認知症ケアの考え方と技術 第2版
認知症ケアのイロハがわかる書
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本書は、認知症についての基礎知識から認知症者への接し方、ケアの心構えなど、認知症ケアに関連する事柄を網羅。長年、認知症者を看てきた著者だからこそ書けるケアや心配りのあり方が、エピソードとともに記されている。看護実習の前に、あるいは病棟などで担当となったときに読んでおきたい1冊。
著 | 六角 僚子 |
---|---|
発行 | 2015年09月判型:B5頁:180 |
ISBN | 978-4-260-02194-4 |
定価 | 2,640円 (本体2,400円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
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序章
看護や介護という仕事は,誰もがもつ不安,苦しみ,不自由などを少しでも和らげようとする人間の知恵と,人間に対する愛情の具体的な結晶であると考えられます。そしてその看護・介護の仕事では,ケア提供者自身のありようを不問に付すことはできません。
本書を書き進める前に,認知症ケアを深く考えるようになった,筆者自身の臨床での経験をいくつか述べておくこととします。
1 認知症者との出会い-自分の世界を生きる
筆者は以前,老人病院に勤務していました。そこで毎日ケアをしていく中,体こそは疲れても心に満ちてくるものがありました。先輩看護師の対応の仕方を見習いながら,高齢者と深くかかわることができ,筆者自身もずいぶんと成長させてもらえました。
その病院では,入院中の高齢者の半数が認知症といっても過言ではありませんでしたので,認知症者とかかわることにより,病院にいながらいろいろな場所へ行くことができました。「どうしても錦糸町へ夜遊びに行きたい全盲の男性が,駅でタクシーを待っている」「エプロンを掛けた女性が,これから夕飯の買い物に行こうと病棟の廊下の向こうの商店街を目指して出かけていく」,このような話を聞くとき,筆者の目には,派手なネオンが瞬く錦糸町の夜や,夕飯の買い物客でにぎわう商店街が見えたりしたものです。襟元のボタンがはずれているのを教えてあげると,一所懸命にボタンをかけようとするのに,なかなかボタンをかけられない人がいました。そのうち彼女はふっと顔をあげ「これじゃあ,お母ちゃんに笑われちゃうね」と笑いながら首を傾げてつぶやきました。このときには温かい家庭が見えました。その一方で,「闇市の婆がいる」と憎々しげに遠くの女性を見ている人もいました。彼女からは,経験したことのないことを想像できないじれったさを感じたりもしました。
認知症者たちは,まさしくその人の世界-自分の世界で生きているのです。こうして筆者は,自分の世界を生きる認知症者たちとのつきあいのスタートを切ったのでした。
2 認知症ケア現場の実情-クリスマス会にて
クリスマスも近いある土曜日,病院全体でクリスマス会が催されました。各病棟それぞれが,舞台で何かしらの出し物をすることになっており,ある病棟で患者さんたちはクリスマスソングを歌いました。その患者さんたちはそれぞれが皆,赤いマントや白いマントなどの,目も覚めるような派手な衣装をまとっていました。筆者は,家族の人たちはどのような思いかと少し心配になりました。
舞台終了後,そこに参加していた男性患者さんは冠をかぶり,白いマントに白いタイツ姿で病院の外来廊下をケア提供者とともに歩いて病棟へ戻りました。そこに居合わせた外来者たちは,見てはいけないものを見たような困惑した素振りをしたり,逆に振り返って見たり,笑いながら通り過ぎたりしていました。筆者は,反省会で次のようなやりとりをスタッフと行いました。
筆者自身は,もし認知症となったとき,はちまきを巻いてゲームはしたくないし,衣装をつけて歌を披露したりしたくないと考えています。しかし,そのときになれば,楽しそうにゲームに参加してしまうかもしれないし,歌も披露するかもしれません。認知症になったときに,「そうなる前のやりたくない気持ち」を尊重してもらうことがよいのか,やらされるままでいる実情を尊重してもらうことがよいのか,実は解答が出ないままでいます。
3 ケア提供者の混乱-認知症の進行に拍車
このように自分の世界を生きている人たちに対し,私たちは自分たちの規範を基準として対応し,そのことがその世界を壊すことが少なくありません。そのたびに,認知症者は不安,混乱に陥り,ますます認知症が進行していくのです。
認知症者は私たちとは別世界で過ごしているかのように受け止められます。人前での脱衣行為や食べ物以外を口にするなどの行為は,私たちの社会規範の中での通常の行為とは異なり,奇異に見られることは確かです。またトイレではない場所での排泄,不適切な便の始末などは,周りのケア提供者にとっては大変困った問題ともとらえられています。と同時に,これらの認知症者に対して「どうしてよいのかわからない」「何を言ってもわかってくれない」といったとらえ方をするケア提供者も少なくありません。つまり認知症者がいる世界の存在をとらえることができない,認知症の理解が不十分な状況でありながら「よいケアの提供」を求められているため,ストレスやケアに対する不安も大きいのです。そこには,認知症者も困惑していますが,ケア提供者自身がケアに混乱している姿があります。これでは両者ともよりよい関係が創出・維持できるわけはありません。
認知症者のありよう(さま)は,ケアの鏡です。つまり認知症者にかかわる看護・介護者の姿勢・態度は,それだけ認知症者へ影響力が強く,それが再びケア提供者側にはね返ってくるのです。
4 本書の特徴
このような経験を通して学んだ,認知症者に素敵な援助を提供していくための考え方と技術を,以下のような構成で書き進めていこうと思います。
第1章は,まず認知症とは何か,認知症の症状(主症状,随伴症状)とくに随伴症状を起こす原因や具体的症状・行動についての理解を深めるための内容です。
第2章では,認知症者を抱える家族について,家族の中の社会的,心理的な変化や精神的ストレスを取り上げています。
第3章では,認知症者を援助する者に求められる7つの基本的な姿勢(まなざし),たとえば「人間として理解すること」や「当たり前の生活を大切にすること」などについて取り上げ,具体的に説明していきます。
第4章では,これまで言われてきた具体的なケアや,今までの研究から明らかになった認知症ケアについて整理を行った結果,抽出した11のケア項目について詳細に解説をしていきます。
第5章は,第3章にも掲げられた「基本的欲求の充足」というケア項目も含め,日常生活を支える援助を7項目取り上げ,実際に認知症ケアが行えるよう具体的に解説していきます。
第6章はケアの基盤となるアセスメント・ケアプランについて,生活に焦点を当てながらわかりやすく説明をしていきます。
第7章では,認知症者が豊かに生きられるよう,セクシュアリティ(性)や終末期についてのケアのあり方を述べていきます。
第8章では,認知症者を取り巻く地域の力というテーマで,暮らす場,介護保険制度,社会資源について解説をします。
なお,出てくる対象者のお名前は仮名です。
援助の実際の場面は,暮らす場によってさまざまです。施設でも在宅でも可能な限り援助できるような視点で話を進めるように努めましたが,それでもどちらかに偏った援助場面が出てくると思います。しかし,そこでの援助の原則は,どの場面にも基本的に当てはまりますので,積極的に活用していただきたいと思います。
看護や介護という仕事は,誰もがもつ不安,苦しみ,不自由などを少しでも和らげようとする人間の知恵と,人間に対する愛情の具体的な結晶であると考えられます。そしてその看護・介護の仕事では,ケア提供者自身のありようを不問に付すことはできません。
本書を書き進める前に,認知症ケアを深く考えるようになった,筆者自身の臨床での経験をいくつか述べておくこととします。
1 認知症者との出会い-自分の世界を生きる
筆者は以前,老人病院に勤務していました。そこで毎日ケアをしていく中,体こそは疲れても心に満ちてくるものがありました。先輩看護師の対応の仕方を見習いながら,高齢者と深くかかわることができ,筆者自身もずいぶんと成長させてもらえました。
その病院では,入院中の高齢者の半数が認知症といっても過言ではありませんでしたので,認知症者とかかわることにより,病院にいながらいろいろな場所へ行くことができました。「どうしても錦糸町へ夜遊びに行きたい全盲の男性が,駅でタクシーを待っている」「エプロンを掛けた女性が,これから夕飯の買い物に行こうと病棟の廊下の向こうの商店街を目指して出かけていく」,このような話を聞くとき,筆者の目には,派手なネオンが瞬く錦糸町の夜や,夕飯の買い物客でにぎわう商店街が見えたりしたものです。襟元のボタンがはずれているのを教えてあげると,一所懸命にボタンをかけようとするのに,なかなかボタンをかけられない人がいました。そのうち彼女はふっと顔をあげ「これじゃあ,お母ちゃんに笑われちゃうね」と笑いながら首を傾げてつぶやきました。このときには温かい家庭が見えました。その一方で,「闇市の婆がいる」と憎々しげに遠くの女性を見ている人もいました。彼女からは,経験したことのないことを想像できないじれったさを感じたりもしました。
認知症者たちは,まさしくその人の世界-自分の世界で生きているのです。こうして筆者は,自分の世界を生きる認知症者たちとのつきあいのスタートを切ったのでした。
2 認知症ケア現場の実情-クリスマス会にて
クリスマスも近いある土曜日,病院全体でクリスマス会が催されました。各病棟それぞれが,舞台で何かしらの出し物をすることになっており,ある病棟で患者さんたちはクリスマスソングを歌いました。その患者さんたちはそれぞれが皆,赤いマントや白いマントなどの,目も覚めるような派手な衣装をまとっていました。筆者は,家族の人たちはどのような思いかと少し心配になりました。
舞台終了後,そこに参加していた男性患者さんは冠をかぶり,白いマントに白いタイツ姿で病院の外来廊下をケア提供者とともに歩いて病棟へ戻りました。そこに居合わせた外来者たちは,見てはいけないものを見たような困惑した素振りをしたり,逆に振り返って見たり,笑いながら通り過ぎたりしていました。筆者は,反省会で次のようなやりとりをスタッフと行いました。
筆者:どうしてあのような衣装を選んだの?
病棟スタッフ:皆で考え,スタッフは夜なべして一所懸命衣装をつくりました。
筆者:あの方は衣装をつけて本当に喜んでいるのでしょうか? 以前は裁判官だったということですが,自分であのような衣装をつけたいと望んでいたのでしょうか?
病棟スタッフ:それは何ともいえませんが,あの方はあの衣装を大変喜んでいたと思います。無表情のときが多い方ですが,あの衣装をまとうととても表情がよくなりましたし,似合うかとも問われました。昔はわかりませんが,今はその人が楽しいと感じればよいのではないでしょうか? スタッフたちもあの方の表情が明るいことを喜んでいます。スタッフも一所懸命に衣装をつくりましたから…。
筆者:その人の人権ってなんでしょうね? 裁判官としてのあの方を尊重したらよいのか,今のあの方を尊重したらよいのか。
病棟スタッフ:今楽しいと思えることが大切だと思います。
読者の皆さんはどのように考えますか?病棟スタッフ:皆で考え,スタッフは夜なべして一所懸命衣装をつくりました。
筆者:あの方は衣装をつけて本当に喜んでいるのでしょうか? 以前は裁判官だったということですが,自分であのような衣装をつけたいと望んでいたのでしょうか?
病棟スタッフ:それは何ともいえませんが,あの方はあの衣装を大変喜んでいたと思います。無表情のときが多い方ですが,あの衣装をまとうととても表情がよくなりましたし,似合うかとも問われました。昔はわかりませんが,今はその人が楽しいと感じればよいのではないでしょうか? スタッフたちもあの方の表情が明るいことを喜んでいます。スタッフも一所懸命に衣装をつくりましたから…。
筆者:その人の人権ってなんでしょうね? 裁判官としてのあの方を尊重したらよいのか,今のあの方を尊重したらよいのか。
病棟スタッフ:今楽しいと思えることが大切だと思います。
筆者自身は,もし認知症となったとき,はちまきを巻いてゲームはしたくないし,衣装をつけて歌を披露したりしたくないと考えています。しかし,そのときになれば,楽しそうにゲームに参加してしまうかもしれないし,歌も披露するかもしれません。認知症になったときに,「そうなる前のやりたくない気持ち」を尊重してもらうことがよいのか,やらされるままでいる実情を尊重してもらうことがよいのか,実は解答が出ないままでいます。
3 ケア提供者の混乱-認知症の進行に拍車
このように自分の世界を生きている人たちに対し,私たちは自分たちの規範を基準として対応し,そのことがその世界を壊すことが少なくありません。そのたびに,認知症者は不安,混乱に陥り,ますます認知症が進行していくのです。
認知症者は私たちとは別世界で過ごしているかのように受け止められます。人前での脱衣行為や食べ物以外を口にするなどの行為は,私たちの社会規範の中での通常の行為とは異なり,奇異に見られることは確かです。またトイレではない場所での排泄,不適切な便の始末などは,周りのケア提供者にとっては大変困った問題ともとらえられています。と同時に,これらの認知症者に対して「どうしてよいのかわからない」「何を言ってもわかってくれない」といったとらえ方をするケア提供者も少なくありません。つまり認知症者がいる世界の存在をとらえることができない,認知症の理解が不十分な状況でありながら「よいケアの提供」を求められているため,ストレスやケアに対する不安も大きいのです。そこには,認知症者も困惑していますが,ケア提供者自身がケアに混乱している姿があります。これでは両者ともよりよい関係が創出・維持できるわけはありません。
認知症者のありよう(さま)は,ケアの鏡です。つまり認知症者にかかわる看護・介護者の姿勢・態度は,それだけ認知症者へ影響力が強く,それが再びケア提供者側にはね返ってくるのです。
4 本書の特徴
このような経験を通して学んだ,認知症者に素敵な援助を提供していくための考え方と技術を,以下のような構成で書き進めていこうと思います。
第1章は,まず認知症とは何か,認知症の症状(主症状,随伴症状)とくに随伴症状を起こす原因や具体的症状・行動についての理解を深めるための内容です。
第2章では,認知症者を抱える家族について,家族の中の社会的,心理的な変化や精神的ストレスを取り上げています。
第3章では,認知症者を援助する者に求められる7つの基本的な姿勢(まなざし),たとえば「人間として理解すること」や「当たり前の生活を大切にすること」などについて取り上げ,具体的に説明していきます。
第4章では,これまで言われてきた具体的なケアや,今までの研究から明らかになった認知症ケアについて整理を行った結果,抽出した11のケア項目について詳細に解説をしていきます。
第5章は,第3章にも掲げられた「基本的欲求の充足」というケア項目も含め,日常生活を支える援助を7項目取り上げ,実際に認知症ケアが行えるよう具体的に解説していきます。
第6章はケアの基盤となるアセスメント・ケアプランについて,生活に焦点を当てながらわかりやすく説明をしていきます。
第7章では,認知症者が豊かに生きられるよう,セクシュアリティ(性)や終末期についてのケアのあり方を述べていきます。
第8章では,認知症者を取り巻く地域の力というテーマで,暮らす場,介護保険制度,社会資源について解説をします。
なお,出てくる対象者のお名前は仮名です。
援助の実際の場面は,暮らす場によってさまざまです。施設でも在宅でも可能な限り援助できるような視点で話を進めるように努めましたが,それでもどちらかに偏った援助場面が出てくると思います。しかし,そこでの援助の原則は,どの場面にも基本的に当てはまりますので,積極的に活用していただきたいと思います。
目次
開く
序章
1 認知症者との出会い-自分の世界を生きる
2 認知症ケア現場の実情-クリスマス会にて
3 ケア提供者の混乱-認知症の進行に拍車
4 本書の特徴
1 自分の世界を生きる認知症者
1 認知症の今
2 認知症とは
3 4大認知症疾患
4 認知症に伴う症状
2 認知症者と家族
1 高齢者と家族の今
2 認知症の親(身内)を家族が受け止める過程
3 認知症ケアに求められる姿勢
1 人間としての高齢者を理解する
2 当たり前の生活の大切さがわかる
3 自分自身の体を眺めながら,高齢者の体の変化を理解していく
4 時代を知る-百年の歴史を勉強し,高齢者を知る手がかりとする
5 共感すること-1本の足はその人の世界に,もう1本の足は自分自身に
6 自分自身もいずれは高齢者になるという自覚をもつ
7 チームで働く
4 認知症ケアの基本的対応
1 見守り・観察ケア
2 健康管理のケア
3 かかわりケア
4 五感を刺激するケア
5 興味・関心を探るケア
6 気分転換のケア
7 チームケア
8 行動変容を促すケア
9 リハビリテーションケア
10 基本的欲求を満たすケア
11 家族へのケア
5 認知症者の日常生活を支える援助技術
ケアを始める前に
1 生活環境-安心して過ごしたい
2 姿勢と動作-背筋を伸ばして
3 食事-安全に楽しく食べる
4 排泄-すっきり爽快になる
5 清潔-きれいでいたい
6 衣-おしゃれを楽しむ
7 睡眠・休息-ゆっくり休むということ
6 認知症者のアセスメントとケアプラン
1 アセスメントのための情報-認知症ケアの拠りどころ
2 アセスメントをする共通の視点とアセスメント項目
3 測定スケール
4 認知症者のアセスメント結果をケアに活かす
7 認知症者のセクシュアリティと死
1 セクシュアリティ
2 別れを迎えるとき-別れの作法
8 地域(あなた)の力
1 人間は他者とともにしか生きられない存在
2 認知症者が暮らす場
3 認知症者を支える仕組み
あとがき
索引
1 認知症者との出会い-自分の世界を生きる
2 認知症ケア現場の実情-クリスマス会にて
3 ケア提供者の混乱-認知症の進行に拍車
4 本書の特徴
1 自分の世界を生きる認知症者
1 認知症の今
2 認知症とは
3 4大認知症疾患
4 認知症に伴う症状
2 認知症者と家族
1 高齢者と家族の今
2 認知症の親(身内)を家族が受け止める過程
3 認知症ケアに求められる姿勢
1 人間としての高齢者を理解する
2 当たり前の生活の大切さがわかる
3 自分自身の体を眺めながら,高齢者の体の変化を理解していく
4 時代を知る-百年の歴史を勉強し,高齢者を知る手がかりとする
5 共感すること-1本の足はその人の世界に,もう1本の足は自分自身に
6 自分自身もいずれは高齢者になるという自覚をもつ
7 チームで働く
4 認知症ケアの基本的対応
1 見守り・観察ケア
2 健康管理のケア
3 かかわりケア
4 五感を刺激するケア
5 興味・関心を探るケア
6 気分転換のケア
7 チームケア
8 行動変容を促すケア
9 リハビリテーションケア
10 基本的欲求を満たすケア
11 家族へのケア
5 認知症者の日常生活を支える援助技術
ケアを始める前に
1 生活環境-安心して過ごしたい
2 姿勢と動作-背筋を伸ばして
3 食事-安全に楽しく食べる
4 排泄-すっきり爽快になる
5 清潔-きれいでいたい
6 衣-おしゃれを楽しむ
7 睡眠・休息-ゆっくり休むということ
6 認知症者のアセスメントとケアプラン
1 アセスメントのための情報-認知症ケアの拠りどころ
2 アセスメントをする共通の視点とアセスメント項目
3 測定スケール
4 認知症者のアセスメント結果をケアに活かす
7 認知症者のセクシュアリティと死
1 セクシュアリティ
2 別れを迎えるとき-別れの作法
8 地域(あなた)の力
1 人間は他者とともにしか生きられない存在
2 認知症者が暮らす場
3 認知症者を支える仕組み
あとがき
索引
書評
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幅広い読者を対象とした,ケアの優れた指南書
書評者: 松岡 千代 (佛教大教授・老年看護学)
本書は2005年に初版が発行され,このたび新しく改訂されました。著者もあとがきに書いているように,この10年において認知症そのものや,ケアに関する考え方が大きく変化しました。超高齢社会に突入した日本において,認知症はもはや国民的な病であり,子どもから高齢者までが知っておくべき時代が来たと言えるでしょう。本書は,病院や施設のケア専門職だけではなく,認知症のことをよく知らない介護者や一般の方も活用できるものです。
まず本書の印象は,何よりも読みやすく,全編にわたって認知症者に対する著者の愛が溢れているということです。一般の専門書のように難解な専門用語が少なく,柔らかいイラストとともに話し言葉でわかりやすく書かれています。そうした意味で,認知症者の介護を始めたばかりの介護者,地域の民生・児童委員や自治会の方々,そして一般の方への入門書として適していると言えるでしょう。
一方で,認知症者のケアに携わるケア専門職にも活用できる知識や技術が豊富に提示されています。認知症の病態やアセスメントなど,認知症ケアにおいて重要な専門的ポイントについては,第1章「自分の世界を生きる認知症者」などできちんと学ぶことができます。認知症者のケアにおいて,われわれケア専門職は簡単に「その人らしく」「安全・安楽」に「残存能力を引き出して」「寄り添ったケア」をしますと言いがちです。しかし本当にその本質を理解してケアができているのでしょうか。著者は,「あるある」事例をコラムとして提示してそれを解説する中で,読者にそのことを突き付けます。そして「当たり前」「わかったつもり」のケアについて,認知症者の特徴に応じた工夫がまだまだできることを,第4章「認知症ケアの基本的な対応」と第5章「認知症者の日常生活をさせる援助技術」として具体的に提示してくれます。さらには,これまであまり触れられてこなかった認知症者のセクシュアリティ(第7章)について,人としての「自己表現」や生きるパワーが秘められていることに気付かされます。
認知症ケアの根本には,第3章「認知症ケアに求められる姿勢」として,その考え方が重要であり,「良いケア」ができたかどうかは,ケアの鏡として認知症者のありよう(さま)に反映されることが示されています。介護施設や地域・在宅でのケアだけでなく,病院での認知症ケアを見直す機会となるのではないでしょうか。
本書は,認知症ケアの学術書や研究書ではないかもしれません。しかし,時々に語られる認知症者との豊富で心温まるエピソードから,認知症ケアに求められる考え方,姿勢・態度について,あらためて考えるきっかけとなるでしょう。また,ケアの本質的な内容が凝縮されており,具体的で活用できる技術も豊富であることから,一般からケア専門職まで幅広い人を対象としたケアの指南書として優れていると思います。
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 鈴木 みずえ (浜松医科大学地域看護学 教授)
◆実践・研究・教育を通したさまざまな経験の結晶
わが国の高齢化率は26%を超え(内閣府、2015)、認知症と診断された高齢者と軽度認知障害(MCI)の高齢者を合わせると約862万人、高齢者の4人に1人が認知症に直面していると報告されています(厚生労働省、2014)。訪問看護や介護の現場でも多くの認知症高齢者に出会われ、さまざまな課題をお持ちだと思います。
本書の初版は2005年に発行され、このたび10年を経て改訂されました。著者は大学で学生を指導する一方で、NPO法人認知症ケア研究所の代表理事として、研究や人材育成をされています。また同研究所では、茨城県水戸市の「デイサービスセンターお多福」にて、民家型デイサービスならではの馴染みの空間、日常生活における無理のない身体動作による機能訓練とともに、キッズガーデンなど世代を超えた交流を展開しています。
本書は、著者の幅広い、さまざまな活動を凝縮させた結晶といえます。特徴は、現場の豊富な事例が多いこと、実践で効果的なポイントを押さえていることです。
◆現場の事例をもとにポイントを解説
ケース「人間の手が信じられない」は、病院で身体拘束されたアルツハイマー型認知症の女性が、退院後入所した老人保健施設で、介助する人の手が信じられず、以前はなかった「手を払う」「かみつく」などの行動を見せるようになった事例です。身体拘束の代償は大きく、信頼を得るまでに1年かかったと書かれています。
現場には、いろいろな倫理的な課題もあります。認知症高齢者を1人の人間として尊重するケアについては、「関わりケア」の項目で述べられています。
看護師は「処置を行なうこと」が看護だと勘違いする傾向がありますが、本書では、たとえば認知症高齢者の「名前」を呼ぶ意義が強調されています。それは、ご本人が「自分は社会のなかで生きている」ということを改めて確認し、自身のアイデンティティを再認識するためのケアなのです。また、看護師自らが名前を伝えることで、看護師であることを、そして、「この人を信頼してケアを受けられる」ということを認知症高齢者から初めて認められます。それ自体が看護師のさらなる円熟につながると思われます。
ケース「薬と水分摂取」は、向精神薬を内服しており、食が進まずうとうととしがちな男性の事例です。そこには、施設で定める1人あたりの水分摂取量1300mlが、60kgと体格のよいその男性にとっては不足しており、向精神薬の副作用が強く出現して、体力も低下していたという背景がありました。1人ひとりのケアの多様性を認識し、起こりうる課題を予測し、予防することが重要なのです。
看護のポイントだけではなく、ケース「アンパンが売り切れるわけ」などにも、著者の長年の経験と愛情があふれ、認知症高齢者の気持ちに寄り添っていることがわかります。ほかの書籍では得られない「高齢者ケアの結晶」が随所に光る本書を手に取り、気になるところから読むことで、認知症ケアに迷っているあなたの疑問が必ず解決できるでしょう。
(『訪問看護と介護』2016年1月号掲載)
書評者: 松岡 千代 (佛教大教授・老年看護学)
本書は2005年に初版が発行され,このたび新しく改訂されました。著者もあとがきに書いているように,この10年において認知症そのものや,ケアに関する考え方が大きく変化しました。超高齢社会に突入した日本において,認知症はもはや国民的な病であり,子どもから高齢者までが知っておくべき時代が来たと言えるでしょう。本書は,病院や施設のケア専門職だけではなく,認知症のことをよく知らない介護者や一般の方も活用できるものです。
まず本書の印象は,何よりも読みやすく,全編にわたって認知症者に対する著者の愛が溢れているということです。一般の専門書のように難解な専門用語が少なく,柔らかいイラストとともに話し言葉でわかりやすく書かれています。そうした意味で,認知症者の介護を始めたばかりの介護者,地域の民生・児童委員や自治会の方々,そして一般の方への入門書として適していると言えるでしょう。
一方で,認知症者のケアに携わるケア専門職にも活用できる知識や技術が豊富に提示されています。認知症の病態やアセスメントなど,認知症ケアにおいて重要な専門的ポイントについては,第1章「自分の世界を生きる認知症者」などできちんと学ぶことができます。認知症者のケアにおいて,われわれケア専門職は簡単に「その人らしく」「安全・安楽」に「残存能力を引き出して」「寄り添ったケア」をしますと言いがちです。しかし本当にその本質を理解してケアができているのでしょうか。著者は,「あるある」事例をコラムとして提示してそれを解説する中で,読者にそのことを突き付けます。そして「当たり前」「わかったつもり」のケアについて,認知症者の特徴に応じた工夫がまだまだできることを,第4章「認知症ケアの基本的な対応」と第5章「認知症者の日常生活をさせる援助技術」として具体的に提示してくれます。さらには,これまであまり触れられてこなかった認知症者のセクシュアリティ(第7章)について,人としての「自己表現」や生きるパワーが秘められていることに気付かされます。
認知症ケアの根本には,第3章「認知症ケアに求められる姿勢」として,その考え方が重要であり,「良いケア」ができたかどうかは,ケアの鏡として認知症者のありよう(さま)に反映されることが示されています。介護施設や地域・在宅でのケアだけでなく,病院での認知症ケアを見直す機会となるのではないでしょうか。
本書は,認知症ケアの学術書や研究書ではないかもしれません。しかし,時々に語られる認知症者との豊富で心温まるエピソードから,認知症ケアに求められる考え方,姿勢・態度について,あらためて考えるきっかけとなるでしょう。また,ケアの本質的な内容が凝縮されており,具体的で活用できる技術も豊富であることから,一般からケア専門職まで幅広い人を対象としたケアの指南書として優れていると思います。
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 鈴木 みずえ (浜松医科大学地域看護学 教授)
◆実践・研究・教育を通したさまざまな経験の結晶
わが国の高齢化率は26%を超え(内閣府、2015)、認知症と診断された高齢者と軽度認知障害(MCI)の高齢者を合わせると約862万人、高齢者の4人に1人が認知症に直面していると報告されています(厚生労働省、2014)。訪問看護や介護の現場でも多くの認知症高齢者に出会われ、さまざまな課題をお持ちだと思います。
本書の初版は2005年に発行され、このたび10年を経て改訂されました。著者は大学で学生を指導する一方で、NPO法人認知症ケア研究所の代表理事として、研究や人材育成をされています。また同研究所では、茨城県水戸市の「デイサービスセンターお多福」にて、民家型デイサービスならではの馴染みの空間、日常生活における無理のない身体動作による機能訓練とともに、キッズガーデンなど世代を超えた交流を展開しています。
本書は、著者の幅広い、さまざまな活動を凝縮させた結晶といえます。特徴は、現場の豊富な事例が多いこと、実践で効果的なポイントを押さえていることです。
◆現場の事例をもとにポイントを解説
ケース「人間の手が信じられない」は、病院で身体拘束されたアルツハイマー型認知症の女性が、退院後入所した老人保健施設で、介助する人の手が信じられず、以前はなかった「手を払う」「かみつく」などの行動を見せるようになった事例です。身体拘束の代償は大きく、信頼を得るまでに1年かかったと書かれています。
現場には、いろいろな倫理的な課題もあります。認知症高齢者を1人の人間として尊重するケアについては、「関わりケア」の項目で述べられています。
看護師は「処置を行なうこと」が看護だと勘違いする傾向がありますが、本書では、たとえば認知症高齢者の「名前」を呼ぶ意義が強調されています。それは、ご本人が「自分は社会のなかで生きている」ということを改めて確認し、自身のアイデンティティを再認識するためのケアなのです。また、看護師自らが名前を伝えることで、看護師であることを、そして、「この人を信頼してケアを受けられる」ということを認知症高齢者から初めて認められます。それ自体が看護師のさらなる円熟につながると思われます。
ケース「薬と水分摂取」は、向精神薬を内服しており、食が進まずうとうととしがちな男性の事例です。そこには、施設で定める1人あたりの水分摂取量1300mlが、60kgと体格のよいその男性にとっては不足しており、向精神薬の副作用が強く出現して、体力も低下していたという背景がありました。1人ひとりのケアの多様性を認識し、起こりうる課題を予測し、予防することが重要なのです。
看護のポイントだけではなく、ケース「アンパンが売り切れるわけ」などにも、著者の長年の経験と愛情があふれ、認知症高齢者の気持ちに寄り添っていることがわかります。ほかの書籍では得られない「高齢者ケアの結晶」が随所に光る本書を手に取り、気になるところから読むことで、認知症ケアに迷っているあなたの疑問が必ず解決できるでしょう。
(『訪問看護と介護』2016年1月号掲載)
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更新情報はありません。
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