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第3048号 2013年10月21日


【対談】

解きほどかれる看護師の語り

井部 俊子氏(聖路加看護大学学長)
村上 靖彦氏(大阪大学大学院 人間科学研究科准教授)


 “普通”の看護師が,日常のケアを語る言葉から,これまでの哲学にはなかった概念がいくつも生み落とされていく――『摘便とお花見』(医学書院)を著した現象学者の村上靖彦氏は,看護師の語りの魅力をこう表現します。同書では,4人の看護師(MEMO)へのインタビューを現象学を用いて分析。感情や心理で語られがちな看護師の仕事を,“クールな行為”としてとらえ,行為の基盤となる複雑な時間・空間構造を洗い出すことが試みられています。

 このたび本紙では,村上氏と,「ケアを言葉にすること」の重要性を説き,実践してきた井部俊子氏に,現象学によってほどかれ,磨かれていく看護師の語りと,そこに見えるケアの構造についてお話しいただきました。


看護師の語りは“冗長”でいい

井部 『摘便とお花見』,面白く読みました。看護師の語りをここまで磨いて,推理小説のような謎解きをしてくださったのは,素晴らしいですね。目からうろこでした。

村上 ありがとうございます。

井部 でも,ちょっと物好きな方だなとも思いました(笑)。哲学者の村上さんがなぜ,看護師の語りに注目してくださったんでしょう。

村上 何よりも看護師さんの語りの複雑さが,僕にとってはすごく魅力的で,新しいものだったからです。

井部 具体的には,どういうことですか。

村上 例えば,がん看護専門看護師のCさんの語り。患者さんにとって,「だんだん」やってくる内的な衰えに対し,死は外から「どんどん」やってくる。その経験を,Cさんは「じっくり」聴くという,3つの異なる時間が絡み合い,一つの看護実践の場を作っています。

 このようにそれぞれの看護師さんが,それぞれ異なる時間構造のなかで実践を組み立てていて,それが細かな言葉遣いのなかに表現されている。これは,時間というものについて,常に何か唯一の,普遍的な構造があるかのごとく考えられてきた西欧哲学に対して,すごくインパクトがあります。

 しかも,一見普通の看護師さんたちのあいまいな言葉のなかにそうした新しい概念がいくらでも含まれていて,自然と語られていく。そのことにいっそう,驚きと面白さを感じます。

井部 そうですか。私自身は,看護師の語りに「もうちょっとまとまらないの?」とヤキモキしてしまうほうなんです。どうしても記述的というか,おしゃべりのようになってしまうので,“冗長”だと批判されることさえあります。

 きちんとできあがった言葉で語るすべをもたなかったために,この本の帯にあるように「誰も看護師を知らない」事態が生まれているのではないか,と考えていました。

村上 確かに自然科学領域の論文などから見れば,本書で取り上げた語りはどれもコンパクトにはまとまっていないし,“こんがらがって”いますね。

 でも,看護実践ってそういうものじゃないかと思うのです。僕は以前,自閉症の医療現場でもフィールドワークを行っていましたが,ある意味診断基準でカテゴライズできる医師の仕事のほうが,はるかに単純だと感じました。

井部 確かに看護師の仕事というのは,法律上の「療養上の世話」や「診療の補助」といったフォーマルな記述ではとうていまとめきれない,個別性にあふれたものですね。

村上 文脈も相手も異なるいろいろな経験が同時に生じて,パターン化することが難しい。そういう看護の特徴をシンプルに語ろうとするほうが無理な話で,行ったり来たり,飛んだりするのは必然ではないでしょうか。

井部 では村上さんにとっては,冗長さそのものが,看護の本質を表現する一つの形であると。

村上 ええ。「神は曲がりくねった線でまっすぐ書く」というポルトガルのことわざを,詩人のクローデル(Paul Claudel)が引用しているのですが,そんなように,一見回り道に見える冗長さこそがまさに,看護師さんの仕事を語る上では最も的確かつ近道である気がしています。

無知なインタビュアーが引き出す「ノイズ」

井部 方法論についても伺いたいのですが,研究する人によって,アプローチがかなり違ってくるものですか。

村上 そうですね。例えば,看護師である西村ユミさん(首都大東京)は,病院にフィールドワークに入り,看護師さんたちの動きをひたすら観察し,追っていくような研究をされています。

 彼女にはナースコールの音も,看護師さんの反応も,別の病室で行われている処置も,ヒトとモノとの区別なく,一つの動きの連鎖として見えるみたいです。視野が広くて,シグナルをキャッチすることに長けているんですよね。

井部 それは,確かに看護師ならではの感覚ですね。ベテランの管理者になると,ナースコールも「点滴の終わった音だ」「おしっこをしたいんだな」と聞き分けられるくらい敏感になりますし,情報が入ってくる範囲が自然に拡大してきます。

村上 僕自身はそういう感覚を持ち合わせていないので,フィールドワークに入っても,見ているだけでは全然わからないと思います。ただ看護師さんはすべて意識しているので,インタビューすることで,その一端を聞き出すことができるわけです。

井部 インタビューでの質問は,二つだけと書かれていましたね。

村上 初めに伺うのは「日々の実践について教えてください」と「看護師になられたきっかけや来歴を教えてください」の二つです。

井部 それで,こういう語りを引き出せているのは,村上さんがうまい聞き手だからでしょうか。

村上 いえ(笑),一つには,たぶん看護師さんという職業がとても内省的で,常に考えながら実践を行っているからだと思います。普段はそういう場がないけれど,聞かれれば一気にこれだけ語れるくらい,いろいろ考えている。

 もう一つの理由としては,僕が看護に対して“無知”であったことでしょうか。それこそ透析室に入ったこともありませんでしたから,Dさんには,部屋の絵を描いてもらって,そこでどんな看護をしているか,身振り手振りを交えて一から説明していただくことになりました。

井部 事前に背景や状況を把握していると,言葉にしない了解性のようなものが生じたり,わかっているからこそインタビュアーがしゃべりすぎてしまう場合もあり得ます。ですから“わかっていない人”が聞き手のほうが,語りを引き出すことになるかもしれません。

 看護師の重層的な動きを,一から語るというのは,少々アクロバティックですが。

村上 そこなんですよね。無知なインタビュアーに,いろいろなことを同時に説明しなくちゃと皆さん思われるんでしょう。余計に語りがこんがらがるのですが,そのぶん「ノイズ」が出てきやすくなる。

――(編集室)ノイズというのは?

村上 「あの」「なんか」といった口癖や言いよどみとか,一見意味をなさないような単語,それから,話がぽんぽん飛んでつじつまが合わない,とか。

 これは逐語録を分析するときになってわかることなんですけれど,ノイズが出てくるのは,その人にとって重要なこととか,複雑なことを言おうとしているときのサインなんですね。状況が込み入っていて,異質な内容が同時に頭に浮かぶと,語りが混乱して交通事故を起こすようです。

 逆に言うと,一見すると主題とは関係ないように見えるそうしたノイズが,語り手の意図しない,背景や構造を洗い出すきっかけになる。そこから解きほぐしていくことで「ローカルなプラットフォーム」が見えてくるんです。

やりたい看護を実現するための「装置」がある

――「プラットフォーム」について,説明していただけますか。

村上 Dさんと,もう一人,ある助産師さんのインタビュー(青土社刊『現代思想』2013年8月号に掲載)の分析をするなかで見つけたことなのですが,「どのような時間や空間のなかで生きるのか」あるいは「どのような対人関係の距離の取り方をするのか」などの基本的な枠組みが,それぞれの看護師さんが経験を重ねることで自然とできあがっていく。それがプラットフォームであり,個々の実践の基盤になっているんです。

井部 看護師それぞれのかかわり方のスタイルが確立されている,ということですか。

村上 そうですね。先述したCさんの「だんだん」「どんどん」「ゆっくり」という時間のとらえ方も,彼女なりのプラットフォームから生まれたものだと考えられます。

井部 Cさんは,語りの主語を「患者」にしていますよね。看護師らしいというか,常に患者優先の姿勢があると思ったのですが,そういうかかわり方にも,プラットフォームは関係している,ということでしょうか。

村上 そうだと思います。どうしたら患者さん目線でケアができるかということは,おそらく全員が考えているのですが,その表出の仕方がそれぞれの看護師さんの持つプラットフォームによって異なる。

 Cさんは主語が変わるという形でしたが,訪問看護師のFさんは,「〔患者さんと〕地続き」という表現をされています。要は患者さんと同じパースペクティブから情景を見ているので,語りも自分が見た景色ではなく,いつの間にか患者さんの目に見えたであろう景色からの描写になっている。だから,Fさんの経験なのか,患者さんの経験なのか,混じり合っていてわかりにくいのです。

井部 しかし,個々のプラットフォームが目立つと,管理者に「基準通りやれ」と,注意されるのではないですか。

村上 いえ,既存の医療規範や病棟ルールと対立するものではないんです。むしろ規範のなかで,自分のやりたい看護を最大限実現するための「装置」がこのプラットフォームなのだと思います。逆に言えば,この自分専用のプラットフォームを作れないと,創造的にその都度適切な看護を作り出すことが難しいのかもしれません。

井部 「看護実践のプラットフォーム」というタイトルだけでも,いろいろなことが書けそうですね(笑)。

村上 面白いですよね。看護師さんは,自分ではそのプラットフォームに気付いていない場合が多くて,語りを解いていくことで,浮き彫りになったわけです。

 しかもプラットフォームは,一回で完成ではなく,その方の実践が深まるなかでどんどん変化していくんです。

――Dさんが特徴的ですよね。

村上 ええ,Dさんは透析室から在宅に看護の場を移すなかで,看護の組み立てが大きく変化していました。透析室では患者さんが医療規範に取り込まれ過ぎないようにわざと患者さんから距離を置いているのですが,訪問看護では巻き込まれることで逆に,患者さんの主体化を実現するような在り方に変化します。それに伴い,対人関係の構造も大きく変化していました。

 例えば透析室では患者さんとの一対一の関係が中心だったのが,訪問看護師になってからは家族や他のケア担当者とのネットワークが常に話題になります。しかもその変化が,インタビュー中の半年間に起こったので,僕にとってはなおさら印象的でした。

感情移入ではない「追体験」という技法

村上 もう一つ興味深いのは,感情とうまく距離をとりながら,患者の経験に入り込む方法を皆さんが持っていることです。

 例えば小児がん病棟にいるGさんは,子どもが亡くなる場面で泣きながら看護しているんですけれども,そんななかでも感情に飲みこまれないよう自分を見張る「ドライさん」がいる,と表現しています。

 Fさんも,尊厳死の同意書を書く患者さんを見守りながらも「残り少なくなっていく時間で……スッキリきれいに出せるか」と排便コントロールのタスク達成を企図する。彼女は「感情は動かさない」とさえ言い切っています。

井部 言われてみると,思い当たる節はいろいろありますね。多少自虐的に,「ケアでなく業務をしている」と表現する看護師もいます。患者さんが亡くなったら「ご臨終です」と涙を流し,目立たないよう部屋の隅にいながらも,「次はあそこに電話をしなくちゃ」「次はこれを用意しなくちゃ」と,クールに段取りを考えるのです。

 同じ空間・時間の中に,死を悼む自分もいれば,次にしなければならない業務を整理する自分がいるのです。

――看護師さんは皆,そういうことができるようになるのでしょうか。

井部 現実的に,距離が取れなければ看護師としてサバイバルできません。感情が大きく揺さぶられる体験は,悲しくても楽しくても疲労度が増しますから。

 駆け出しのときから経験を重ね,感情移入とは別のかたちで,患者を理解する技法を覚えていく。それが村上さんが用いている「追体験」という概念であり,患者に寄り添うということの一つの方法論ではないかと思います。

村上 よく言われる「感情労働」とは別次元のクールな行為として,患者の経験を「追体験」しているのだ,と僕は理解しました。「偽の感情」を使って疲弊したり,あるいは逆に感情を揺さぶられてバーンアウトしたり,などとは異なって,看護の技法の一部として感情を積極的にしかもクールに使いこなすやり方があって,皆さんがそれぞれ自分の方法を見つけている。

――臨床的な知恵,とでもいうべきものでしょうか。

村上 ええ。同様に,避けようがない死についても,患者さんも家族も自分自身も楽になれるよう,うまく考え方をひっくり返す「装置」を作っているんです。

 僕は「来世ごっこ」と名付けましたが,Cさんは「幸せな時間とか,豊かな時間とか,気持ちとかはあの世に持っていけるんだよ」と伝えて,かけがえのない人との思い出を振り返ってもらうことで,死んだら終わりではないと,患者の不安や孤独を「笑い」に転換させる術を持っています。

 また,Gさんは死期の近い小児がん患者の子の家に招かれて「はっちゃけて」遊んで楽しく過ごすことで,苦痛の中の死に抗おうとする。

 こういう「装置」があるから,看護師さんも患者さんも耐えられるんだろうな,と感じました。

井部 そうしたことは,看護師にとっては日常的な出来事かもしれません。しかし,エピソードから行為を取り出して,「追体験」とか「来世ごっこ」など概念化をしていただいたことは面白いし,とても重要なことだと思いますね。それによって,ただ忙しいだけの毎日のなかにうずもれていた臨床が意味付けられて,光ってくる。

村上 そう言っていただけると嬉しいですね。そういう概念を取り出していくことこそ僕がやりたかった作業であり,現象学が得意とすることなんです。

エキスパートになるほど“透明”になる看護師

村上 「看護のアジェンダ」で井部先生が書かれていましたが,地域医療に尽力する医師を紹介する新聞記事で,写真には医師・患者・看護師が写っているにもかかわらず,記事中には医師と患者しか描かれていない,と(『週刊医学界新聞』2900号・第70回「存在の耐えられない軽さ」)。

井部 ありましたね。エキスパートとして“いい看護”をするほど,看護師は見えなくなっていく。

村上 同じようなことを,インタビューでも皆さんおっしゃっていて。例えばFさんは「ただの人」をめざすと話していました。Gさんも「大事なところで看護師が目立っちゃいけない」と強調しています。

 患者さんが主体的に自分のやりたいことを実現していくストーリーを陰で支えることで,看護師さんも行為の主体として成就していくわけです。姿は見えないのですが,実はそのときにこそ,神経の行き届いた高度なケアがされている。

井部 例えば手術室で,マスクをしててきぱき器械出しをするのが,かっこいい看護師のメインの仕事に見えますよね。

 でも,それはまったくの的外れで,一番大事なのは,術者と患者とを見ていて,「輸血が必要か」とか「あの医師を呼んだほうがいいか」とか,手術全体を判断してあらゆるマネジメントをする「外回り」という仕事です。手術室で10年間勤務した看護師が,外回りナースがいかに動くかによって手術の成否が決まると語るくらい,重要で複雑なことをしています。

村上 現時点の情報も,これから生じるリスクも全部把握しているような状態ですよね。

井部 そうです。でもその姿はあくまでも“透明”なんです。

――看護師さんは“透明”であることに誇りを持っていますよね。

井部 それが一つの看護のあり方として,成就しているのかもしれません。

村上 でも,そういう“いい看護”が知られていないままというのは,もったいない。『摘便とお花見』も,その透明さを少しでも言語化できたら,と思って書いています。

日常と地続きに見える看護を,言語化していくこと

村上 現象学は一言で言うと,経験の背景に潜む運動や構造を明らかにすること,だと思っています。看護師さんの何気ない身振りは,目に見えない背景に,技量と経験と観察の膨大な蓄積を前提としています。一回だけの出来事や,その人個人の経験の背後に動いている現象から,未知の構造を見つけ出す。“こんがらがった”看護の日常は,まさにそういう現象学を実現できる題材として非常に魅力的だし,解き明かしたい謎に満ちていると感じます。

井部 一見ありふれた,日常と地続きのような看護に,実は深い意味があることをどう言語化していくか。これは大きな課題ですが,魅力ある題材と感じてくださるなら,現象学が今後その手助けとなるでしょう。哲学研究者の方に看護領域に入ってきてもらって,看護の事例に引き寄せて哲学を教えていただけるのも,とてもいいですね。それこそ,彼らに「摘便」とはどういう行為かを説明するところから,始めなくてはなりませんが(笑)。

村上 わからない世界だからこそ面白い,と感じる哲学研究者もきっといると思います。哲学が看護にとってどのくらい役立つかはわかりませんけれど,全く別の“プラットフォーム”に載せることで,より看護の面白さ,奥深さが見えてくる。それは確かである気がします。

井部 診療科によっても,個々人のキャリアによっても看護は全く違ったものになりますので,まだまだ,哲学というプラットフォームに載せるべきことはあると思います。続編を期待しています。

(了)

MEMO『摘便とお花見』に登場する4人の看護師(登場順)

Fさん…小児科と訪問看護と老人病院を経験した看護師。母親も看護師で,妹二人が脳性麻痺をもっている。
Dさん…総合病院で透析室および内科の混合病棟に勤務の後,訪問看護ステーションに異動。
Cさん…がん看護専門看護師。緩和ケア科のない総合病院の一般病棟に勤務し,告知から終末期まで,がん医療の全ての段階に立ち会っている。
Gさん…小児がん病棟に8年間勤務している。大学卒業後に,小学校のころから読んでいた小児がんの闘病記を思い出し,看護学校に入り直した。

●Webマガジン「かんかん!」にて『摘便とお花見』を“拾い読み”する連載「一日一滴」,書評連載「私はこう読みました,『摘便とお花見』」を掲載中です。こちらもぜひご覧ください。


概念化によって,忙しい毎日にうずもれていた臨床が意味付けられて,光ってくる

井部俊子氏
聖路加看護大卒。聖路加国際病院勤務を経て1987年日赤看護大講師。93年聖路加国際病院看護部長・副院長。博士(看護学)。2003年聖路加看護大教授,04年より現職。日本看護系大学協議会理事,看護系学会等社会保険連合代表理事,日本看護管理学会理事などを務める。『週刊医学界新聞』看護号にて05年より「看護のアジェンダ」を連載中。『マネジメントの探究』(ライフサポート社)ほか著書多数。

看護師さんの何気ない身振りには,背景に技量と経験と観察の膨大な蓄積がある

村上靖彦氏
東大大学院総合文化研究科博士後期課程満期退学。パリ第7大学にて基礎精神病理学・精神分析学博士号取得。日大国際関係学部准教授を経て2008年より現職。小児科での自閉症研究を経て,看護師へのインタビュー研究を始める。著書に『自閉症の現象学』(勁草書房),『治癒の現象学』(講談社),『傷と再生の現象学』(青土社)など。