マークス臨床生化学

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他科目と比べて臨床との関連が遠く感じられる、多くの化学反応を覚えなくてはならない、など生化学を「かったるい」と思う学生も多いかもしれない。諦めてしまったり、嫌いになってしまったりする前に、是非本書を手にとって欲しい。すべての章で症例が提示され、あらゆる解説が臨床的コンテクストで語られており、医学生・医療系学生のために編まれた、まさに類を見ない生化学テキストである。単訳のため読みやすさも極上である。
原著 Michael Lieberman / Alisa Peet
横溝 岳彦
発行 2020年09月判型:A4頁:654
ISBN 978-4-260-04139-3
定価 9,350円 (本体8,500円+税)

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    2022.11.04

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訳者の序

 長らく生化学の教官として,医学生の生化学教育に携わってきた.近年,臨床実習重視の米国型医学教育へのシフトに伴って基礎医学系の講義時間は圧縮され,体系的な生化学教育がますます難しくなってきている.生化学を体系的に理解するためには,大学での講義に加えて医学生が自主的に教科書で勉強することが必須だと思われる.しかしながら,現代の医学生は臨床医志向が強く,デジタル教材の入手が容易になったこともあって,化学式が並ぶ生化学の教科書を通読しようとする医学生は皆無である.また,生化学の教科書には疾患とのかかわりがほとんど記述されておらず,臨床医に必要な生化学の知識を体系的に記述している日本語の教科書は存在しないのが現状である.
 2011年に私は,当時在籍していた九州大学医学部の学生たちとともに,臨床医学と生化学のかかわりを重視する問題集を翻訳し,出版した(『生化学実践問題─基礎と臨床をつなぐ420題』,南江堂).この問題集の親本にあたる教科書が本書である.
 この教科書に出会ったときの衝撃は今でも忘れられない.これまでに見たことのない構成の教科書だったからである.各章の導入部分には“waiting room(待合室)”というコラムがあり,ここで数人の患者が病院を受診することになったエピソードが紹介される.糖尿病,痛風,動脈硬化症,アルコール中毒,白血病をはじめとしたさまざまな患者が登場する.引き続き,この患者たちの疾患の発症を理解するのに必要な生化学的な知識が記載されるが,この記載自体は極めてオーソドックスな生化学である.しかしながらほとんどすべてのページのサイドカラムに「臨床ノート」が配置され,本文の生化学的な記載と患者の症状や疾患発症の原因の関連が解説されている.また,サイドカラムの「メソッドノート」では,患者の検査値の意味やその検出法の原理が記載されている.つまり,読者は常に患者の症状や臨床検査との関連を意識しながら,生化学の教科書を読み進めることになる.また,本文中の図表は,ほとんどすべてが書き下ろしで,記載されている本文に合致したものである(多くの生化学の教科書の図表は使い回しされており,本文に合っていない図表が掲載されていることも多い).各章は「臨床コメント」と「生化学コメント」で締めくくられる.「臨床コメント」では,それぞれの患者の疾患の理解に最低限必要な生化学の知識が短くまとめられ,どの点が重要だったのかを振り返ることができる.「生化学コメント」では,まだ不明な点や将来の研究への展望が述べられ,研究志向の読者の興味を駆りたててくれる.
 この教科書のもう1つの特徴は,複数の臓器をまたぐ代謝経路の記載が優れている点である.解糖,脂肪酸とアミノ酸代謝,リポタンパク質などの代謝経路は,細胞内では完結せず,分子の受け渡しを介した臓器間連携の理解が重要である.肝臓を中心とした代謝の全身的な理解と,摂食後,絶食時,運動時,そしてインスリンの作用が失われる糖尿病患者で生じる,臓器間の物質のやり取りを理解することは,臨床医学に直結する生化学である.これまでにも,代謝の臓器連関を記載した教科書は存在したが,各論と臓器連関を記載した執筆者が異なるためか,その内容が食い違って記載され,混乱を招くことも多かった.本教科書では,それぞれの代謝経路とその臓器連関が,ブレのない統一した視点で記載されており,読者は臓器を超えた代謝の美しい流れを理解することができるだろう.
 この教科書に出会ってから,私の研究室の大学院生たちは,自主的な勉強会のテキストとしてこの教科書を使用してきた.英語で生化学を学ぶことが必要な研究者の卵たちにとって,訳本が存在しないこの教科書は貴重な教材でもあった.しかしながら,「この教科書を翻訳できれば,臨床医志向の強い日本の医学生がもう少し生化学に興味をもってくれるのではないか?」という思いが,私の心の中に燻っていた.たまたま,医学部学生をこの勉強会に誘う目的で流したSNSへの投稿に反応したのが医学書院の本田崇氏であった.本田氏は,かねてより本書の価値を見いだしてはいたものの,訳者を見つけることができなかったこと,この教科書をぜひとも日本語に訳し医学生の生化学教育に役立てたいこと,を熱く語ってくださった.また,本書のような650ページを超える大判の教科書は複数の訳者で翻訳されることが多いが,その場合,訳者間の文体や翻訳方針に違いが大きいため,読みにくい訳書となることが多い,という認識を2人が共通してもっていることもわかった.そこで,本書の翻訳は私1人で行い全体の統一を図ること,読みやすさを優先させるため大胆な意訳も可とすること,の方針を確認し,翻訳へと舵を切ることができた.650ページを超える教科書を1人で翻訳するのは大変な作業ではあったが,生化学の教官である私にとっても新しい気づきがいくつも存在し,実に楽しい時間であった.可能な限り直訳を避け,読みやすさを重視した日本語を使用することを心がけて翻訳作業を行った.2020年春のCOVID-19による研究室の一時閉鎖の期間,この教科書の校正に没頭することができたのは不幸中の幸いであった.
 「臨床医志向の医学生が通読できる生化学の教科書」を目標とする本書は,また,薬学,臨床検査医学,看護学などの医学関連領域の学生や大学院生にとっても有用な教科書になってくれるものと期待している.なお,出版社との調整の結果,原著の10・11・17・18章と最後のVII編は訳出していないことを申し添える.
 最後に,本書の出版を可能にしてくれた,本田崇氏をはじめとする医学書院のスタッフの皆様に心から感謝申し上げたい.

 2020年7月
 順天堂大学医学部 生化学第一講座 教授
 横溝岳彦

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この教科書の使い方

I編 エネルギー源代謝
 1章 代謝のエネルギー源と食物の構成要素
 2章 摂食(吸収)状態
 3章 絶食

II編 生化学の化学的・生物学的基礎
 4章 水,酸・塩基,緩衝液
 5章 体内の主要な物質の構造
 6章 タンパク質のアミノ酸
 7章 タンパク質の構造・機能相関
 8章 触媒としての酵素
 9章 酵素の調節

III編 遺伝子発現とタンパク質合成
 10章 核酸の構造
 11章 DNA合成
 12章 転写:RNAの合成
 13章 翻訳:タンパク質合成
 14章 遺伝子発現の制御

IV編 炭水化物の代謝,エネルギー源の酸化,アデノシン三リン酸の生成
 15章 インスリン,グルカゴン,その他のホルモンによるエネルギー代謝制御の基本概念
 16章 細胞生体エネルギー論:ATPとO2
 17章 炭水化物の消化,吸収,輸送
 18章 解糖:グルコース,フルクトース,ガラクトースからのATP産生
 19章 トリカルボン酸回路
 20章 酸化的リン酸化とミトコンドリアの機能
 21章 酸素の毒性とフリーラジカル傷害
 22章 グリコーゲン合成と分解
 23章 ペントースリン酸経路とグリコシド・乳糖・糖タンパク質・糖脂質の合成
 24章 糖新生と血中グルコース濃度の維持

V編 脂質代謝
 25章 食事性脂質の消化と輸送
 26章 脂肪酸とケトン体の酸化
 27章 脂肪酸,トリアシルグリセロール,主な膜脂質の合成
 28章 コレステロールの吸収,合成,代謝,運命
 29章 エタノール代謝
 30章 糖代謝と脂質代謝の統合

VI編 窒素代謝
 31章 タンパク質の消化とアミノ酸の吸収
 32章 アミノ酸窒素の運命:尿素回路
 33章 アミノ酸の合成と分解
 34章 テトラヒドロ葉酸,ビタミンB12,S-アデノシルメチオニン
 35章 プリン・ピリミジン代謝
 36章 アミノ酸代謝の組織間の関係

和文索引
数字・欧文索引

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生化学の窓から臨床が見える
書評者: 栗原 裕基 (東大教授・代謝生理化学)

 多くの医学生,医療系の学生にとって,生化学は鬼門らしい。特に初学者にとっては内容が膨大と感じられる上に,エネルギーや代謝など病気と直接関連しそうな内容にもかかわらず,臨床とのつながりがなかなかイメージしにくいようである。そうした学生にとって,「マークス臨床生化学」はまさに待望の書である。

 目次を見ると,生体物質とその代謝を中心に生化学の基本に忠実な構成をとっており,シグナルや増殖など,細胞生物学的な内容の多くは割愛されている。ちょうど生命科学教科書の定番であるMolecular Biology of the Cell(邦訳「細胞の分子生物学」)と補完的な関係にあり,このためむしろ「生化学」という分野の基本となる守備範囲がわかりやすく,その学問的位置付けが把握できる。図も見やすく,直観的にわかりやすいシェーマが多い。

 本書の最大の特徴は,臨床的意義を意識した構成にある。各章の始めに数人の患者さんが登場,本文の内容と臨床像とのかかわりがコラムで紹介され,最後に「臨床コメント」として登場した患者さんの病態が生化学的に解説されている。このため,初学者には生化学の基本体系を身に付けながら,臨床とのつながりが常に見えやすくなっている。さらには,臨床を学んだ高学年の学生や臨床医にとっても,臨床的視点から振り返ることで理解が深まるし,コラムだけ拾い読みしても楽しめる読み物になっている。また,近年重視されている臓器連関の視点が全体にわたって多く取り入れられており,代謝の全身的な理解が深まるという点でも臨床に大いに役立つ。さらには,各章末の「生化学コメント」などでは最先端の研究への展望が解説され,研究志向の学生にとっても,基礎・臨床両面からのモチベーションが喚起される。

 原書はMarks’ Basic Medical Biochemistryのタイトルですでに第5版を迎えているが,邦訳は今回が初めてである。翻訳された横溝岳彦先生は,東大医学部を卒業してしばらく産婦人科医として臨床経験を積んだ後に基礎医学に転身された生化学者で,基礎と臨床両面に深い見識を持つとともに,複数の大学で長年にわたって生化学の教育に携わってこられた優れた教育者でもある。この先生がお一人で翻訳されたため,全体の記述に統一感があり,正確かつわかりやすい。本の帯にあるとおり,まさに「こんな教科書を待っていた!」。初学者のみならず,医療に従事する多くの人にとって蒙を啓かれる必携の教科書である。
面白い! 生化学の学びが変わる
書評者: 鈴木 敬一郎 (兵庫医大主任教授・生化学)

 医学生にとって生化学は嫌われ科目である。化学構造式を見ただけで意欲がそがれる学生もいる。古典的な有名教科書は見向きもされない。しかし本書を拝読し,学生諸君にこの本を読んでもらいたい,これを指定して授業をしたいという想いにかられた。

 これまでのMedical Biochemistryと銘打った教科書は各項目の終わりで臨床とのつながりを記載するものが大半であった。本書では「待合室」というコラムで最初に臨床的課題が示され,何のためにこの項目を学ぶのかを理解して学習できる。臨床ノートやメソッドノートなども魅力的で,優秀な学生の知的好奇心も十分満足させられる。また消化吸収など生理学・栄養学的内容も記載されているのも素晴らしい。

 次に強調したいのは原著タイトルの「Basic」が示すように「基本的」という点である。まず目次がシンプルでエネルギー代謝に重点が置かれ,多岐にわたる臨床的内容も栄養素ごとの代謝にまとめられている。がん,免疫,神経,情報伝達など章立てが多い成書も少なくないが,医学教育における生化学は第一義的にエネルギー代謝である。生理学,病理学,免疫学などでもそれぞれの専門教科書が指定され,学生は生化学の教科書を買っても3分の1しか使わない場合も多い。本書は生化学の科目の中で全てを使えるのである。原書の一部を訳出されなかったのは,まさしく英断である。そして内容も基本的なことから丁寧に記載されわかりやすい。例えば学生が苦手な自由エネルギーは「細胞生体エネルギー論:ATPとO2」,電子伝達系は「酸化的リン酸化とミトコンドリアの機能」にわかりやすくまとめられている。複合体の記載も過剰ではなく必要十分である。その一方,構造式については図表やサイドカラムで丁寧に記載され,構造から機能を類推する楽しさも味わえる。web付録には演習問題と詳しい解説があるのがうれしい。基礎的知識を押さえながら学習意欲を刺激される。

 最後に,ある意味最も特筆すべきは横溝岳彦先生お一人が翻訳されたことである。私も経験があるが,翻訳教科書は分担がほとんどで,訳がこなれていない場合もあった。本書は横溝教授単訳でわかりやすく読みやすい。横溝教授は研究も卓越しており,尊敬する友人であるが,よく時間があったなと驚愕し頭が下がる思いである。今回の本書翻訳は自分が受けてきた教育をそのまま下の世代に押し付けるのではなく,現在の学生のニーズをよく理解されているからこその選択と決断であろう。

 私も生化学教科書を編さんした経験があるが,能力があればこのような本を書いてみたかったと羨望を禁じ得ない。学生の大半は臨床医になるが,臨床の現場では糖尿病,脂質異常症など代謝性疾患が溢れ,まれに珍しい代謝異常も隠れている。臨床の合間に学生時代に学んだ本書を書架から時々取り出して読み返すような臨床家に育っていただきたいと願っている。

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本書の記述の正確性につきましては最善の努力を払っておりますが、この度弊社の責任におきまして、下記のような誤りがございました。お詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。

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