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第3085号 2014年7月21日


【interview】

援助職としての「姿勢」と「覚悟」
信田 さよ子氏(原宿カウンセリングセンター所長)に聞く


 日本における開業カウンセラーのパイオニアとして知られる信田さよ子氏。このたび発刊された『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)に,氏は長年の臨床経験の中で培ってきたものをつづった。

 さまざまな困難を抱え,問題解決を求めるクライエントを前に,いかに振る舞うか――。本紙では,カウンセラーに求められる視点や姿勢について,氏にインタビュー。「カウンセラー」という職種を超えた,ケアに携わる援助者としての在り方が描き出された。


カウンセリングは映画のような世界

――本書のタイトル中の「見ている」という点が印象的です。しかし,カウンセラーというと「聞く」というイメージを持ちます。

信田 確かにカウンセリングが日本に入ってきた1950年代から現在に至るまで,そうしたイメージは根強くありますよね。カウンセリング講座に行けば,「傾聴」という言葉がキーワードとして取り上げられているほどですから。

――「見る」というのは信田さんなりのスタイルであると。では,「見る」とは,いったいどういうことなのでしょうか。

信田 言葉の通り,私は見ているんですよ。つまり,クライエントの話を聞きながら,頭の中で映像化して組み立てていくことで,映画のように追体験可能なリアルな形として記憶しているわけです。

 自分の中で作り上げた映像がクライエントの実際の生活と重なったと思えることが,クライエントが置かれた状況を「わかる」ということだととらえています。

人の気持ちをわかることはできない

――本書を読んで驚いたのは,「共感しなければならないと考えたことはない」(p.62)と書かれている点です。

信田 はい,私は「クライエントの気持ちをわかろう」とか「クライエントの身になって考えよう」と思ったことはありません。

 目の前にいる人の苦しみやつらさを感じてわかってあげることが,「共感」という言葉に対する一般的なイメージとしてありますよね。しかし,基本的にそれはできません。クライエントが苦しいと感じていることを,他者である私が同じように感じられるはずがないんです。

――クライエントに寄り添う必要はない,と。

信田 いえ,クライエントが今置かれている状態に,ある程度近づこうとする姿勢は当然必要です。ただ,「近づく」というのも難しいんですよね。カウンセリングに訪れるクライエントの方たちは形容しがたい経験をしており,その経験を語るとき,多様な考えや感情が渦となってあふれ出ます。

 しかし,そこに近づきすぎると,私たち援助する側まで飲み込まれてしまう。ですから,クライエントの感情表出が激しければ激しいほど,私の頭の中では「距離を取れ」と警報が響くんです。

――距離感は常に意識していなければならないわけですね。

信田 やはりそこは一つの職業的な限界設定として,忘れてはいけないことだと思っています。「距離を取る」と言うと冷たいと思われるかもしれませんが,特に私たちは安くはないお金を支払っていただいているわけであり,感情の渦に共に飲み込まれてしまうことをクライエントたちからも望まれてはいない。クライエントは何らかの変化を求めて,カウンセリングに来ているわけです。

 相手の苦しみを深く理解することに注力するのではなく,「専門職として何ができるか」「相手が求める変化へ,いかにつなげるか」を考えることが重要ではないでしょうか。

――では,変化をもたらすためには,どのようなスタンスで臨むのが良いのでしょうか。

信田 私の場合は共感するというよりも,「一緒に」という思いがあって,例えばクライエントと共通の敵をつくり,それに対して怒るということだってやります。クライエントの話に相づちを打ち,どんな内容であってもまずは無批判に聞く。クライエントの苦しみを,その背景となっている人物や環境に集約させ,私が味方である印象を植え付けるわけです。それがクライエントと共に問題解決に向かうための関係性構築に役立つこともあります。

――「一緒に」と,「共感」は違うのですね。

信田 先ほど言ったように私はクライエントが置かれている状況を「見る」ことで,自分が同じ場面にいるように感じるのです。これはクライエントの感情を推察して,そこに入り込む「共感」とは少し違うと思いますね。クライエントと同じ感情を抱くのではなく,同じ側に立つという意識で,共通の敵や脅威から身を守る方法や新たな戦略を考えたりするわけです。

 そして,時にはクライエントが抱える重荷を引き受ける覚悟を示すこともあります。もしかしたらこれは,看護師の方が日頃行っていることかもしれません。

自分も被害者のポジションに立つ

――「引き受ける」というと,かなり踏み込んだ印象を受けます。

信田 私が引き受けるという姿勢を見せることで,クライエントの背負っている重荷は少し軽くなります。そのようなかたちで安心感を抱かせ,楽にさせることは,クライエントの責任の放棄につながり,私への依存を助長するように思われるかもしれません。実際にクライエントが判断の主体を私に預けてしまう危険性は十分にあります。

――その危険を冒してまで引き受ける必要があるのは,なぜでしょうか。

信田 例えば家庭内暴力という問題の場合,加害・被害が発生しますから,基本的に中立ではいられません。被害者に対して「大変でしたね」と言って済む問題ではないでしょう。

 むしろどうすれば被害が最小化するのか,次なる暴力被害を防げるのかを考えていかなくてはいけない。このとき重要になるのが,クライエントに対して具体的な提案や指示を行うことです。

――つまり,解決の方向性を示してしまうわけですか。

信田 危機に直面して非常に混乱している人に,「判断してください」とは言えないでしょう。混乱の中にいながら,少しでも自分や家族の状況を好転させたい一心で来談しているわけです。その要求に応えられるという確信があるからこそ,状況によっては具体的な指示を出すことをためらいません。「目の前の人の味方になる」というのは援助の基本だと私は思っています。

 ただ,忘れてはいけないのが,なぜそうする必要があるのかをきちんと説明すること,私の提案に「ノー」と拒否できる余地をわずかにでも残すことです。それによって,今後の行動はクライエントが自分で納得して選択した,という“自己選択”のラベルを貼ることができるわけです。

緊張感と即興性こそがカウンセリングの醍醐味

――お話を聞いていてエネルギーを必要とするお仕事のように思いました。

信田 よく言われるんです。でも,私にはカウンセラーがそれほどハードな仕事であるという実感はありません。

 クライエントの方には言えませんが,むしろ話を聞きながらその情景を頭の中で思い浮かべていろいろな想像をし,心を揺さぶられることが,私のひそかな楽しみだったりもするんですね。ですから,ありえないくらいつらい話を聞くとかえって元気が出てきたりする。やっぱり私ってヘンなんでしょうか(笑)。

――燃え尽きるなんてことも……。

信田 ないですね。もちろん疲れることはありますが,それは感情を抑制したり意図的に鈍麻させているからではなく,語られる内容に対して頭をフル回転させたり,どんな言葉を用いればよいかに細心の注意を払ったりすることによる疲れです。

 でも,こうした予測不能な緊張状態と,全てを瞬時の判断で選ばなくてはならない即興性こそが,カウンセリングやケアの仕事の醍醐味ではないでしょうか。つくづくこの仕事を続けてきてよかったと思いますね。

(了)


信田さよ子氏
1969年お茶の水女子大卒,73年同大大学院修士課程修了(児童学専攻)。臨床心理士。駒木野病院勤務などを経て,95年より現職。アルコール依存症,摂食障害,ドメスティックバイオレンス,子どもの虐待などの問題に取り組む。日本臨床心理士会理事,日本外来精神医療学会常任理事他。『アディクションアプローチ』『DVと虐待』などの著書があり,2014年5月に新刊『カウンセラーは何を見ているか』(いずれも医学書院)を上梓した。