ベスイスラエル病院の閉院と医療の行く末(山口典宏)
寄稿
2016.08.01
【視点】
ベスイスラエル病院の閉院と医療の行く末
山口 典宏(米国ロックフェラー大学大学院がん生物系部門講師/スローンケタリング記念がんセンター)
5月のある日,唐突にそれはやってきました。ニューヨークのタブロイド紙がベスイスラエル病院の閉院を報じたのです。ほどなく病院から公式発表がありました。同院は筆者が内科レジデントとして勤務していた病院です。なぜ閉院することになってしまったのかをひと言で言えば,利益を上げられなくなってしまったからです。本稿ではこの事象が米国でどう理解され,日本の医師および国に何を問うのかを論じます。
ニューヨーク市では,2000年以来19の病院が閉鎖され,そのほとんどが低所得者向けの施設でした。米国では保険と職の結び付きが強く,“良い職”に就く人は手厚い保険で“良い病院”に行きます。しかし,高所得で良い病院に行く人よりも医療費を使っているのは,日々の生活にも事欠く低所得の人々です。路上,シェルターで暮らす低所得者は退院後に帰るところがないことも多く,社会的入院と数日間での退院もよくありました。
こういった背景の中,Affordable Care Act(いわゆるオバマケア)は約5000万人の無保険者を取り込みました。本格的施行による2014年度からの医療費増加に対しては,既存診療のコスト削減策が取られました。例えば,入院後48時間以内に患者が退院した場合は,不必要な入院だったとみなされ保険がおりない。退院後2週間以内の再入院も保険がおりない。これらは健康に関心が薄い低所得者層の診療を主とする病院にとって致命的でした。
すると「利益を得るのが難しい低所得患者は違う病院に送ろう」という発想が病院側に出てきます。政府も手を打っています。入院を契機に,ソーシャルワーカーが無保険者を保険に入れると,その患者がその後他院で診療を受けた場合,他院には保険がおりなくなります。しかし救急だけは“緊急事態”として例外で,保険が手厚く,他院に入院したことのある患者からでも利益を得られます。
経営判断が確かで財務体質の強いある大学が,マンハッタンの閉院した病院の跡地に,入院施設のない救急外来を開きました。取りこぼしの少ない救急外来で,入院が必要な患者を保険により振り分けるためです。つまり,無保険や低所得者用保険の患者を違う病院に送り,良い保険を持つ患者を自分の系列病院に入院させるのです。これにより,ベスイスラエル病院(を含めた低所得者層向けの入院施設)は,もうからない入院診療をある程度補填する利益を生んできた救急診療の部分を奪われ,入院診療のみが残されてしまいました。そして,今まさにベスイスラエル病院は125年の歴史に幕を下ろし,ほぼ病床を持たない救急外来に“生まれ変わる”ことになったのです。
これを聞いて,「米国の医療はカネカネカネ,でけしからん。日本では……」と思った方は少し想像してください。世界一豊かな米国が医療費の高騰にあえぎ,低所得者層への医療・福祉の切り捨てを事実上追認せざるを得なくなってきたということです。米国人が冷徹である結果だとは,私は思いません。米国人は現実的に継続できないシステムを世に問い,ヘルスケアの行く末に関して議論を活性化しています。翻って日本は米国より貧しく,高齢化は進んでいるのです。「問題を問題として認識する勇気」が試されていると思われます。
ベスイスラエル病院は日本から臨床留学を継続して受け入れるほぼ唯一の病院でしたが,臨床留学の継続も危ぶまれています。今も関係者が継続に向けて努力を続けています。25年の伝統を持つ交流が途絶えぬよう祈りながら。
山口 典宏
2005年阪市大卒,天理よろづ相談所病院ジュニアレジデント,聖路加国際病院内科チーフレジデント,血液腫瘍内科勤務を経て渡米。米ハーバード公衆衛生大学院修了,同キャンサーセンター研究員,マウントサイナイ・ベスイスラエル病院内科レジデンシー修了。16年7月より現職。
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