異界の歩き方
ガタリ・中井久夫・当事者研究
行ってきます!──精神医療を刷新する意外な到達点。
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精神症状が人をおそうとき、世界は変貌する。異界への旅が始まるのだ。そのとき〈旅立ちを阻止する〉よりも、〈一緒に旅に出る〉ほうがずっと素敵ではないだろうか。フェリックス・ガタリの哲学(「機械」!)と、べてるの家の当事者研究(「誤作動」!)に、中井久夫の「生命」への眼差しを重ね合わせると、新しいケアとエコロジーの地平がひらかれる! これまで交わらなかった三者による、発見と生成と意外な到達点。
シリーズ | シリーズ ケアをひらく |
---|---|
著 | 村澤 和多里 / 村澤 真保呂 |
発行 | 2024年09月判型:A5頁:280 |
ISBN | 978-4-260-05734-9 |
定価 | 2,200円 (本体2,000円+税) |
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序文
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序章 異界に分け入る
新世紀とともに浦河町ではじまった「当事者研究」は、筆者〔和多里〕が北海道に戻ってきたころには、全国的なムーブメントになりつつあった。しばらくのあいだ、筆者は少し斜めに構えてそれを見ていたのであるが、しだいに長いあいだ陥っていたジレンマを解くヒントが、そこにあるように感じられてきた。
もっとも、筆者が当事者研究を最初に体験したのは、それをはじめた社会福祉法人「浦河べてるの家(以下、べてるの家)」の人からではなく、勤務している大学の同僚で、札幌市の発達障害者支援をリードしてきた山本彩の手ほどきによるものであった。
あるとき、山本は大学院の実習授業のなかで、自身がおこなってきた当事者研究の実践について話していた。「自己病名」をつけるところの説明は、少しロールプレイの要素を取り入れることになっていた。事前の打ち合わせのとおり、筆者はそれほど深刻ではない困りごとを提示する役割を演じた。
筆者 忘れものや無くしものが多く、毎日のように探しものをしていることかな。
山本 それわかる。村澤さん、昔からだよね。
山本は、筆者が臨床心理学の現場で実践をはじめたころから議論を交わしてきた旧友でもある。
筆者 ていうか、僕のまわりから勝手にものがなくなっちゃうんだ。
山本 それで、そのときどうするの?
筆者 でも、周囲の人にそれを悟られたくないから、それとなく情報収集をしながら、怪しい場所を探してるんだよ。
山本 たぶんバレバレだけどね。
このような会話をしていたと思う。すると大学院生が言った。
院生 それってなんか探偵みたいですね。
筆者 えっ?
院生 情報収集しながら現場検証しているんですよね。
山本 なるほど、たしかに。
このようなやりとりを経て、筆者の自己病名は「毎日が探偵病」に決定した。ミステリー小説が好きな筆者は、この少しハードボイルドな自己病名がすっかり気に入った。そして、見方を変えるだけで自分の困りごとが生活を豊かにしてくれるもののように思えることを、魔法のように感じたのだった。
もしかしたら、筆者に変化が起きたのはこのときなのかもしれない。
この本では、「心のケア」とはどのような営みなのか根本から問い直すことを試みる。しかし、それは精神医療的なケアの理想の姿を検討するということではない。その前に、そもそも「心」[★1]というものが医療の対象とされ、ケアされるということがいかなる事態であるのか問う必要がある。そしてこの試みは、「生命」という視点から「心」という概念を問い直すことに行き着くだろう。
この本の筆者はふたりいる[★2]。ひとりは臨床心理学者で、もうひとりは社会思想史の研究者である。臨床現場での経験から帰納的に浮かび上がってくる知見と、哲学的視点から演繹的に導かれる論理とを結びつけることによって、これまで描きえなかった「心のケア」のパースペクティブを開いていきたいと考えている。
むろん、このような試みはこれまでにも繰り返しおこなわれてきた。筆者は、これまでに精神医療のパースペクティブを一新させることを試みた人物のなかで、「反精神医学の旗手」と呼ばれたR・D・レイン、そしてその運動に共感しつつもそれを批判し、哲学者ジル・ドゥルーズとの共著によって現代思想に大きな影響を与えたフェリックス・ガタリがとりわけ重要であると考えている。
また、べてるの家とそこで生まれた「当事者研究」という実践は、筆者に多くのヒントを与えてくれた。その実践を読み解こうと試みるなかで、これまで見えていなかった潜在的なものを、可視化してとらえることができるようになったからである。
しかし、これらの実践は、それぞれの国と時代という文脈に根ざしたもので、これまで結びつけられることはなかった。筆者は、これらの実践を翻訳しその潜在的な意義を浮かび上がらせるために、レインやガタリと同時代人で、また彼らと比肩する稀有な精神医療理論を展開したわが国の精神科医、中井久夫の思想が不可欠であると考えている。中井の思想を読み解くことは同時に、レインとガタリのあいだの隔たりを埋め、当事者研究に潜在する意義を浮き彫りにしてくれるであろう。
鍵になるのは「異界」である。
私たちが心を病み、「あたりまえ」の世界を失うとき、そこには必ず異界の扉が開いている。多くの「心のケア」においては、この異界の存在を見ないようにしたり、その扉をなんとか塞ごうとしたりすることに力が浪費されてきた。
しかしその結果、かろうじて「あたりまえ」の世界が維持できていたとしても、それと引き換えに、生命の輝きはくもり、ただ生かされるばかりの存在になってしまうこともある。生きることと、死なないこと、生かされることは違うのだ。
この本では、あえて異界に分け入っていこうとした人々の実践と思索をたどっていく。その道のりは真っ直ぐであるはずもないが、それをくぐり抜けることによって、私たちはふたたび真の意味で生きられる世界へとたどりつくことができるのではないだろうか。
先人たちの張った伏線をたぐりながら、この異界を歩く地図を描くことが、この本の真の目的であるのかもしれない。
少し前置きが長くなった。これから伏線を回収しにいくことにしよう。
[★1] 本書では、前後の文脈に応じて「心」「心理」「精神」という言葉を使い分けるが、その意味は同じである。
[★2] 「筆者」という言葉は、基本的にはその章の原案を書いたものを指す。ただし、その場合も文の内容は両者が合意したものであるので「筆者たち」の意味が含まれる場合もある。なお第III部は村澤真保呂、それ以外は村澤和多里が原案を執筆し、それをもとに相互に加筆を繰り返した。
目次
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序章 異界に分け入る
I 異界
第1章 症状を活かす
第2章 「憑きもの落とし」と当事者研究
第3章 「個人症候群」と異界
コラム1 向谷地生良とべてるの家
II 自然治癒過程
第4章 レインと「反精神医学」の試み
第5章 中井久夫と流動の臨床哲学
第6章 心の自然を取り戻す
コラム2 中井久夫の「寛解過程論」
III 精神のエコロジー
第7章 精神のエコロジーにむかって
第8章 精神、文化、自然
第9章 自然環境にむけてケアをひらく
コラム3 ラトゥールとガタリ
終章 すぐそばにある異界
引用・参考文献
あとがき