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第2883号 2010年6月14日


【対談】

今,求められる「診断」とは

金澤一郎氏(東京大学名誉教授/日本学術会議会長)
永井良三氏(東京大学大学院医学系 研究科教授・循環器内科)

 かつて診断とは,適切な検査を選択することだと言われた時代もあった。しかし検査や技術が大きく進歩し,情報化社会を迎えた今日,得られる膨大な情報をどのように活用するかが診断にはいっそう求められてきている。一方,診断に至るプロセスを考えると,いつの時代も変わらない「診断の本質」とも言える部分があるのも実際だ。

 臨床現場では,エビデンスに基づく科学的かつ正しい判断が求められるようになってきているが,本対談ではそういった医療環境の変化を踏まえながら,これからの医学における「診断」をあらためて考えてみたい。診断とは何か,何を重視すればよいのか。わが国の臨床医学をリードする金澤一郎,永井良三の両氏が診断のフィロソフィーを語る。


金澤 診断といえば,まずクレンペラーの教科書(『Grundriss Der Klinischen Diagnostik』Georg Klemperer著,1909年)を思い出します。学生時代は,これと冲中重雄先生らの『内科診断学』(医学書院)を使って診断を勉強していましたが,面白いことに両者の診断に至る過程は非常に似ていました。

永井 私の学生時代には,吉利和先生の『内科診断学』(金芳堂)が診断の教科書としてありました。ただ,これは診断の考え方よりも鑑別診断に重点を置いた本で,病態や生理といった診断に必要な知識は他の教科書で学ばなければならないものでした。私には,そういった鑑別診断重視の考え方には少し違和感がありましたね。

金澤 診断のプロセスが大事ということでしょうか。

永井 ええ。「診断する」という過程を考えると,もちろん鑑別診断,すなわち疾患を分けるという目的はあるのですが,一方で「分かる」と「分ける」は同じ語源です。分かるという意味を持つ「訳」や「釈」という漢字のつくり“尺”には,「何かを引き出す」という意味があるので,診断はただ分類するだけではなく情報を引き出して次につないでいく。つまり,治療はもちろんのこと,医療の発展にもつなげていかなければいけないと考えています。ですから,診断が鑑別診断だけを目的に,何か当て物をするようなものになってはいけないと思います。

 また私自身,教育に携わるようになって,学生は既成の概念にいかに当てはめるかを考える傾向が強いと感じています。確かにそれも大事なのですが,頭を柔軟にして概念と概念のはざまにあるさまざまな問題をもっと考える必要があります。診断の次のステップとなる治療でも,既成の概念だけではうまくいかない部分があるのではないでしょうか。

金澤 難しい話ですね。私は学生の臨床実習で,「君たちが卒業して2-3年の間は,一人の患者さんについてゼロから診断に至るプロセスを踏むことはできないだろう」とよく言っていました。というのは,大体の患者さんは外来の医師が診断をつけてから入院してくるため,病棟に配属される研修医にとっては診断プロセスを考える必要がないのです。

永井 結論を既に知ってしまっているわけですね。

金澤 はい。ただこれは医学教育全体にもかかわりますが,やはり“ゼロから考える”ということが必要です。一人の患者さんを最初から診察して検査・診断までを考えるといった,臨床推論の学習を医学教育のどこかできちんと行わなければなりません。

患者さんしか知らない情報を引き出す「問診」

金澤 先ほど疾患を「分ける」と言われましたが,診断を行う上では自分なりの疾患の分け方の基準やカテゴリーを持つことが大切です。

 私の専門の神経系では,特に中毒はきっかけがないと診断できないため,「カテゴリーに中毒を入れておけ」と若い医師たちに言っています。中毒を見抜くには,患者さん本人しか知らない情報を手に入れる必要がありますから,やはり問診が重要となります。

 私はかつてゲルマニウム中毒を診た経験があるのですが,その原因は健康食品でした。普通,健康食品が原因なんて考えないので,あえて「健康食品を利用していますか」と尋ねなければ原因を突き止めることができない。この場合,「変なものを食べていませんか」では駄目ですね。

 一方で,患者さんしか知らない情報というと多くの学生は「主訴」を挙げるのですが,そのなかでも特に時間的な経過が大事だと教えています。

永井 そうですね。つい教科書的な思考に流れがちですので,既に診断がついた患者さんにも根掘り葉掘り経過を聞き,「ああ,そういう経過もあるのか」と現実の多様性を再認識するよう私も心がけています。その意味でも問診の重要性を感じます。

 また,問診は患者さんが入院してくる過程で受診した医療機関がきちんと機能しているかを判断するきっかけにもなります。いろいろなことが患者さんの口から出てきますね。

金澤 問診は鑑別診断が重視されようと,検査が進歩しようと欠かせないものです。大事なのは患者さんしか知らない情報を引き出すことで,その感覚を常に忘れてはいけません。

 ただ,患者さんは医療者が思いもよらないことを考えていたりするので,知りたい情報をいつも正確に教えてくれるわけではないことに注意が必要です。これは私の研修医のころの話なのですが,どう診ても子宮外妊娠の患者さんがいて「下から出血しているのではないですか」と聞いたところ「していません」と言うわけです。納得がいかないので「申し訳ないけど診察台に乗ってくれ」と言って診察したところ,ちゃんと黒いものが出ているわけです。「出ているじゃないですか」と言ったら,「それは血じゃないでしょ。赤くないもの」と言われ,大変驚いた経験があります。

永井 患者さんの話を聞くときに,医療者が誘導しないとなかなか本当のところがわからないこともありますね。例えば重篤な心不全で,いわゆる泡沫状態の痰が出ていても,患者さんは咳をし過ぎて血が出たと理解していることがある。

金澤 自分で解釈してしまうわけですね。

永井 ええ。ですから,医療者は「泡の混じったピンク色の痰ですか」といったふうに具体的に患者さんに尋ねる必要がありますし,普段の生活のなかの話もよく聞いて対応することが大事だと思います。また,訴えから重症度を判断することも重要ですね。

金澤 患者さんの話がすべてという面がある一方,例えば虐待を受けている子どもの場合,親は絶対に虐待したとは言わないので,患者さんや家族の人のどの言葉を信用すべきかは一口には決められません。とはいえ,患者さんと自由闊達に言葉を交わすことは必要でしょう。診断に至る最初のステップとしては,「融通無碍」と「臨機応変」をキーワードに患者さんといい付き合いを構築し,できるだけ情報をもらうに尽きますね。

■求められる情報の“重みづけ”

金澤 医療環境は科学技術の進歩に伴い変化してきましたが,特に大きく変わったのは検査だと思います。昔と比べ,信頼度の高い検査がものすごく増えました。

永井 特に画像検査は劇的に進歩しました。例えばCTでは,症状が全くなくても病気が見つかることがあります。

金澤 画像検査は非常に大きなインパクトをもたらした一方で,CTやMRの画像がないと何もできないといった“画像神話”も生み出しました。さらに言えば,診察なんかしなくても画像さえあればいいという感覚を持つ医師すら現れてきています。

永井 ええ。そのほかの検査項目も大きく増加したので,確かに検査結果だけからでも鑑別診断をかなり絞り込むことができるようになりました。それでも,「何を検査するのか」ということには頭を使う必要があり,また「異常値に気付く」とか「変化を時系列のなかで見る」といった得られた情報への感受性を持つことが重要ですので,ただ情報が増えれば正確になるわけではないと考えています。

金澤 その通りですね。

永井 もう一つ,母集団とともに判断は変わることも忘れてはいけません。ある検査値が特定の疾患を意味するにしても,もともとその疾患がまれな地域では別の疾患も考える必要があります。そこで問診が生きるわけです。つまり,心電図だけでは判断が難しい場合でも,そのなかで「胸が痛い」と言ってきた人に可能性が高い疾患というものもあるので,そういった“重みづけ”が診断のコツになると思います。

金澤 鑑別診断では,症状や経過の相互関係を見ながら「何に注目するか」が要求されるわけですが,ただこれは情報技術の発達した今だからこそ,より強く問われている部分です。

 例えば,甲状腺腫を呈する疾患にはどんなものがあるかを調べる場合,昔は図書館でIndex Medicusの「甲状腺腫」というキーワードを全部見て,効率は悪いのですが気になる文献を一つひとつ当たっていました。

 現在はコンピューターにキーワードを入力して検索するわけですが,非常に多くの情報が得られる一方でそのなかのいったいどれを取り上げるべきか,という重みづけがやはり求められています。

永井 ええ。私も反省することがあるのですが,コンピューターは可能性が高い順に結果を返すため,重大な結果をもたらす疾患でも頻度がまれなものは順位が低くなる傾向があります。しかし,重大なことが起こり得る疾患は,たとえ可能性が低くても自分の中の順位を上げておかないといけません。

インターネット時代の診断法を考える

永井 ただ,現在の情報収集にコンピューターは欠かすことができないのも事実です。インターネット上の電子教科書「UpToDate<24C7>」などは目を見張るようなツールで,教科書的な知識から関連する文献までどんどん飛んで読めますので,正直なところ図書館に行かなくてもこれだけで済んでしまいます。しかし,体系的に情報がまとめられているわけではないので,やはり頭のなかで再構成する必要があります。

金澤 少なくとも,どこかで自分の頭で診断に至るストーリーを構築する努力というか,訓練が必要ですよね。

永井 そうですね。私はいろいろなストーリーを知るのに,症例データベースが役立つと考えています。

 「症例くん」のトップ画面
 最近,日本循環器学会では「症例くん」(図,http://akebia.hcc.h.u-tokyo.ac.jp/IM/)というデータベース検索システムを開始しました。これは日本循環器学会の地方会で行っている症例報告をデータベース化し,キーワードや病歴から該当する症例のサマリーを検索できるようにしたものです。症例報告は多くの学会で行われていますが,その情報を効率よく検索できないのが実状です。そこで,これを活用する手があるべきだろうと考えたわけです。

 実は,私自身20年ぐらい前に,日本内科学会関東地方会の5年分の症例報告約3000例をデータベース化してみたことがあります。データベースによって,例えば「心筋梗塞,女性,40歳以下」という条件で症例を絞ることで,“40歳以下の女性の心筋梗塞を診たときに何を考えるべきか”という連想ができるようになります。「症例くん」のデータベースはまだ数年分ですが,これが十数年分になれば本格的なライブラリーになりますし,いつから報告されてきたか調べられるので疾患の歴史にもなります。また,発表者のメールアドレスをリンクしていますので,直接問い合わせることも可能です。日本に固有の足元にある情報をもっと活用することで,診断力も同時に身に付いてくるのではないかと私は考えています。

金澤 「コンピューター」「診断」と聞くと,自動診断機が頭に浮かびます。私が学生だったころ東大の物療内科におられた髙橋晄正先生からよく話を聞いたのですが,彼はある種の疾患では絶対にコンピューターによる診断のほうが有利だと信じていました。あれから数十年が経ち,確かに要素的にはそのような部分もありますが,自動診断機が主流となる可能性はあまりなさそうに思います。

永井 “検索”や“情報の処理”については,確かにコンピューターのほうが強いのですが,最終的には人間の判断力が重要です。

金澤 誰しもがわかるような範囲の診断は可能だと思いますが,最終的に「この疾患の可能性が高い」といった不確定要素がある診断はやはり無理でしょう。

永井 「症例くん」も,リマインドさせるという意味では役に立ちますが,最後は感性がなければ可能性の低い疾患を拾えませんからね。

金澤 人間は思い込みをする生き物ですので,「お忘れではないですか」といったことをコンピューターから発信してもらい,われわれを少しでも助けてくれるとありがたいですね。

診断の裏側にあるロジックを理解する

金澤 ところで,鑑別診断を身に付けるためにはやはり臨床推論の訓練を行うことが大事だと思うのですが,日本ではそういった教育が意外なほど少ない。一方,臨床現場では鑑別を迫られる場面が当然多くありますが,若い医師たちは「診断はこれだ」となると,それしか考えない傾向があります。ですから,私は常々セカンドチョイスも考えるようにと言っているのです。臨床推論を学ぶことでファーストチョイス,セカンドチョイスという考え方も身に付きます。

 私はCPC(臨床病理検討会),特に『New England Journal of Medicine』に今でも掲載されている「Case Records of The Massachusetts General Hospital」を活用して推論を学んできました。診断に至るプロセスが披露されているので,単なる無機的な順位付けではなく,それぞれの理由とともに鑑別診断を身に付けることができたと思います。

永井 確かに診断の裏側にあるロジックを理解することは重要ですね。“なぜそうなるか”を考えるトレーニングを積んでいれば,いろいろな状況に対応できます。文献や検査といった情報が非常に増えた今だからこそ,その有効活用にもつながるでしょう。

 このほかロジックの理解には,ディスカッションが非常に重要だと考えています。経験ある人でも,ディスカッションを通じてロジックを再確認することができます。私も入院や治療方針を決定する際には,自分の結論が決まっていても「君はどう思う?」と周りに必ず聞いて,ディスカッションをするようにしています。

金澤 違う考え方の人とのディスカッションは,理解を深めるのに非常に役立ちますね。

■「自分で見る」という経験が感性を磨く

金澤 ここまでは,最も可能性が高い診断名から考えるというロジックについて議論してきたわけですが,その診断の正しさを評価するという点についてはどのようにお考えですか。

永井 循環器の分野では,鑑別診断だけでなく重症度や診断後の治療の適切な評価も重要になります。

金澤 その評価に必要なのは,実は病理だと私は考えています。臨床検査は確かに進歩し,例えば血液疾患のように死後の病理よりも臨床で診ていたほうが正確に鑑別できる分野もあるかもしれません。それでも自分の行った診断・治療が正しかったかどうかを,病理で他人にチェックしてもらうことは緊張感を生むし,大切なことだと思うのです。試料や標本を将来の研究のために残すという意味でも,少なくとも内科医は患者さんの家族に病理解剖を勧めるのを原則にしなければいけないと思いますね。

永井 非常に耳が痛い話です。確かに最近剖検率は下がってきているので,もっと病理に目を向けるべきかもしれません。死因がよくわからないまま亡くなる方もいますが,そのときに病理がないとわれわれはそこから何も学ぶことができないわけですね。

金澤 私は研修医のとき,胸ポケットには必ずメランジュールを入れていました。患者さんの耳にちょっと針を刺して血液をいただき,顕微鏡の下で白血球を数えたものです。尿の観察も自分で行っていましたが,こういったことは今でも自分で行ったほうがいいのではないでしょうか。確かに中央検査室ですべてを検査してもらうのは効率的ですが,少なくとも自分で見た経験があるということが大事です。私は若いころ離島で診療をしたことがあるのですが,そこで培った自分で見るという習慣がその後の診断の感性につながったと思います。

永井 実は心電図でも同じです。最近は心電図の波形を認識せずに判定レポートを基に診断を行うことが多いのが問題です。

 疾患のパターン認識ということだと思いますが,ここを学ばないと自分の苦手なものは検査しないようになります。確かに情報自体は増えましたが,本質となる情報は変わらないものです。何が本質かを見いだすためには,「わかるとはどういうことか」という,言わば“臨床医学の論理学”が必要ですね。

金澤 若いころ私はよく,「重要なのはGedankengang(思考過程)だ」と言っていましたが,医学におけるその1つの学び方として論理学が役立ちそうですね。

永井 ええ。分子生物学の発展に伴って,要素還元主義的な考え方が医学教育に強く入ってきたので,今後はその方向修正を行う必要があるとも思っています。

金澤 そうですね。ゲノム情報などは,現代医学ではもはや無視することができない存在となりましたが,それをこれまで積み重ねた医学にどう取り込むかが大事なポイントです。

 確かに遺伝病などでは診断にゲノム情報を取り入れるべきなのですが,診断自体がその家族全体に「病気の家系の人」という烙印を押すことにつながるので,これまで以上の配慮が必要になります。今後は,「診断する」ということだけでも,非常に重大な意味を持つようになるでしょう。

永井 遺伝病以外でも,患者さんが病気をどうとらえるか。つまり,患者さん側から見た世界を,これからの診断にはきちんと取り込んでいかなければならないと考えています。

 遺伝子診断はまさにその典型ですが,糖尿病や脂質異常症でも患者さんによっては,「医者が勝手に基準を決めている」ととらえる方もいるわけです。ですので,われわれ医療者は患者さんの価値観をくみ取って,疾患をどのように理解するか考えないといけません。糖尿病とは何か,高血糖症と糖尿病はどう違うのか。そして診断基準自体もときどき変わってしまうわけですから,それをどのように説明するかが重要です。

金澤 なるほど。その時点では頭や足が痛いというわけではないからね。

永井 ええ。ですから診断を下す側は,社会がどのように受け止めるかということまでよく考えて,行動しないといけないのだろうと思います。

日々の「診断」で心にとめてほしいこと

金澤 最後に,私が診断の際に必ず心にとめている3つのことを伝えたいと思います。

 1つは,「新しい病気は,滅多にない」ということです。あるCPCで,私の教室の大先輩が「私が診たことがないからこれは新しい病気だ」と言われたのですが,実はそれほど珍しくない疾患だったことがありました。もう1つ例があって,10年ぐらい前にある地域で末梢神経障害の集団発生があり,ある若手医師が「これは珍しい,新しい病気の集積だ」といって論文を投稿したところ,レフェリーから「それは脚気です」という審査が返ってきたのです。

 つまり,はじめに珍しい病気だと思い込むとそれに引っ張られてしまうので,まずは今まで知られている疾患から似たようなものがないか,そういう疾患の類型ではないかと考えるべきです。

 2つ目は,「わからなかったら,癌と免疫とウイルスを考えろ」です。これは昔よく聞かされた,「診断がつかないとき結核を考えろ」,それから「わからなかったら癌を考えろ」という話に基づきます。最近では,よくわからない場合は膠原病などの免疫異常やウイルスを考えろと言われるようですので上の3つとしましたが,こういった経験に基づくものもある意味有用ではないかと考えています。結核は少なくなりましたが,癌は現在でも十分に可能性があります。

 そして3つ目は,「検査所見に振り回されず臨床症状を重視せよ」です。ただし,私はそう考えて臨床を行ってきたのですが,膵癌のように検査で異常値が出たときにはほとんど症状がないにもかかわらず既に手遅れとなる疾患もあるので,この言葉には修正の必要がありそうです。そのような症例を経験してくると検査所見も重視しなくてはいけない場面があると感じています。やはり「融通無碍」「臨機応変」な対応が必要となりますね。

永井 私からは,バーナード・ショーの『医者のジレンマ』という戯曲のなかから,「ベッドサイドで観察しろ,観察しろと言うけれども,私の犬だってベッドサイドへ連れていけば,同じものを見ているのだ」という一節を伝えたいと思います。これはすなわち,見る側の科学的なマインドがなければ「医師が診る」意味がなくなってしまうということです。

 論理力や批判的な精神を持ち,ただ分類するだけではなく出口まで含めた理解を心がけ,新しい病気はめったにないものですが一生に一度でも見つけたいという気持ちで,従来の診断の分類とどこが一致し,どこが一致しないのかをいつも考え,そこからどういう教訓を毎回学ぶか。そういったことを心にとめて,日々の診断を行ってほしいと思います。

(了)


金澤一郎氏
1967年東大医学部卒。73年東大脳研神経内科,74年英国ケンブリッジ大薬理学教室客員研究員,90年筑波大神経内科教授。91年東大脳研神経内科教授。2002年国立精神・神経センター神経研究所長,03年同センター総長。06年より日本学術会議会長,07年より国際医療福祉大副学院長も務める。宮内庁皇室医務主管。編著に『内科学』(医学書院),『医療を崩壊させないために――医療システムのゆくえ』(日本学術協力財団)などがある。

永井良三氏
1974年東大医学部卒。同大第三内科助教授,群馬大第二内科教授,東京医歯大難治研客員教授などを経て,99年から現職。2004-07年には東大病院長を務めた。日本内科学会会頭,日本心臓病学会理事長などを歴任。専門は臨床循環器病学,血管生物学。『新臨床内科学』『個人授業 心臓ペースメーカー――適応判断から手術・術後の管理まで』(いずれも医学書院),『心血管病学』(朝倉書店)など編著書多数。