは一生使える武器になります。

錦織 経験を積むほどバリエーションを知る,いわば「果てしない旅」ですよね。

須藤 同感です。はるか彼方には「診断の神様」として有名なティアニー先生や,100年前のオスラー先生がいるわけです。自分もそういった偉大な医師をめざして,少しずつでも「足し算」を続けていけるのがいいですね。

川島 医学生・研修医には,身体診察を学ぶ面白さに加えて,その重要性も理解してもらいたいと思います。検査主体の環境を出て一般診療所などで働くときに,検査なしで診断・重症度判定に迫れるかどうか。そういったスキルの「足し算」が何点あるのか。若いうちから意識しておく必要があります。

須藤 それは現場に出て初めて気づくことかもしれませんね。

 以前,実習に来た医学生とベッドサイド回診をした際,「20代の患者さんで高熱と咳があり,目が少し赤い」と記録にあったのです。麻疹が流行っていたころだったので,「口の中を診たら診断が確定するかもね」と話して口内を診たら,やはりコプリック斑があった。そしたら,その医学生が「身体診察って本当に診断に役立つんですね。初めて知りました」と言うわけです。ひたすら検査ばかりで診察がないような環境に置かれるとそうなるのかな,とそのとき思いました。

鑑別診断を考えながら行う身体診察

須藤 次に「身体診察を医学生・研修医にどう教えるか」について,3人の実践(MEMO)から考えたいと思います。まず錦織先生,HDPE(Hypothesis-Driven Physical Examination;鑑別診断を考えながら行う身体診察の学習)をご紹介いただけますか。

MEMO 身体診察を医学生・研修医にどう教えるか(各氏の実践)

HDPE
  鑑別診断を考えながら行う身体診察の学習(Hypothesis-Driven Physical Examination)。診断への寄与(意味)を考えながら身体診察ができるようになることを目的とする。主にひと通りの基本的身体診察の手技を学習し終えた医学部4-6年生を対象とし,1シナリオ約1時間の小グループ学習を行っている。病歴情報による診察前確率の記入,取るべき身体診察と予想される所見の明確化,医師役・患者役によるロールプレイ,診察後確率の記入と討論(診断過程の明確化,感度・特異度の講義など)を行う。

身体所見の小テスト
  単純な身体所見の取り方ではなく,「どんなときにどんな身体所見を取ることによって,診断や重症度判定の検査前確率を上げられるのか」という“活きた身体所見”が試されるのがポイント。設問は短く,例えば「体位変換でのバイタル測定をしなければならない病態(2つ)は?」など,院内で使用される身体所見のフォーマットに関連付けて問われる。小テスト後の答え合わせは双方向性の議論となる。点数を競うわけではなく,同じテストを定期的(3か月間隔で年4回)に行うことによって,習得を図ることが目的。各地のワークショップなどで受講者は既に400人を超えている。「各施設で“身体所見の小テスト○○病院版”が行われていることが理想」(川島氏)。

一度みれば忘れない「SpPinな身体所見」
  SpPinとは,「特異度(Specificity)の高い所見が陽性(Positive)の場合,その疾患の診断(Rule in)に役立つ」という意味の略語。レクチャーは,須藤氏自身が臨床現場で収集した「SpPinな身体所見」の画像・動画をもとにしている。①年齢・性別・主訴+簡単な情報,②それに関連した特徴的な身体所見の画像・動画,③解説,という基本パターンで症例を疑似体験していく。1症例につきスライドは3-5枚,そのときのテーマに合わせて数十枚から120枚を次々と提示していく。

錦織 これは医学教育学分野の研究(「臨床診断の思考過程を組み込んだ身体診察学習方式の開発に関する国際共同研究」主任研究者=東医大・大滝純司氏)の一環として行っています。身体診察の学習は,私も学生時代そうでしたが,一般的に網羅的・丸暗記型の学習になりがちです。この研究では,所見の意味,特に診断への寄与を考えながら,身体診察を効果的に学ぶ方法を開発することを目標としています。

川島 私も共同研究者としてHDPEに参画していますが,最近の医学生はOSCE(客観的臨床能力試験)を経ているので,診察前に手を温め始めます。

須藤 素晴らしい。

川島 すごいと思いました。私が学生のときは,こんなことが当たり前ってことはなかったような気がします。

錦織 OSCEの影響として,若い医師の医療面接も丁寧になってきたと思います。試験があるとやっぱり学生は勉強するようですね。

川島 ただ,例えば「マーフィー徴候陽性」や「ツルゴール低下」という言葉は知っていても,そういった所見を実際にどう取るのかを知らないのです。ケースカンファレンスで多発性単神経炎の所見を提示すると「血管炎があるかもしれない」と答えますが,その所見自体を見つけることはできません。

須藤 それはOSCEの次のレベルなのでしょうね。

錦織 そうですね。このHDPEも,基本的身体診察の手技の学習を終えた医学部生を主な対象として開発を進めています。

川島 医学生のうちから,身体診察の意識付けをする必要があって,HDPEはそのよいきっかけになるのかなと思っています。

「狙った」所見を取るには

川島 臨床では,漫然と身体所見を取るのではなく,病歴から考えられる疾患を念頭において,「狙った」身体所見を取る必要がありますよね。ただ,研修医は意外とそこがわかっていない。

須藤 身体診察は,実は「頭で診る」ものです。ある程度の知識があって所見を予想していないと,それを見つけることは難しい。

錦織 そこが難しいところですよね。

川島 舞鶴市民病院で卒後3-4年目ともなってくると,当時副院長だった松村理司先生(現・洛和会音羽病院長)がベッド回診でどんな話をするかまで予想できたわけです。研修医や薬剤師さんに,「これからこの話が出るよ」なんて耳打ちしたり……(笑)。

錦織 ありましたね(笑)。

川島 カンファレンスでも,研修医がその症例に必要な身体所見を取っていないと怒られる。そういう文化が自然にありました。

 その後,市立堺病院で指導に当たることになったのですが,研修医の習得度が意外と悪かったのですね。回診で「これ,前にも教えたよね?」と確認しても,「たまたま不在で初めて聞く気がします」「前のクールで話されたんじゃないでしょうか」みたいに返されてしまう。舞鶴市民病院では,一年中同じチームで診療しているので,同じ話を何回も聞いて習得できたのだと気づきました。

 市立堺病院は病歴・身体所見を重要視する文化が浸透していますし,継続性のあるカンファレンスもあり,比較的長いローテーション(総合内科は最低12週間)で,身体診察を勉強するよい環境が整っていると思っていました。しかしそれでも,指導医は「教えたつもり」,研修医は「聞いてない」となっていたのです。

錦織 なるほど,それで「身体所見の小テスト」を始めたわけですか。

川島 それともうひとつ,錦織先生から200例の身体所見を取ったという話がありましたが,新医師臨床研修制度の内科6か月間だとそこまではできないのです。

錦織 確かに無理でしょうね。

川島 限られた症例で意味のある身体所見を繰り返し取るのは難しいので,

 「こんな患者さんが来たら,この所見を取っておいたほうがいいよ」というメッセージを,小テスト形式で伝えようと考えたわけです。

 身体所見の小テストは3か月おきに実施するので,初期研修の2年間フルに参加すれば8回です。2年目になるとこの小テストを使って1年目を教える側にまわるので,おのずと勉強して臨むようになります。

須藤 しかもこのテストは,答えを用意していないところがミソですね。

川島 組織内で答え合わせをやって,皆が同じベースラインを持つことが大事だと思うからです。つまり,「身体所見に詳しい医師がいる」のではなく,「身体所見の重要性を理解している文化がある」。そうなるために,あえて答えはつくっていません。

 小テスト自体は,(G・クリストファー)ウィリス先生の通称「ウィリスノート」(後に『Dr.ウィリス ベッドサイド診断』として医学書院より発行)の教えに基づいています。舞鶴市民病院の研修医は,松村先生の本棚にあったタイプ打ちの原本をそっとコピーして読んでいました(笑)。

須藤 たぶん,そのコピーのコピーが回ってきて,私も持っていました(笑)。

川島 朝6時からの英文抄読会で勉強していましたが,正直なところすごく読みにくい(笑)。特に神経の項目は実際に患者さんを診る機会も少ないし,身が入りませんでした。ただ,バイタルサインの項目や呼吸,循環,消化器は熟読しました。

須藤 私も当時バイタルサインの項目はむさぼり読んだ覚えがあります。必要なところから読むだけでも十分ですよね。

少ない情報で自ら考える

川島 市立堺病院のころ,須藤先生の講演「一度みれば忘れないSpPinな身体所見」を拝聴して,とても勉強になりました。

須藤 東海大に移ってから症例写真を撮り始めたのですが,「神奈川EBM実践研究会」というところでその話をしたら,「ぜひ見せてくれ」と頼まれたのですね。それで「どうせならクイズ形式のほうが面白い」と思って,年齢・性別・主訴と,ごく簡単な臨床情報を最初に出して,「次にどこを診ますか?」「これで何がわかりますか?」という流れでやってみたのです。これがきっかけです。

錦織 臨床診断推論の教育ですね。

須藤 そうです。そのころに画期的だったのは,身体所見のエビデンス集とも言えるMcGeeの教科書の初版(McGee S:Evidence-Based Physical Diagnosis, 2nd ed. Saunders, 2007)が出たことです。「この疾患ならこの身体所見があるのではないか」という視点で診ることもできるし,初学者に対してひとつ上のレベルへの道をひらいてくれたと思います。

 つくづく思うのですが,ケーススタディの限界は,自分で情報を探しにいくという能動的なアクションなしに,最初に情報が提示されてしまう点です。これを補うには,少ない情報の段階で自ら考えるステップを踏むことが必要だと感じています。

川島 洛和会音羽病院で毎月開催されている「京都GIMカンファレンス」(『JIM』誌で「What’s your diagnosis?」として連載中,書籍が『診断力強化トレーニング』として医学書院より発行)では,病歴や身体所見はわざと“うすく”出して,「さらに取りたい病歴・身体所見は何ですか」と質問を投げかけるなど,最近では参加する各施設が少し凝った症例提示をするようになっています。

須藤 そうやって次第に工夫されつつあるのでしょうね。私は『NEJM』誌で1992年に始まった「Clinical Problem-Solving」を初めて読んだとき,本当に「目からウロコ」でした。情報を少しずつ出して,その段階でのエキスパートの思考過程がわかる。あの連載は研修医教育の題材に重宝しています。

錦織 私も「Clinical Problem-Solving」を使った臨床診断推論の教育を,今年から東大の授業に取り入れました。ちょっと医学生には難しいかも,とも思いますが,「一流に学べ」という恩師の松村先生の教えを学生教育に取り入れています。

白衣のポケットには常にデジカメを

川島 須藤先生の講演で,大事な所見はとにかく記録しておくことを学びました。いまはデジカメが小型化して白衣のポケットに入るのですごく役立っていて,同僚にも薦めています。

須藤 次の外来で記録しようと思ったら所見がなくなっていたりしますから,記録は一期一会なんですね。

川島 いまだに「あのとき所見を撮っておけばよかった」と後悔する症例がありますね。

須藤 記録がどれだけ大事かについては,オスラー先生が100年前から述べておられますよね。Sapiraの教科書(『Sapira’s Art & Science of Bedside Diagnosis, 4th ed』Lippincott Williams & Wilkins)にも,記録してエキスパートと所見を比べるという勉強の仕方が紹介されています。絵を描いたり言葉で記録したりするだけではニュアンスが伝わらないですが,現代はデジカメが普及しているのが大きなアドバンテージです。

錦織 言われてみれば,確かにそうですね。

須藤 私の白衣の左ポケットには必ずデジカメが入っていて,ないと左肩が上がるくらいです(笑)。最近は動画機能も便利ですね。紅斑を指で押して,離した瞬間にフワッと赤みが戻る様子も,動画なら記録できます。いまのデジカメの性能ならビデオは不要でしょう。

 もうひとつ,記録に関して私が心がけているのは,なるべく撮影当日にパソコンにデータを移しておく。そして,どんなに簡単でもいいから,年齢・性別・主訴・病歴などの臨床情報を残しておく。そこまでやらないと,後で役に立ちません。

錦織 そうなんですよね。病歴などの記録が不十分で何回か失敗したことがあります。

須藤 私なんか,何十回も失敗しています(笑)。それから,記憶の鮮明なうちに実際の色に近くなるよう補正する。そして,診断仮説も記録して,「これを疑ったけれども外れた」などのコメントも残します。

川島 私は写真を撮るところで止まっていますが,記憶は絶対に薄れていくので大事なことですね。

賢く経験を積む

須藤 私の好きなオスラー先生の言葉に,“The value of experience is not in seeing much, but is in seeing wisely”というのがあります。Sapiraの教科書にもこんなフレーズがあります。「私の経験ではそんなものはみたことがない」という外科医の言葉に反論した内科医の言葉で,「失礼ですが,先生はそれをみたことがあるはずです。ただそれを“認識した”ことがないだけです」と。

 つまり,身体診察を学ぶうえで王道はなくて,経験を積む以外にないのですね。ただ,そのときに大事なのは,「賢く経験を積む」ことです。

川島 「賢く経験を積む」ために大事なことは,「どれだけ振り返りをするか」ではないでしょうか。患者さんをたくさん診ればいいわけではなくて,一人ひとりをどれだけ真面目に診て,検査の後で病歴と身体所見の答え合わせをしているか。例えば,心エコーでAS(Aortic valve stenosis;大動脈弁狭窄症)を認めたとき,ASの身体所見をわざわざ確認するかどうか。それが10年後,20年後の違いを生みます。

須藤 「大学病院などで診断がついている症例ばかりだと勉強にならない」というのは実は言い訳です。診断のついた症例が多くあれば,その疾患特有の徴候をじっくり確認できる。こんなチャンスはないわけですよね。

錦織 研修医には,診断がついた症例であっても必ず主訴まで戻り,鑑別診断を全部立て直してから,それらの病歴や身体所見について一つひとつ丁寧に教科書で調べるように助言しています。

 私は『Current Medical Diagnosis & Treatment』(McGraw-Hill Medical)を薦めているのですが,該当する疾患のsigns and symptomsだけでも読む。その後またベッドサイドで患者さんの症状と所見を確認して,また教科書に戻る。この「患者さんと教科書の往復」を丁寧にやれば,どのような研修環境であっても,ある程度いい臨床医になることができるだろうと思っています。

須藤 川島先生は「振り返り」と表現されましたが,私は「しつこく忘れないこと」と言っています(笑)。デジカメで記録を残して,疑問点をしつこく覚えていると,いつかわかる瞬間があります。

錦織 内科学会の専門医試験で症例サマリーを書いていて,そのときになってから「ハッ!」とする気づきがあったりしますね。

須藤 そうですよね。たまたま雑誌を開いてみて,「3年前のあの症例はこれだったのか!」と気づくことだってあります。「一度みたことは覚えておけ。二度みたら何かあると思え。三度みたらただごとではないと思え」という訓示があるのですが,私は,鎖骨上窩が急に腫れていろいろ検査しても診断がわからなかった症例を2例経験しています。でも3例目がきっと来る,いつかはわかるはずだと思って,もう数年経っていますね。

川島 忘れないためには,アウトプットの場をつくるのも大事です。経験した症例をまとめてカンファレンスで発表すれば,知識が増えるし記憶に残ります。私たち3人は話し好きですが,実は自分の勉強のために話している面がある(笑)。

須藤 話した回数だけ自分で反芻しているわけだから,忘れないですよね(笑)。

川島 失敗例を話すことが苦手な研修医もいますが,それも教訓につながれば,恥ずかしいことでも何でもないわけですね。

錦織 医師になって働き始めたとき,最初に驚き,かつある種感動すらしたのは,副院長という立場である松村先生が自分の失敗談を皆におおっぴらに語っていたことでした。それを見て,「なんて正直な人なんだろう」と思ったのと同時に,「こんな僕でもちゃんと医者をやれるかもしれない」って,すごくホッとしたのを覚えています(笑)。きちんと自己開示できる環境づくりは大事ですよね。

身体診察の達人はカッコいい(!?)

錦織 身体診察の魅力の一つはアートとサイエンス,身体と頭脳の融合だと思いますね。FeelとThinkの合わせ技という感じでしょうか。

 あと身体診察の達人はぶっちゃけ“カッコいい”。名大に以前いたころに悩んでいた症例で,指導医だった伴信太郎先生が回診の際に身体診察一つで診断をつけられて,そのときの伴先生のカッコよさと自分の感じた悔しさをよく覚えています。

須藤 ただ,それをカッコいいと思う文化がないといけないですよね。

川島 なぜカッコいいかというと,decision makingがそこで変わるからではないでしょうか。検査ではなく身体診察でドーンと変わることを見せつけられるからですよね。

錦織 ただdecision makingは,そのあと誰かが検査して,同じように変わるときもありますよね。器械とかに頼らずに身ひとつでできるからカッコいいのかなぁ……。

須藤 私はtriggerだと思います。診断過程で最も難しいのは,診断仮説を思い浮かべる段階で,そこが身体診察でtriggerされることがあります。心内膜炎なんかはその典型ですね。そこに一種のカッコよさがあるのではないでしょうか。

錦織 では逆に,身体診察をカッコいいと思わない文化があるのはなぜでしょうか。

川島 すべてがそろった環境で診療しているから?

錦織 大病院でも,わざわざストレッチャーで運んでX線撮影せずに,身体診察で胸水がわかれば本当はカッコいいはずですよね……。

須藤 自分がなぜ身体診察にこだわるのかを考えてみると,私は端的に「非常に面白い,だから勉強する」。もちろん,患者さんの役に立つことは大前提ですが,非常に奥が深くて,やればやるほど面白くて仕方ない。「病人を診て面白いとは何ごとか」と注意されたことがあるのですが,そんなこと言ったって面白いものは面白いんですよ(笑)。

錦織 確かに面白いですよね。

須藤 そこをいかに教えるか,研修医に体験をさせるかですね。

川島 それと,研修医が身体診察でわかったことを話したときに,指導医が聞いてあげること,ディスカッションにつなげる「文化」をつくっていくことも大事ですね。

ただ目の前の患者を一生懸命診る

須藤 どんな検査もできるような大病院でずっと臨床を続ける医師は少数派です。いつかきっと,限られたリソースで診療することになる。ですから,「この検査ができなかったら,自分はどこまでできるだろうか」と想像してみることがとても大事です。

 私は大学病院で1年間,外来診療のみ行っていた年があるのですが,そのときは「医療機器なりコンサルテーションなり,自分のスキルを高めるために使えるものは全部使ってやろう」と決めました。病歴と身体所見を取って,使えるリソースでその答え合わせをするわけです。

錦織 それはすごいですね。

須藤 もう卒後二十年以上経っていましたが,「こんな年になってもまだ成長できる」と実感できました。そうやって,自分自身でフィードバックしていくこともできるのだと思います。

 以前に正真正銘の「身体診察の達人」と呼ばれる医師に,「先生はどのようにして身体診察を学ばれたのでしょうか」と伺ったことがあります。その答えは「ただ目の前の患者を一生懸命診ること」というものでした。つまり,自分自身の心がけひとつでスキルを磨いていくことは十分可能なのだと思います。

 身体診察の勉強を続けていくと,これまで見えなかったもの,聴こえなかった音に気づくときが,必ずあります。「何かを発見する」新鮮な感動を覚える瞬間です。ぜひ読者である医学生・研修医の皆さんも,その面白さに気づいて日々の診療の中で自分を伸ばす努力をしてほしいと思います。今日の先生方のお話の中に,そのヒントがたくさん含まれていたのではないでしょうか。

(了)


これまで見えなかったもの,聴こえなかった音に気づく。身体診察の勉強を続けていくと,「何かを発見する」新鮮な感動を覚える瞬間が必ずある。

須藤博氏
1983年和歌山県立医大卒。茅ヶ崎徳洲会総合病院で5年間の内科研修後に,米国Good Samaritan Medical Centerなどで腎臓内科の短期臨床研修を経て指導医として勤務。94年より池上総合病院内科,2000年より東海大医学部総合内科。06年4月より現職。「SpPinな身体所見」は『Dr.須藤のビジュアル診断学』(1-3巻,ケアネットDVD)で学べる。ひと言「現在の職場もようやく研修病院としての環境を創りつつあります。これからも若い人たちから刺激を受けつつ,自分自身もまた伸びていきたいと思っています」。

身体診察は文化。「身体所見に詳しい医師がいる」のではなく,「身体所見の重要性を理解している文化がある」ことが大事。

川島篤志氏
1997年筑波大医学専門学群卒。市立舞鶴市民病院,ジョンズ・ホプキンス大公衆衛生大学院(MPH取得)などを経て,2002年より市立堺病院総合内科。08年11月より現職。ひと言「“教育力のある病院”をめざし,総合内科スタッフ・専攻医や初期研修医がワーク・ライフ・バランスも保ちながら活き活きと働き,長期的な視点で地域医療への貢献を模索しています。研修医教育だけでなく,広く生涯教育や看護師教育にもかかわり働きやすい魅力的な職場創りを思案中」。

研修医時代,入院患者200人の身体所見を取っていた。身体診察は良好な医師患者関係の構築にも役に立つ。

錦織宏氏
1998年名大医学部卒。同年より市立舞鶴市民病院で研修。愛知厚生連海南病院で初期臨床研修改革にかかわった後,2004年より名大大学院(総合診療医学)。05年医学教育振興財団のプログラムで英国オックスフォード大研究員,06年英国ダンディー大医学教育学修士課程。07年より現職。医学教育学修士。ひと言「患者さんや学生・研修医と接している時間が好きなのですが,今は“なぜ自分はその時間が好きなのか?”という疑問を解くために,医学教育学研究者の道を歩んでいます。臨床と教育と研究のバランスを自分で決めることのできる自由な研究者生活を(大変ですが)楽しんでいます」。


2009年度研修医マッチング結果発表


  2009年度研修医マッチングの結果が,医師臨床研修マッチング協議会から10月29日に発表された。今回は参加者8406人で,参加病院数は1052(研修プログラム1424)。参加者のうち8200人が希望順位表を登録し,7875人がマッチした。マッチ率96.0%,第1希望で マッチした登録者の割合81.0%。マッチ者のうち,臨床研修病院にマッチした者は3959人(50.3%),大学病院にマッチした者は3916人(49.7%)。2次募集を行う病院の選考日程は,医師臨床研修マッチング協議会のウェブサイトから確認できる。

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