医学界新聞

寄稿

2013.12.16

【寄稿】

そのとき看護部はどう動いたか
福知山花火大会事故当日の対応を振り返る

市立福知山市民病院看護部


 本年8月15日,京都府福知山市の花火大会で起きた爆発事故は,重軽傷者55人,死者3人の惨事となった。現場は混乱が大きくトリアージは困難と判断され,負傷者は近隣3病院に搬送。昨年,府内初の地域救命救急センターの指定を受けた市立福知山市民病院(354床)は,うち45人を引き受けた。夜間当直体制にあった同院だが非番のスタッフも総出で治療に当たり,9つの災害派遣医療チーム(DMAT)や市消防局の協力も受け,翌日にかけ約20人を他院に転送した。本稿では,「団結力」で非常事態を乗り切ったという同院看護部の3氏に,当日の動きを振り返っていただいた。

(編集室)


◆トリアージ「赤」の患者対応(初療室)

外来副師長・救急看護認定看護師 高見祥代


 当日私は当直師長として勤務していました。「そろそろ花火大会が始まるころか」と思っていると,救急室のホットラインが鳴りました。「花火大会で爆発事故が発生。全身熱傷の負傷者が1人」との内容でした。

 ICUが満床だったため,ICUベッド確保の調整を行っているさなか,救急外来看護師からの「多数傷病者が搬送される」との連絡と同時にEコール(緊急対応コール)の呼び出しがありました。救急センター長にも報告して救急外来に走ると,「熱い」「なんとかしてくれ~」とういう叫び声が聞こえました。救急室スタッフは,複数の熱傷患者の対応に追われ,通常の夜勤とは全く異なる状況。「夜勤スタッフだけでは無理だ」と思ったとき,センター長から災害対策本部の立ち上げ指示を受け,同時に各病棟から応援を確保すべく,他の師長に連絡役を依頼しました。

 当院の救急室は通常初療室2床,回復室4床の体制です。19時半の発災から約30分経過の時点で,救急室の患者は7人(初療室を3床にして対応)。自力で来院した負傷者には,外来フロアで対応することになりました。

 救急室に駆け付けてくれたスタッフには,熱傷対応の経験がない者もいたため「静脈路2本確保」と「保温」,「気道熱傷を疑えば挿管」を一律の処置とし,診療・輸液準備と分担しました。

 受傷から時間が経過すると静脈路確保にかなり難渋し,特に小児のライン確保は困難でした。救急室に搬送された重症患者の約半数が小児だったと思われますが,彼らもほとんど痛みや苦痛を訴えることなく我慢していたのが,強く印象に残っています。

 重症の小児を目の前に,必死に名前を呼ぶ家族には,これが最後になるかもしれないからと,できるだけ近くで声を掛けてもらい,手が空いている師長には家族対応をお願いしました。家族と連絡が取れず,1人で診療に耐えていた小児には常に誰かが傍に付き,痛みや寒さがないかを確認するとともに声を掛け続けました。最重症者は救急室看護師が対応し,他の重症者には,手術室看護師ほか,誰かが1対1で傍に付くように対応しました。私は常に救急室全体を動き回り,傷病者の処置の継続と全身状態の確認,スタッフへの声掛けをしました。疲労がピークに達した21時ごろ,すべての重傷者が転院搬送されると聞きました。

 初めは何人くらい患者が搬送されるのか,その重症度・緊急度さえもわからず,目の前の患者への対応に追われていましたが,他施設からの応援の方々にも助けられ少しずつ状況把握ができました。その情報をもとに救急室搬入された傷病者のリストを作成し,情報共有に努めました。


◆トリアージ「緑」の患者対応(病院玄関ホール)

外来副師長 小高恵理子


 仕事も終わり帰宅しようとしたとき「救急室でEコール」という全館アナウンスが入りました。状況もわからず救急室に向かうと,救急センター長から事故のことと,災害本部を立ち上げる旨の説明があり「まもなく受傷者が30人,バスで来院する。院内へは1人ずつ入れ,トリアージを行うように。病院玄関はトリアージ緑のポストにする」と指示されました。

 20時15分ごろバスが病院玄関へ到着し,消防隊の協力で負傷者が順に院内へ誘導されました。医師がトリアージを行い,私は氏名確認,SpO2の測定,タグに必要事項を記載し院内のソファへ誘導しました。その後皮膚科医師が優先度に従って診察し,洗浄や軟膏処置など必要な指示が出されました。

 バスでの来院者全員をトリアージできたころ,緑ポストには50人ほどの病院職員が駆け付けていました。普段は救急対応をすることがない職員も,各々ができることを考え,氷やアイスノンで患部を冷やしたり,ストレッチャーを運んだり,ガーゼに軟膏を塗るといった処置を行っていました。備蓄用の飲料水を受傷者に配付し「水分をしっかりとってください」という声掛けも行われていました。

 緑ポストでも熱傷の範囲が広い受傷者や,点滴などの処置や入院が必要と思われる受傷者は災害対策本部と連絡を取り,赤ポストへ順番に移動させました。その後,対策本部からの指示を受け,皮膚科医師と共に緑ポストに残った受傷者のトリアージタグの氏名・住所・受傷範囲・処置内容・SpO2などの情報を再確認して診察を行い,22時40分ごろに帰宅が完了しました。

 緑ポストには30人ほどの受傷者がおられ,疼痛はもちろん,恐怖や不安な気持ちもあったと思いますが,誰一人「自分を先に診察してほしい」と言うことなく,混乱やパニックも生じませんでした。静かに待っておられる姿が印象深かったです。


◆トリアージ「赤」の患者の病棟収容

病棟師長 小山恵子


 Eコールで救急室に駆け付け,最初の熱傷患者の処置を手伝っていると,次々に運び込まれてくる熱傷患者。医師に尋ねて初めて事の重大さを知りました。すると災害本部から,一部閉鎖している病床16床に,重症-中等症の患者を受け入れるよう指示されました。

 管理者としては,患者を安全に受け入れ,事故なく処置が受けられる環境作りを第一に考えました。まずは夜勤帯の人員確保を考え,緊急連絡網でスタッフの呼び出しを行い,準夜勤務者の副師長や介護福祉士と一緒に受け入れ準備を行いました。次に,当病棟の物品だけでは救急処置を行うには不十分と考え,他病棟の協力のもと救急カートやパルスオキシメーター,酸素流量計,熱傷処置や生命維持に必要な物品などを調達しました。薬剤部とも,連絡すれば病棟に必要薬剤が届くよう協力体制を整えました。さらに,混乱を避けるため救急と病棟との連絡の一本化が必要と考え,連絡を担うリーダー役の確認も行いました。

 最初の転院先への搬送時,患者の情報を正確に伝えられず困ったという報告があったこと,また,ショックや不安が強い患者のケアが必要と考えたことから,患者1人に2人以上の看護師を搬送まで付き添わせ,声掛けや正確な記録に努めました。看護師の寄り添いや,他の家族の安否情報の提供などにより,患者も落ち着きを少しずつ取り戻しました。スタッフそれぞれができることを見つけて協力し対応に当たったことで,混乱した中ではありましたが,患者を事故なく安全に次の受け入れ施設につなげることができました。

 事故対応と並行し,翌日からの病棟運営も考慮して深夜勤務者の増員をはかりつつ,日勤者確保のためスタッフの帰宅を促しました。21時45分ごろから始めた搬送が完了した翌午前1時ごろ,病院幹部からの差し入れが届き,全員が協力し無事に事を成し得たという思いで口にしたことを覚えています。

●「災害対応のことはよく知らなかったから,私なんか役に立たないと思って……」。事故後の検証委員会による院内アンケートには,こんな感想が多く寄せられました。でも実際には,そんなことは一切ありません。医師・看護師だけではなく,コメディカルを含めた全職員が力になります。小山師長,高見副師長,小高副師長は見事に連携をとって各部署をまとめていました。それを支えたのは,懸命な治療を行った医師・看護師だけではなく,火傷した子どもに付き添い声を掛け続けた新人看護師,大きな不安を抱えた家族と向き合った病棟師長,不足した物品や患部を冷やす氷を調達するために走り回った薬剤師や事務員など,総勢218人の職員でした。災害時,院内連携の要になるのは看護部です。今回の看護部の迅速かつ柔軟な対応に心から感謝しています。

(救命救急センター長・北川昌洋)


●事故で負傷された少年が「看護師さんにお世話になり,勇気付けられたので感謝の気持ちを伝えたい」と,退院されたその日に,お父さんとともに当院にお礼に来られました(下写真、掲載許諾済)。まだ腕には運動制限がある状況でしたが,野球選手になる夢を絶対叶える,と私たちと約束して帰られました。スタッフには,亡くなった方にもっと何かできたのではないかと悔やんでいる者や,事故当時の悲惨な記憶からPTSDに近い状態の者もいましたが,お礼に来てくれた気持ちがうれしく,元気な姿に涙が出ました。他にも,電話で感謝の気持ちを伝えてくださった方もいます。こうした関係が,医療者の心を解きほぐし,勇気に変えていくのだとあらためて思いました。亡くなられた方々のご冥福と,被害にあわれた多くの方々の一日も早い回復をお祈りいたします。

お礼に来てくれた少年と

(看護部理事・佐藤真寿美)

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook