疼痛医学
基礎神経科学から診断・治療法まで,疼痛医学を縦断的に解説する本邦初のテキスト。
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2021.05.28
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序文
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痛みは誰しもが経験するものである.この本を編纂している2020年7月にInternational Association for the Study of Pain(IASP)は「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する,あるいはそれに似た,感覚かつ情動の不快な体験(日本疼痛学会訳)」と痛みの定義を40年ぶりに改定した.定義の付記には“痛みを経験しているという人の訴えは重んじられるべきです”とあるが,このような痛みを主訴に多くの患者は病院を受診する.
医学領域において“痛み”は,身体のさまざまな部位で引き起こされた異常を患者に知らせる徴候として診断などに重要な役割を果たすだけでなく,それ自体が苦痛であることから,古くから研究・治療の対象となっている.特に近年,神経科学研究の進歩は著しく,身体のさまざまな部位における疼痛の神経メカニズムの解明が進んできており,それに伴った新しい治療法も開発されてきている.
長引く痛み(=慢性疼痛)に苛まれる患者は多く,現代の医療における大きな課題である.近年,慢性疼痛の発症・維持には末梢・神経・脳も含めた生物学的メカニズムと,心理社会的な要因やそれに伴う疼痛行動などが関連していることが行動科学・脳科学の研究で明らかにされてきている.また,これらを病気・症候群として取り扱うという考え方に基づき,2019年にWHOとIASPでは,新しく導入されたICD-11にchronic pain(慢性疼痛)の分類を加えた.今後慢性疼痛の診療レベルを向上させるには,これらを使った治療スキームなどを構築すると同時にその実装に向けて学んでいく必要がある.
上記以外にも疼痛領域には多くの課題がある中で,それぞれの痛み患者に適切に対応できる医療を発展・普及させるためには,痛み(医療)の教育などの広い取り組みが必要である.日本の痛みの教育は,痛みを主訴とする疾患に対して,担当診療科がそれぞれ各論ベースで行ってきているが,末梢から中枢に至る神経ネットワークや心理社会的あるいは全人的な観点からの教育はこれまで全く行われていなかった.慢性の痛み対策の必要性から,2010年になって厚生労働省では治療システム構築や医療者教育を始め,遅れて文部科学省も2016年から高度医療人材養成プログラムを開始したところである.このような動きに前後して一部の大学でも医学部の講義として痛み(疼痛)の教育が始められ,疼痛医学あるいは疼痛医療学などとして単位を出せるようなってきた.一方でこれまで本邦において疼痛医学の授業に正面から対応できる教科書ともなる成書は存在していない.
本書は本邦で初めての“疼痛医学”としての教科書であり,第一線の疼痛の研究や教育に携わっている99名で分担執筆した.パイロット版の作成を経て正規版の作成に至ることができたが,熱意をもって執筆作業に当たってくださった先生方ならびに編集や協力いただいた諸氏に改めて感謝を申し上げたい.将来,本書で学んだ医学生あるいは痛み医療にかかわる医療者が,医療現場で痛みに苦しむ患者を救うことができることを願うものである.
2020年9月
田口敏彦
飯田宏樹
牛田享宏
目次
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1.痛みの定義
1 痛みの生物学的意義
2 侵害受容性,神経障害性,nociplasticな疼痛の区別
3 慢性疼痛の分類とICD-11
2.痛みと社会
1 疫学
2 痛みの医療経済
3 痛み研究の歴史と倫理
第II編 基礎科学
1.痛みの神経解剖および神経生理学
1 末梢受容体と一次求心性線維の役割
2 脊髄反射と脊髄/中枢性感作
3 脳幹における痛みのメカニズム
4 痛みのメカニズムとエピジェネティクス
2.運動器の痛みのメカニズム
1 筋痛
2 骨・関節痛
3 運動器の痛みとバイオメカニクス
3.痛みの脳科学と疼痛行動の心理学
1 痛みの脳科学
2 疼痛の心理と神経発達
3 疼痛行動に関連する精神症状と社会的問題
第III編 臨床病態
1.臨床でよくみられる疼痛の病態
1 急性疼痛
①急性疼痛の病態
2 慢性疼痛
①慢性一次性疼痛症候群
I 線維筋痛症(FM)
II 慢性骨盤内疼痛症候群(CPPS)
III 過敏性腸症候群(IBS)
②慢性頚部痛,慢性腰痛と変形性脊椎症
③神経障害性疼痛
④凍結肩と腱板断裂
⑤変形性関節症
I 変形性膝関節症
II 変形性股関節症
⑥慢性術後・外傷後疼痛と複合性局所疼痛症候群(CRPS)
I 慢性術後疼痛,慢性外傷後疼痛
II 複合性局所疼痛症候群(CRPS)
⑦頭痛
⑧口腔痛・顎関節症
I 筋・筋膜性歯痛
II 持続性特発性顔面痛(PIFP)
III 舌痛症
IV 顎関節症
⑨三叉・舌咽神経痛と顔面けいれん
I 三叉神経痛
II 舌咽神経痛
III 特発性顔面けいれん・眼瞼けいれん
⑩腱付着部炎と腱鞘炎
I 腱付着部炎
II 腱鞘炎
⑪がん関連疼痛
2.特定の痛みの問題
1 子どもの痛み
2 高齢者の痛み(骨粗鬆症,サルコペニア)
3 薬物などの依存と乱用
4 事故と痛み
第IV編 痛みの評価と治療
1.評価
1 痛みの多面的評価
2 痛みの背景となる因子の評価
①画像評価
②神経機能評価
③身体的機能評価
④血液検査やその他の評価
2.治療
1 薬物療法
①非ステロイド性抗炎症薬,解熱薬,オピオイド,エンドルフィン
I 非ステロイド性抗炎症薬
II 解熱薬
III オピオイド
②局所麻酔薬
③鎮痛補助薬
④神経障害性疼痛治療薬
⑤ステロイド,抗体療法,骨粗鬆症治療薬,その他の薬
I ステロイド
II 抗体療法・その他
III 骨粗鬆症治療薬
⑥多角的鎮痛法(multimodal analgesia)
2 精神療法と行動のアプローチ
①コミュニケーションスキル
②心理療法(認知行動療法など)
③バイオフィードバック
3 リハビリテーション医学的アプローチ
①エクササイズなどの積極的な治療と心肺機能
②ストレッチングや関節可動域運動
③物理療法と温熱療法
④ニューロリハビリテーション
4 神経調節技術
①脊髄刺激療法,バクロフェン治療,ボツリヌス治療
I 脊髄刺激療法
II バクロフェン治療
III ボツリヌス治療
②脳へのニューロモデュレーション治療
③鍼
5 神経ブロック
①局所麻酔薬による神経ブロック
②超音波ガイド下局所神経ブロック
③神経破壊技術を用いた神経ブロック(パルス高周波法を含む)
6 外科的治療
①関節外科技術の疼痛への応用
②脊椎手術
③微小血管減圧術・DREZ-lesion
④脊柱管内治療(硬膜外癒着剝離術など)
⑤腰椎椎間板ヘルニアに対するコンドリアーゼ療法
索引
書評
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書評者:小川 節郎(日大名誉教授)
『“痛み”に正面から対応するための本邦初の教科書。疼痛研究・教育に最前線で携わる執筆陣が結集し基礎研究から臨床まで「疼痛医学」のスタンダードを示す』。これは本書のカバー帯に書かれている紹介の文章であるが,この紹介文がまさに本書の特徴を正確に表している。
現在におけるわが国の疼痛医学各分野のエキスパートを総動員して完成した本書は,基礎から臨床の隅々に至るまで,詳細で,かつ明快な解説によって構成されている。
1つの例を挙げてみよう。ほとんどの疼痛関係の成書では,痛みの定義を「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こり得る状態に付随する,あるいはそれに似た,感覚かつ情動の不快な体験」とのみ記載し,これに付随する6つの付記については省略していることが多い。実はこの付記が非常に重要な意味を持っている。例えば付記1として「痛みは常に個人的な経験であり,生物学的,心理的,社会的要因によって様々な程度で影響を受けます」と記載され,痛みの複雑性に目を向けるように注意している。本書ではこの6つの付記についてもきちんと触れられており,痛みを正確に理解しようとする科学的態度が見られ,そのような配慮がどの項目においてもよく施されているのである。
本書の構成は,「第I編 総論:痛みの多元性」「第II編 基礎科学」「第III編 臨床病態」「第IV編 痛みの評価と治療」の4項目からなっている。前述したように,痛みに関するさまざまな面に触れている本書の特徴は各所に表れており,全ての項目を紹介できないが,例えば「第I編 総論:痛みの多元性」では,小項目として1.疫学,2.痛みの医療経済,3.痛み研究の歴史と倫理,と普通では省略されることがまれではない領域についても記載されている。
現在,慢性痛への対応が臨床上大きな課題となっており,特に脳機能との関係に興味が注がれているが,第II編においては,痛みの脳科学と疼痛行動の心理学の項目が設けられ,この課題についても最近の知識を得ることができる。
慢性痛患者に接する実際の臨床の場において,医療従事者が最も難渋することの1つは,患者との対話ではないだろうか。この件についても痛み治療におけるコミュニケーションスキルについての項目も設けられており,すぐに役立つ内容となっている。
以上,最初に述べたように,本書はまさに『“痛み”に正面から対応するための本邦初の教科書』である。「痛み」にかかわる全ての医療従事者・研究者にとっていつも手元に置いて勉強する『教科書』と確信した。
書評者:菊地 臣一(脳神経疾患研究所常任顧問/福島県健康医療対策監)
今という時代,疼痛の診療や研究が,少し前と比較しても,劇的に変化してきている。その変化は,従来われわれが認識していた以上に大きい。今や,疼痛は専門家だけがかかわっていれば良い時代ではなくなっている。また,先進諸国では,疼痛対策が政府の主要な政策目標の一つになっている。
評者が大学卒業後間もない1970年代初頭,腰痛の患者が受診すると,問診と身体所見の評価の後に,必ず単純X線写真を撮影した。当然,脊椎には変性所見が認められるので,「骨棘が痛みを起こしています。歳のせいですね」と説明するのが一般的であった。治療は,安静,けん引を含む理学療法,そして薬物療法が主体であった。腰痛を生涯の研究主題としてきた評者にとっては,当時,疼痛診療の最前線が今のような変貌を遂げるとは想像もできなかった。
ここで疼痛の今を俯瞰してみる。
疼痛は,従来の「局所」の問題から,生物学的(解剖学的)因子のみならず,心理的,そして社会的因子も病態に深くかかわっていると捉えるように変化した。疼痛を考えるには,原因か結果は別にして,脳の機能も含めて考える必要があることも認識されてきた。治療効果の判定は,従来の「客観的評価」から「主観的評価」へ,「一元的評価」から「多元的評価」へと変わった。このような時代の変化に伴い,現代の疼痛診療が多面的・集学的アプローチとなるのは,必然である。
人口の高齢化と社会構造の複雑化に伴って,先進諸国における疼痛に関する医療費は,莫大な額に達して,社会的な課題となっている。その原因は,医療技術の進歩である。しかも,治療成績の改善は得られていない。この問題の深刻さは,近年,「腰痛の危機」という特集が一流誌に掲載されるほどである(文献参照)。
研究の進歩は,慢性疼痛が活動障害のみならず,人々の健康に深くかかわっていることをも明らかにした。すなわち,寿命,生活習慣病,小児期での虐待,睡眠障害,あるいは認知機能などが慢性疼痛と深くかかわっているのである。
疼痛を含む健康は,個人の問題ではなく,個人と社会の総和で成り立っている。この事実は,教科書に昔から載っている常識である。東日本大震災に伴う原発事故は,この普遍的事実をあらためて立証した。
疼痛を巡って大きく社会が動いている今という時機で,本書が発刊された。真に,時代が要請した結果としての発刊である。
「序」に記されているように,本書はわが国で最初の「疼痛医学」の教科書である。執筆陣は,現在,わが国の疼痛診療や研究の第一線で活躍中の人々である。基礎から臨床まで,疼痛の全てが網羅されている。本書の内容の重厚さ,多様性から,教科書というよりは良質な百科事典の趣がある。
本書は,疼痛それ自体の全てを詳述している。評者が本書に期待するのは,疼痛に関する診療や研究を次の次元の高みに上昇させる人達が,執筆者や本書の読者の中から将来輩出されることである。その次元では,民族や文化,あるいは人間にとっての疼痛の根源的な意味もより明らかにされているに違いない。
本書の価格は,若い人々にとって安くはない。それでも,健康に関心を持っている人間なら本書を買って後悔しない。
●文献
1)Lancet.2018[PMID:29573870]
2)Lancet.2018[PMID:29573872]
3)Lancet.2018[PMID:29573871]
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本書の記述の正確性につきましては最善の努力を払っておりますが、この度弊社の責任におきまして、下記のような誤りがございました。お詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。
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2021.05.28