医学界新聞

寄稿

2008.03.03



グローバルな視点からの
日本の医学教育・医療への提言

町 淳二(ハワイ大学医学部外科 教授)
津田 武(アルフレッド・デュポン小児病院心臓病センター循環器科 専門医/トーマス・ジェファーソン大学ジェファーソン医科大学小児科 助教授)
浅野 嘉久(米国財団法人野口医学研究所 理事長)

 Globalization(グローバリゼーション,国際標準)は,政治経済や商業企業活動などに使われるが,医学・医療でもその意識が芽生えてきている。しかし現在でも閉鎖性の強さ,“日本の常識,世界の非常識”が見え隠れする日本。そんな日本の医学界・医療体制に対し,グローバルな視点からいくつかの提案を試みたい。

日本の特徴とその背景(津田)

 21世紀の日本の医学界・医療を取り囲む現状は,まさに現代社会の抱える諸問題の縮図とも言えよう。この変容は,インターネットの普及に伴う情報の公開・共有化,科学技術の著しい進歩,世界のグローバリゼーションに伴う多様な価値観の出現,あらゆる産業における競争原理の導入という荒波が,閉鎖的な日本の医学界にも押し寄せてきた至極当然の結果である。また,国民自身が医学に対して求めるものも著しく多様化してきた。従来の疾病を治すための「医術」に,人々はさらなる「健康」「幸福」を追求するためのサービスを求めるようになってきた。健康で長生きをしたいと願うのは,人類共通の願望である。医師や医学界がその手段を排他的に独占できた時代はすでに去った。今まさに医学・医療における文化・価値革命が起こっており,その未曾有の混乱の中で残念ながら「医療崩壊」というマイナス現象だけが表立ってしまっている。この混乱はむしろ現代文明の存続・発展のための不可欠なプロセスとして認識されるべきであろう。

 医療の現場では今,これまでの伝統的価値観が大きな混乱に直面している。従来は大学医局中心主義が良くも悪くも日本の医学界の規律・価値観を規定する規範になってきたが,時代の大きな変化の中でこの規範そのものが絶対ではなくなってきた。さらに日本の社会・文化の持つ特有の「周到さ」「きめ細やかさ」「優しさ」が,逆に「融通のなさ」を助長し余計な焦燥感を煽っている。また,自由競争原理の一般社会への無遠慮な乱入が,従来の「一億総中流階級」を崩壊させ,新たなる社会的弱者層を形成した。限られた資源を仲良く分かち合って我慢しあって助け合うことを「美」とした従来の日本の社会が,勝敗を明らかにする資本主義的自由競争に翻弄されている。現在の日本のメディアは,表面的な現象を描写するだけで問題の本質を議論しようとしていない。逆に現在の日本の社会が直面している混乱・困難は,まさに次の時代を構築するうえでの貴重な試練と考えるべきである。混乱の大きな原因の一つは,日本人としてのアイデンティティIdentityあるいは美徳の喪失にあろうと思われる。

 われわれの責務は,この混乱の中から然るべき教訓を学び,明日への指針を次の世代に示すことである。懐古主義や欧米礼讃主義は問題解決の助けにはならない。医師としては,まず医学・医療の基本に立ち返り,医師としての「正義」とはいったい何であるのかを問うてほしい。医師にとっての「正義」とは,生命現象の正しい解釈とその表現(論評・啓蒙)に基づくものであり,これらは経済原理とはまったく独立したもののはずである。このことが他者に自信を持って明確に伝達されなければならない。そのためには,卒前教育・卒後研修・生涯教育を含めた医学教育の抜本的な改革・改善が求められる。すなわち(1)生命科学Science,(2)生命倫理Bioethics,そして(3)他人に自分の考え・意見を明確に表現伝達する能力Communication skillsの修練は,医師養成の基本として改めて医学教育の中で正しく位置づけられなくてはならない。もちろん,日本人特有の「優しさ」を決して忘れるべきではない。そして,その教育の基盤に立った医療がこれからの日本に課せられている。

医学教育(浅野)

 24年間の野口医学研究所の医学交流を通じ,米国と日本の医師の隔たりが見えてきた。米国の医師は大半が医学・医療への基本的理念とプロとしてのキャリアゴール,そしてスタンダードな臨床能力を持っているのに比べ,日本の医師は2種類に大別される。米国の医師に近い理念とレベルを持つ医師たちと,医師というステータスと高収入を求める人たちである。この違いは医師を志す「モチベーション」と日本の「教育制度」の違いに由来する。「教育制度」とは医学部入学基準,学生教育,卒後教育,さらには生涯教育も含まれる。

 医師になるには「人間性」と「ものの考え方」が重要で,何より「適性」が求められる。医師に要求される倫理観・責任感,心の成熟度を含む全人格と資質を問われる。そのためには医学部入学者の適切な選択が大切で,日本のように18歳で高校卒業直後に医学部に入学すると,医師になるために必要な成熟した人格が形成されておらず,まして成績本位での選別では知識はまだしも,何より要求される医師としての人格形成がバランスよく育成されにくい。米国のような4年制大学を出てから4年間のメディカルスクール(大学院大学)や面接重視の医学生選択が好ましい。メディカルスクールの優位点は学生の多様性,高いモチベーション,明確なキャリアゴール,優れたコミュニケーション・対人関係・倫理感などであり,現在多くのアジア諸国もこの制度を導入している。

 卒前教育にも増して,日本では卒後研修(各専門医を育てる後期研修)が標準化されていないことに大きな問題がある。育成される医師の能力の個人格差ばかりでなく,いくつかの科の専門医不足,医療の地域格差(地域過疎化・都市部一極化など),救急医療の不整備など現在の多くの医療の問題点は臨床研修システムの不備に起因する。確かに自己投資によって優れた評価を勝ち取っている研修病院もあるが,病院間の研修レベルの格差はあまりにも大きい。米国のACGME(卒後医学教育認可評議会)1)のような研修の質の標準化(臨床能力レベルのスタンダード)と各専門医の人数調整を可能にする機構が不可欠であろう2)。後期研修にこそ全国マッチング方式を取り入れるべきであり,それによって適切な競争・“混ざる”ことを研修医に課すことも重要である。さらに,研修施設への予算も含めたサポート,指導医の待遇改善を図ったうえでの指導医育成が国の急務である。もちろん医師ばかりでなく,看護師などすべての医療従事者の育成,そして生涯教育や免許更新制など,広いビジョンで改善が迫られている。

医療(町)

 日本の医療者は現在,「医療崩壊」という危機感を抱いている。一方,国は短期的な対策を打ち出しはじめてはいるが,医療費削減を前提とする医療政策の姿勢からは長期的な本質的な医療改革の展望は見えない。それに加えて,多くの国民は医療の危機的現状を十分認識していない(無関心?)ようである。

 医療費高騰,保険料高騰,医療訴訟,アクセス制限,非保険者増加(国民の6人に1人)など種々の問題を抱える米国医療に比べ,日本の医療には多くの優れた点がある(あった)。誰でもが自由に安価にいつでもかかれる「国民皆保険」はその代表であり,世界一の長寿国となった事実もある。しかし,高齢化に伴う疾患構造の変化,医療自体の複雑化,社会構造・生活の変化などに,低医療費のまま医療者はかろうじて対処してきたものの,国や国民はあまり対応できていなかった(国民皆保険の乱用など)。そして医療者は国民・国への医療現場の説明責任を十分果たしていなかった。それが今,医療崩壊危機となって表面化している。

 医療の改善策には,医師をはじめ医療者の教育・育成(前項参照),そして医療システムの改革という2面に注目する必要がある。米国式・外国式は必ずしも日本の医療体制に即応用できないものが多い。例えば,オープン制の病院形態は,開業医が自由に(個人投資なしで)病院のリソースを共有でき,自分の専門性を(超専門科であっても)発揮でき,患者を外来・入院一貫して診られるなど多くの利点があるが,医療費支払い方法や勤務医・開業医体制が違う日本では現在実現は難しい。

 多くの識者が医療費もふくめシステム改造策を提案している。しかし,現状の抜本的な打開は,個々の組織・団体・制度が各々の利権のみでばらばらに活動しても達成できない。その解決には,グローバルな考え方・姿勢が不可欠であることを強調したい。政策・行政も含めあらゆる医療提供者(大学,学会,病院,医師会など)が,自らの利害・エゴを捨て,閉鎖的・排他的体制を外部にオープン化し(トランスパレンシー・透明性を増すとともに,外部からの評価・批判を謙虚に受け入れる),医療全体を見据えたコミュニケーションを交わし,短期的な迅速な問題対処とともに長期的な医療システム改革に取り組む。不必要なコスト削減とともに,必要な医療費は適切に十分に配分すべきで(医療費は米国がGDPの16%に対し日本は8%弱),これは“安全”“健康”“福祉”を担う国の根本的な役割である。国の医療政策改革意識とリーダーシップが問われる。

 さらに,医療の現状,問題に関して国民に適切で十分な情報を提供し,国民の理解と協力を得る必要がある。また,IT時代種々の情報が交錯するが,健康・医療に関する正しい情報提供はメディアの責任でもある。例えば,医療事故発生時,スキャンダラスなニュースではなく,事故の原因・背景,それに基づいた再発予防,その事故から何を学ぶかを報道の主点としてほしい。

受療者としての一般国民・患者(町)

 医療の目標としてQOL(生活の質)の重要性が日本でも叫ばれているが,果たして真に患者のQOLを提供できているであろうか。QOLの評価のための“患者の満足度”を米国では治療効果の判定上重視する。最近はPatient-reported outcomeという患者の報告による治療効果判定も行われている3)。これは病気のCure(根治)だけでなく患者の全人的Care(ケア)の尊重であり,医療者は今後真に心身ともに満足してもらえるケア提供をめざすべきである。そのために医師と患者の両者は対等の立場(従来の上下関係からの脱却)で,的確なコミュニケーションをし,正確で“正直な”情報が提供されねばならない。さらに,一般国民や患者への教育(エビデンスに則った生活食事指導・検診・疾患予防など)が大切である。

 「医療の主役は患者である」ことを実践するには,医療者とともに受療者にも改善が求められる。今まで日本の患者は“お任せ医療”に甘んじてきた。今後は受療者としての権利を正しく主張するとともに,その責務も果たさねばならない。そのためには,病気や医療について知識を習得し,受療に積極的に参加する。治療の本質,その効果とリスク(絶対安全な医療などない)を理解し(過度な期待をしない),インフォームドコンセントやセカンドオピニオンを適切に行い,自らの治療を自ら決定する。そして,食事・運動や疾患予防と健康維持のために,セルフケアを実践したい2)

 さらに,日本の医療の現状(利点欠点・問題点・危機的状況・対策)の正しい情報を得・理解し,医療改善のために声をあげるべきである(“患者は医療の批評家であるべき”と知るべし)。米国ではさまざまな医療政策・医学教育・医学研究などの場に国民の代表が参加している(例えばNIHのCouncil of Public Representatives4))。医師育成に快く参加する(医学生や研修医の診療を承諾する)ことも日本の将来の医師にとって必須である。

 医療者主導医療から患者参加医療,国民中心医療へ向かうことが,グローバルな視点からも将来の方向であり,それによって満足度の高い医療・最善のケアが実践可能となる。「医療崩壊」などと言われる日本。これを正しく「医療再建」に向けるには,国も含め医療者そして受療者・国民の両者の医療に対する考え・姿勢の転換が必要である。

 グローバリゼーションは日本の米国化・外国化ではない。古きよき日本の優位性(日本人の「優しさ」「きめ細やかさ」,医師を尊重する患者の姿勢,全人的医療に通じる漢方医学,優れた食生活,古来からの死生観など)は失うべきでない2)。生命科学や生命倫理といった医学・医療の基礎に戻る必要もある。そして,長期のビジョンを持って,日本医療のすばらしい点を活かした「日本らしい」医療を,世界トップの長寿国から世界のグローバルとして発信してほしい。

(参考)
1)www.acgme.org
2)町淳二,宮城征四郎:日米比較に学ぶ「国民主役」医療への道.日本医療企画,2006
3)Lipscomb J, Gotay CC, Snyder CE: Patient-reported outcomes in cancer: A review of recent research and policy initiatives. CA Cancer J Clin 2007:57;278-300
4)www.nih.gov, copr.nih.gov

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