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医学界新聞

寄稿

2010.08.23

 

【特集】

看護研究の道しるべ――先達からのメッセージ
私がブレークスルーした“あのとき”

 


 一昨年ご好評をいただいた特集「看護研究の道しるべ――私がブレークスルーした“あのとき”」が,このたび帰ってきました! 研究には困難がつきもの。患者さんの貴重なデータをこれからの看護に生かさなければ,という強い思いが,時に大きな重圧となって押し寄せてきます。また,気持ちだけでは解決できない,分析や考察の難しさもあります。しかし,ちょっとした発想の転換の糸口がつかめれば,すんなり乗り越えられるかもしれない。そんなヒントを得るべく,今回は6名の研究のエキスパートに,ご自身の研究の道のりについてご寄稿いただきました。

 また,スペシャルインタビューとして,研究成果をさまざまな看護技術の開発に生かしてこられた真田弘美氏(東大大学院)に,研究への思いと,研究におけるパラダイムシフトの重要性についてお聞きしました。

 

鎌倉 やよい  東 めぐみ  金井 Pak 雅子 
武村 雪絵  小原 泉  黒田 裕子 

 


鎌倉 やよい(愛知県立大学教授・成人急性期看護学)

 


臨床を見つめ浮かび上がった課題を解決し,医療を受ける人へ還元する

 臨床看護師として出発して以来,実に多くの人との出会いがあり,その中で育てられてきたことを実感する。私の研究テーマを振り返ると,「食べること」「呼吸すること」が中心であった。そこに共通する目的は「臨床における援助技術の開発」と患者による療養行動の「セルフ・コントロール」であり,研究対象として,主に周術期患者と地域高齢者に研究参加を依頼してきた。研究の方法論としては,「応用行動分析学」における実験デザイン,「生理心理学」における生理指標の測定に負うところが多い。

 「食べること」に関する研究の出発点とも言える嚥下障害患者との出会いは,私が病棟主任として臨床看護に専心していた1984年に遡る。その方は,片肺を全摘し,気管を3リング切除した術後に,飲み込もうとすると誤嚥が生じる状態となり,主治医は中心静脈栄養法を選択した。神経を損傷しているわけではなく,なぜ嚥下ができないのか理解できなかった。

 今であれば,気管切開によって声門内転の防御機構が機能しないこと,気管を3リング切除したことによって喉頭が下方にけん引され,喉頭挙上が不十分であったと推測できる。しかし当時の私にとって,この解決できなかった嚥下障害の問題は,患者という師から託された宿題となった。本学の前身である愛知県立看護短期大学に助手として赴任した後も,この宿題を完成するために,このテーマを追い求めてきたとも言える。

 当初,嚥下障害に関する書籍はほとんどなく,関連する国内文献を網羅的に確認しては,生理学を手掛かりに理解し,リハビリテーション医学,耳鼻咽喉科学の文献から多くを学んだ。孤独な「点」としての実践であったが,日本摂食・嚥下リハビリテーション学会設立を機に,専門分野を超えて「線」となり,「面」となっていった。第1回研究会の会場に人があふれる光景を目にしたとき,同じ志を持った多くの医療従事者の存在に力づけられた。

 一方で,研究において大きく影響を受けた学問は行動心理学であり,中でも応用行動分析学であった。そこで師と出会い学んだが,行動の原理に基づき,患者が望ましい行動をとれるように環境に介入する方法論,セルフ・コントロールの概念など,私にとって衝撃的なものであった。その実験デザインに基づき,呼吸訓練のセルフ・コントロールに関する研究を計画し,従属変数を明確にして,臨床でデータを収集した。その論文は,私の原点とも言えるものである。また,もう一人の大切な師から生理心理学を学び,「嚥下と呼吸の協調」をテーマに舌骨上筋群の筋電図と呼吸の測定について,試行錯誤を重ねては確立していった。それが,摂食・嚥下障害患者に対する援助技術の開発の研究へと発展した。

 研究は医療を受ける人々へ還元されるべきである。自らが理想とする看護を描いて現実を見つめると,解決すべき課題が浮かび上がってくる。その研究テーマを構成する課題を一つひとつ地道に研究することが重要である。

 


研究テーマ:脳卒中急性期における誤嚥性肺炎予防に関する基礎的研究,地域高齢者への口腔機能向上プログラムの開発

 


東 めぐみ(駿河台日本大学病院 慢性疾患看護専門看護師)

 


看護実践を探求する臨床看護師とともに看護現象を読み解く醍醐味

 看護の現場は複雑な現象で満ちている。看護師としての私の率直な思いです。実践では自分はどこに向かっているのか,患者にとってこれでよかったのかなど,迷うことが少なくありません。一方,患者に何らかの変化が見られたときなどは,看護行為の意味を見いだし,確かな手ごたえを感じることがあり,「研究」的な視点で実践を見つめ直すことが,次の看護実践につながると実感しています。

 私は長い間,臨床で働く看護師たちと「看護研究」を行ってきました。私が大事にしてきたのは,「自分たちが実践したことを言語化し,何が起こっているのかを明らかにすること。そして,次の実践に生かすこと」です。実践した行為の多くは,優れていてもほとんど埋もれてしまいますが,それまで潜んでいた行為の意味や価値を新たに見いだすことができたときの喜びはとても大きく,実践者だからこそ描き出すことができる現象がたくさんあるからです。このことが,何気ない普段の実践に自信や誇りを持つことにつながると実感します。

 救命救急センターに勤務するAさんは7年目の看護師です。仕事中の事故で下肢轢断となった患者への援助を通じて,「待つ看護」を探究しました。ちょうどそのころ,私は糖尿病患者への看護面接で,患者のいつ起こるともわからない行動や認知の変化をどう導いているのかを知るために「待つこと」について探究していたので,非常に興味が湧きました。

 突然,下肢轢断となった状況下での看護師の援助は,TVを見たり,何かしてほしいなど患者の要求が増えるまで待つ,という看護でした。急激な受傷をした患者はせん妄を起こしたり,自分の傷を見ることができないことがあるため,看護師たちは経験的に距離を置き,“無関心”を装いつつも,「いつもそばにいますよ」というサインを送るケアを行っていました。

 無理をせずに,患者の特性やこれまでの生活を理解しつつ,それぞれの看護師の得意な面を生かしてチームでかかわる。このかかわりの基盤は,“この患者さんはどういう人なんだろう”という患者への関心と,“超急性期の絶望から立ち直るには患者さん自身の力が必要である”,という実践から培った知識でした。

 私はAさんたちとこの事例を読み解きはじめて,「待つ看護」がどのように現れるのかドキドキしていました。3か月ほど経ったときに,看護師が行っていたのは「患者が外界に興味を示し,他者とかかわるまでを待つ」ことであり,「患者が自分の力で浮き上がってくる一瞬の兆しをとらえる」という,その具体的な援助内容を明らかにすることができました。「看護(看護師)ってすごいな」とあらためて実感しました。

 私はAさんたちとの検討を通して,救命や生命の維持を第一義とする場面で,患者の人となりや生活状況に関心を示し,患者が自分で生きる力こそ必要であるという“哲学”を持つことは,慢性看護とも共通すると感じました。そして,看護行為をもっともっと研究的に明らかにしていくことが,臨床の看護師に最も求められている仕事の一つではないかと考えています。残念なのは,臨床の看護師たちにとって,このようなケアは当たり前すぎて,研究を行う意義を実感できないことです。実践を言語化する意義を前向きにとらえていけるように,一緒に看護を実践し探求していきたいと思います。

 


研究テーマ:糖尿病を持つ人々へのケアの方略の開発,看護リフレクションと看護師が経験を積むことの探求

 


金井 Pak 雅子(東京有明医療大学教授・看護管理学)

 


発展的な発想は研究ばかりしていては生まれない

 これまでの研究活動の中で最も困難と感じたのは,博士論文を仕上げているときである。私の研究は量的研究で,質問紙調査結果をSPSSにて分析しながらリサーチ・クエスチョンに対していかに答えるかさまざまな解析をしていた。そのころのことを思い出すだけでも,あのときの自分,あのときの生活,あのときの思いなどなど限りないエピソードがある。

 SPSSを使っての分析は,それまでアドバンス統計学や量的研究法などのクラスでかなり使いこなしていたにもかかわらず,いざ自分の論文となると本当に苦労した。毎日毎日分析してはその結果を読み取ることを繰り返していた。時には夜を徹してSPSSと格闘していた時期もあった。何度も何度も分析を繰り返して,時には前日行った分析と同じことをしていたりもした。分析結果は必ずバックアップをとり,3か所に保存。そんなことを繰り返しているうちに,ファイルには同じような名前の分析結果が並んでしまったりもした。それでも思うように進まず,谷底に落ちた気分でいつ這い上がれるのか,このまま自滅してしまうのかとさえ感じた。無力な自分ととことん向き合っている,まさに自分との戦いであった。

 SPSSの分析に関しては,指導教官からファイル名に日付を入れること,そして,使わない分析は必ず削除し,残しておかないことと言われていたのを思い出した。それでも連日相当数の分析をしていると,本当に頭がおかしくなる感じがしていた。そんなときの私の対処法は,料理であった。

 深夜を過ぎたころ,頭は冴えてくるものの分析ははかどらず,行き詰まりを感じる。そうすると,きまって台所に行き,冷蔵庫を開ける。材料となるものを探し出し,手料理を作る。料理をするときは,研究のことは一切考えないようにする。料理はあえて手のかかるものを作る。無心に野菜を切ったり,肉料理のあくを取ったりしていると,不思議に気分が落ち着くのである。つまり研究と関係ないことをすることで,行き詰まった気分を解消していたのである。また,あるときは,お鍋をかき回していてふとある分析結果の解釈を思いついたこともあった。

 以前,NHKの「プロジェクトX」で観た,今は当たり前になっている駅の自動改札の仕組みを開発した人の話を思い出した。当時,定期券を自動改札口に入れるとスーと出てくることにより,混雑の緩和を図っていた。しかしすべてが定期券とは限らず,切符を入れた場合,定期券のようにうまく出てこない。そんなとき,開発者は息子さんと釣りに行く機会があった。川の流れを眺めていたとき,木の葉が石に当たって向きを変えたのを見て,「これだ!」と思い,早速切符の対処へと応用したそうである。

 研究は,確かに自分の追究したいことを突き詰めていくプロセスである。しかし,研究ばかりしていては発展的な発想は生まれない。研究は新たな発見が面白いのである。そのためにも,研究を忘れて何か別なことをする時間を持つことも忘れてはならない。

 


研究テーマ:看護師の労働環境,ワークエンパワーメント

 


武村 雪絵(東京大学医学部附属病院 副看護部長・看護部人事室長)

 


どんな研究にも意味がある

 私が研究で一番苦悩したのは大学院生のときでした。仲間と一緒に考え,取り組み,結果を確認できた看護師時代と一転し,修士・博士の学位研究は基本的に孤独でした。日々手応えを感じる臨床とは異なり,結果を得るまでに長い時間も必要です。大きなテーマを掲げてフィールドワークで収集した膨大なデータに埋もれ,細々と分析を続けながら,長いトンネルにいる気分でした(質的研究では,最初にテーマを適切に限定することが大切です)。

 そんなとき,私に元気をくれたのは,フィールドワークの合間にベッドサイドで患者さんと話す時間でした。研究テーマと直結しなくても,患者さんの話に耳を傾ける時間は私に臨床の感覚を呼び戻してくれました。そして,患者さんは,表現の仕方は人それぞれでしたが,最後に「頼んだよ」「いい看護師を育ててね」などと私に言ってくれたのです。役に立ちたいという熱い思いが漲りました。

 また,看護師にインタビューをするなかで,少数でしたが,自分が大きく変化した「突き抜け体験」を語る看護師に出会えたことも,私の力になりました。看護の力で患者にまったく違う未来を提供できること,看護の奥深さ,面白さに出合えたこと,看護が本当に楽しくなったことなどを生き生きと語る看護師に出会い,看護師も患者も幸せになれる,この変化がどのように起きるのかを明らかにしたいと思いました。

 これらの思いを忘れないよう,私は何をミッションとして研究していきたいのか,自分の思いを書き綴り,ときどき読み返すようになりました。大きなミッションのこの部分に取り組んでいるのだと自分の位置を確かめることで,気持ちが落ち着きました。

 もちろん,気持ちだけで研究は進まないので,実際には,指導教官や他教室の先生方に何度も話を聞いていただき,質問を受けました。雑談を含むさまざまな議論が分析の突破口になりました。

 実は今,私は新しい壁にぶつかっています。年単位で研究と教育に取り組めた大学を離れ,大学病院の管理職に就いて5年目。日々新しい課題に直面し,仕事も家事も育児も回らないのが実状です。臨床と研究と教育の融合という着任当初の夢がしぼみ,研究者,教育者としての自分は消え,存在するのは実務者としての私(悲しいことに看護の臨床家とも言えない)。今の壁は,「きちんとした」研究をしたい,そうでないと発表できないという,自分のこだわりです。

 これまで,機会があれば,臨床の看護師に「臨床で,自分たちで行う研究は,確かにエビデンスレベルは低いかもしれない。でも,どんな研究にも意味がある。何かが示唆されている。分析の誤りは避け,解釈の仕方も吟味しなくてはいけない。その限界を踏まえて,発表しよう。他の人の発表も活かそう」と呼びかけてきました。最近,この言葉を言うべき相手は自分だと気付きました。

 研究のシーズもデータも本当はすぐ近くにある。まだ「スルー」はしていないけれど,自分が作った壁の「ブレーク」が始まったのかもしれません。

 


専門分野:看護管理学・基礎看護学

研究テーマ:患者・看護師・組織が幸せになるための研究。看護過程,看護の質保証,看護師のキャリア発達過程,など

 


小原 泉(自治医科大学准教授・がん看護学)

 


人とのつながりと本当にやりたいテーマが研究生活を支えてくれた

 看護研究に関して最もチャレンジングだった体験は,博士号取得をめざして行った「がん臨床試験に参加する患者の意思決定過程」についての研究です。データ分析作業は孤独で,思うように結果がまとまらない状況のなか,研究をやり遂げられないのではないかという不安におそわれ,自分の力不足に失望しました。その後,なんとか結果はまとまったものの,論文の執筆に当たっては,背伸びして英語で書こうとしたために表現力不足や膨大な時間を要する状況に陥り,英語論文への挑戦をあきらめそうになりました。

 そのような苦しい状況を支えてくれたのは,私の研究の対象者となってくれた患者さんと,指導教授をはじめ在籍していた研究室の教員や院生の存在でした。データ収集のなかで患者さんから語られた内容は,苛酷な局面にあっても自分らしく生き抜こうとする,心を揺さぶられるものでした。患者さんのなかにはすでに亡くなられた方も少なくなく,患者さんが見事に生き抜いていった姿を研究結果や論文のなかで表現していくこと,それが研究者としての私の役割であり,なんとしてもそれを全うしたいと思い,データに向き合いました。

 また,指導教授の「この研究はね,苦渋の選択をする患者さんのありようを明らかにするという,非常に意味のある研究なのよ」という言葉や,研究室の院生たちがそれぞれの研究に真摯に取り組む姿は,研究への意欲を維持する上で大きな支えとなりました。研究室の仲間たちには分析途中のデータを何度も見てもらい,率直な印象を返してもらいましたが,これによって自分の発想の幅が広がりましたし,苦労話を聞いてもらうことで精神的にも助けられたと思います。

 さらに英語論文の執筆では,かつて米国の病院で研修を受けたときにお世話になった看護師たちに成長した私の姿を見てほしい,それが私から彼らへの最大の恩返しであるという気持ちで自らを鼓舞し,なんとか論文の完成に至りました。

 振り返ってみると,私は人とのつながりに支えられて研究をまとめあげることができたのだということがよくわかります。また,自分が心の底からやりたかった研究テーマに取り組んだことが,困難を乗り越える原動力であったことは言うまでもありません。

 自分が本当にやりたい研究テーマに取り組むこと,そのために研究の意義と目的を徹底的に洗練させること,対象者や仲間など研究を通して出会う多くの人からの知的刺激をしっかり受け取り,研究を進める力にしていくこと。月並みですが,これらをこれから本格的に研究に取り組もうとする看護師の方々へのメッセージとしたいと思います。

 


研究テーマ:がん患者に対する意思決定支援および臨床試験看護

 


黒田 裕子(北里大学大学院教授・クリティカルケア看護学)

 


苦しみがなければ“研究はやりがいがあるもの”だとはわからなかった

 もう20年前になってしまうが,博士課程で学習した学びや研究プロセスのすべてが,私のブレークスルーではないかと思う。S大学院で受講することができた当時の看護学の学術的なコースワークの数々は,私に基礎的な研究能力を蓄積してくださったように思う。研究の土台があのコースワークにあったのではないかと思う。

 また,IT化が高度に発展した今の時代では考えられないと思うが,当時,規模の大きい統計分析は,T大学大型計算機センターに行かなければできなかった。私は毎日毎日センターに通った。統計についてもSPSSについてもよくわかっていなかった私にとって,センターの相談室にいる相談員の方々は救いの女神であった。私ほど質問に行った者がいないくらい,毎日毎日相談に乗ってもらった。おかげで,最初は何ひとつわからなかった私でも統計分析ができるようになり,「使わないと単に箱でしかない」と言われたコンピューターに向かって,日夜猛ダッシュで統計分析に明け暮れた。この闘いがなければ,あの苦しみがなければ,研究ってとても大変なものだけどやりがいのあるもの,というとらえ方はできていなかったように思う。

 また,博士の研究を貫けることができたのは,支えてくださった恩師,友人,先輩,後輩など,多様な人たちが私を支援してくださったからである。あのときは自分があまりにも必死で,周りがよく見えていなかったが,多くの人の支援がなければ研究論文を提出することはできなかっただろうと思う。今さらながら感謝の念でいっぱいだ。

 もうひとつ,“研究は継続こそ命だ”と考えている私にとって,資金獲得は重要な関心事である。いつのころか,上司であった恩師に資金獲得をめざすことが大切だという指導を受け,今でも研究助成金の申請をあきらめずに続けている。一定の資金を持って,自分の興味のあるテーマで集まってくる親しい仲間と一緒に,継続して研究をし続けることが大切だと思う。研究にはお金がかかるものだ。資金獲得が重要なことだと今も痛切に感じている。

 そして,やはり看護は現場の実践が中心だ。研究も実践に貢献しないと意味がないだろう。そのような気持ちから,現場の実践家とは常に絆を持ちつつ,そして研究も現場を巻き込みながら続けていきたいと思う。

 よそ見していると,本当に時間はあっという間に過ぎる。振り返ってみて後悔しないような歩みをしていたいと思う。研究も同じ。よそ見していると研究の継続はできない。いつも研究し続けなくてはいけないと自分を戒めながら,自分を保っていたいと思っている。

 


研究テーマ:クリティカルケア看護実践,看護診断,電子カルテ

 

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