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第2794号 2008年8月25日


【特集】

看護研究の道しるべ――先達からのメッセージ
私がブレークスルーした“あのとき”


 看護の研究テーマは,常に患者さんと研究者とのかかわりの中から生まれる。その研究の道筋においては幾度も底知れない困難に遭遇するだろう。困難の壁を前に,進むべき道を見失っている読者もおられるかもしれない。

 本紙では,看護研究をリードする5名のエキスパートに,研究の過程においてご自身が抱えた困難,そしてブレークスルーが起きた“あのとき”についてご寄稿をいただいた。また,わが国における看護研究を,黎明期から支えてこられた南裕子氏にインタビューし,ご自身の研究生活と看護研究の将来像について伺った。

 各氏の言葉からは,“患者さんとのかかわりや,仲間とともに学ぶことが研究を前に進め,自らの心をも支える”という共通のメッセージが浮かび上がってきた。


何を測れば明らかになるのかを熟考・吟味することの重要性

山口 桂子(愛知県立看護大学教授 小児看護学/家族看護学 日本看護研究学会理事長)


 「不安を知る」ために何を調べるのかが「鍵」だった。

 私が初めて看護研究を意識したのは,やはり卒業研究である。私は高校の衛生看護科教員に関心があり,千葉大学教育学部に入学したが,ここで学ぶうちに,まずは臨床の看護師になり,もっと看護を知りたいと思うようになった。そのため,卒業研究もなるべく看護の臨床現場にかかわるテーマを選びたいと考え,当時,看護記録という視点から看護実践そのものを研究されていた宮崎和子先生のご指導のもと,臨床現場で研究を体験する貴重な機会をいただいた。

 研究テーマは,当初から明確になっていたわけではないが,入院患者さんの「不安への援助」という漠然とした思いから,不安の多い方の看護記録にはその記述が残されているべきだという前提のもと,その援助を探るための記述を抽出する研究計画を立てた。

 しかし,そこには2つの大きな問題があった。1つめは患者さんの不安の同定方法を知らなかったことであり,もう1つの問題は,当時の看護記録には精神的な情報がほとんど書かれなかったことから,患者さんに不安があろうがなかろうが,その記録には差がないことが十分に予測できたことである。つまり,これだけの調査であれば「精神的な状態を適切に記述しよう」が結論となることは明白であり,わざわざ研究する意味はないのであるが,当然ながらここでやめるわけにはいかなかった。

 この2つの問題を解決するヒントは,教育学部在籍の心理学系の先生方からの貴重なアドバイスから得られた。先生方は,まったく面識のない他課程の学生の突然のあつかましい質問に対し,当時のスタンダードな不安尺度であった「MAS」,神経症傾向を測る「CMI」を紹介し,そしてさらに,不安のある人の不定愁訴のリストを蔵書の中の1ページから示してくれた。これらのことは,現在では一般市民にも周知の知識ではあるが,インターネットなどの情報入手手段のない30年以上も前の学生にとっては,「不安」を不安以外の言葉で看護記録から拾うことが可能になるかもしれない画期的な知識との出会いであった。

 そのヒントと宮崎先生のご指導の下,対象群にこの2つの心理テストを実施し,その組み合わせから不安程度の群分けを行い,それぞれの看護記録内の精神状態の記述,身体症状の記述の比較を行った。その結果,精神状態については予想どおり記述そのものがどの群にもみられなかったが,不定愁訴には大きな違いが見いだされた。不安の強い患者さんの記録には「不安がある」という記述はないが,「不安」を表す多くの症状が患者さんの訴えとしてまた看護師の観察として記されていた。私自身,研究のために,1人ひとりの患者さんの記録を読ませていただくなかで,「不安」はいつでも「不安」という言葉で語られたり記述されたりするわけではないということをあらためて実感させられた日々であった。

 以上のような,とりとめのない思い出は,今では当たり前の研究のプロセスであるが,その後の私自身を育ててくれた日本看護研究学会がその特徴として掲げてきた看護の「学際性」には大いに通じるところがあり,他領域の専門家との連携の重要性を感じていただければ幸いである。(連携といいながら,時にはかなり強引に他領域の先生方から知識をいただく姿勢は今もあつかましい限りであるが。)そしてもう1つの学びは,研究計画において自分が掲げた従属変数は「“何を測れば明らかになるのか”を,熟考・吟味することの重要性」である。学生の指導にあっても,従属変数が適切に定義づけられた時点で,研究の半分以上が終わるのではないかと感じる昨今でもある。

最近の研究テーマ:看護学教育方法に関する研究,新人看護師の職場適応に関する研究など


現象に対する深い関心によって,力のあるデータを得ることができる

萱間 真美(聖路加看護大学教授 精神看護学)


 母親による幼児への虐待行動について,勤務した公的研究所が取り組む実態調査に参加。自由記載を分析して浮かび上がった概念「気が合わない子ども」が,当事者の体験を的確に説明できるか検討する,説明可能性についてのグループインタビューを行うことになりました。この時期,研究者自身が幼児を子育て中の睡眠不足の母親でした。深刻な虐待をしている対象者の話を冷静に聞ける自信がありませんでした。どんなことが語られるか,それを聞いたとき,私自身が自分の子育てについてのつらい感情を掘り起こされて,コントロールできなくなるのではと,とても怖かった。当日,インタビューの場所は知っているのになかなか行く気になれず,食事も喉を通らず,涙が出てきました。

 がちがちに緊張して始まったグループの冒頭に,「この人に語ることで,あなたたちは弱者ではなく,社会に貢献する存在になれる。がんばって話して」と,グループ主催者が呼びかけました。その言葉に,私は母親たちも自分をも弱者としてとらえていたことに気がつきました。緊張していても,インタビュー経験は大学院時代に豊富で,インタビューガイドを時間をかけて練っておいたことで救われました。母親たちに「虐待してしまうお子さんと気が合わないと思うことがありますか?」と聞くと,一瞬の沈黙の後,せきを切ったように,「気の合う子を虐待する人なんかいない」と,自分の虐待について,生々しい感情や経験を語り始めました。この概念が,彼女らの経験を言葉にすることを助けていると実感し,怖さは吹っ飛んでいました。この現象に対して何かしなくてはいけない,私にも何かできるのではないかという思いが沸いてきました。

 これは,概念が現象を言葉にすることを助けた例ですが,説得力のあるデータや概念は,どんな人をも一瞬沈黙させ,厳粛な気持ちにさせます。私の場合,鳥肌が立ちます。量的研究でも質的研究でもそれは同じで,その一瞬のために仕事を続けているとさえ思います。政略的な人であっても,弱っている人であっても,真実の前に立ったときの反応は変わらない。そのような力のあるデータを得るには,現象に対する深い関心が源泉になります。もちろん研究の基礎的な知識やテクニックが前提なので,勉強や訓練は大切です。その上で,今つらいこと,行き詰まっていることが強ければ強いほど,その現象や感情を,研究活動を通じて形のある,名前のあるものにすることができることの意味も大きくなると思います。

 研究活動そのものが,ブレークスルーとなりえます。今は少しだけつらいと思うくらいのレベルに取り組んでいるうちに,いつの間にか強くなっていくのだと思います。私も,あともう少しだけ,強くなりたいです。

おもな研究テーマ:精神科看護の機能と効果,非定型抗精神病薬服用中の看護に関するEBMガイドライン作成,質的研究方法を用いた学位論文の評価基準作成。


立ち止まることが次のステップに進むための大事な体験になる

吉田 みつ子(日本赤十字看護大学准教授 基礎看護学/がん看護学)


 新人看護師のとき,辞めたいと廊下で泣いていた私を励ましてくれたのは受け持ち患者さんだった。研究を途中で放り出したいと思ったとき,続けていこうと思えたのもある患者さんからの励ましだった。

 今から12年前,私は緩和ケア病棟でフィールド・ワークを行っていた。ほぼ一日おきに病棟に出向き,看護師らのケアに同行し,患者や家族スタッフと話をしたりして過ごしていた。ホスピス・緩和ケア病棟には固有のケアの文化があるのではないか,それらがどのように作られ,実践されているのかを明らかにしたいというのがテーマだった。4か月がたったころ,私は焦っていた。自分は何のためにここにいるのか。何を明らかにしたかったのか。日々,溜まっていくフィールド・ノーツの中から,意味ある結果が生まれるのか。何の輪郭もつかめないまま過ごす日々,朝起きたら片方の耳が聞こえにくくなっていた。突然トンネルの中に入ったときに感じるような圧迫感で,いくら唾を飲み込んでも元には戻らなかった。とうとう,ストレスで体が悲鳴をあげたのだと思った。しかし,途中で研究を投げ出すこともできず,悶々としながら患者のベッドサイドでケアを手伝ったりしていた。

 しばらくたっても私の耳は相変わらず聞こえにくいままだった。そんななか,30歳代の女性が入院していた。足腰がだるいという彼女をマッサージするのが私の日課となっていた。彼女は乳がんの骨転移のために両下肢が麻痺し,寝返りすら打てなかった。民間療法を強く勧める夫や夫の両親と折り合いが悪く,夫と小学生の娘は遠方の夫の実家で暮らしていた。極度の便秘のために,浣腸や摘便が連日行われ,排便コントロールの処置で半日が終わる。彼女は何をするにも人の手を借りなければならなかった。卑屈になってもおかしくないのに,彼女はいつも明るく,スタッフへの感謝の気持ちを忘れなかった。

 そんな彼女は,私の冴えない顔に気付いていた。ある日,私が帰り際にあいさつに行くと,彼女が布団の中から小さな袋を差し出した。袋を開けると,小さなこまのついたストラップが入っていた。「こまのように,あなたの研究,あなたのこれからの人生がうまく回っていきますようにっていう意味よ」と彼女は笑った。自分のことだけでも精一杯であろう彼女が私にしてくれたこと,伝えたかったことを思うと,自分が情けなかった。研究の行き先が見えないくらいのことで,落ち込んでいてはいけないと身震いがした。その後,彼女は亡くなり,気が付いたら私の耳は治っていた。

 このテーマを論文にするまで,楽な時期はなかった。いつも,いつも,これでいいのかという思いがつきまとい,確たるものをつかめず苦しかった。しかし,今では,研究途上で何をしたかったのかという迷いや問いがわき起こったときに,そこで立ち止まることが次のステップに進むための大事な体験になると思えるようになった。

おもな研究テーマ:がん患者・家族支援のための援助論,看護師の死生観・看護観など


師との対話・酒場で仲間と哲学・発想力を高める自分だけの場

川口 孝泰(筑波大学大学院人間科学総合研究科教授 環境看護学/人間工学)


 ある居酒屋で,私の大学時代の恩師である2人の高名な先生と3人で,学会の裏委員会(?)を開きながら,看護の「若手研究者とは何?」の話に花が咲いた。「ところで,あなたいくつになったの?」と一人の師が私に尋ねた。そのときに話題になったのは,若手研究者って何歳くらいまでなのだろうか……という話であった。なぜこのような話になったかというと,ある規定をつくる過程で,若手研究者を定義しなければならなくなったからだ。科学研究費で若手研究者としている年齢の上限は,確か37歳である。この年齢が妥当かどうかの根拠はどこにあるのだろうか……。こんな話を酒の肴にしながら,随分と酒がすすんだ。

 そのときもう一人の師が再び「あなた,今,何歳なの?」と私に聞いたので,「45歳です」と答えた。「じゃあ,看護の若手研究者の上限は45歳にしましょう」という結論になった。それが後日,何と,ある学会の,ある規定において若手研究者の上限年齢が45歳と決まってしまったのだ。大事な物事は酒場で決まる……なんて理不尽のようだが,考えてみると,酒場のように,リラックスしているときがいちばん頭が柔らかくて,奇抜な発想ができて,でもどこか冷静で……,社会の大事なことは,そんなところから生まれているのかもしれない。

 今回,「私がブレークスルーした“あのとき”」という原稿を依頼されたときに,2つのことが思い浮かんだ。1つは,まだまだ私は若輩者だし,年齢的に若手研究者はとっくに過ぎてはいるが,とてもじゃないけど後輩のためになるようなことは書けそうもないなと思った。もう1つ浮かんだのは,学会や研究会の日の晩,大学院のゼミの日の晩などでの酒場での反省会,ならぬ飲み会であった。飲み会では,いろいろな話はしたが,普段恥ずかしくてあまり言えない学問の悩み話をすることが多かった。考え方の違いで喧嘩になったこともあった。それが今の私の研究人生の大きな糧となってきたからである。

 さて,ブレークスルーって何だろう……。遅ればせながら,少しマジになって調べてみた。いくつかの辞書の解釈を組み合わせてまとめると,ブレークスルーとは,「目の前にある問題や障害物などに価値を見出し,それらを『試練』として受け止め,自分の中に吸収しながら成長をはかること」であるようだ。

 どうやら私のブレークスルーのポイントは,3つほどありそうに思う。1つは,師の意見を直接聞ける機会を積極的につくり,自分の考えをぶつけてみる(私は男なので,多くの師は私を覚えてくれていて,その機会が持ちやすいので本当に得している)。1つは酒場で,マジで学問や研究の話をして,それを肴に盛り上がる。もう1つは,私は自分だけの秘密の茶店がいくつかあるので,そこでひとりになって,気分を変えて頭を真っ白にしてはじめに戻る。

 私のブレークスルーとは,こんなところだろうか……。後輩たちに贈る言葉。それは,「研究に対して恐れず,落ち込まずに常にこだわりを持つ果敢な挑戦者であれ!!」

おもな研究テーマ:環境看護学
 次世代型遠隔看護システムの構築,看護用具・用品および機器の開発研究,バイタルサイン情報の新たな分析手法と測定装置の開発,看護エキスパート支援に関する研究,療養環境の創造とデザイン


根拠にもとづく看護実践:看護の卓越性をもとめて

北村 愛子(りんくう総合医療センター 市立泉佐野病院急性期ケア推進室急性・重症患者専門看護師)


 筆者が勤務する施設では,複雑さを増す現代の医療における看護の質を確保し,さらなる向上をめざして,専門看護領域の認定を受けた看護師たちが,看護管理者と協働しながら実践・教育・調整・相談・研究活動をしています。

 筆者は看護実践者として卓越した看護の展開をめざし,“専門看護師(CNS)として何ができるのだろう”という疑問と同時に,自分の能力に限界を感じることもありました。「必ず,成長できる」と言ってくださった恩師の言葉を思い起こしても,一向にその卓越性の実感が湧いてきません。自分の実践を研究的に分析することで何か見えるかもと考え,1年目に直接実践事例を分析し始め,2年目には相談事象の分析を,3年目には調整依頼の分析を,活動と同時進行で進めました。この分析により,課題である専門性や卓越性が得られると仮定し,努力しました。

 患者・家族・医療者に許可を得て,質的研究の手法で事例を振り返り,データ化をすると,役割内容が明らかになり,自己の課題が見えるようになってきました。看護介入の開発に必要な知識は,国内外の論文検索により,既存のデータを活用して実行し,評価しました。このような探求の時間を過ぎた後,専門看護師の研究のありようは,STEP1「研究結果を解釈し看護実践に活用する」,STEP2「看護実践(看護チームの活動も含む)を評価する」,STEP3「研究を実施する」という段階を経ていたことに気づきました。

 そして,その時間のなかにはいつも,複雑で困難な健康問題を有する患者・家族がおられ,その方々から「あなたの仕事は,まだ人に知られなくて分かりにくいものかもしれませんね。でもこんなに大変で重要な仕事,ケアを受けた私たちが一番よく知っています。何があっても続けてください,何があってもあきらめないで,患者のためにいてください」と言われた瞬間,自分の能力やCNSとしての自律性の少なさで研究活動への困難さを感じていた筆者に,“しなくてはならないことをやっていこう”という決意が湧いてきました。

 チームの協力で徐々にCNSが活用されるようになり,CNS実践の有効性が評価され始めました。そのころから,多くの出来事を理解し始めました。患者と家族によいケアをして,看護理論・モデル・研究成果がはじめて生きると実感しました。1つひとつのケアが創り上げる事実や複雑さを解こうと理論を用いて実践し,さらなる根拠を求める毎日から,多くの知識が統合されることにも気づきました。

 よい看護実践――よりよいケア,よりよい結果(Good practice-better care, better outcome)――この実感が,卓越性への道に通じていると感じています。