BRAIN and NERVE Vol.75 No.12
2023年 12月号

ISSN 1881-6096
定価 2,970円 (本体2,700円+税)

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2021年(芸術家),2022年(映画)に続く,クリスマス企画の第3弾。「ミステリーの女王」として名高いアガサ・クリスティー(1890-1976)は,第一次世界大戦中にボランティアの看護師として働いただけでなく,調剤師の資格を得て薬剤師の助手を務めた経験があり,その作品の多くで毒物の作用が正確に描かれている。それは実際の毒殺事件において,病理学者が作品の記述を参考にしたほどであった。本特集では,作中で扱われた神経系症状を伴う毒物に焦点を当て,その作用機序や治療法などを,薬理作用や病理に関する現代の知見も織り交ぜながら解説している(項目は原著の発表順)。今宵は不朽のミステリー作品の世界に触れながら,人間心理や神経毒への洞察を深めたい。            

ストリキニーネ『スタイルズ荘の怪事件』—グリシン作動性シナプス伝達の遮断 渡辺 雅彦
ストリキニーネは古典的ミステリーでしばしば登場する毒物であるとともに,医療やさまざまな用途で用いられてきた。その作用点はグリシン受容体と明快であり,抑制性シナプス伝達を担うグリシン伝達の阻害である。その強力な興奮作用により,経口摂取後,強直性痙攣,後弓反張,痙笑などの激しく苦悶に満ちた特徴的な症状が現れる。この症状は破傷風の病態基盤とも関係し,この薬剤は神経科学から医学医療にまで及ぶ重要なトピックである。

コカイン『戦勝記念舞踏会事件』 詫間 章俊
『戦勝記念舞踏会事件』はコカイン使用を背景とした殺人事件を描いたもので,作中にも実際にコカイン中毒の症状などが描かれている。一方でコカインは昔,麻酔薬として目や鼻などの手術に使用され,19世紀後半には米国でコカ・コーラの成分として使用されていた。日本においても薬物汚染が問題視される中,作品の内容とともにコカイン中毒の現状や危険性,医療機関と行政の連携の必要性についても触れていきたい。

ゲルセミウム『ビッグ4』 船山 信次
アガサ・クリスティーの『ビッグ4』には,「黄色いジャスミン」の名で,猛毒アルカロイドのゲルセミンを含む有毒植物Gelsemium sempervirensが現れるが,この植物は,わが国ではカロライナジャスミンの名前で知られる。一方,その近縁の植物として,中国南部〜東南アジアに自生する猛毒植物Gelsemium elegansもあり,その根の乾燥品は「冶葛」という生薬名で,古来,奈良の正倉院に収蔵されている。      

ベロナール『エッジウェア卿の死』—鎮静と依存の両刃の剣 虫明 元
ベロナールは20世紀初頭に登場し,当時は睡眠薬として広く使われていた。アガサ・クリスティーの小説の中でも用いられている。ベロナールや同様の作用機序を持つ他の睡眠薬には,鎮静作用のほかに,中毒や過剰摂取につながる暗い側面があることが判明している。バルビツール酸の過剰摂取による死者にはマリリン・モンローも含まれている。日本では,芥川龍之介が自殺した際に服用したことで知られている。夏目漱石はこの睡眠薬に手を出したものの,結果はまったく違った。漱石は多くの弟子に囲まれており,その弟子の一人が副作用に気づき,服用をやめるように勧めた。これは,依存症がその人を取り巻く社会的関係によっていかに左右されるかを端的に示す例である。

ニコチンと殺虫剤・たばこ『三幕の殺人』 山脇 健盛
主人公の一人が俳優であったことより,3件の殺人事件が幕に例えられている。一見関連のないように見えた3件の事件が,最後につながってくる,アガサ・クリスティーならではの醍醐味である。本書での殺人事件では3件ともニコチンが使われている。ニコチンといえばたばこが連想されるが,当時は殺虫剤の主流がニコチンであり,容易に入手可能であった。ニコチンは体内に入ると,アセチルコリン受容体に結合して,さまざまな症状を呈する。

砒素中毒『殺人は容易だ』 神田 隆
アガサ・クリスティーの探偵小説『殺人は容易だ』は,イギリスの片田舎で起こった連続殺人事件の犯人が実は想像もできない人物であった,想像されない限り殺人は容易なのだ,というメッセージを込めた表題を有している。砒素はこの小説でも殺人の道具として用いられており,この小論は,亜ヒ酸中毒の神経学的症候について読者の知識を深めることを目的とした。今後も亜ヒ酸を用いた犯罪行為は私たちの前に現れる可能性がある。確実な診断にはここで著した基礎的知識を持つことが大前提であるが,それと同時に,常識にとらわれない柔軟な思考も要求されることをこの小説は示している。

シアン化合物『そして誰もいなくなった』,『忘られぬ死』 唐木 英明
『そして誰もいなくなった』と『忘られぬ死』では各2人がシアン化合物で殺される。この毒は無味,無臭だが強アルカリ性で,経口摂取では消化管に強い刺激がある。胃液の塩酸と反応してシアン化水素ガスになり,吸収されてミトコンドリアの電子伝達系を阻害し,アデノシン三リン酸(adenosine triphosphate:ATP)産生を止める。そのためATP消費量が多い中枢神経系が最初に障害を受け,めまい,意識障害,昏睡,痙攣などが起こる。経口致死量は300mg程度である。

モルヒネとアポモルヒネ『杉の柩』 尾久 守侑
アガサ・クリスティー『杉の柩』には,モルヒネとアポモルヒネを使った印象的なトリックがある。本論では,実際に自分が犯人であったらという連想をしながら本書を読み,モルヒネとアポモルヒネの作用についても考察した。

コニイン『五匹の子豚』 酒井 邦嘉
本論では,アガサ・クリスティーによる小説『五匹の子豚』を読み解き,その作中で重要な役割を果たす神経毒「コニイン」について概観する。コニインはニコチン性アセチルコリン受容体の拮抗薬であり,末梢神経系に直接作用して遅効性の麻痺を引き起こす。この毒薬の歴史は古く,ソクラテスの刑死に使われたことが哲学書『パイドン』に描かれている。そうした背景を踏まえて,クリスティーの人間観や創造力についても議論する。

ベラドンナ(アトロピン)『ヘラクレスの冒険』 古谷 博和
『ヘラクレスの冒険』の第7話「クレタ島の雄牛」ではアトロピンが重要な役割を果たしている。アトロピンは中枢神経系の副作用としてせん妄錯乱状態,幻視,幻覚,見当識障害,記憶障害などを容易に誘発する。この挿話では,依頼者の婚約者に自分が難治性の遺伝性神経変性疾患に罹患していると思い込ませるため,目薬から濃縮されたアトロピンによって起こされた副作用が悪用され,ポアロはその症状を見抜いて事件を解決した。

タキシン『ポケットにライ麦を』—カルシウムチャネル・ナトリウムチャネル阻害剤 古泉 秀夫
『ポケットにライ麦を』はアガサ・クリスティーの創造したミス・マープルが活躍する長編である。殺人に使用されるタキシンはイチイの木の果肉(仮種子)以外に含まれるアルカロイド化合物で,ジテルペンが基になり,多くの骨格構造の1つに,側鎖として窒素元素が組み込まれている。タキシンはナトリウムチャネルに結合するため,筋肉の収縮が調節できず,不整脈を生じる。

トリカブト『パディントン発4時50分』—ナトリウムチャネルの持続的な活性化 小原 佐衣子
『パディントン発4時50分』の物語で使用された毒はトリカブトであった。トリカブトは,キンポウゲ科の多年草で,世界中に約300種類が存在する。根,茎,葉,花などすべての部分にアコニチン系アルカロイドを含む。アコニチン系アルカロイドは,心筋,中枢神経,骨格筋の電位依存性ナトリウムチャネルに作用し,持続的に活性化させる。心筋細胞では自動能がトリガーされ早期興奮が誘発され,さまざまな心室性不整脈を引き起こす。

タリウム『蒼ざめた馬』—いかに診断し治療するか 下畑 享良
『蒼ざめた馬』はアガサ・クリスティーによる推理小説で,タリウムが毒物として殺人に使用されている。タリウムは無味,無臭,かつ水溶性であるために,これまで数多くの事故や事件の原因となった。近年,タリウムの入手は困難であるが,それでもタリウムを使用した事件が発生している。しかしタリウム中毒の診断は容易ではない。本論では,いかにタリウム中毒を見抜くか,またいかに救命するか,の2点を示すことを目的としたい。

エゼリン(エセリン)『ねじれた家』,『カーテン』 髙尾 昌樹
エゼリンはエセリンと称されることもあり,フィゾスチグミンのことでアルカロイドに分類される。コリンエステラーゼ阻害薬であり,アガサ・クリスティーの小説『ねじれた家』や『カーテン』で扱われた。臨床医学では緑内障の点眼治療薬として使用され,重症筋無力症,アルツハイマー病,遺伝性小脳失調症の治療薬としても検討された。現在は,抗コリン薬による中毒の治療薬としての役割を有している。

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医書.jpにて、収録内容の記事単位で購入することも可能です。
価格については医書.jpをご覧ください。

特集 アガサ・クリスティーと神経毒

ストリキニーネ『スタイルズ荘の怪事件』──グリシン作動性シナプス伝達の遮断
渡辺雅彦

コカイン『戦勝記念舞踏会事件』
詫間章俊

ゲルセミウム『ビッグ4』
船山信次

ベロナール『エッジウェア卿の死』──鎮静と依存の両刃の剣
虫明 元

ニコチンと殺虫剤・たばこ『三幕の殺人』
山脇健盛

砒素中毒『殺人は容易だ』
神田 隆

シアン化合物『そして誰もいなくなった』,『忘られぬ死』
唐木英明

モルヒネとアポモルヒネ『杉の柩』
尾久守侑

コニイン『五匹の子豚』
酒井邦嘉

ベラドンナ(アトロピン)『ヘラクレスの冒険』
古谷博和

タキシン『ポケットにライ麦を』──カルシウムチャネル・ナトリウムチャネル阻害剤
古泉秀夫

トリカブト『パディントン発4時50分』──ナトリウムチャネルの持続的な活性化
小原佐衣子

タリウム『蒼ざめた馬』──いかに診断し治療するか
下畑享良

エゼリン(エセリン)『ねじれた家』,『カーテン』
髙尾昌樹


■総説
筋萎縮性側索硬化症(ALS)のリハビリテーション医療とALSクリニック
海老原 覚,他

精神展開剤の過去・現在・これから
内田裕之

■Original Article
The Relationship between the Autistic Traits and Everyday Memory Processing in Adults with Autism Spectrum Disorder and Healthy Adults
Shuhei Kaneko, et al


●医師国家試験から語る精神・神経疾患
第12回 筋萎縮性側索硬化症(ALS)
荻野美恵子

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