医学界新聞

寄稿

2008.08.04



特集
女性医師に対するキャリア支援を考える


ワーク・ライフ・バランスに基づいたチーム医療を

小川 晴幾(大阪厚生年金病院産婦人科部長 大阪大学臨床教授)


 全国的規模で勤務医不足が進行しており,病院あるいは診療科の閉鎖,撤退が毎日のように報道されています。その一因は劣悪な勤務条件によるものと思われます。

 20代の産婦人科医は3分の2が女性です。彼女たちの大半は子どもを産み育てることを希望しているため,それを否定すると彼女たちは集まりません。結果は少人数の男性のみの厳しい診療体制が待っています。ただ,女性のみの勤務条件設定に気を奪われると男性が去ってしまうことになるため,勤務医全体での条件設定が必要です。

 勤務医一人ひとり仕事に関する考え方はさまざまであり,各勤務医の仕事と生活の調和を達成することができる環境を整えることが必要となります。すなわち,個人の働き方(生き方)の選択を尊重し,可能な限り調整していく。そうすることで,子育て女性医師の立場を理解することができるようになると思います。また子どもの成長に合わせ,彼女たちに働き方の変化が必要となったときに,そのための選択肢が常に確保されていればよいと思われます。これを実行可能とするためには,男女すべての職員が各個人のワーク・ライフ・バランスを尊重するという共通認識を持たなければいけません。皆が働きやすさ,生活のしやすさを感じられることが大切なのです。

 当科では,現在10名の産婦人科常勤医のうち3名が子育て支援中です。女性医師が一度退職すると,技術的にも心理的にも復帰には多くの努力が必要となるので,当院では退職しなくてすむ子育て支援対策をしています。

 病院としての体制づくり以外にも注意点があります。男性医師は,女性医師が子育てと仕事の両立に真剣に取り組んで精一杯の努力をしていることを理解する必要があります。女性医師は,可能なときは男性医師を助ける気持ちが大切です。チーム医療として,医師全員の仕事と生活の両立を目標とすることが大切になります。そのためには男性医師,女性医師相互の心遣いが大切です。この考え方を定着させるために,当初は手術,分娩立ち会いなど,女性医師は17時になった時点で手を下ろし,男性医師と交代することを義務付ける必要がありました。女性医師も可能なときは,居残り,オンコール,産直(土曜日の日直など)を行い,男性医師の当直翌日は女性医師がカバーしました。その間,男性医師は仮眠をとったり,帰宅することができました。

 大切なのはこれらのことを徹底することだったのではないかと思います。子育て中の女性医師を正規雇用することにより人件費は倍増していますが,医業収入も著明に増えています。収入面だけではなく,産婦人科が存在しないことによる総合病院としての損失は数値だけでは計り知れないものがあります。当科が人的資源を確保できたのは,病院として優れた勤務条件を提示したこと,また当科が恵まれた勤務環境をつくる努力を男性医師,女性医師ともに行ったことであると思います。

小川晴幾
1982年阪大医学部卒。阪南中央病院,大阪府立母子センター,箕面市立病院,西宮市立中央病院を経て現職。


男性が知らなければならない女性医師の離職の現状と怒り

泉 美貴(東京医科大学病理診断学講座 准教授)


 理想とする医師になることを希求し精進することに,男女で差があるはずがありません。ところが実際には,女性医師の過半数は離職しており,生涯においては7割以上が少なくとも一度は離職を経験します(筆者による平成18-20年度科研費調査)。医師が大量に辞めるという現象は,世界中で筆者の知る限り日本だけの特異な現象です。どうして,誰の責任が故に,日本の女性だけがキャリアを継続できないのでしょうか? その大きな原因は妊娠や出産です。驚くべきことに,この40年もの間,この高い離職率や理由は不変であり,改善の傾向はみられていません。

 離職した女性医師で,自分の意志で離職した人は実は非常に稀です(前出の調査による)。妊娠,出産をした時点で,医師として活かされる道が途絶えてしまうのです。妊娠中は,元気な子どもが生まれてくることだけを自身も周囲も優先すべきと思います。体調に合わせて働くことが大切です。筆者のようにつわりもなく,産前4週まで無事に働き続けることができる者から,日常生活も大変なほど重症な者もいます。辛ければ,休めばよいのです。それが許されなければなりません。そして女性医師は,それがただの怠惰ではないことを,周囲にはっきりと言わなければなりません。また,現在の自分の仕事の減速の程度をどの程度に設定するか,産休や育児休暇の期間を早めに決断して,周囲に頼まなければなりません。頼まれたら,その人の望みに従うのがよいと思います。妊娠,出産,授乳はたかだか1年余りの出来事です。この期間に周囲の協力が得られれば,女性医師の離職は大幅に防げます。これに協力できないようでは人間社会の正常な営みや精神とはいえません。医師を辞めないとしても,妊娠,出産を好意的に受けとめる女性は減り続け,少子化に歯止めはかからないでしょう。

 一方,現在,大学医学部の臨床系のスタッフに占める女性の割合は,講師で約2%,准教授で約0.8%,教授以上はわずか約0.2%程度と,余りにも不公平です(筆者調査による)。日本では,女性に生まれた時点で,医師としてのキャリアはすでに閉ざされているも同然なのです。男性医師のどの程度の方が気付いておられるのか分かりませんが,女性医師は,みなこの現状に怒り,悲しみ,絶望しています。女性医師に辞めるなとか,女性医師はすぐに辞めるからダメだという人の発想は,「昇進の機会は与えないが,一生働き続けてくれ」というものなのでしょうか。他者を思いやることが仕事ともいえる医師において,最大の他者である女性を思いやられないようでは,人間としても医師としてもその倫理観が問われます。

 本当は,女性医師のキャリア支援に対して,特別な支援はまったく必要ではないのです。子どもは1歳を過ぎれば授乳が終わり,すべての子育てや家事は女性でなくともできます。親として男性も女性も,子育てと仕事の両方にきちんと責任を果たしさえすればよいのです。

 筆者は,若い世代の男性医師は,家庭を大切にしたいという気持ちが強く,一般的に女性の自立に対しても理解が深いことを知っています。医学の世界だけが旧態依然たる発想を続ける限り,トップに立つ世代と若い世代とのギャップは広がるばかりです。男性が疲弊し,女性が離職するという,現状の悪い循環をどこかで断ち切る必要があります。女性は仕事を続け,高い労働力を提供し,全員が疲弊しないという,あまりにも当たり前の医学界に変えていくのは,若いあなた方です。

泉 美貴
1988年川崎医大卒後,同大病理学教室レジデント。92-93年横須賀米海軍病院インターン。山口県立中央病院病理科,NTT関東逓信病院病理科を経て,98年東京医大講師,2007年より准教授。


「みんなちがって,みんないい」

鶴岡 優子(自治医科大学地域医療学センター地域医療学部門 助教)


 子どもは本当に面白い。この春,末娘を保育園から地元の幼稚園に転園させた。迎えに行く私の夫に娘の友達が尋ねる。「どうしてマキちゃんのママは,男なの?」まったく素朴な疑問である。違いを不思議に思うだけで,大人のように「パパは仕事しているの?」とか「ママは迎えに来ないで何をしているの?」とか責めるつもりはない。

 私は事実上,子育て女医である。子どもは,10歳,7歳,4歳で,まだ手がかかる。同業の夫とは誕生日が一緒で,揃って40歳になった。不惑の年ということで,慌てて人生設計を立ててみる。まずはこの10年の振り返りから。とにかくがむしゃらだった。自分の未熟さを自覚しているだけに,仕事は成長のためにも絶対にやめたくなかった。仕事と家庭の両立どころか,共倒れのまま,周囲に支えてもらって今がある。この有形無形の支援には本当に感謝している。ではこれからは?

 夫と相談して出した結論は,「自分たちの診療所をつくり,細々と臨床を続けていこう。細々と研究や教育も続けていこう」という細々ながら少し欲張りなプラン。自宅のひと部屋をオフィスにして,これまでの自治医大での経験と,生活者としての視点を存分に活かせる在宅医療でがんばることにした。

 時を同じく,大学に女性医師支援センターが設立され,「育児」のための短時間勤務が可能となった。現在の私は大学とは20時間勤務の契約で,学生教育と外来業務に携わっている。助教の身分はそのままで,お給料は半分。私は大学勤務以外の時間に育児もするがやりたいことは山ほどある。この優遇に感謝しつつ,自分の存在価値を見出そうと,相変わらずもがいている。

 確かに今,医療現場は混乱している。医療崩壊? 過重労働? 現場の大変さを理解していても,今の私は仕事と同時に家族との時間も大切にしたい。大切にしたいものは人によって違う。同じ人でも時期によって違う。そこで,ふと考える。いっそのこと,子育てや医師に限定せず,働き方の多様性を認めてしまうのは,どうだろうか? 金子みすゞ風に「みんなちがって,みんないい」プロジェクト。自分の勉強や生きがい,身内の介護,その他私には想像できない理由で働き方を変えたい人がいるにちがいない。もちろん育児と仕事の両方をがんばりたい女性医師も遠慮なく利用すればいい。一定のルールやわがままとの線引きは必要だけど,みんなで知恵を出し合えばいい。働く人がwinで,大学や病院などの雇用者もwinで,患者や世間もwinであれば,すごくいい。

鶴岡優子
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学。2001-03年ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,自治医大に復職。08年春,夫と「つるかめ診療所」を立ち上げた。

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