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HOME週刊医学界新聞 > 第3205号 2017年01月02日



第3205号 2017年1月2日


2017年
新春随想


新専門医制度の実現に向けて

吉村 博邦(一般社団法人日本専門医機構理事長)


 新年明けましておめでとうございます。皆さまには,健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 さて,わが国の新たな専門医制度については,プロフェッショナル・オートノミーを基盤とする,第三者機関としての日本専門医機構が3年前に設立され,新たな仕組み作りがスタートしました。しかしながら,地域医療への影響等のご意見を考慮し,いったん立ち止まってその見直しを図っていることはご承知の通りです。

 かつては,多様な学会が独自に学会専門医制度を立ち上げ,専門医の質の向上,社会的認知の普及等をめざして50年近く活動がなされてきました。新たな機構の役割は,乱立している多様な専門医制度を標準化し,社会から質の高い資格として認知されるように認証し,国民にとってわかりやすく,患者さんの受診に当たって良い指標となるような制度に再構築することです。また,専門医をめざす若い医師にとっては,専門技量を確実に身につけられる仕組み,意欲と誇りをもって専門研修を続けることができる仕組みを作る必要があります。

 新たな制度による研修は,基本的には3~4年間の研修プログラムに則り,研修施設は,大学病院や地域の中核病院などの基幹病院と地域の協力病院(診療所を含む)が病院群を形成して行うこととなっています。現理事会では,この仕組みについて,制度をより柔軟に運用する方針を決定しています。また,専門医としての質を十分に確保しつつ,地域医療への影響をできるだけ少なくして,2018年4月には,基本19領域の専門医制度について,一斉にスタートできるよう準備を進めています。皆さまのご理解を,何卒よろしくお願い申し上げます。


日米関係の歴史を映すホテル――医薬品行政のさらなる進化へ

武田 俊彦(厚生労働省医薬・生活衛生局長)


 アメリカに新大統領が誕生する。日米関係がどう変化するのか,多くの人が固唾を飲んで見守っている。日米関係の変化を懸念する声も多いが,そもそも日米の関係は常に一定だったわけではない。

 箱根に有名なクラシックホテルがある。昨夏の終わりに訪れたが,明治以後日米関係と共に歩んだこのホテルには,歴史が凝縮されていた。たどってきた歴史を誇るホテル内ツアーもある。和洋折衷の部屋の造り,柱の彫刻や美術品等,きらびやかな最新のホテルにはない味わい深さがそこにはある。

 明治時代,一気に日本人の目が海外に開かれた。岩倉具視使節団の訪米・訪欧の記録を見ても,最初にサンフランシスコに着いたときにホテルの豪華さに感嘆する一行の様子が描かれている。明治期に渡米した人々が,海外から日本に来る旅行者のために,海外のホテルの水準を取り入れつつ日本らしさも持つ宿泊施設を,日本に作ろうと思ったことは想像に難くない。

 まだ観光開発される前の日本が誇るものは自然だっただろう。外国人を迎えるに選ばれた土地が,富士山に近い,箱根の温泉地だったのは十分な理由があると感じられる。手元に『日本風景美観』という1929年の本があるが,日英併記で解説が付された写真集で,わが国の名所を紹介している。人も建物も映り込まず自然が広がる風景は,現代から見ると不思議に思える。ホテルの館内ツアーのハイライトであるメインダイニングルームが竣工したのはこの1年後で,「自然の中に世界に引けを取らない施設を」という当時の日本人の心意気が感じられる名建築だ。

 戦後,連合国軍に接収され,その後米軍貸与を経て一般営業を開始したのは1954年。その後,もう一度日本人は世界を追いかけ,今に至る。外国人専用ホテルは,今は日本人夫婦や家族で宿泊できる憩いのホテルになっている。

 戦後のアメリカは輝いていて,多くの人が夢を持って海を渡った。私が一家でアメリカに住むことになったのは1990年。湾岸戦争が及ぼす暗い影もあったが,それでも夢と希望の土地だと感じられた。そのアメリカは昨年の選挙で変わってしまったのだろうか。

 時代は変わり,世界は変わる。わが国は今,世界をリードする役割を持つ。医薬品の審査は速度も質も世界水準になった。しかし昔も今も変わらないのは人の心。人の心を大事にし,さらに時代に沿って進化する行政でありたい。そう考えている。


理研創立100周年,新しい100年へ

松本 紘(国立研究開発法人理化学研究所理事長)


 理化学研究所(理研)は,本年,創立100周年を迎えます。

 理研は大正時代の1917年に,学問の力によってわが国の産業発展を図り,国運の発展を期する使命を果たさんとする目的で財団法人として設立されました。以来,研究者の自由な発想に基づく基礎研究を進め,さらにその成果を産業の発展へつなげるため,理研自ら企業を立ち上げ,1939年ごろには会社数63,工場数121に発展し,理研コンツェルンと呼ばれました。まさしく基礎研究の成果を社会実装し,産業の発展に貢献したと言えるものです。

 昨年10月,理研は特定国立研究開発法人となりました。特定国立研究開発法人とは,世界最高水準の研究開発成果の創出を特に期待される国立研究開発法人を「特定」として位置付け,国家戦略としてイノベーション創出を強力に推進するものです。そのため,豊かで活力ある社会の実現や地球規模の課題の解決に貢献することが求められます。

 しかし,激動する社会が抱える課題や地球規模の課題を解決するためには,もはや一つの企業のみ,あるいは一つの研究機関のみの取り組みでは困難となってきています。解決のためには,互いに連携し,総力を結集して取り組む必要があります。そのため理研は,大学,研究機関,病院,産業界それぞれの力を結集して,連携するための連結役(科学技術ハブ)を担おうと考えています。

 さらに,未来社会をどのようにしたいのか,何を変えたいのかというビジョンを,研究を行う一人ひとりが考える必要があると考えます。その結果として,創出される研究成果が実社会にイノベーションをもたらすのです。理研は,科学技術を通じて豊かで活力ある,あるべき未来社会像をデザインできる専門家(イノベーションデザイナー)を育て未来に貢献したいと考えています。

 次なる新しい100年においても,理研は,研究者の自由な発想に基づく科学技術の基礎研究を進め,その成果によって産業の発展を図る“理研精神”を受け継ぎ,社会から信頼される,かけがえのない研究所であり続けたいと思います。


薬剤耐性対策に,大規模データベースの活用を

大曲 貴夫(国立国際医療研究センター国際感染症センター長)


 世界的に多剤耐性菌は大きな問題である。その問題は顕在化する一方で,多剤耐性菌に対抗できる新規抗菌薬の開発は鈍っている。

 薬剤耐性(Antimicrobial Resistance;AMR)を世界的な健康危機と認識して対策を打つための活動が,WHOを中心として展開されている。2015年5月の世界保健総会では,AMRに関するグローバル・アクション・プランが採択され,加盟各国は2年以内に薬剤耐性に関する国家行動計画を策定することを求められた。これを受けて日本においても,政府により2016年4月に「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」が策定され,2020年までの5年間にわたり「適切な薬剤」を「必要な場合に限り」,「適切な量と期間」使用することを徹底するための国民運動が展開される。

 本アクションプランについてはその数値目標に対して大きな関心が寄せられている。しかし他にも重要な点がある。その一つは感染対策に必要な指標の可視化である。感染対策に関するサーベイランスでは,抗菌薬の使用量のサーベイランスが求められる。これについては医療機関等から直接データを受け取るだけでなく,政府のレセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)を使った統計化が必要である。加えて抗菌薬の適正使用の推進のためには感染症診療の質を改善しなければならない。これには医療現場での診断・治療と行った診療の内容について情報を収集し,統計化して評価することが必要である。この実現のためにはNDBの活用,DPC情報の活用など,日本の医療機関における診療データを集計し適切に解析して診療の質を見えるようにする必要がある。同様の取り組みはすでに英国などで始まっており,そのデータをウェブサイトで閲覧することも可能である。日本は各国と比較しても診療情報の電子化が進んでおり,しかもその情報が生かしやすい国である。壮大な取り組みだが,これは未来に向けた持続可能な医療環境の構築に大きく貢献するに違いない。


慶應義塾大学医学部200周年に向けたイノベーション戦略

岡野 栄之(慶應義塾大学医学部長)


 初代医学部長の北里柴三郎博士が,慶大に医学部を創立したのは1917年であります。まさに今年2017年に,私たち慶大医学部は創立100周年を迎えます。北里初代医学部長は創立時に「基礎医学と臨床医学の連携を緊密にし,学内は融合して一家族の如く」という基本理念を示しました。この志が現在まで継承されたことで,慶大医学部・医学研究科は,基礎教室と臨床教室の連携が進んだ日本でも有数の大学として認知されています。

 そしてこのたび私たちは,創立100周年を迎えるに当たり,「大学とは,学問をする所である」と新たに決意を固めております。慶大医学部にとって,学問とは,「教育」「研究」「診療」の実践であります。すなわち,「教育」が「研究」と「診療」を培い,「研究」が「教育」と「診療」を牽引し,「診療」が「教育」と「研究」を開花させる。現在はこの実践ために,病棟建築を含むハードの整備,そして「仏に魂を入れる」ためのソフトの整備を進めております。ソフト面では,慶大病院は2016年に臨床研究中核病院として認定されました。基礎研究の成果を臨床に応用するシームレスなサポート体制を構築し,科学に十分に裏打ちされた新しい医療の構築をめざしております。

 また,総合大学として22世紀の創立200周年をめざした長期的プランに基づいて,薬学部・看護医療学部・理工学部など医療と関連の深い学内の英知を結集し,世界に冠たる医学府を構築していきたいと思っております。皆さま,今後ともご指導,ご鞭撻のほど,よろしくお願い申し上げます。


より良いてんかん医療の推進をめざして

大澤 真木子(一般社団法人日本てんかん学会理事長/東京女子医科大学名誉教授)


 故・秋元波留夫氏が創立した日本てんかん学会は,精神科,神経内科,小児科,脳外科などの会員からなる学際的なものである。研究会から公開の学会となり,昨年50回学術集会を迎えた。

 イタリアのラファエロ・サンティの絵画「キリストの変容」の一部にてんかん発作が描写されているように,特に西洋では,てんかんは悪霊に取りつかれていることが原因だという考え方が根強かった。しかし1900年代に入ってから,「てんかん」という疾患はその概念をはじめ,基礎的にも臨床的にも飛躍的な進歩を遂げた。脳の冠状断をモチーフとする日本てんかん学会のロゴマークは,てんかんは脳の病気であることを表している。

 2005年に国際抗てんかん連盟と国際てんかん協会がてんかんの定義を再検討し,「てんかん発作をひき起こす永続的な素因と,この状態に基づく神経生物学的,認知的,心理的,社会的帰結に特徴づけられる脳障害である」という患者さんの日常生活の状態を加味した“包括的”定義へ発展した。また,国際的に心を一つにすることを目的として,2015年に国際てんかんデーが2月の第2月曜日と定められた。これは,発作に悩む人たちが,フランスのベネディクト修道院にまつられているてんかんの守護神の一人,イタリアの聖バレンタインを2月14日に詣でたという歴史にさかのぼる。

 2015年のWHO総会でてんかん医療が最重要課題として採択され,てんかん患者の権利を促進・保護する政策や法律を,各国政府が策定・強化・導入する必要性が強調された。これを受け日本では,てんかん地域診療連携体制整備事業が国との連携で,8つの自治体事業として始まった。またビデオ脳波などに診療報酬の増額が認められ,医政と診療報酬制度が連動している。近年科学的根拠に基づき,新規抗てんかん薬が登場し,ドラッグラグも少しずつ解消し,さらに外科治療,ケトン食療法など治療も進歩している。しかし,日常生活での発作の突然性,激越性,意外性にてんかん患者や家族は現在も悩まされており,他疾患に比し,偏見などの社会的側面が大きい。てんかん患者の病状は多彩であり,社会生活にほぼ問題のない方も多いにもかかわらず,診断開示により社会的制約を受ける場合もまだ多い。てんかんの治療目標は,その方の最大限の能力を生かし,生き生きと普通の生活・社会貢献ができるようにすることである。次の50年に向け,本学会はてんかん研究・医療の促進に加え,患者の権利擁護・QOL向上をめざした国民への啓発,てんかん予防の推進などに効果的な活動が必須である。一日も早く,患者さんがてんかんという病名を明るく受け入れ,生き生きと生活できる社会になることを願っている。


虐待・ネグレクトを受けた子どもたちのために

山田 不二子(NPO法人チャイルドファーストジャパン理事長/医療法人社団三彦会山田内科胃腸科クリニック副院長)


 「チャイルドファーストジャパン」は,一昨年まで「子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク」という法人名で活動していました。1998年に民間団体を設立して以来の悲願だった「子どもの権利擁護センターかながわ」を開所して子どもたちが来るようになったため,その子どもたちが法人名を見て居心地悪く感じないで済むようにと考え,名称変更しました。

 「子どもの権利擁護センターかながわ」は,日本で最初の「子どもの権利擁護センター(Children’s Advocacy Center;CAC)」で,子どもの発達段階に応じて中立的かつ非誘導的に被害事実を聞き取る「司法面接」と,子どもの身体をくまなく診察する「系統的全身診察」を1つの施設で提供するワン・ストップ・センターです。子どもが児童相談所や医療機関・警察署・検察庁をたらい回しされて,そのたびに同じことを何度も聞かれるという現状を解決できます。施設には観察室があり,児童相談所の職員・警察官・検察官がビデオモニターを通して「司法面接」を観察し,マイクを通した音声により「系統的全身診察」をモニターします。司法面接者は児童相談所・警察・検察のニーズをわきまえた上で子どもから聞き取りをします。児童相談所職員・警察官・検察官が追加して聞き取ってほしい内容は観察室から司法面接者に内線電話でオーダーできるのです。

 このようなワン・ストップ・センターの構想は,民間団体を立ち上げたばかりのころに出会った性虐待被害児に,私が何もしてあげられなかった苦い経験に基づくものです。その後,海外に目を向けてみたら,米国にはすでにCACがたくさんあることを知り,「米国にできるなら,日本にもできるはず」との思いを15年以上温め続けて,一昨年2月に結実させたのです。

 2017年の夢は,このCACを全国に普及させることです。CACに関心をお持ちの先生方,虐待・ネグレクトを受けた子どもたちのために,一緒に手を取り合っていきましょう。


「望ましい死」をどう実現するか

志真 泰夫(NPO法人日本ホスピス緩和ケア協会理事長/公益財団法人筑波メディカルセンター代表理事)


 2016年4月の診療報酬改定で在宅療養支援診療所・病院に「在宅緩和ケア充実診療所・病院加算」が設けられました。これまで日本ホスピス緩和ケア協会として,「なんとか在宅で緩和ケアを提供する保険診療の枠組みを作ってほしい」と厚労省に提言してきたことが多少なりとも実ったのではないかとうれしい反面,“仏作って魂入れず”にならないように在宅緩和ケアの中身の充実をきちんとしなければならないと思います。

 2008年10月末に,私は母を自宅で看取りました。母ががんと診断されてから1年半余り,身の回りのことができなくなり,いわゆる病人として療養した期間は2か月でした。母を自宅で看取ることは決して簡単ではなかったものの,なんとか看取ることができた理由(わけ)は3つあります。1つは,苦痛をほとんど取り除くことができたこと。2つ目に「入院か,自宅か」で周囲が思い悩む中,母の意思を問うて,「自宅がいい」という母の意向を家族みんなが尊重したこと。そして3つ目に,亡くなる1週間前には,孫も含めて家族が分担して遠距離の介護に当たり,さらに訪問看護師さんと,父の医院に長年勤めた看護師さんの全面的な協力があったことです。母を自宅で看取るために,これら3つのうちどれか一つが欠けてもうまくいかなかったと思います。

 緩和ケアの領域には「望ましい死」という言葉があります。これは1990年代に米国で始まったGood Death StudyのGood Deathを邦訳した言葉です。わが国の一般市民約2500人を対象に行われた「望ましい死」の研究結果では,「望ましい死」の必須条件について,次の10項目が明らかになっています。

 ①苦痛がない,②望む場所で過ごす,③希望や楽しみがある,④医師や看護師を信頼できる,⑤他人の負担にならない,⑥家族や友人と良い関係でいる,⑦自立している,⑧落ち着いた環境で過ごす,⑨人として尊重される,⑩人生を全うしたと感じる。

 自宅には,「望ましい死」を実現するために必要な条件がすでにいくつか備わっています。私は母の死の体験を通して,「望ましい死」を実現するために,看取りとその過程で緩和ケアが果たす役割をしっかり見直す時期に来ていると思っています。


現場とともにある「看護学」と「ケア学」を追求したい

山本 則子(東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻専攻長・教授)


 日本には160万人超の看護職,170万人超の介護職,その他の専門職,そして無数の「家族」「友人」「地域社会の人」たちがいて,日々,ひとの命の営みを支援している。ひとがこの世に生まれ落ち,日々を過ごし,やがて最期の日を迎えるまでに,どれだけ他者のケアの手を必要としていることだろう。そのようなケアに関する学問は,今後最も必要とされる学問領域の一つだと思う。

 ケアの受け手と担い手の両方が生身の人間である以上,客観的で測定可能な内容と,数値データでは表せない内容のどちらの探求も必要なことは自明である。しかしどちらの探求もケアという高度な対人実践を語る上で発展途上の部分を残しているし,かなり異なる様相の世界観・人間観を基盤としてきた探究であるが故に,相互理解の不足も否めない。ケアを必要とする人々は待ったなしの状況である。誰もが適切なケアを必要なだけ受けて日々を過ごせる社会を一日も早く実現できるように,小異を捨てて大同に就く姿勢で進みたい。ケアのための知をどのように生み出し,現場で活用できるように共有するか,集まって知恵を尽くすときだと思う。

 他者をケアすることは,ケアの担い手にとって人生における最高の喜び・価値の源の一つであり,意味の深い経験だと思う。しかし同時に,ケアすることは,忍耐,疲労困憊,悲嘆や絶望といった苦痛を伴う経験でもあり,苦闘である。そのようなケアの喜びと苦闘を,より多くの人たちがさまざまな形で知り,喜びや苦闘を共有し支え合えるケア社会を作りたいと願う。「看護学」「ケア学」は,そのような社会を作る上でも役立つ学問領域にならなければならない。看護学をはじめとするケアの研究者は,ケアの受け手と担い手の双方に手を伸ばし,さらにそれを取り巻く人々にもまなざしを向けて,このようなケア社会を実現する「実践する研究者」でありたい。大学・大学院は,書を持ちながら現場に立ち,現場と共に「看護学」「ケア学」を創る次世代研究者を育成しなければならないと思う。


源氏物語が導く,「患者と共に生き直す」看護

丸 光惠(甲南女子大学看護リハビリテーション学部教授)


 写真は甲南女子大学が所蔵する源氏物語第32帖「梅が枝」である。源氏物語の「正統な」写本とは異なる鎌倉時代のものであり,しかも軍艦奉行を罷免され蟄居謹慎中に源氏を読みふけったという勝安芳(海舟)の蔵書印がある,貴重書中の貴重書である。

本書は鎌倉時代中期の後嵯峨院時代の書写と推定され,平安書写の『源氏物語』の写本が1冊も現存しないことからしても,非常に貴重である。右ページの左上に,「勝安芳(かつやすよし)」(勝海舟)の蔵書印がある(『源氏物語 梅枝・紅葉賀』より)。

 巧みな「かな」で描かれているのは,光源氏39歳の春の場面である。きさきらに薫物の調合を競わせ,管弦が催され,美貌・美声の持ち主である弁少将が歌う「梅が枝」がモチーフとなっている。豪華絢爛かつ雅を極めた宮廷文化の全てを書き尽くした上に,その設定が,東宮と明石の姫君(源氏の娘)の成人儀式,そして二人の婚約の前祝というめでたさである。天皇家・徳川家の正月には,祝いを兼ねてこの「梅が枝」が読まれたという。権力者らは源氏物語を熱心に学び,家具調度や祭事に取り入れ,軍事力・経済力だけでなく文化面でも覇者であることを誇る道具としたのである。

 豊かな才能がありながら「男であったなら」と父に嘆かれたという紫式部は,源氏物語が評判となり,藤原道長に召し抱えられるまでは不遇な日々を送っていたと言われている。源氏物語には病をもつ人々が多数登場する。弱く愚かで命はかない人々が,悲しみを慰め,癒やし,やりきれない思いを浄化し昇華させるために和歌を詠み,死にたいと願う。生きたいと絶唱したのは,幼子を置いて先に死ななくてはならなかった光源氏の母のみである。光源氏が深く愛した女性は,必ず彼を置き去りにして消えてしまう。

 五島美術館が所蔵する国宝源氏物語絵巻「御法」には,権力者が愛した華やかな場面とは反対に,光源氏の最愛の妻の死が描かれている。紫の上は大病を患い徐々に衰弱してゆく。この世の栄華を極めたように見える彼女は,せめてあの世では救われたいと出家を願う。病苦に苛まれ涙を流しての懇願を,激しく拒絶する光源氏。今や東宮のきさきとなった娘明石の中宮は,心を通い合わせることのできない両親の間にうつむいて座り,消え入りそうなほど小さく描かれている。

 秋の風がひとしきり庭の露草や花をしなわせた夜が終わる。明け方の薄暗い御簾の中で,はかなく息を引き取る母の手を取るのは夫ではなく,血のつながらない養女(明石の中宮)であった。そして彼女もまた権力者の妻という身分であるが故に,母の姿に自らの老病死を重ね,無常観を強めるのである。

 権力者が,権威化し道具として用いてきた源氏物語と,名もない読者が登場人物に心を寄せつつ自らの人生を生き直すための源氏物語がある。独断と偏見ではあるが,紫式部は後者の目的をもって,源氏の死後の世界,つまり権力者ではない人々の物語を描いたのではないか。そして一度自殺を図った女性が自らの力で魂を復活させ,自己の再生を予感する場面で唐突に終了する「宇治十帖」で締めくくったのだと確信している。

 可視化・言語化こそ科学という世界観が跋扈する医学界から心を解き放ちたくなったら,アーサー・ウェイリー,ヴァージニア・ウルフ,そしてブルームズベリー・グループの芸術家らが「感覚の物語」と呼び絶賛した源氏物語へ旅をしてはいかがであろう。生と性,病と老と死,そして魂の復活と再生の物語を,患者と共に生き直すことができるに違いない。

※ご校閲いただきました米田明美先生(甲南女子大日本語日本文化学科教授)に深謝申し上げます。

参考文献
三田村雅子.記憶の中の源氏物語.新潮社;2008.
米田明美解題.源氏物語 梅枝・紅葉賀.勉誠出版;2010.


全ての人に“口から食べる”幸せを!

小山 珠美(NPO法人口から食べる幸せを守る会理事長/JA神奈川県厚生連伊勢原協同病院看護師)


 日本人の平均寿命は男性81歳,女性87歳(2015年)で,日本は世界が経験したことのない長寿国に突入しています。せっかく長生きできる日本で暮らしているのですから,長寿を楽しむべきだと思います。その楽しみの一つが「おいしく,食べ続けること」です。食べることは,空腹を満たし,栄養を摂り,幸せに生活できる生命の根幹だからです。

 一方で,長寿によって要介護高齢者が増加し,摂食嚥下障害を持つ方も増えてきました。その経過の中で,近代医療は,食べることが困難な人々に対して,医療安全を建前として,安易に代替栄養を推奨してきたきらいがあります。この背景には,非経口的栄養療法への依存,誤嚥性肺炎に対する過度な警戒,ハードルの高い嚥下機能検査などが隠れみのとなっていることは否めません。

 その結果,看護までも,対象となる人々を生活者として看るという視点から遠のき,口腔ケアを後回しにし,食事介助スキルが稚拙になってきました。また,食べられない苦悩を抱いている人々に寄せる“思いやりの感度”までもが鈍くなってきたように思います。「肺炎になったら命を縮めるから食べてはダメです!」と,“経口摂取禁止令”を出す医療関係者も少なくありません。要介護高齢者に,見通しも付けずして,食べることをやめさせてしまったら,その先の希望は断ち切られてしまいます。幸せな長寿社会は存在し得ません。

 そこで,長期的に取り組んできた食べる支援の経験から,多職種で行う包括的支援スキルとして,観察から支援方法を導きだせる“口から食べるバランスチャート(KTBC)”を考案しました。これは当事者主権のために開発されたツールであり,すでに信頼性・妥当性の検証にも至っています。ぜひ多くの方々にご活用いただければと思います(『口から食べる幸せをサポートする包括的スキル――KTバランスチャートの活用と支援』,医学書院,2015)。

 これからの長寿社会では,「生かされる」という受動的な生命維持から,「生きる」という主体的な生命活動へのパラダイムシフトが必要です。そして口から食べる支援の輪を広げること,スキルの精鋭化を図れる人材育成に力を注ぐことが喫緊の課題です。全ての人が口から食べる幸せを手にしつつ,希望を伸ばす世界一の長寿国日本になるために! あなたはどんなイメージングロードを歩みますか?


介護福祉士を憧れの職業に

石本 淳也(公益社団法人日本介護福祉士会会長)


 介護の仕事を始めて20数年が経過し,特に後半の10年ほどは「介護の仕事ってカッコイイ!」という社会的評価を得るために発信し活動してきました。ここで言う「カッコイイ」とは,決して見た目ウンヌンの意味ではなく,国家資格を有する者としての誇りと自覚を持ち,介護を必要とする方のために全力で取り組む姿勢を指しています。プロとしての信念を持ち,自分の言葉でその仕事の魅力が語れること。それが「カッコイイ」ということではないかという提言なのです。受け身の姿勢で,ただただ作業的に仕事を流しているだけでは,何の職業であれ「カッコイイ」とは言い難く,客観的評価に値しなければ,当然ながらその処遇も良くならない。であれば,研鑽をしっかり積み,自分たちの声を積極的に上げ,能動的に活躍する雰囲気を業界全体に広げることが,結果として社会的評価の向上につながるものと確信しています。

 現在,介護福祉士に関連するさまざまな仕組みや構造が見直されており,資格取得方法の見直しもその一つと言えます。「誰でもなれる介護福祉士」と揶揄されてきた事実は否めず,そこからの脱却は大きな一歩と言えるでしょう。さらには,資格取得後の資質向上の在り方も変化しており,介護のプロフェッショナルとして,エビデンスに基づいた介護過程の展開を行える人材の育成に一層力を入れていかなければなりません。地域包括ケアシステムの構築が推進されていく中で,医療職をはじめとする多職種との連携が強く求められており,その中における介護福祉の実践者として果たすべき役割への期待も大きくなっています。

 パラダイム転換が図られるわが国の社会保障制度において,介護福祉士としてのプレゼンスをしっかりと根付かせることをめざし,介護福祉士の未来は介護福祉士自身が切り拓くという決意を胸に,職能団体としての責任をしっかりと果たして参りたいと思います。


「Adventures on Foot」Pokémon GOに乗せた想い

村井 説人(株式会社ナイアンティック代表取締役社長)


 現在,運動不足で亡くなる人の数は,世界で年間530万人と算出されています。この数字は喫煙が原因で亡くなる人の数に匹敵します。また,80%以上の子どもは,推奨されている量の運動ができていないとの報告もあります。外の世界よりも家に閉じこもってしまいがちな現代の人にもっと外に出てもらい,リアルの世界を体験してもらいたい。そんな想いの中から米国で生まれた会社がナイアンティック社で,それを具現化したのが,私たちが「リアルワールドゲーム」と呼ぶ,「Ingress」や「Pokémon GO」です。Pokémon GOは世界で5億ダウンロードを記録し,さまざまな年齢,ライフスタイルの方が世界中でプレイしています。人々が外に出て,コミュニケーションを取るというポジティブな報告を受け,大変うれしく思っております。その中から2つの事例を紹介します。

 1つめは,高機能自閉症の13歳の娘を持つ母親から,ナイアンティックに届いた一枚の手紙の話です。この手紙は,13年間孤独だった娘の生活が,Pokémon GOをきっかけに変わり始めたという報告と,感謝の手紙でした。高機能自閉症の特徴は,他人とのコミュニケーションを極端に避け,数少ない事象に対して限定的に興味を示すことです。そんな彼女がPokémon GOをきっかけに,自発的に兄と一緒に外出し,知らない人と「Pokémon GOのレベルはいくつか?」という会話をしたのです。その様子を聞かされた母親は,うれし涙を流したそうです。病との闘いは,娘だけでなく母親にとっても長く孤独な時間だったのでしょう。13年間,一度たりとも自分から外出することがなかった娘が,Pokémon GOをきっかけに自ら動き始めた。その事実が信じられず,本当にうれしい“miracle”だったと聞いています。

 2つめは,米ミシガン大C. S. モット小児病院がPokémon GOを小児リハビリに積極的に活用すると発表したことです。リハビリは大人でも苦痛を伴うもので,家族と離れ,苦しみと向き合わなければならない環境は子どもにとっては殺伐としがちです。しかしながら,Pokémon GOが提供されてからは子どもたちに笑顔が戻り,リハビリを意識することなく病室に現れるポケモンを探してベッドから体を起こし,歩き,そしてみんなでポケモンについて会話を始めたそうです。Pokémon GOは先の見えない入院生活の不安やストレスを緩和する効果をもたらしていると,小児科の先生は教えてくださいました。

 他にも糖尿病・うつ病の改善など数多くの感謝の声が届いています。ある研究論文では,Pokémon GOは,他の健康促進アプリよりもユーザーが体験する1か月の運動量は増えており,アクティブユーザーの場合,歩行数が25%以上も増加したと報告されました。興味深い事に,この歩数の増加は老若男女,体重に関係なく認められています。

 ナイアンティックのミッションは,「Adventures on Foot」です。通勤通学で普段とは違う一本横の道を通ることで,毎日が新鮮な発見で満ち溢れ,冒険になる。外に出なかった人が外に出始め,人とコミュニケーションを取る。これら日々のわずかなことの積み重ねが,この世の中をより良くしていくのだと,私たちは信じています。


医療の言葉をわかりやすく

田中 牧郎(明治大学大学院国際日本学研究科日本語学教授)


 私は日本語のわかりにくさを研究している。医療の現場で使われる日本語にも,一般の人にとってわかりにくいものが多い。調査をすると,そのわかりにくさの背景には2つの問題があることがわかる。

 一つは,言葉そのものの問題だ。例えば「寛解」など,一般の人が普段見聞きすることのない専門用語は,当然のことながらわかりにくい。また,日常使われる言葉が,医療用語では異なった意味で使われている場合も非常にわかりにくい。一般の人は,「ショック」という言葉を聞くと,医療の場面でも,驚いたり衝撃を受けたりする日常語の意味で受け取り,血圧が下がり生命の危険がある状態という意味だとは思わない。この誤解は,重大な事態を招きかねず,「寛解」などより危険な言葉だ。

 もう一つは,医療を受ける人が抱く不安や期待などの心理的要因による問題だ。例えば,医師が最適の薬として薦める「ステロイド」を怖い薬だと拒否したり,「副作用」の可能性を説明するとその薬を使うのに抵抗したりする。また,「PET」を使えば,がんのあるなしが100%わかると過度の期待をする人もいる。一方,がん患者の心情に配慮して,「抗がん剤」と言うのを婉曲化して「化学療法」という言葉を使った医療者が,理解してもらえず,結局「抗がん剤」と言わざるを得ないこともある。

 どちらの問題も,病気になるまでは医療と無縁でいた患者に改善を求めるのはなかなか難しい。医療者に質問しにくいと感じている患者は多いし,何がわからないかも自分ではわからない患者も少なくない。医療者にとっても,言葉が伝わらないことはストレスだろうし,患者とわかり合えれば,医療という仕事への意欲が増すに違いない。医療者から,患者がわかっているかどうかを確かめ,わかりにくそうにしていたら,言い換えたり説明を加えたりしてほしい。医療者が患者に歩み寄ることで,患者も質問がしやすくなり,お互いのコミュニケーションがうまくいくようになるのだ。