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第3226号 2017年6月5日


【対談】

診断に頼らない診かた
精神科診療に欠かせない発達と生活の視点

青木 省三氏(川崎医科大学 精神科学教室主任教授)
滝川 一廣氏(学習院大学文学部 心理学科臨床心理学教授)


 エビデンスに基づいた診療ガイドラインや薬物療法アルゴリズムは今や精神科診療に欠かすことができないものになっている。しかし,それだけではとらえきれない病像もある。典型例に当てはまらない患者が増加する中,そもそも分類にこだわらないで患者を診る方法もあるのではないか。

 ベテラン精神科医は何を見て,どう考えているのか。今春,ほぼ同時に『子どものための精神医学』と『こころの病を診るということ――私の伝えたい精神科診療の基本』(いずれも医学書院)をそれぞれ発行した滝川一廣氏と青木省三氏に,ご自身の知識や経験,諸先輩方から受け継いできたものをお話しいただいた。


非定型を非定型として認める

青木 臨床で気付くことの一つに,伝統的診断に当てはまらない非定型・非典型の病像や経過が増えてきていることがあります。既存の枠に入れようと思えば入らなくもないのですが,はみ出す部分や,他の枠にも当てはまる部分があるのです。

滝川 逆に,昔はなぜ典型例が多かったのか。そう考えると,精神医療の敷居が低くなって裾野が広がったことが関係あるかもしれません。昔は明確な病態を持つ方しか受診せず,結果としてパターンがとらえやすかった。山でも,頂上から裾野に向かうほど地形も植物も多様化していきますよね。

青木 滝川先生は『子どものための精神医学』の中で,社会背景の移り変わりに伴う病態の変化について解説されていました。診断基準の改訂より病像の変化のほうが速く,追いついていないのではないでしょうか。

滝川 かといって,全ての病態を何らかの診断基準に当てはめようと,枠組みを無理に大きくしたり,数を増やしたりしては,分類の意味が乏しくなります。診断分類の枠組みはあくまで患者の外に作られた“引き出し”と考えて,目の前の患者さん一人ひとりの実態を個別的に理解していく必要があると思います。

 大切なのは診断の確定ではなく,さまざまな可能性を頭に置きながら,目の前の患者さんに即した支援を模索することです。引き出しに入れるだけでは理解や支援にはなりません。

青木 同感です。例えば統合失調症と発達障害でも,その両端の「間」に,実にたくさんの方がいます。ある作業所では「この人は70%統合失調症,30%発達障害」などと表現することもあるそうです。そんなに明確な割合はわからないと思いますが,混じっているという感覚は現場の感覚に合っています。どちらかに当てはめようとするより,両方の面を持っていると考えたほうが支援につなげやすいです。

滝川 そもそも「定型発達」という概念自体も,便宜的なものですからね。定型発達という明確な発達があるわけではなく,平均的にはこうだと言っているだけです。身長などでも,平均ぴったりの人は,全体の中では逆にマイノリティですよね。それを基準に,「これだけ平均からずれているから障害」と明確な線を引くのは,本当は無理があるのです。実際には,連続的につながっている。定型発達か発達障害かで悩むような例は,「80%定型発達,20%発達障害」なのかもしれません。

青木 結局,病気は一人ひとり違います。診断基準や分類は「最初の足場」と考えて,非定型は非定型としてそのまま認めたほうが豊かな精神医療ができるのではないでしょうか。

患者も治療者もグレーである

滝川 定型発達と発達障害の典型例の間の「グレーゾーン」があるという考え方は,私たちの本に共通するものですね。定型発達の典型が真っ白で,発達障害の典型が真っ黒としたら,それ以外のマジョリティは濃さの差はあれ全てグレーだという考えです。

青木 そうした認識は,対象者への加害作用が少ない精神治療をするためにも望ましいと思います。精神医療は時として,立ち直れないほどに人を傷つけることもあり得るものです。白が黒をたたく治療は,一見効果的に見えても,その人にとって大切なものを壊してしまうことがある。ちょっと薄いグレーの人がちょっと濃いグレーの人を支援する,同じグレーの中の助け合いと認識したほうが,害のない治療ができます。

滝川 私たちが学びを受けた中井久夫先生(神戸大名誉教授)は,「ともに病み得る人間として治療をする」「五十歩百歩」など,治療される人の尊厳を破壊しないということをさまざまな表現で言われていましたね。

青木 精神医療の基本としてすごく大事ですよね。私自身が濃いグレーなこともありますが(笑),治療者も自分の中のグレー性に気付くべきじゃないかというのが,私の考えです。

本人はどう体験しているのか

青木 もう一つ,滝川先生と私の共通した視点に,「本人はどう体験しているのか」という観点があります。

 例えば発達障害を考えるとき,症状や行動特徴から診断し,支援を組み立てがちです。しかし,行動の背景にある体験の理解に目が向かないと,本当の支援は難しいのです。なぜそのような行動をしたのか,どう感じ,どう考え,どう悩み,どう苦しんでいるのかを想像することが重要です。

滝川 外側の症状のみを診て分類する診断「diagnosis」に対し,目の前の患者さん全体の理解という意味での診断を「formulation」と言います。formulationには,内側の体験の理解が欠かせません。どのような状況でどのような困難にぶつかり,それをどういうものとして体験しているのか。家族,職場,これまでの生活。この先どうなりたいと思っているのか。それら全体をとらえた上で,どこから手をつけていくかを相談し,治療を組み立てていく。

青木 医学的な診断を無視するという意味ではなく,医学的な診断も含めたその人全体を理解するという意味ですね。精神医学ではdiagnosis,心理学ではformulationを用いるというイメージがありますが,本来求められているのは同じことだと思います。どれだけ深くformulationできるかで,支援が違ってきます。

滝川 はい。本人の体験を理解していないと,支援者として手を差し伸べようとした際,押し付けになったり,うまくいかず怒りやいら立ち,他のスタッフとの対立を招いたりすることがしばしばあります。

「認識」と「関係」の座標軸で診る

青木 滝川先生は発達障害の人たちの体験世界を「不安・緊張・孤独」と表現していますね。関係や認識の発達の遅れを持つため,人に囲まれて生きていても,人と真の意味では触れ合わず,何となく合わせながら,淡く生きてきている。そうした人が,ちょっとしたことで破綻をきたす。

 客観的指標よりもう一歩深く,言葉にならない体験を理解したいとなったとき,それを助けるのが滝川先生のです。

 精神発達の二つの軸と発達の領域分け(文献1より)
「認識」と「関係」をベクトルにした精神発達の領域分け。それぞれの中心点にあえて診断名を与えるなら,=知的障害,=自閉症,=アスペルガー症候群,=定型発達。このような連続的な切れ目のない分布に,あえて人為的な境界線を引いて分けているのが「診断」だと考えると,「特定不能の(NOS)」と冠される診断や医師ごとの診断の不一致が生じる理由も理解しやすい。

滝川 子どもは生まれ落ちて初めて人間世界に出合います。生きるには,それがどんな世界かを知っていき,同時にその世界とのかかわり・つながりを深めていかねばなりません。前者が認識発達(知的な発達),後者が関係発達(社会性の発達)で,両者が支え合いながら進むのが発達の基本構造です。その歩みにはおのずと早い・遅いの個人差があって,結果的に図のような分布になります。私たちはこの分布のどこかにいます。「彼は定型発達か自閉症か?」ではなく,「今,図のどの辺りを歩んでいるか」を問うことで,その体験世界を理解せんとするべきです。

青木 これは臨床でもすごく大事な視点だと思います。書籍には,「認識」と「関係」という視点から,その人が世界をどのように体験しているかを推測するヒントがちりばめられています。

滝川 私の書籍は子どもを対象としているので,乳児期から思春期までしか記載していませんが,弱さを抱えて育つ中では,どのような体験を生き,どのようなかかわりがなされてきたかによって,その子のこころの世界にさまざまな差が生じます。成人ではさらに多様になるでしょう。

青木 生まれ持った要因,家族的な要因,環境要因,さらにいろいろな人生経験が加わって,多様な「こじれ具合」をしています。こじれている根っこはどこなのか,本人から見た体験をこの図の座標軸で整理すると,理解しやすくなるのではないでしょうか。

無傷なこころがどこにある?

青木 主観的体験を知るためには,現在の症状を横断的に切り取るだけではなく,人の基盤である生まれ持った性質や発達過程,生活史を診る必要があります。子どもの臨床においてトラウマは大きなテーマですが,おとなの臨床においてもこれからは大切な視点となってくるように思います。私の臨床経験では,発達障害傾向やトラウマ体験などを持つ方の精神症状は非定型になりやすいように感じています。

 患者さんを診ていると,背景に過去の体験が見えることが時々あります。ちょっとしたことで被害的になったり不安定になったり感情を爆発させたりする,人に対する基本的な信頼が形作られていない,生きていくための基盤がもろいといった印象を患者さんから受けたときに気付くべき問題の一つと言えます。

滝川 「無傷なこころがどこにある?」(アルチュール・ランボオ)というように,誰しも程度の差はあれ傷を抱えていて,その傷がパーソナリティをつくっている面があります。こころの傷抜きに人のこころは語れないわけです。

 ただ,傷の中には,耐えることで何かが得られるようなものと,耐えるべくもないものがあります。ややこしいことにそれが入り混じっていて,見分けがつきません。同じ体験でも傷になるかならないかには個人差もありますよね。臨床の場に来るのは耐え難いものとして体験されてきた方が大半なので,基本的にはそのつらさを受け止めるべきだと考えていますが。

青木 そうですね。客観的にどのようなできごとだったかよりも,本人がどのようなものとして体験したかが大事です。

滝川 ただ,安易にトラウマと診断してしまうのも問題です。傷があるということがアイデンティティになって,かえって生きにくくなってしまったり,傷が癒えなかったり,傷と向き合うだけの人生になってしまうリスクがあります。

青木 トラウマを積極的に診断するというのではなく,人への信頼を築くことの難しさと大切さを理解するための視点として,頭の片隅に置いておくくらいがよいかもしれません。そうすると,非定型な病像や経過を理解し,支援する手掛かりになると思います。

滝川 人間のこころの傷は極めて複雑なものです。デリケートに診ていく必要がありますね。

密室では治せない

滝川 青木先生の書籍には,受付から始まる患者さんとのかかわりの体系が示されています。診察室だけでなく,全体としてどう接していくかが具体的に書かれている。医師自身がドアを開けて患者さんを診察室に呼ぶといった細やかな工夫や心配りなどは,中井先生もよく話しておられましたね。

青木 受付し,診察室に入り,終わってあいさつをして会計をして,出るところまでの全てが外来治療ですからね。来院した瞬間から治療的な営みは始まっています。

滝川 書籍から一貫して受けたのが「開かれた」感じです。現在の心理治療は,診察室(面接室)という非日常的な空間と時間,いわば密室的な構造の中で,患者さんと治療者が二人きりで心のケアに取り組む個人精神療法が一般です。青木先生はそうではなく,開いています。

青木 診察室以外に対して開かれていないと,人が変わることは難しいと思うんです。1対1の診察ももちろん大切で,それを中心に回復する人もいます。ただ,それだけでは治らない人もたくさんいます。実際に,長い臨床経験の中では,診察以外をきっかけに元気になる患者さんたちを見てきました。診察がよかったと思っていたら実は受付の方とのちょっとしたやりとりが一番効いていたり,入院治療がよかったと思っていたら病棟清掃の方とのやりとりが変化のきっかけだったり。

滝川 「開かれた」治療は,現在の社会背景から考えても効果的です。

 例えば,フロイトは精神分析による徹底した個人精神療法を行っていました。当時は,近代社会になり個人の意識が生まれてきたものの,まだ共同体の縛りが強かった時代です。そうした社会の中では,個人としての自立の獲得という課題が生まれ,個対個,1対1の関係を診察室の中で築くことが有効に働いたと考えられます。

 ところが今は,むしろ社会的な共同性が弱くなり,共同体は壊れてきています。そうした社会では,共同性による支えがなくなったことによる失調が生まれてきます。すると,1対1の閉じられた関係の中で解決を図る古典的なアプローチでは,どうしても届かないところがあるのです。

青木 そもそも,診察室で診られるのは,診察室という限定した条件下での患者さんの姿ですからね。待合室,病棟,あるいは地域といった,広い視野で目配りしないと,その人の全体は診られません。そうなると,医師だけの力で治そうとするより,周囲のさまざまな支えを借りるかたちのほうが,無理なく効果的な支援をできるんじゃないかと思います。私たちの大学では若い医師に,患者さんの家に訪問してもらうこともあります。家での本人の姿,生活を見ると,話で聞くよりもはるかに多くの情報を得られます。積極的に機会をとらえて,診察室から出て,実際の生活場面を見ることが大事だと思います。今後,精神医療の中心が病院から地域になると,生活の支援と症状の支援は重なってきます。精神医療の大きな転換になるのではないでしょうか。

青木 私たちが精神科医になった時に,たくさんの先輩方から,精神科医というのは経験を積めば積むほど,生活や人を診るようになると教わりました。最初は症状や病気を診ているけれども,だんだんその背景にある生活,その人の人生に目が移る。そして,症状を取るというよりも,症状があろうとなかろうと,生活を少しでもよくするにはどうしたらいいかということに目が向くようになる,と。

滝川 おそらく身体医学でもそうですよね。多くの病気は慢性疾患で,治しきれる病気は限られています。病気と共存しながら,少しでも良い生活をキープするにはどうすればよいか。身体科でも,ベテラン医師はそう考えて診察していると思います。

青木 白が黒をたたく治療ではそんなに解決しない。粘り強く生活の支援をしていくことが実は一番近道だということを,これからの若い先生にも経験してほしいし,伝えていきたいです。

(了)

参考文献
1)滝川一廣.子どものための精神医学.医学書院;2017.
2)青木省三.こころの病を診るということ――私の伝えたい精神科診療の基本.医学書院;2017.


「1対1の関係の中で問題解決を図る古典的なアプローチでは,どうしても届かないところがある」

たきかわ・かずひろ氏
1975年名市大医学部卒。同年,同大精神医学教室(木村敏教授,中井久夫助教授)に入局。岐阜精神病院(現・岐阜病院)医長,名市大医学部精神医学教室助手,名古屋市児童福祉センター医務係長,同くすのき学園長,青木病院医員,愛知教育大障害児教育教室助教授,同教授,大正大人間科学部教授を経て,09年より現職。近著『子どものための精神医学』(医学書院)は12年かけて執筆した大著。

「行動の背景にある体験に目が向かないと,本当の支援は難しい」

あおき・しょうぞう氏
1977年岡山大医学部卒。慈圭病院を経て,90年英国ロンドン大精神医学研究所へ留学。93年岡山大助教授,97年より現職。中井久夫氏の著書に感銘を受け,1981年には氏の自宅で一晩,ビールと共に話を伺う機会を得た。以後,さまざまに教えを受けているという。編著書に,『こころの病を診るということ』『大人の発達障害を診るということ――診断や対応に迷う症例から考える』(いずれも医学書院)など。