予測がつかない(でもたまに面白い)毎日だから(雑誌『精神看護』より)
書評者:畑中 麻紀(翻訳家)
はじめまして、自閉症スペクトラム男子の母で翻訳家の畑中麻紀と申します。うちの息子はアスペルガー症候群、つまり本書『子どものための精神医学』におけるC領域の人。
小学校・中学校と普通級に在籍しながら通級指導学級にも通い、普通科の高校を卒業して大学に入学。大学生となると発達論的にはもう、子どもの域...
予測がつかない(でもたまに面白い)毎日だから(雑誌『精神看護』より)
書評者:畑中 麻紀(翻訳家)
はじめまして、自閉症スペクトラム男子の母で翻訳家の畑中麻紀と申します。うちの息子はアスペルガー症候群、つまり本書『子どものための精神医学』におけるC領域の人。
小学校・中学校と普通級に在籍しながら通級指導学級にも通い、普通科の高校を卒業して大学に入学。大学生となると発達論的にはもう、子どもの域ではないけれど、本書を読んで、そうか!と腑に落ちたのが、すべての子どもは発達の道を歩んでおり、「自閉症スペクトラムのなかに分布する子どもたちもそうで、スペクトラムのなかのひとつの場所にとどまったままではない」(225頁)という「発達の歩みのスペクトラム」の項だ。
◆親が持つ、自立への不安と焦り
問題行動で悩まされてばかりの日々から、高校生になってからは落ち着きを感じられるようになったものの、「この子は社会に出られるようになるのだろうか」という不安と焦りは大きくなっていった。定型発達の子であれば、成人することは喜ばしい限りだろうが、スペシャルな子育ての場合、自立へのタイムリミットを突きつけられるという危機感が先行してしまう。とはいえ、大学という新しい環境に適応するだけでも大仕事なのだから、それ以上を期待するのは難しいだろうと高をくくっていた。
◆ところが変わってきたのです
ところが1年も経たないうちに、それまでどんなに促しても絶対拒否だったアルバイトに自分から応募して働き、食感や味が気持ち悪くて嫌だ、と頑として受け付けなかった食材や料理を、何の違和感もなく進んで食べ始めたのだ。もっとも、知覚の非恒常性、予定変更に対する弱さなど、日常生活での不便はまだまだあるが、もう大人になるのに、ずっとこのままなのか……と諦める必要なんてないのだと改めて実感した。
そして、そういえば、と最初の主治医に言われた言葉を思い出す。「今はね、定型の子と大きく差が開いているけれど、環境を整えて療育も継続していくと、その差はだんだん縮まっていくよ。諦めちゃうとそこで止まっちゃうけど」……うむ、やっぱりそこを忘れちゃいけないのね。子どもを目の前にして悲観的になっている(主に)お母さんたち、大丈夫ですよ。支援の積み重ねはちゃんと形になっていくから。
◆親の心がずばり書いてある本
ところがどっこい、その効果が出るまでには時間がかかる。年単位でかかるものも少なくない。それがいつやってくるのか予測もつかず、つまり、先の見通しが持てず不安ばかりが先立つ(と、これはまさしく自閉圏の子どもたちが日常的に抱えている困難だ!)。
だから大切なのは、養育者の心が健康に保たれていることだろう。しかし、息切れすることのほうが多いのに、とかく母親はこう言われてしまう。「お子さんが安定するためには、お母さんが元気じゃないとね」……わかってる。私だってニコニコ元気でいたい! でも、それが簡単にはできないから困っちゃうのよ!! と心の中で叫んだ経験のある母がどれだけたくさんいることか。
そんな母たちの心の内をずばりと、滝川先生は書いてくださっている。「わが子でありながら、なぜこんな思いにまかせないのか。気持ちがどこか届き合わない親子関係。なぜこんなに気持ちが逆撫でされるのだろうか。そして、とかくもちあがる厄介事。そうしたうまくいかなさへの抑えきれない怒り、投げ出したい思い、いらだち、ゆううつ、無力感。その一方で親としてのわが子への深い執着(関係の意識)……」(334頁)
これは虐待をしてしまう親の心理について書かれているのものだが、かつての私も、学校トラブルの嵐だった義務教育期間、まさにこういう気持ちで過ごしていた。当時としては、かなり手厚い支援を受けていたのにもかかわらず、である。私だけではない。周囲を見渡すと、大半の親が同じように思いつめ、幸い虐待行為には至らなくても自らの心身に不調をかかえ、それでもなんとか紙一重のところで子育てをしてきたのだ。もっとも、定型発達の子であっても、特に乳幼児の時期に「この子を虐待してしまうかも……」と危機感を抱く母親は少なくないだろう。だが、自閉圏の子を育てる親は追い詰められ感が尋常ではなく、しかもそれが何年にも渡って続いていく。子どものタイプにもよるが、一歩外に出れば「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝ってばかり。うちの中でも子どものこだわり由来の行動や言動に振り回される。そういう状況下でも心を壊さずにいることは、大げさではなく本当に難しい。
◆本書を読んで、深呼吸しよう
子どもにはしあわせに生きてほしい。その想いは親も、子どもにかかわる親以外の人たちも同じだろう。それなのに、行き違いが生じてしまうこともある。そういう場合は往々にして親の気持ちはささくれ立ち、こんな気持ちになること自体ダメ親だと罪悪感まで抱いたりするのだ! だから、そういった時には本書を思い出していただき、共に育て合う同士として、親たちに深呼吸を促していただけたらうれしいと思う。「かわいそうな私」から脱却し、「この子とじゃないと味わえない面白さ」をまた思い出せるように。
(『精神看護』2017年9月号掲載)