医学界新聞

寄稿

2011.08.29

寄稿
反省的実践家を育てる
「語り」から考える新人職員研修

遠藤淑美(大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻准教授)


 2010年4月から新人看護職員の卒後臨床研修が努力義務化された。「新人看護職員研修ガイドライン」に沿って,各施設では現在さまざまな取り組みがなされている。ガイドラインの策定に当たっては,検討委員会から出された強調点が盛り込まれた。

 しかしながら,強調点の一部として述べられていた「技術やケアを身につけていく際,『語り』を大事にして,情報共有や気づきの機会にすること」1)は,具体的にはガイドラインに盛り込まれていないように思われる。今回,浅香山病院で行われている新人教育研修の取り組みをお伝えすることで,新人教育研修を「語り」という視点から考えてみたい。

なぜ「語り」なのか

 教師や看護師は,基盤とする知識や技術の「厳密性」において劣るために,「マイナーな専門職」と言われてきた。ドナルド・ショーンは,これらの専門職を「反省的実践家」と呼び,新しい専門家像を描き出したことで知られる。ショーンの描く専門家は,刻々と複雑に変化する状況を感じ取り,その時々の問題を意識的にも無意識的にもとらえ,状況と対話しながら行為を修正していく能力を有する。ショーンは,これを「行為の中の省察」と呼び,反省的実践家の中核とした2)

 この「行為の中の省察」を可能にするための方略の一つが,「語り」である。例えば,ベナーは,経験学習では「変化」をとらえるための思考を必要とし,その「動画的」な物事のとらえ方にナラティブが最も適していると述べている3)

 ナラティブとして「語る」ことは,文字どおり物語を物語るように,ある時間を生きた自分を,動きとして自分にも他の人にも見える形にし,もう一度体験することである。これにより,「行為の中の省察」という,複雑で,あいまいな状況のただ中に求められる,実践家の知識と判断を発展させていくことが可能になると考えられる。

新人ナラティブ研修とは――浅香山方式

 浅香山病院は,大阪南部の住宅地に位置する精神科を中心とした1196床の総合病院である。精神疾患を持つ方たちが不自由なく他科を受診できるようにと,一般科を併設するようになった。この病院には,毎年新卒看護師が約30人前後入職する。精神科を中心とする病院に新卒がこれだけ入職することは珍しい。さらに特筆すべきは,離職者が非常に少ないことである。現在,筆者も含めて大阪大学から2人の教員が,病院の非常勤講師としてかかわらせていただいている。

 さて,新人職員は,入職して夏を迎えるころには,プライマリーナースとしての経験をするようになる。この時期を過ぎた10月ごろより,新人ナラティブ研修は始まる。1回に4-5人の新人が,一人ひとり印象に残った看護場面を語る。他の新人全員および看護部長,教育指導者3人,大学教員である筆者が聞き手として同じ輪の中に座る(写真)。

新人ナラティブ研修のもよう

 発表者は,話したい内容を原稿にいったんはまとめるが,語りの際には原稿なしにライブで語る。語られたナラティブに対し,聞き手は問いかけたり,感想を言ったりする。最後に,発表者本人からこれらのやりとりについて感想を述べてもらう。

 この語りをきっかけに,話の展開によっては,部長や教育指導者が自身の新人のときのエピソードを思い出して語ったり,皆が共通して困っていることへと話題が発展したりする。例えば,「一人ひとりの患者を大事にしたいのに,どうして“業務”になってしまうんだろう」といった問いが,...

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