慢性痛のサイエンス 第2版
脳からみた痛みの機序と治療戦略
慢性痛のメカニズムを解き明かす。国際的潮流を踏まえた最新版
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「痛みの定義」の改訂、Nociplastic Pain(「痛覚変調性疼痛」)の定義といった、国際的な潮流を反映して全面改訂。慢性痛のメカニズムを脳科学的視点から丁寧に解き明かす。第7章「神経変性疾患と慢性炎症」では慢性痛を訴える難病患者の脳を、また新規8章「腸の痛み、腸と脳の連関」では腸が脳に与える影響といった、慢性痛のミッシングピースを大胆に考察して大幅加筆。慢性痛患者に携わるすべての医療者必読の書。
著 | 半場 道子 |
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発行 | 2023年03月判型:A5頁:296 |
ISBN | 978-4-260-05076-0 |
定価 | 3,960円 (本体3,600円+税) |
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- 目次
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序文
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第2版の序
本書は多数の読者に支えていただき,第2版の時を迎えました.改訂の理由は,「痛みの定義」が国際疼痛学会(IASP)によって41年ぶりに改定され(2021年7月),nociplastic painの邦訳が「痛覚変調性疼痛」に承認された(日本痛み関連学会連合2021年9月)からですが,Nobel賞を受けたPIEZO receptorの発見や,ワクチンによる免疫抗体形成など,素晴らしく進化を続けるサイエンスを加筆しました.
本書の出版は,痛み研究の世界的先駆者Dr. Patric D Wallから筆者に課された宿題でした.Dr. Wallは“The Challenge of Pain”の翻訳依頼のため,東京医科歯科大を1985年に来訪された時,痛みの概念を“Pain is multidimensional experience with sensory-discriminative, affective-motivational, and cognitive-evaluative components”と,端的に表現されました.慢性痛患者の病像を基に構築されたこの概念は,それ以後のIASPの痛み研究の礎石になり,nociceptive pain とneuropathic painに続いて,nociplastic painの確立につながりました.卓越した先駆者の優れた洞察力にあらためて敬意を表しながら,第2版の語彙変更を記しました.
慢性痛の患者数は各国とも人口の20%を超え,神経変性疾患の患者数も膨大です.これは世界の大きな課題です.第2版では脳の劣化を招くものは何かに焦点を当て,腸脳連関と免疫系の章を加えました.本書の試みが慢性痛の新しい治療法を拓く嚆矢となることを心から願っております.
2023年1月
半場道子
目次
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第1章 慢性痛とは何か
I 慢性痛の定義と分類
1.痛みの定義
2.慢性痛の分類
II 慢性痛をめぐる問題
1.日本における慢性痛
2.慢性痛の患者数と医療費
3.慢性痛と精神疾患
III 慢性痛の評価法
1.痛みの強さの評価法
2.質問票による痛みの評価法
第2章 慢性痛のメカニズム
I 痛みを伝える情報伝達系
1.痛覚投射経路
2.広範な脳領域
II 痛みを抑制する脳内機構
1.Mesolimbic Dopamine Systemと疼痛抑制機構
2.下行性疼痛抑制系
3.Placebo Analgesiaと脳内変化
第3章 侵害受容性の慢性痛
変形性膝関節症
1.変形性膝関節症への新しい視点
2.変形性膝関節症と慢性炎症
3.変形性関節症の痛み
4.痛みを軽減する薬物
5.DMOADsの薬理作用と開発の現状
6.OA患者急増の社会的リスクファクター
第4章 神経障害性の慢性痛
1.神経障害性の痛み
2.痛みを慢性化させる要因
3.痛みの慢性化を防ぐには
第5章 痛覚変調性の慢性痛
I 慢性腰痛
1.慢性腰痛の脳内で何が起きているか?
2.腰痛を慢性化させる要因
II 線維筋痛症
1.線維筋痛症の痛み
2.線維筋痛症患者の脳で何が起きているか?
III 慢性痛覚過敏,広汎性痛覚過敏(Widespread Hypersensitivity)
IV 痛覚変調性の慢性痛:脳内でどんな機序が起きているか?
V 痛みを難治性疼痛に転化させる破局的思考
Default Mode Networkに反映される破局化思考
第6章 慢性痛の治療法
I 薬物療法・神経ブロック
1.非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)
2.アセトアミノフェン(acetaminophen)
3.麻薬性鎮痛薬,合成麻薬,オピオイド
4.抗てんかん薬(抗けいれん薬)
5.抗うつ薬(antidepressants)
6.神経ブロック
II 認知行動療法・マインドフルネス
1.認知行動療法(CBT)
2.マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)
3.治療で回復する慢性痛患者の脳
III 脳刺激法
1.大脳皮質運動野刺激
2.反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)
3.経頭蓋直流刺激(tDCS)
IV 筋運動
1.筋運動による痛みの軽減
2.筋活動の生理的意義:骨格筋は分泌器官
3.筋活動の生理的意義:PGC1-αの発現
4.PGC1-αによる慢性炎症の抑制
5.PGC1-αの抗酸化・抗老化作用
6.PGC1-αによる筋力増強作用
7.健康維持に適した筋運動は?
第7章 神経変性疾患と慢性炎症
I パーキンソン病
1.パーキンソン病:運動症状と非運動症状
2.パーキンソン病の痛み:脳内機構
3.脳内ドパミンの変動と痛み
4.パーキンソン病の痛みの治療
5.パーキンソン病発症を源にさかのぼる
II 脳と慢性炎症
1.免疫細胞とインフラマソーム
2.慢性炎症は「万病の源」
3.慢性炎症を抑制する薬は?
III 慢性痛とDepression
1.Depressionの分子機構:脳内で慢性炎症が起きている
2.脳内炎症が意欲と精神活動を停滞させる
3.ケタミンによるDepressionの回復
IV 脳と認知機能障害
1.アルツハイマー病の症状と脳画像
2.アルツハイマー病の生物学的基盤――アミロイドβとTau
3.アルツハイマー病の生物学的基盤――脳内グリアによる慢性炎症
4.認知症と海馬――認知症と海馬体積,長寿者の脳
5.認知症のリスクファクターとその対策
V 記憶のメカニズム
1.海馬――記憶の中枢
2.海馬では日々,ニューロンが新生している
3.新生ニューロンが記憶機能を担う
4.高齢者の脳と記憶力
5.認知機能と筋運動
6.海馬萎縮の原因
7.記憶には反復と睡眠
VI 高齢者とサルコペニア
1.サルコペニア――死のリスク
2.サルコペニアの診断
3.サルコペニアの機序
第8章 腸の痛み,腸と脳の連関――Gut-Brain Interaction
I 腸管の侵害受容機構
1.腸管は生体防御の激戦区
2.炎症性腸疾患,過敏性腸症候群
3.消化管の神経機構
4.腸管に分布する侵害受容体
5.TRPV1は免疫系の斥候――病原菌侵入を阻止する
6.制御性T細胞(Treg)による免疫寛容――食物アレルギーの抑制
II 神経変性疾患と腸脳連関
1.シヌクレイン症(パーキンソン病,多系統萎縮症,Lewy小体病)
2.パーキンソン病発症リスクと炎症性腸疾患
3.根源的な謎:α-Synとは何か
4.血液脳関門Blood Brain Barrierの構造
5.BBBの崩壊――アルツハイマー病,パーキンソン病,COVID-19
6.脳の老化は腸から始まる――加齢とDysbiosis
III ワクチンと腸内細菌
1.ワクチンをめぐる謎――副反応だけ重くて抗体ができない?
2.中和抗体の産生に腸内細菌が必要
3.二次胆汁酸と制御性T細胞――重い副反応が抑制される
終章
1.慢性痛の謎解きと進化の系譜――古代の海から宇宙ステーションへ
2.快・不快情動に焦点を当てる――今後の医療の根幹
3.人は希望によって生きる
索引
あとがき
BOX一覧
痛みの研究に変革をもたらした機能的脳画像法
「古代エジプトの秘薬とケシの用例」
TRP とPIEZOにノーベル生理学・医学賞
慢性炎症とインフラマソーム
複合性局所疼痛症候群(CRPS)と脳構造の変容
エピジェネティック修飾
安静時ネットワークDefault Mode Network
海馬とノーベル賞
書評
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治療に難渋する慢性痛を脳内機構の変化からとらえた画期的な書
書評者:小川 節郎(日大名誉教授/総合東京病院ペイン緩和センター長)
慢性痛を理解するためのバイブルとされる半場道子氏の『慢性痛のサイエンス』が改訂された。本書は副題に「脳からみた痛みの機序と治療戦略」とあるように,慢性痛の謎解きに脳科学,神経科学の視点から迫った最初の本である(初版の序より)。項目をみると,初版では,「第1章 慢性痛とは何か」,「第2章 慢性痛のメカニズム」,「第3章 侵害受容性の慢性痛」,「第4章 神経障害性の慢性痛」,「第5章 非器質性の慢性痛」,「第6章 慢性痛の治療法」,「第7章 神経変性疾患と慢性炎症」の7章であったが,第2版では,「第5章 非器質性の慢性痛」が「第5章 痛覚変調性の慢性痛」に変更され,さらに最近,大きな注目を集めている腸と脳の連関が第8章として追加されている。本書を改訂した大きな理由の一つとして,国際疼痛学会において「nociplastic pain」の概念が追加されたことを挙げている。わが国ではこれの日本語訳が「痛覚変調性疼痛」として承認され(日本痛み関連学会連合,2021年9月),本書の第5章として解説されている。
さて,慢性痛は単に急性痛が長引いたものではなく,脳回路網の変容による痛みが主体であるため,急性痛の機序と比べて非常に複雑で,かつ不明な点が多い。そのため治療に難渋するケースがほとんどである。しかし近年,機能的脳画像法の進歩によって脳内機構が解析されるようになり,痛みの概念に大きなパラダイムシフトが起きて,その脳内機構に合わせた治療法の開発が進んでいる(初版の序より)。本書は各項目において脳内機構を基にした解説がなされ,これまで説明が困難であった痛みについて明快な紐解きがなされている。
ここで慢性痛の臨床の場面をみてみよう。一例を挙げれば,「いくつかの病院でさまざまな検査をされたが異常はないと言われた。でも,全身の痛みがひどく,一体,私の痛みは何なのでしょう!?」といった患者にまれではなく遭遇する。線維筋痛症や広汎性痛覚過敏などがこれにあたる。このとき患者に「何が起きているか」を説明できることが治療の第一歩となるが,本書においては「線維筋痛症患者の脳で何が起きているか?」の項目でこの問題が解説されている。それは(1)中枢性疼痛抑制系の破綻,(2)μ-オピオイド受容体の消失,(3)脳構造上の変化,さらに最近では(4)として,発症機序にミクログリアによる慢性炎症,などであるが,それぞれについて研究結果を基にした詳細な解説がなされている。これらの知識があれば,このような患者に対しても「何が起きているか」を説明でき,患者の不安を取り除くことが可能である(もちろん,かみ砕いた説明が必要であるが)。このような脳内機構の変化からみた疾患の機序については,線維筋痛症のほか,慢性腰痛,変形性膝関節症,パーキンソン病,アルツハイマー病などについても解説され,新しい側面からの新鮮な知見に驚かされる。
腸内細菌叢の異常や慢性の便秘,また炎症性腸疾患が慢性痛の発生に大きく関与していることが注目されている。パーキンソン病,アルツハイマー病の発症にも腸管の異常が関与していることが判明している。この腸-脳連関についても新しい知見が示され,臨床の面でも,慢性痛患者への対応として便通の状態に注目する必要性が出てきた。
本書はこのように治療に難渋する慢性痛を脳内機構の変化からとらえた画期的な著書であり,慢性痛に対応する全ての医療従事者にとって必読なものと確信する。
慢性痛を考え,理解する上でのバイブル
書評者:山下 敏彦(札幌医大理事長・学長)
本書『慢性痛のサイエンス』は,私にとって,慢性痛を考え,理解する上での「バイブル」的書籍である。このたび,内容がアップデートされ,ボリュームアップした第2版が出版されたことを大変うれしく思う。
近年,慢性痛の発生や持続には,単に組織の損傷や脊髄・末梢神経の障害だけではなく,脳の機能不全が深く関与していることが神経科学的研究により明らかにされているが,臨床家にとってそのメカニズムを理解することは決して容易ではない。しかし,本書では,中脳辺縁ドパミン系(mesolimbic dopamine system)や下行性疼痛抑制系といった複雑な神経メカニズムを,明快な図とともに,読みやすい文章で順序立てて解説されており,読み進めるうちに自然と理解が深まってくる。
「読みやすい文章」と書いたが,それは学術書にありがちな無味乾燥な文章とは異なるだけでなく,太古の時代や現代社会における人類の痛みとの戦いの挿話を随所に交え,「痛み」と「人間」に対する半場道子先生の熱い想いが込められた,いわば血の通った文章である。
半場先生は,基礎科学者であるが,「変形性膝関節症」や「慢性腰痛」など実臨床で頻繁に遭遇する疾患についても,病態はもとより,その臨床像や治療法に関して的確に解説されている。半場先生が,いかに日頃から臨床家と緊密にコミュニケーションをとり,臨床の現場の実態を把握しているかがわかる。
今回改訂された第2版では,新たに「腸の痛み,腸と脳の関連」が第8章として章立てられているのが大きな特徴である。直感的には,腸と脳がつながっているとは,にわかには理解し難いが,α-シヌクレインやアミロイドβなどの異常タンパクが,腸管-末梢循環-脳微小血管-脳神経核といったルートで運ばれる。そこには血液脳関門(BBB)の破綻という現象が関与する。ことほど左様に,慢性痛のメカニズムは奥が深いのである。
初版からの本書の中心的テーマである「脳機能不全に基づく慢性痛」は,これまで「非器質的疼痛」あるいは「機能性疼痛」「心因性疼痛」などと呼ばれてきたが,2021年,日本痛み関連学会連合評議会により,「痛覚変調性疼痛(nociplastic pain)」と命名された。第2版では,この「痛覚変調性疼痛」という用語が統一して用いられ,その位置付けがより明確になっていることも大きな変更点である。
慢性痛に関与する脳内の情報伝達系は,快情動や不快情動にも関与し,それは人間の「生きる力」,「生命力」にすら影響を及ぼすと半場先生は説く。圧巻は「終章」である。V. Frankl著『夜と霧』を引用し,第2次世界大戦末期,アウシュビッツの強制収容所から生還した人々に共通していたのは,「希望」を失わなかったことだったとする。人が「希望」を抱く時,脳内のドパミンシステムが活性化し,生存意欲や生命活動が増強する。すなわち「人は希望によって生きる」のである。私は初版のこの言葉に深く感動し,いろいろな場面で引用させていただいた。現代において,コロナ禍で傷ついた人々も,ウクライナで戦禍に怯える人々も,未来への「希望」を絶やさず生きているに違いない。私は,第2版の「終章」を再び読み返し,再び涙が出るほど感動した。
医療者は,自分の言葉や態度が患者さんの「脳内メカニズム」すなわち「心」に想像以上に大きな影響を及ぼすことを自覚しなければならない。そして,患者さんに「希望」を抱かせることのできる医療者が,真に優れた医療者だと言える。それこそが,本書を通じて半場先生が伝えたかったメッセージなのではないかと思う。